left2.gifup2.gifright2.gif pmjs 日本語版 16(2004.05 19)


* 神皇正統記
* 寺社縁起と猿楽
* 訃報: Earl Miner (1927-2004)氏を偲んで
* 音訓
* 新会員紹介
* 成尋『参天台五臺山記』データベース

もしオフリストで質問者に直接ご返事頂けるときは、それぞれのメールア ド レスに直接返信して 下さい。その他の返事ならびに質問などはwat...@...eijigakuin.ac.jpに送って下さ い。英訳します。

また日本語版ダイジェストの会員の皆様が、pmjsで紹介したい御著書、御論文などがございます時は遠慮無くワトソンまで詳細(タイトル、出版社、出版年、雑誌名など)をお知らせ下さい。編集の方でも時折自主的にpmjs footer (編集ノートのようなもの、普通英語版のメールの下に付いています)で紹介することもあります。footer(フッター)は日本語版でもそのうち始めようと思います。

メールの総数: 26通
期間:2004年4月20日 - 4月29日
リンクなどは最後にあります。

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Date: Tue, 20 Apr 2004 22:15:05 +0100
From: Richard Bowring <rb...@...mes.cam.ac.uk>
Subject:神皇正統記

皆様
『神皇正統記』に関して質問が二つほどございます。

1.題名をどのように英訳しますか。正統記は何とか英語にできますが、神皇は二つの名詞が接合しているのですか、それとも形容詞と名詞なのでしょうか。[『神皇正統記』を翻訳したポール・ヴァレー] Varley は 'Gods and Sovereigns' [神々と天皇]ですが、Tsunoda [角田柳作] (Sources of Japanese Tradition)では'Divine Sovereigns'[神聖な天皇]としています。これは[ドイツ語訳者、ヘルマン・ボーネル] Bohner の 'Gott-Kaiser'[神聖天皇]というのと似ています。ただ、これらは上手く問題を処理したなという印象を受けます。Varleyの訳のほうが普通ではないということですが、その意図はわかります。'Divine Sovereigns'[神聖な天皇]と訳すのは北畠親房が意味したこととはズレているようにおもえるのです。これに関する議論などについてご存じの方はいますでしょうか。(JJS [Journal of Japanese Studies]7.2.に載った[Roy Andrew] Miller氏による批判的な評以外のもの)。

2.第一行目、大系テキストは「大日本(おほやまと)者(は)神國(かみのくに)他」この読みは山田孝雄のもっと古いテキストに拠っているようです。が、英語圏の研究者は皆 'shinkoku'[神國(しんこく)]とローマ字書きにしているようですが、どうしてでしょうか。英訳は'Japan is the land of the gods' や 'Japan is a divine land'[日本は神の国である]などの範囲でいろいろあります。どちらがいいでしょうか。Varleyは the divine land 「ザ 神の国」としています[the はこの場合唯一の位の意味か]。この訳ではちょっと行きすぎてるようにもおもうのですがBohnerもShinkokuとし、そのドイツ語訳は 'Japan ist Gottheits-Reich'です。フランス語訳もあるのでしょうか。

会員の皆様のご教示賜りたく思います。

Richard Bowring
University of Cambridge
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Date: Tue, 20 Apr 2004 17:28:18 -0700
From: Noel John Pinnington <no...@...rizona.edu>
Subject:神皇正統記

バウリング教授の質問の第2に付け加えて、私からも質問をしていいでしょうか。長い間、疑問に思っていました。
13,4世紀に広く大和地方で、大和が神の国であるということが言われ、"Yamato wa shinkoku de aru." [大和は神国である]の一文が引かれました。これは主として春日権現が大和の守護とされたところからこう言われるのであって、鎌倉地方から見るなら他国にあって、特別な地位を意味しました。

"Ooyamato"[大日本]の一文とこれとどのような関連があるでしょうか。何の関係もないというのは考えにくいのですが、とはいうものの、明らかに異なる事柄が述べられています。yamatoと ooyamato[大和と大日本]が同じ漢字で書かれ、 kuni[国]には二つの意味があるので、この二つの文章が混同する可能性は高いです。

