Discussion of so-called Meiyu-bon Genji monogatari (January, 2004)

<http://www.h3.dion.ne.jp/~sionoya/>
<http://www.h3.dion.ne.jp/~sionoya/kinzan.html>
(The second, direct link is better for users of some browers.)




JINNO Hidenori 陣野英則 <ji...@....so-net.ne.jp>

「明融本」のうちの桃園文庫本九帖については、たしかにほとんどの研究者が、定家自筆とされる写本群(四帖)に次ぐ価値がある、という評価に従っているのが現状ではないでしょうか。

石田穣二氏が、桃園文庫本の影印の解説でかなり詳しく述べています。また、石田氏のご著書収載の論考でも、詳しい検討がなされています。そのいずれも勤務先に置いてあって、すぐに確認できないのが残念ですが、とにかく決定的に重要なのは、定家自筆とされる「柏木」巻(前田家本)と桃園文庫の明融本「柏木」巻との一致の度合いが極めて高い、というよりも、微細なレヴェルにいたるまで完全に一致するという点に尽きるでしょう。

極め札の問題について、私は、今回のホームページを見てたくさん学びましたが、「明融本」が上冷泉家の明融自筆のものであろうとなかろうと、桃園文庫本の「柏木」巻の本文の様態が、前田家のものと完全に一致していることの価値、すなわち臨模本とよぶべきものであることの価値は微動だにしないのではないか、というのが、今の私の感想です。

ただし、「花散里」巻については、大いに問題あり。また、その他の七帖に ついても、手元に関連資料がない今の私には何ともいえないところがあります。 一方で、野村氏の論の主旨も、ホームページの文章では完全に伝わっておらず、 たとえば、「柏木」巻に関して氏の下した評価などは確認できていない点、 おことわりしておきます。 



NIIMI Akihiko 新美哲彦 <zhe...@....ttcn.ne.jp>

明融本ですが、 まず「琴山」印について。 これは兼築先生にお聞きすればすぐわかることだと思いますが、 個人的には印は何種類かあるものと、当たり前のように考えていました。 いま、野村さんのHPの画像をよく見てみましたが、昭和の琴山印なんかは彫りが新 しそうに感じます。(印を彫るときに枠を少し削って味(時代)を付けるのは常識で しょうから) また、古筆家は何代も続いているわけですから、極め札の書き方に差異があるのも当 たり前かと。 ただ、極め札に書かれる名前には間違いも多い(古筆家も商売ですから)ので、 確かに極め札(明融筆)をそのまま素直に信ずるのは危ういとも思います。 (さらに、極め札や印の偽造もありえない話ではないようにも思います。これも兼築 先生 にお聞きすればすぐわかるかと。)

なお、いま、手元にたまたま実践女子大学蔵伝明融筆本「若紫」「葵」「絵合」の影 印があるのですが、野村さんが言うように、若紫のみ「梶井殿」となっています。 そして、確かに、「若紫」のみ「葵」「絵合」とは筆跡が違います。 裏写りも「若紫」のみほとんどないので、紙質も違うのかもしれません。 その点(「若紫」のみ書写者を変えている点)では極め札は正しいと言えます。 野村さんの言う、「明融」単独の書写ではないということもあっています。

次に本文について。 これは僕もまったく研究の現状について知らないのですが、陣野さんが言われるよう に、(巻によるとは思いますが)本文的な価値については動かないところなのではな いでしょうか。 ただ、実践女子大蔵本については、ほとんど研究されていないように思います。 (上野英子さんに「山岸文庫蔵明融本源氏物語について」『中古文学』四二号 一九 八八・十一があります) 「絵合」の本文は、部分を校合したかすかな記憶からすると、大島本と非常に近かっ たように思います。(いま、大島本の絵合巻のコピーが見つからないので比較できな いので すが)

個人的には伝明融筆本は、書写者の面からも、書写時代の面からも、もちろん本文の 面からも、疑問も価値も含めて、もっともっと研究されてしかるべきもののように 思っています。(今回、ちょっと見てみてその感を深くしました。)




ADDITIONAL COMMENTS (not translated)

From: Niimi Akihiko <zhe...@....ttcn.ne.jp>
Subject: 伝明融筆本追加
Date:
2004125 0:31:52:JST

