表紙メッセージ  畠山 保男


 アンゲロス…新約聖書に200回以上出てくる言葉。

 しかし、私にとって最も印象深いのは、語句索引には出てこない、天使と呼ばれていない天子、キリストの復活を告げる、白い衣を着た若者(マルコ16.5−7)。

 エルサレムの門の外の墓の前で、お前はあの若者からあの福音を聞いたか、ガリラヤへ先立ちいかれるキリストの後を追っているか、彼にであうことでガリラヤの民衆に出会っているか、彼らと共に生きようとしているかと常に問われている。

(はたけやま やすお 所員)


シンポジウム*での所感  竹内 真一


 この2月と3月、白金校舎で有志による教学改革のシンポジウムが催されました。2月の集会の終わり頃、キリスト教主義大学としてのその在り方が問われました。その折の発言を、記憶をたよりにまとめたのが、この小文です。なにしろテープレコーダーがアイドリングしていたものですから。

 1950年代のキャンパスで育った私にとって、プロテスタンティズムは近代と強く結びついていました。ウェーバーやトーニー、大塚先生や丸山先生の影響があったのだと思います。だから、ある種の期待をもって明治学院に奉職したことを、今でも覚えています。しかし、最初の数年、その期待は必ずしも満たされたとはいえませんでした。私がキリスト者の行動や発言に関心を深めはじめたのは、やはり「紛争」からのことです。以来、多くの方々との語らいや討議は、私の学問的社会的視野を広げていく糧になりました。それは学部内だけのことではありません。

 大分前から、私にとって明治学院大学の教育は社会の市民的な、民主的な胸壁となる人々を送り出すことだと考えるようになりました。それは「国家社会」の舵をとる人を支える中堅という意味ではありません。そういうグレードを越えたものです。教学改革論議のなかで「明学は第○流大学」という真意がすけて見える発言に接することもないとはいえませんが、私の発想はそれとは別個のものです。

 その精神的エートスはどこに求めたらいいのか。9月に開かれる学院恒例の研修会のことでした。その時は、学院外のキリスト者、とくに女性の方の参加が目立ちました。偶然に会場を同じくした私は、そこでその方々の社会活動の苦労話、というよりは悩みを身近に伺う機会を得ました。詳しくご紹介できませんが、それは社会の壁にぶつかって経験する活動の困難でした。社会の壁とは日本の多数者文化のことです。キリスト者の文化は、この地ではマイノリティの文化です。そして、困難と悩みはそれと無関係ではありません。

 今政治改革をめぐって議論が白熱しています。しかし、もっと歴史的な意味で、日本のマジョリティ文化も転換点にたっているのではないでしょうか。私はこの点にかかわって、キリスト教主義大学の教育研究のもつ深い意味あいを大切にしたいと思っています。それは国際化の時代に役立つ語学力の要請といった役割を越えたものです。私は明治学院大学の最近の歩みをとおして、そのような時代的な課題を探求する共通の土台がつくられてきていることを信ずるものです。

(たけうち しんいち 社会学部教授)

*去る2月27日(土)と3月27日(土)に開催された「21世紀に向かって、明治学院大学の将来像」に関する学内シンポジウムのこと。この際の竹内先生のご発言をまとめていただきました。ありがとうございました。


イコンのこと  千葉 茂美


 これまで何回かギリシアを訪れ、かえってくるたびに、いつも奇妙に心に残ることがある。それは当てねのビザンチン博物館に陳列されているたくさんのイコン、また各家庭や道端にある古い祠に見られるイコン、そして特にうす暗い会堂の、献灯台(パニカデル)のろうそくの灯のゆらぐ中で、ふしぎな神秘的な魅力をはなつイコン、これがいつまでも心に残るのである。

 イコンとは、ギリシア語で「招かれた絵」を意味するが、いわゆる聖像画のことである。イコンに描かれたキリストの像、マリアの像、また聖母子像は、いつどこで見てもまったく同じように見えるのであるが、西ヨーロッパの美術館や博物館などで見たそれらとは全く違った感じをもったからである。

 たとえばマリア像であるが、フランスで見たマリア像は、なにかフランス女性を理想化したように見えたし、ドイツではドイツのそれ、イタリアではイタリアのそれと、それぞれにみなマリア像が個性的で異なっていたからである。

 そこでこの違いはどこから来るものかと、イコンのことを少し調べてみた。

 言うまでもなく、モーセは十戒の中で偶像崇拝を強くいましめているが、イコンは人間の手によって書かれた作品であり、これは古代宗教の特徴の一つである偶像崇拝と何ら相違するものではないという主張が古くからあり、ついに726年、当時の皇帝レオ三世がイコン禁止令を発布するに至って、聖像破壊運動(イコノクラスム)が起こった。しかしイコン擁護の人々は、「われわれは聖像を通して神を見るのであって、それは偶像崇拝ではない」と、イコンと偶像を同一視する考えに強く反対し、この論争が長年にわたって繰り返され、そして787年、ニケア会議で、「イコンに向かって祈るとき、イコンに描かれている者に祈るのであり、イコンを崇拝するのではない」という決議がなされて、イコン崇拝は回復されることになったが、完全な回復は843年、皇妃テオドラの時代になってからといわれる。