質問の1に関してですが、Varleyは諸橋大漢和からそのままの訳のように思われます。諸橋は神皇を「皇統を継がれた神々と人皇」と定義しています。

Noel Pinnington
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Date: Tue, 20 Apr 2004 21:26:40 -0500
From: Bob Leutner <rleut...@...e.weeg.uiowa.edu>
Subject:神皇正統記

難しい質問をしたいと思います。

「神皇」について、皆この語について問題を明確化したり、こんがらがらせたりする多くの事を見つけ出すのではないか、と思われます。例えば、「神仏」という語ですが、だれも、これを "Gods and Buddhas"[神と仏]という訳に対するものとして、"Divine Buddhas"[神聖なる仏]という訳をしようとはしないと思います。といって、他に似たような例は思いつかないのですが。私としては "gods and sovereigns" [神々と天皇]という方を取るようなきがしますが、それも『古事記』において神の代と人の代の区別がされているようだからにすぎません。とはいえ、『万葉集』の時代から、天皇は神であるという数多い言説が見つかるというのは否定できません。

shinkoku/kami no kuni [神国]に関しては、いろいろな辞書を漁ってみましたが、和英辞典は「神聖なるノ」であるとか「神のノ」とかに関する区別をはっきりさせていません。単に類義語として両方を載せているだけです。

中国語の用法が参考になるでしょうか。そして「神」の使われている熟語の読みがどんな風に時代ごとに読まれていたのかということも。最近馬琴のものをたくさん読んでいますが、馬琴にはこれに関して何も参考になるようなことはなさそうです。[ノ]

英語の表現として、"divine landモ[神聖なる国]と "land of the gods" [神の国」の相違は何なのかが問われるべきかもしれません。"Divine"と "divine" や"gods" と "Gods" の大文字小文字の相違のように微妙な問題でしょう。言うなれば、"Japan, Land of the Gods"対 "Japan, a land of gods"の相違などです。すべて「大日本者神国也」の英訳だということです。これは神国がどう読まれたのかとは関係ありませんが。

たいへんですね。

リチャード、頑張って下さい。

Bob Leutner
Iowa
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Date: Wed, 21 Apr 2004 05:42:31 +0000
From: "Michael Wachutka" <michaelwachu...@...mail.com>
Subject: 神皇正統記

これの仏語訳については知りませんが、Wolfram Naumann が _Kindlers neues Literatur Lexikon_[文学辞典](Jens, Walter編、ミュンヘン、1988-92 、vol. 9, pp. 435-36)で北畠親房の項において、この書名をドイツ語訳してあるのを紹介しておきます。

Naumannの書名の訳は(先にもでてきたドイツ語訳) Bohnerのものに似ていて、"Aufzeichnungen ueber die legitime Linie der Gottkaiser"とあります。

第一行は、"Gross-Japan ist ein Land der Goetter"というものです。Naumannはshinkokuと読むのかkami no kuniと読むのか明確化していません。ですが、Land der Goetter[神々の国]という訳は後者の読みを示唆しているかもしれません。

Bruno Lewinはいつもかなり厳密な訳をするので、"Japanische Chrestomathie"[日本諸家名文集]における彼の訳や説明を見てみることをお勧めします。残念ながら私は今これが手元にありません。

今のところこの程度です。

ご自愛を。

Michael Wachutka
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Date: Wed, 21 Apr 2004 05:00:01 -0400
From: "Lewis Cook" <lc...@...thlink.net>
Subject: 神皇正統記

権威ある解答というより、全くの推量ですが...

神聖な天皇]と訳すのは北畠親房の意図とはズレているようにおもえるのです。これに関する議論などについてご存じの方はいますでしょうか。(JJS [Journal of Japanese Studies]7.2.に載った[Roy Andrew] Miller氏による批判的な評以外のもの)。

