明治学院大学キリスト教研究所 『紀要』第1号〜第10号
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第1号 第2号 第3号 第4号 第5号 第6号 第7号 第8号 第9号 第10号
序 |
若林 龍夫 |
創刊の辞 |
村田 四郎 |
一つの提言 |
武藤 富男 |
初代教会における 三位一体論(1) |
園部不二夫 |
イエスの論争集 (マルコによる福音書2.1-3.6) |
秋元 徹 |
イエスからキリスト・ケリュグマへ −イエスの甦りの問題と関連して− |
村上 和男 |
日本近代化の課程における キリスト教学校教育の問題 −文部省訓令第12号をめぐって− |
工藤 英一 |
ボエティウスの中世的意義 |
小野 忠信 |
国民契約の成立(その1) |
飯島 啓二 |
ジョン・リルバーンの権利意識 |
澁谷 浩 |
イエスの奇跡物語集 −マルコによる福音書4.35-5.43- |
秋元 徹 |
近代における予型論の推移とその問題 |
高森 昭 |
ドイツ福音主義教会連合の成立並びに その1922年の憲法 |
和田 昌衛 |
平等主義思想における合理主義 −ウィリアム.ウォールウィンの場合− |
澁谷 浩 |
モルトマン「希望の神学」における 黙示文学の解釈をめぐって |
高森 昭 |
譬話にあらわれた福音書記者の 編集的構成 |
陶山 義雄 |
エレミアの預言の言葉の形態に関する 一考察 |
小田島 太郎 |
政治的イデオロギーとしての ピューリタニズム −思想史的試論− |
澁谷 浩 |
解説 カール・バルトのアンセルムス解釈 −Fides quaerens intellectum-に拠って− |
小野 忠信 |
翻訳 スコットランドにおける契約の観念 |
C.G.ヘンダスン著 飯島 啓二訳 |
資料紹介 日本宗教懇話会編 「御大典記念日本宗教大会紀要」 |
久世 了 |
特別資料 明治32.33年井深梶之助日記・抜粋 |
工藤 英一 |
聖アンセルムスの三一論(その1) |
小野 忠信 |
使徒会議について |
伊佐 正敏 |
譬話にあらわれた福音書記者の編集的構成2 |
陶山 義雄 |
ピューリタニズムにおける良心の自由 −リチャードソンを中心に− |
澁谷 浩 |
研究ノート キリスト者のマルクス主義理解のために |
久世 了 |
翻訳 宗教改革前後のスコットランド教会 |
G.ドナルドスン著 飯島 啓二訳 |
CALVINISM and the COVENANTS in PURITAN NEW ENGLAND |
Gordon J.Van Wyk |
書評 U.オルデンブルグ著 「カナン宗教におけるエルとバールの抗争(仮訳)」 (1969年E.J.ブリル社刊、217頁) |
定形 日佐雄 |
カール・バルトのアンセルムス解釈の意義 |
小野 忠信 |
譬話にあらわれた福音書記者の編集的構成3 |
陶山 義雄 |
若き内村鑑三の思想史的背景 |
澁谷 浩 |
ドストエーフスキイと人間の救い(序) |
吉沢 慶一 |
護教論者(Christian apologist)としてのC.S.ルイス |
須藤 信雄 |
聖アンセルムスの論証展開でみられる 信仰と理性との関係 |
小野 忠信 |
譬話にあらわれた福音書記者の編集的構成3 |
陶山 義雄 |
ドストエーフスキイにおける愛と救い(1) |
吉沢 慶一 |
解説 ユダヤ人のメシア思想 |
興梠 正敏 |
翻訳 カルヴァン主義 (「キリスト教会および諸分派の社会論」第3章 プロテスタンティズム第3節の全訳)(1) |
E.トルレチ著 小林 泰雄訳 |
SCIENCE HARMONIZES WITH RELIGION |
Takeo Hama |
旧約外典第一エズラ書における歴代志史家(1) |
吉田 泰 |
「 」マルコ福音書の結語について |
陶山 義雄 |
パウロのキリスト観 −彼の法律観に関する一歴史的考察− |
伊佐 正敏 |
ジョン・ノックスの生年 |
飯島 啓二 |
宗教改革者と人文主義者との意識の相違をめぐる 覚え書 |
真崎 隆治 |
翻訳 カルヴァン主義(2) −(「キリスト教会および諸分派の社会論」第3章 プロテスタンティズム第3節カルヴァン主義)− |
E..トレルチ著 小林 泰雄訳 |
「神」殺し(God-killer)の詩人W.ブレイク |
須藤 信雄 |
聖書の翻訳と解釈 −読みやすい翻訳のための一つの視点− |
成瀬 武史 |
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第8号(園部不二夫教授停年記念号)【1975年発行】
献呈の言葉 |
秋元 徹 |
記念号に寄せて |
金井 信一郎 |
キリスト教本質論に関する一考察 |
村上 和男 |
聖アンセルムスにおける神と人間との 関係について |
小野 忠信 |
三人の待童物語 |
吉田 泰 |
パウロにおける神学的概念としての律法 −ガラテア書3章10−13節の歴史的・釈義的一考察− |
伊佐 正敏 |
良心の自由と集会の自由 −ピューリタニズムにおけるその内的関連− |
澁谷 浩 |
キリスト教と反キリスト −ドストエーフスキイの大審問官をめぐって− |
吉沢 慶一 |
ブーバーにおける「出会い」の意味 −『我と汝』を中心としての一考察− |
千葉 茂美 |
キリスト教研究への省察 |
秋元 徹 |
『ヨブ記』と現代 |
須藤 信雄 |
エレミアの間の性格に関する一試論 −「何故疑問」を中心に− |
小田島 太郎 |
園部不二夫教授略歴・業績目録(抄) |
編集委員会 |
キリスト教本質論に関する一考察(続) |
村上 和男 |
聖アンセルムスにおける罪の問題 |
小野 忠信 |
論理的実存と宗教的実存 (キルケゴールとドストエーフスキイの 実存的思想をめぐって) |
吉沢 慶一 |
聖アンセルムスによる恩寵の問題(1) −冥想集とCur Deus Homo- |
小野 忠信 |
社会的福音の神学の一考察 −ラウシェンブッシュの場合− |
村上 和男 |
エレサレム教団に対する歴史的一考察 |
伊佐 正敏 |
第三の可能性 |
吉田 泰 |
マルセルにおける希望 |
千葉 茂美 |
「北よりの敵」とエルサレム −エレミア書第5章の編集史的考察− |
小田島 太郎 |
エルサレムへの道 −DystopiaよりChristianUtopiaへ− |
須藤 信雄 |