 ところで、ギリシア正教は伝統的と呼ばれるように、初代キリスト教の精神を伝承し、神が人となって具体化したキリストの実態をつねにこの世に表明することに徹してきたといわれ、したがってその美術においても、神の啓示であるキリストと聖書の中の出来事の神髄をきわめ、これを明らかにするものでなければならず、個人が勝手に解釈すべきものであってはならないのである。

 ところが、ルネッサンスは、文芸復興だけでなく人間復興もおおない、ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロにみられるように、各作品はそれぞれの主題について作者の思想や考え方が強く打ち出され、個性的になればなるほどユニークな作品とされる。そこで、作品の主題となるキリストや聖書の中の出来事は、作者の考えの代弁者となる。またこうなると、それらの出来事について、人々が着たいするように解釈するものが評判をうるようにもなる。

 ギリシア正教においては、キリストやマリアを描けるのは、それぞれの究極的な存在意義を把握してはじめてできることであり、自己のキリスト観、マリア観を描きだす作品は、作者の想像の世界を反映したものにすぎず、きわめて人間中心的で俗化したもの、とみられるのである。こうした危険に陥らないために、イコンの作者は、いつも伝統の核心となる信仰を自ら実践しつつ生き、断食と祈りの末、身をきよめ、聖別された筆や絵の具、聖水を用い、教会の中であらわにされるキリストやマリアや諸聖人のイメージをとらえようと努力するのである。それがイコンを描くものの究極的な目的で、もちろん作品には作者の名はいれない。

 キリストやマリアは、神の国をこの世で明らかにしたもので、神の国にいる者を通して神の国を表現する美術は、この世のものでないものを表すという目的のために、この世の美の限界をこえ、かぎりなくのびるものとなる。イコンの美の世界の本質は、このかぎりない神の国の美にあるのである。そこでよく言われるが、イコンは、地上と天国との間の窓であり、神の国を写す鏡のようなもので、信徒たちはイコンを通して、神の国をのぞきこむのである。

 こう見てくると、イコンはいわゆる西欧美術の範疇に入るものでなく、まったく「信仰的なもの」ということになり、このことがキリストやマリア像の相違をもたらし、神秘的でなにか魂をさそう深い魅力にあふれる一面をもっているのではないかと考えるのである。

(ちば しげみ 所員・一般教育部教授)


本学に「人権講座」を−宋富子さんのひとり芝居「身世打鈴」が問いかけたものー
 加山 久夫


 去る6月8日(火)13:00〜14:30、キリスト教研究所主催により宋富子(ソン・プジャ)さんのひとり芝居「身世打鈴(シンセタリョン)」が白金校舎三号館で公演され、出席した多くの聴衆に深い感動を与えた。

 奈良県の被差別部落に生まれ育った在日韓国人二世として受けた民族差別は彼女から生きる希望を奪い、小学校3年生の頃から自らの生命を呪って死ぬことばかりを考えさせたという。「身世打鈴」(身の上話)は宋富子さんのそのような52年の個人史であるが、それはまたひとりの少女の生命をただ韓国人であるがゆえに押しつぶそうとした日本人の歴史でもあるといえよう。幸いにして、30歳のとき、聖書とのであいが、彼女の心を開き、自己として生きることに目覚めさせる。そして、痛み、苦しみを愛と許しによって乗り越えさせる。

 私はキリスト教研究所に寄せられた約150人の出席者の感想文を読む機会を得たが多くの方々が、日・韓の歴史やわが国における民族差別について無知であったことの恐ろしさとそれを知った者の責任について述べておられたことは嬉しいことだった。キリスト教研究所は先に5ヵ年のプロジェクト「人権とキリスト教」のまとめを公刊したが、計画の当初から本学に人権講座を開設することを目指してきた。それがどのような形で実現することが望ましいのかはこれからの検討の課題であるが、それが遠からず現実のものとなることを心から希う者である。

 因みに、宋富子さんは、わが国に朝鮮文化や歴史を紹介するための博物館を設立する運動(「高麗博物館をつくる会」)のために、このひとり芝居を全国で公演しておられる。

 日本と朝鮮の間には、豊かな文化の交流があり、日本は朝鮮から実に多くの文化的寄与を受けてきた。その影響史を探れば言語や陶芸や音楽など実に広範多岐に亘り、われわれの周辺に今なお息づいている。しかし、他方、朝鮮に破壊と荒廃をもたらした秀吉による侵略をはじめ、40年近くに及ぶ日本による朝鮮の植民地化の歴史を通して、両国は本当に遠い間柄になってしまった。そしてわが国の「内なる朝鮮」も。このような歴史の明暗両面の事実を正しく知ることこそが、過ちの清算と新しい関係の基礎であるとの認識からこの運動ははじまった。この運動に参加していただける方は筆者までご連絡いただくか、直接「高麗博物館をつくる会」にお問い合わせくださるよう、この機会を借りてお願いしたい。

(かやま ひさお 所員・一般教育部教授)


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