"Gods and sovereigns"[神々と天皇](同格の名詞)は、これらの語を混合(ないしは融合)しようという北畠親房のかなり分かり易い 、そのイデオロギーには反するものでしょう。(最初)gods「神々」ではなく、(後で)humans「人々」ではなく、神と人とは同族として始まっているのです。うろ覚えのままですが、中国時代の(前漢の戦国時代)のメーリングリストにおける議論で、E. Bruce Brooksは「国家」という熟語については次のようにコメントしていました:「同格の名詞の組み合わせのそれぞれの語は(二つの異なるものではなく)同じひとつのものを指すが、それぞれの漢字は異なるカテゴリーに属す」。
[...]
ところで、平田俊春の『元元集の研究』(山一書房、1944)をご覧になりましたか。資料に関する調査の補足が、『神皇正統記』の冒頭文に関する考察ではじまっています。(平田は以下の書物は元元集の虎の巻だったのではないかと書いています。ーそしてそれもまた今度は「類従神祇本源」に多くを負っていると言及してあるのですーが、[神国」がシンコクと音読みされたかどうかに関しては全く触れられていません)。背景知識のために親房の「古今集仮名序」(続群書類従)に関する注釈を見てみる価値があるかもしれません。
[...]
これまでの議論にあったような、日本語における厳密な相違を英語の上に置き換えるのは、難しいでしょう。
ともあれ、ご専門の会員の方々のご教示を仰ぎたく…。

Lewis Cook
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Date: Wed, 21 Apr 2004 11:57:19 +0200
From: "Bernhard Scheid" <bernhard.sch...@...w.ac.at>
Subject: 神皇正統記

『神皇正統記』を扱ったのはもう大分前になりますが、最近戦前のMonumenta Nipponicaに載せられたBohnerの論文類を再検討する機会がありました。私の結論は以下の通りです。
何にせよ、Bohnerを権威的なそれとして、そのまま受け取るな、です。Bohnerの解釈は、当時の時代思潮における単なるリップサービスを越えた、神秘主義や浪漫的ナショナリズムに毒されています。
『神皇正統記』に関しては、原典の曖昧性を保持しながら、二つの形容詞を使って、 "divine-imperial" [神聖なる天皇の]とかするというのは可能でしょうか。

ご自愛を。

Bernhard Scheid
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Date: Thu, 22 Apr 2004 10:26:56 +0200
From: Mark Teeuwen <m.j.teeu...@...t.uio.no>
Subject:神皇正統記

「神皇」の語は皇代記というジャンルにおける語史があります。親房は神皇系図とか神皇実録というような渡会[家][伊勢神道]のテキストに大きな影響を受けています。これらは神の系図(国常立や天御中主神などを始祖とする)と神武天皇から始まる皇統系図を繋いでおり、宮廷から全国の寺社に広まったようです。現存最古のものは、11世紀(1084年まで)のもので、春日若宮の千鳥家に保存されているものです。
[...]
'deity -- divine'「神ノ神聖」の問題は古い問題です。拙論において、「神」が 'a deity'、具体的なある「神」としての意味と「神聖さ」という抽象的な意味の両義をもつことを論じたことがあります。(Journal of Japanese Religious Studies 29/3-4) Bernhard Scheidは吉田兼倶についての著書で、ある特殊な宗教と抽象的な宇宙との繋ぎ目を創り出す余地について指摘しています。そして、その神々は'the Divine'神聖(これは紛れもなく大文字)の顕現と説明され儀式の重要性を強調するわけです。神道という言葉そのものが、ある特殊な神々を指す場合と、神の道を指す場合というように、両義的ですから、豊富な推論の焦点となっています。「神国」もしかりです。

理想的には神皇正統記の書名の翻訳には親房が使った「神」は広い解釈ができ、それが反映されるのがいいわけですが、それも皇代記に倣っているわけですから、Varleyの訳で誤解はないでしょう。  

Mark Teeuwen
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Date: Thu, 22 Apr 2004 20:57:18 -0400
From: "Ken Bryson" <duckho...@...dspring.com>
Subject: 神皇正統記

この問題について素人からノ

1西洋の宗教(全ての一神教的伝統をも含む)の文化的構造から鑑みて神の系統[が子孫をもって繁栄していく]という概念そのものがない。当該書の書名は、神と人の天皇と対立するものでありながらも、神の系統を伝えるものというふうに理解していた。

