pmjs 日本語版 052003.07.18)



5回目の日本語版ダイジェストをお届けします。

*平安時代の『毒』

*道長と日曜日

*仏教解釈学と『古今集』、『法門百首』

Unicode(他言語)対応ソフト

Joan Piggott氏の講演(7月23日)「十世紀前期の中央と地方ー藤原忠平の役割ー」

名称学(onomastics) 固有名詞研究

*達磨

*三輪山


もしオフリストで質問者に直接ご返事頂けるときは、それぞれのメールア レスに直接返信して 下さい。その他の返事ならびに質問などは wat...@...eijigakuin.ac.jpに送って下さ い。英訳します。

メールの総数: 13
期間:2003705 - 717
リンクなどは最後にあります。


Date: Sun, 06 Jul 2003 09:12:28 +0900

From: Lawrence Marceau <.....rc...@...scape.net>

Subject: 平安時代の『毒』


もう、この話題に関しては皆様ほぼ、満腹状態でしょうが、『和漢三才図絵』 (18世紀)の「毒草類」の項にかなりまとまった解説があるのをたまたま見 つけました。巻第95です。リストのトップに、「トリカブト」(これはリス トの下の方)や他の多くのものと一緒に「大黄」が出ています。調べてはいま せんが、日本の医学辞書の類、例えば貝原益軒の『大和本草』や、もっと徹底 的な『本草綱目啓蒙』(『東洋文庫』版では索引を含む全4巻)にも、毒性の ある植物に関する記述があるのではないでしょうか。たぶん、歴史上の先例と しての逸話なども載っているかも知れません。

Lawrence Marceau


Date: Mon, 7 Jul 2003 12:37:32 +0900

From: guelb...@...eda.jp

Subject: 道長と日曜日


『御堂関白記』の写本を御覧になってください。平日は朱になっています。


Date: Tue, 8 Jul 2003 10:07:30 -0700

From: Todd Brown <.....r...@...rizona.edu>

Subject: 道長と日曜日


道長が日付の上に(現在の標準的な順番では日月火水と考えられている)七 曜を朱で書き込んでいたというのは、事実です。

しかし、これが現代の暦と表面的な相似をみせ、かつまた道長の七曜に対する ある種の認識を示すからと言って、道長が、現代的な意味における「週」とし ての周期を使っていたという事にはなりませんし、まして「日曜」に重要性が あった可能性は低いです。この問題に取り組むには、『御堂関白記』の記述 (実際道長自身が記述した部分)からの実証が必要でしょう。

Todd Brown


Date: Sat, 12 Jul 2003 18:48:08 +0900

From: "Karel Fiala" <.......@...l.fpu.ac.jp>

Subject: 道長と日曜日


道長が「物忌」の日に何をしたかについて考えるのは意味があると思います。 実際光源氏は「物忌」の日には、現在我々が日曜日にするような振る舞いをし ています。つまり光源氏は宗教的伝統を個人的な休日として「間違った使い 方」をしているわけですが、我々の大半は、他の人々にとっては「聖なる日」 である「日曜日」を、そういう使い方をしているわけです。

更に、星霜によるどんな暦の周期も、或いは、他のどんな暦の周期も、「文 化」的な繋がりがあります(文化、カルチャー、という言葉自体も、もともと は宗教伝統に関連したものです)。
訳者注:カルチャー culturecult(儀式)から来た言葉。

これらの繋がりなくしては、周期は何の意味も持ちません。神的、文化的関連 のなにもない、ただ、曜日だけをきっちりと指し示すだけの暦というのは、現 代の我々が持つむしろ、はっきりとしない迷信の産物なのです。

例えばもし「大安」を、自分にとって特別で、特別なチャンスのある日と信じ るなら、自分に「大安」の日に何をするのかを特に問い掛けるのは重要なわけ です。周期的な、または不規則な休日はその日が他の日とは違うのだ、と感じ させるはたらきをします。どんな文化も、どのような人間もこの意識なく生活 することはできないでしょう。「日曜日の道長」というのは、大変な時代錯誤 ですが、同時にとてもおもしろい隠喩でもあります。これを隠喩として受け止 めるかどうかは、その人がどのくらい学者らしい学者かということになるでし ょう。

K.Fiala


Date: Sat, 12 Jul 2003 12:08:05 -0400

From: "Pollack" <.....l...@...l.rochester.edu>

Subject: 道長と日曜日


中国における日記で、この七曜を使ったものを思い出せません。六〇日周期の ものだけです。後に、文書においては、十日周期(上旬・中旬・下旬)が元と して使われました。唐代の実務文書には、十日に一度、髪を洗う日(必要か否 かは別)として、公休があります。