明融本についての追加。 池田利夫さんの『源氏物語の文献学的研究序説』第3章に山岸文庫明融本についての 考察が載っています。 石田穣二さんは「明らかに九帖とこの四十四帖はツレである」「桃園文庫旧蔵の九帖 (厳密には、「花散里」を除く八帖)と山岸文庫の四十四帖とはツレではあるけれど も、その本文の性格はまったく次元の異なるものであること、両氏(上野英子・池田 利夫)の報告によっても明らかである。」(『源氏物語(明融本)』解題) と述べています。 上野さんの論文がちょっと見つからないので、なんとも言えないのですが、 池田利夫さんの考察は、対象とする本文が部分的すぎて、素直には信じられないよう に思います。(巻に拠って系統が違うというのは、寄合書きによくあることなので、 その通りだと思います) また、四十四帖と九帖がツレであるなら(積極的に疑う根拠はない)、山岸文庫の四 十四帖はたまたま本文的にどうも劣っており、池田亀鑑の偶然入手した九帖(石田氏 の記述に拠れば本屋が直接九帖を池田亀鑑の自宅に持ち込んで、即決で買ったようで あり、池田亀鑑が五十三帖から九帖を選んだわけではない)のうち八帖(石田氏は 「若菜上」も問題ありとしています)はたまたま臨模本というのは、考えにくいよう にも思います。 山岸文庫の四十四帖にも、青表紙本系原本に近い巻は入っているようにも思います し、桃園文庫の九帖にも疑問のある巻があると思うのですが・・・。(感覚的なもの なのですけど)

それから明融本の琴山印については石田さんが「極め札のようなもの」、池田利夫さ んが「極札様の小紙片」、と微妙な書き方をしていますね。 これも確かに調べる必要はあるのかも。

From: JINNO Hidenori <ji...@....so-net.ne.jp>
Subject: Re: 伝明融筆本追加
Date: 2004125 13:40:24:JST

新美哲彦様  緑川真知子様

メール、拝見しました。

新美さん、さらに詳しい報告を寄せていただき、 ありがとうございました。 この間、学校に行っていないので、自分で石田氏・池田氏のご論などを 確認できておりませんが、概要をお知らせいただき、ありがたく 存じます。

いわゆる「明融本」計五十三帖の問題は、結局のところ「ツレ」の概念が 問題となるように思われます。 石田氏は、九帖と四十四帖とが「ツレではあるけれども」「まったく次元の 異なる」性格のもの、と書かれているわけですね。 そうすると、ここでいわれる「ツレ」というのは、 出発点を異にするものの、五十四()帖で一括りにされたことがある、 という程度の意味でしょうか。 これまで私は、「明融本」について、そのような可能性が高い と思っていました。今も、そう考えています。 たとえば、陽明文庫の『源氏』などのように。 あれは、もともとは鎌倉時代の写本ですが、三分の一ぐらいの帖が散逸したため、 後に青表紙本系の本を写して、補っていますね。

From: Niimi Akihiko <zhe...@....ttcn.ne.jp>
Subject: 伝明融筆本追加2
Date: 2004125 16:01:11:JST

緑川真知子様 陣野英則さま マイケル・ワトソン様

伝明融筆本についての追加です。 大成のp273~に実践女子大蔵本(松田氏蔵源氏物語というやつ。松田武夫氏から 山岸徳平氏に所蔵が変わった)、p67~に伝明融筆本九帖について触れられていま す。

陣野さんがおっしゃってた ・・・・・ ここでいわれる「ツレ」というのは、 出発点を異にするものの、五十四()帖で一括りにされたことがある、 という程度の意味でしょうか。 ・・・・・ についてですが。 書写者については、四四帖にも九帖にも明融筆との極めの付くものがあり、四四帖と 九帖で、筆跡が同じように見えるものがあります。本の大きさも体裁も同じようです し、石田氏の書き方から見ても、九帖対四四帖で分かれるものではないように感じま す。

これについて、池田亀鑑は、四四帖を「元来右の九帖を含む一揃の写本であつたらし いが、何かの折に九帖のみ別に取り出されたもののやうである」「ただ必ずあるべき 筈の奥入が欠けているのは惜しい」 「その書の書写者たちが、必ずしも同一の本を書本としたとは断じがたいものがあ る」 「貴重すべき伝本である点に、何ら異論はない」 と述べています。

親本については、池田亀鑑の言うごとく、寄合書に多く見られるように、系統を異に している巻もあるようです。

ただ、書写の形態ですが、九帖の中に異なるものがあります。 九帖の中でも臨模本とされる柏木や、明らかに定家様の書写である橋姫などは一面八 行、定家様に見える花宴や、桐壺、帚木は一面九行、若菜上下、浮舟は一面一〇行 (大成の写真に拠る)。 一方、四四帖のうち、写真が載っているものすべて、と、若紫、葵、絵合は一面一〇 行。

これらのことから考えると、ほんのわずかの巻が定家臨模本で、系統を異にする巻も 散見される源氏物語五四帖(一帖欠)の写本一揃いということになりましょうか。 あるいは、一面八行や九行のものは、そのほかのものとは違う書写で、陣野さんの言 うように、取り合わせ本なのかも。

なんだかわかりにくい説明ですみません。 野村さんの疑問に近くなってくるのですが、 九帖に関しては、全部を臨模としてあがめることなく、臨模が明らかなもの以外(特 に一面八行のもの以外)の本文の精査、 四四帖に関しては、研究が薄いので、もう少しいろんな面からの精査を、 ということになりましょうか。

だいぶ伝明融筆本について詳しくなりました。 ありがとうございました。