2 冒頭文には、皇統は天界の祖先によって見いだされたものであり、太陽神によって永く存続させられているものである、という主張が読み取れる。 "land of the gods" や "divine land" [神の国]という訳はどちらも日本人の抱くイメージを表してはいないと言いたい。とはいえ、満足いく権威ある代替案ももちあわせていないことは、急ぎ付け加える。しかしながら、"Japan is a sacred land"[日本は神聖なる国である]という訳を提案しておきたい。当該文章において「神」というのが最も重要な構成要素ではないと思われる。人格化に対する文化的偏見によって神というものをきょうちょうしすぎているのではないか、と述べておきたい。

Kenneth J. Bryson
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Date: Fri, 23 Apr 2004 11:30:18 +0900
From: "Karel Fiala" <fi...@...l.fpu.ac.jp>
Subject: 神皇正統記

Teeuwen氏は、古代記において区分が明確ではない、具体的な「神」と抽象的な「神聖」との繋がりをまさしく説明なさったと思います。

Gods、神に繋がることは何でもDivine[神聖な]と形容され、この二つは英語では別々の単語であるわけですが、半アニミズム的多神教の古代記の世界においては抽象化の度合いは問題ではないでしょう。狂的な自己宣言と表面的な美辞麗句によって神聖を名乗ったような古代ローマ帝国などとは違うわけです。そこでは、「理性的な古代ローマ人」という言い方は、おそらくよくて、せいぜいが比喩でしかありませんから、哲学的神話的背景があったのではないのです。

古代日本の天皇は神聖であり、それは神の直接の子孫と見なされたからでした。漢語によるこれらの表現は、やまとことばにおける意味的には同義でありました。

おそらく理想的な翻訳はこれらの点をすべて踏まえているものでしょうが、[我々西洋のものは具体的な神と抽象的な神の]対比を意識しすぎるので、議論は何度も振り出しの "Divine" [神聖]と "directly related to Gods"[神の直接の子孫]というところへ舞い戻ってしまいます。また "Kami no kuni" 「神の国」と"Shinkoku"「神国」は同じものではないですか。この議論で提出されたどの訳語においても、完璧に正しいものはなく、また完璧に間違っているものもありません。

K.Fiala
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Date: Wed, 21 Apr 2004 07:57:38 -0700
From: "Dix Monika" <monika...@...mail.com>
Subject:寺社縁起と猿楽

皆様
中世日本における猿楽と寺社の関連を扱った資料などを探しています。特に寺社縁起が猿楽の演技に影響を与えたものなどを調査しています。

ご教示よろしくお願い致します。

Monika Dix
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Date: Thu, 22 Apr 2004 18:33:46 -0700
From: Noel John Pinnington <no...@...rizona.edu>
Subject: 寺社縁起と猿楽

初期猿楽における制度史的なことに関連する資料などについては幾らかご提案できると思いますが、演目そのものに関する議論とか(cf 新潮日本古典集成 『謡曲集』)以外で、寺社縁起に関連したものとなるとあまりわかりません。

前者につきましては、岩波講座の「能・狂言1」、初期史料についての詳しい議論は能勢朝次の「能楽源流攷」はすばらしいですが、じっくり読まなければなりません。
猿楽と奈良の寺社については表章氏の「能楽研究」所載の様々な論文が役立ちます。
大和圏外の寺社との関連については、山路興造著『翁の座ム芸能民たちの中世ム』がおもしろいです。また服部幸雄氏の後戸の神の論もあったと思います。(「文学」41:7, と 42:10, 43:1)猿楽と六勝寺その他について扱っていますので、有益ではないでしょうか。文献目録が充実し、初期の猿楽と翁舞(式三番)の源泉などは『芸能史研究』(109 、1990、 pages 58-6)にあり、また当該トピックについても参考になる論が集められています。

Noel Pinnington
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Date: Thu, 22 Apr 2004 11:20:11 -0700
From: Paul Atkins <patk...@...ashington.edu>
Subject:訃報: Earl Miner (1927-2004)氏を偲んで