中国の形而上学の体系では、例によって、宇宙~地球間の余すところない関連 を示すのに、北斗七星の位置づけからくるそれぞれの(火木土・月水金ではな く)、専門用語を使っていますが、中国及び日本におけるその使用の起源や、 期間などについてはわかりません。『江戸名所図絵』は、この方法でまとめら れています。江戸全体をこれらの七つの専門用語を使って分割しています。 (江戸期のことをpmjsに持ち込んですいません)。

質問です。この七曜は、どのように、六基周期をもととする暦注と同時に存在 しているのでしょうか。こられの周期は二十一日 [(6x7)/2]ごとに、マッチは しますが。「仏滅」は仏教からの影響だと思っていましたが、早くには、これ は「物滅」と書かれており、仏教とは関係なかったようです。

David Pollack


Date: Sat, 12 Jul 2003 17:12:35 +0900

From: Nobumi Iyanaga <.....ya...@....bekkoame.ne.jp>

Subject: [pmjs] Nisus Writer Exp released, and New page on migrating to Unicode environment [Mac]


マック用のUnicode(他言語)対応ソフトについて
本文省略(訳者)
詳しくは、以下のページでご覧下さい。
<.....p://www.nisus.com/>
<.....p://www.redlers.com/mellel.html>
<.....p://www.bekkoame.ne.jp/~n-iyanag/researchTools/ multiformat_nisus.html>

Nobumi Iyanaga
Tokyo,
Japan


Date: Mon, 14 Jul 2003 19:32:40 +0900

From: guelb...@...eda.jp

Subject: 仏教解釈学と『古今集』、『法門百首』


Thanks to Thomas Howell.

Thomasは仏典からの引用を混同していました。『法門百首』の四番の歌は『法 華経』第五薬草喩からで、五番の歌は『法華玄義釈籤』の引用です。でもいい 翻訳です。(『法門百首』の歌集名の翻訳については以下を参照)。

三角洋一、「『法門百首』の法文題をめぐって天台浄土教思想の輪郭」、
(東京大学教養学部)人文科学紀要

Niels Guelberg


Date: Tue, 15 Jul 2003 06:39:48 -0700

From: rober...@...nford.edu

Subject: [pmjs] Kyoto Lectures: Joan Piggott talk on July 23


次週京都にいるpmjs会員の方に、お知らせしておきます。詳しくは以下の ISEASのページで見て下さい。
http://www1.odn.ne.jp/iic-kyoto/it/Paginaweb.html

Joan Piggot氏の講演(7月23日 18:00
Court and Provinces in Early Tenth Century Japan: The Role of Fujiwara Tadahira.(十世紀前期の中央と地方ー藤原忠平の役割ー)

Ecole Francaise d'Extreme-Orient (EFEO)
Italian School of East Asian Studies (ISEAS)
4, Yoshida Ushinomiya-cho, Sakyo-ku
Kyoto 606-8302 JAPAN
is...@...lcult.or.jp
Phone: 075-751-8132

私の知り合いの方々へ:イタリアから東京に移りました。2004年1月まで 國學院大學におります。メールアドレスはいままでと同じく以下の通りです。
rober...@...nford.edu

Greetings to all,

Roberta


Date: Wed, 16 Jul 2003 14:30:18 +0900

From: "Diekhaus & Greve" <.....ur...@...harenet.ne.jp>

Subject: 達磨


皆様。
達磨に関する、瞼を切り取って、そこから茶が生えてきたという有名な逸話に ついて質問があります。

何処で、何時この話が起こったかご存じでしょうか。最初は中国ですか、それ とも日本ですか。お教え下さい。達磨について研究していますが、以下の私の ページで判りますように、古典文学についてくわしくありません。
http://www.amie.or.jp/daruma/daruma-new1.html
Thank you all very much
Gabi Greve
gokur...@...harenet.ne.jp


Date: Thu, 17 Jul 2003 13:24:23 +1200

From: "Chris Isherwood" <.....sherw...@...elfire.com>

Subject: [pmjs] 備前家系図


皆様。
pmjs
会員の方でどなたか、お教えねがいないでしょうか。「備前」という姓を 探しています。長野の「備前」です。大半の情報は、備前という地名か、備前 焼に関するものですが、両者とも備前という姓とは結びつきません。とくに、 地名から一族の姓になったという状況についての理由を調べることに興味を持 っています。これは一般的な姓の成り立ちでしょうか。
ご教示よろしくお願いします。