R・マイナー氏の仕事に関しては多くの会員の方は、1961年の"Japanese Court Poetryモ [日本の宮廷詩]をご存じだと思いますが、先週、そのマイナー氏が亡くなられました。プリンストン大学の以下の記事などをご覧下さい。

http://www.princeton.edu/pr/news/04/q2/0420-miner.htm

Paul S. Atkins
Assistant Professor of Japanese
Department of Asian Languages & Literature
University of Washington
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Date: Sat, 24 Apr 2004 17:30:08 +0100
From: Richard Bowring <rb...@...mes.cam.ac.uk>
Subject: 神皇正統記

皆様

ご返信ありがとうございました。大変参考になりました。Bernhard Scheid氏によるBohner[ドイツ語訳]の業績一般についての見解役に立ちます。というのもR. A. Miller氏によるドイツ語訳は英訳のものより信頼がおけるとする傾向に翻弄されていました。

親房が実際当該書で人の天皇をどのように扱っているかを鑑みて、 'gods and sovereigns'の訳でいくことにしましたが、これに関してのサポートが得られたことは良かったです。 'Divine sovereigns' の方は、もちろん面白いかも知れませんが、1330年代というよりは、どちらかといえば、1930年代っぽいです。

「神国」に関してですが、(前置きすると、今16世紀後半まで行く日本の宗教の第一巻の執筆中ですが、9月が締め切りですので、思う存分議論できないのですが)、岩波のテキストは'kami no kuni'とあり、確かに1930年代の山田孝雄から来ているのですが、徳川時代の国学者の読みにまで遡るかもしれない、という気がします、ともかく。訓読みは宣長などがよくしたように、国粋的だとみなされるのかもしれませんが、この場合はちがうと思います。音読みでは'shinkoku'ですが、英訳ですぐさま、 'divine landユ、神聖な国の概念となります(この点では、Mark Teeuwenと意見を異にしますけど)。これは驚くにはあたらないと思います。神皇という日本語からその影響がきています。が、音読みが国粋的なイメージをもたらすというのがこの場合興味深いです。

或いは読みには実体がないのでしょうか。漢字熟語から仮名が省かれている視覚効果がすでに何かの概念をしめしているでしょうか、としたらそれは何でしょう。

私がこのことに拘泥しているのは「神国」の概念が持ちだされた時に、親房はその象徴的存在として扱われるからです。できるなら、循環論はさけたいです。

Richard Bowring
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Date: Sat, 24 Apr 2004 14:42:00 -0400
From: Lawrence Marceau <lmarc...@...l.Edu>
Subject:神皇正統記

岩波文庫(1975年)の補注に拠りますと、岩佐正氏は特に渡会神道を取り上げています。倭姫命世記(『日本神道大系』第19、中世神道論など)を「大日本国者神国也」の訓読みの資料としてあげています。鎌倉期に集成された、神道五部抄の中にあったものらしく、13世紀中頃まで遡るのではないかとみられているようですとはいえ、奈良朝以前だと主張されているようですが。親房はこれをユ本物だと思い、語句と読みを借りたのかもしれません。(神道大系〈31?32ぺーじ〉では、当該語句に注釈はありません。おそらく、神道のテキストとして音読みされるよりは、訓読みされただろうとみなされたのでしょう)。

Best wishes,

Lawrence Marceau
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Date: Sun, 25 Apr 2004 10:39:46 +0900
From: "Karel Fiala" <fi...@...l.fpu.ac.jp>
Subject: 神皇正統記

訓読みより音読みのほうが違った翻訳を引き出す傾向があるというバウリング教授のご指摘はかなり重要なものだと思います。現代の和漢混交文の知識を昔の文章の漢語の解釈に取り入れます。 漢語がどのように発音されたのかということは語句の意味には作用しないものなのですが。

K.Fiala

追伸:もちろん音訓の相違は和漢混交文が存在するようになって以来受け継がれているものだということを否定するつもりはないです。ただ、ある語に抽象的な意味があるかどうかについては慎重に考えられなければいけません。
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Date: Sun, 25 Apr 2004 15:02:49 +0000
From: "Michael Wachutka" <michaelwachu...@...mail.com>
Subject: 神皇正統記

>Bernhard Scheid氏によるBohner[ドイツ語訳]の業績一般についての見解役に立ちます。という
>のもR. A. Miller氏によるドイツ語訳は英訳のものより信頼がおけるとする傾向に翻弄されていました。