Regards,

Chris Isherwood


Date: Wed, 16 Jul 2003 20:41:30 -0500

From: "Anthony J. Bryant" <.....ry...@...iana.edu>

Subject: [pmjs] 名称学(onomastics)


小規模な名称学についてのプロジェクトをしています。「一揆」の誓約書の署 名を主な資料としています。ちょっと面白い小さな問題に出くわして、疑問が 湧きました。

会員の方でどなたか、日本の固有名詞(名称)について研究しているか、興味 のある方はいますか。名前の研究をしている他の方との意見交換の機会を持て るとうれしいのですが。

Tony


Date: Thu, 17 Jul 2003 13:10:33 +0900

From: Hitomi Tonomura <.....it...@...ch.edu>

Subject: [pmjs] 道長と日曜日


休日ということでみると、律令では月のある特定の日を公休として定めていま す。(これは様々な休日の中の一つのカテゴリーです)。それは、6日、12 日、18日、24日、それから、月の最後の日、月によって違いますが29日 か30日です。実資の『小右記』によれば、長徳二年(996)五月六日の項 に、休日だが衛府の義務で出かける、というような記述があります。(実資は 当時検非違使の別当)。

次の議論は面白いと思いましたし、この問題にも関連すると思います。『小右 記』の(一部)五六二日を調査したOkai Maoto氏によれば、平安官僚は律令に 定められた公休日以上の休日を取り、これらの公休日が定められる前は、もっ と働いたとあります。Okai氏は、休日の前日には二倍の給与が付与されるとい う新しい平安時代の条項の影響のためか、官僚達の出勤率は良かったであろう と推測しています。これは一部分だけの調査であり、Okai氏も言っています が、陰陽における忌日はふくまれていませんので、断定的な結論を導くべきで はありませんが、ともあれ平安時代には律令の公休というのは認識されていた わけです。但し、月の六日目は位階を授ける日として指定されていたそうで す。また平安時代では、官僚の実際の実務日数はそれ以前の時代よりも、少な かったそうです。これについてOkai氏は、儀式や宗教的な休日の増加が実務日 数に影響したが、これらによってまた、古くからある公休日の重要性が薄れた とも言っています。

実資の欠勤率は、
6: 50 %
12: 81%
18: 66%
24: 65%
29:67%
30: 86%

また公休日の前の欠勤率は、
5: 40%
11: 52%
17: 44%
23: 17%
28 (一ヶ月の日数が短い月): 14%
29 (一ヶ月の日数が長い月0): 25%

律令における公休日に関しては、山田英雄の『日本古代史考』がお薦めです。 律令における公休日についての章があります。Okai Maoto氏の小レポートは広 島大学の大学院のセミナーでのもので、Shijin, no. 2 (1998)に出ています。 Okai氏は、この興味深い問題で、自分が調査をやり残した部分に誰かが手をつ けてくれることを望んでいます。私たちの職業では金曜日、土曜日でさえ、講 義が入っていても給与には影響しないのは残念です。

Hitomi Tonomura
Department of History
The University of Michigan
435 S. State Street
Ann Arbor, Michigan 48109-1003 USA


Date: Thu, 17 Jul 2003 19:07:42 -0700

From: Noel John Pinnington <.......@...rizona.edu>

Subject: 三輪山


二,三年前、三輪神社を訪れたとき、主神殿とおぼしき(三輪神社では、その ような主神殿はないということらしいですが)殿舎の前に三枚の鏡が掛かって いるのをみました。その鏡は神体である三輪山の名前の象徴(三つの輪)かと 思いましたが、私が読んだ縁起によるとそうではないようです。

私の質問のポイントは、私の推測はあたっているか、ということです。あたっ ているなら、三枚の鏡は何か古い由来があるのか、或いは近年のものなのか。 私が見た社殿は17世紀に建立されたものでした。また、固有名詞が今話題に なっていますので…Miwa山が「三輪」山と書かれているのに、Oomiwa神社は 「大神」神社となぜ書かれるるのでしょうか。

Noel Pinnington


pmjs メールアドレス: p...@...eijigakuin.ac.jp (直接リスト全体へ)

pmjs 編集メールアドレス: wat...@...eijigakuin.ac.jp (編集を通してリストへ)

pmjs ホームページ(英語)http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/

pmjs ホームページ(日本語)http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/indexj.html

pmjs 購読(日本語)http://www.meijigakuin.ac.jp/~watson/pmjs/kodoku.html

pmjs 日本語版(目次)http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/jpn/