ドイツ語に訳されているものが、英語に訳されているものよりずっと優れている、とは私は思いません。英語だけの圏内では知られていない優れたドイツの翻訳がたくさんあります。これはどの他の言語でもおなじでしょうが。

とはいえ、Bohnerを弁護しておかねばなりません。Bohnerの解釈が神秘主義や浪漫的ナショナリズムに傾いているというBernhard Scheid氏は確かに正しいです。が、それがBohnerの翻訳そのものをも、そうである、と評価するには当たらない、というのが私の意見です。「何にせよ、Bohnerを権威的なそれとして、そのまま受け取るな」と言うのは少し行きすぎていると、思います。

かれの著作の序文や注記さらに語句や使用されているイメージなどは、無論当時の時代背景(あるいは当時の時代精神を越えることもありますが)の中で捉えられなければなりませんが、例えば文法的構造や原文が強調する概念などを、Bohnerは大変厳密、正確そして確実に翻訳しています。今、私は、神皇正統記についてだけ問題にしており、モニュメンタ・ニッポニカの論文や聖徳太子関連の膨大な論考については未見であることを言っておかねばなりません。

手短に申します:
>ドイツ語訳は英訳のものより信頼がおける。
そんなことはありません。
> 何にせよ、
> Bohnerを権威的なそれとして、そのまま受け取るな
これも、そんなことはありません。

当然ながら、真実は、いつも、どこか中間地点にあります。

以上わたしのつまらない見解ですけどノ。

Michael Wachutka

追伸:Bernhard先生お気を悪くしないで下さい。 ;-) [欧米版顔文字:ウィンク]
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Date: Mon, 26 Apr 2004 18:08:55 +0200
From: "Bernhard Scheid" <bernhard.sch...@...w.ac.at>
Subject:神皇正統記と Bohner[ドイツ語訳]

ミハエル[Michael Wachutka]に簡単な返信です。Bohnerの翻訳が文法的にきちんとしていることは認めますが、[戦時中の]モニュメンタ・ニッポニカの論文に、にじみ出ているナチスの純血主義である「血と地(血統と土地)」的なイメージをまだ拭いきれないので、(もちろん Bohnerだけによって、というわけではありませんが)。よって、ここでの議論は主にそれぞれの異なる翻訳がどのようなイデオロギー的意味を潜在させるのかということなので、、Bohnerに関する私の弁を以下もう一度書き直してみます:日本歴史についての彼の解釈から判断するに、Bohnerはイデオロギー的偏見に囚われていました。その翻訳には彼の思想が反映されています。無論、この問題全般に関するドイツの学問を軽視するものではありませんがノ。
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Date: Mon, 26 Apr 2004 20:34:55 +0100
From: Richard Bowring <rb...@...mes.cam.ac.uk>
Subject: Bohner[ドイツ語訳]

そろそろこの議論に終止符を打つ時期かもしれませんが、はっきりさせておきますが、いたずらに謎めいた私のコメントが誤解されてしまったようです。 Bohnerを名指ししたというわけではないのです。彼の翻訳と注記はかなり興味深いものです。Varley訳に対するRoy Millerの悪意ある書評ですが、それが 'gods and sovereigns'と題されたVarley訳『神皇正統記』を笑いものにしており、それで我々が議論していたわけですが、Bohnerは一つの権威ある翻訳として引用したわけです。
Zum Wohl [独:乾杯、よろしく]

Richard Bowring
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Date: Mon, 26 Apr 2004 21:09:02 -0700
From: William Bodiford <bodif...@...a.edu>
Subject:音訓読み

At 04/04/24, Karel Fiala wrote:
> 漢語がどのように発音されたのかということは語句の意味には作用しないものなのですが。

これと丁度逆の事も言えるのではないでしょうか。読みは言葉の意味に作用する。いわゆる訓読みは、中国語を日本語に翻訳する技術です。いろいろな翻訳にあるように、確かになにか異質なものや曖昧性を取り込むものです。遅くとも中世のころまでには日本の書き手は賢くも、古い中国語から新しい意味を意図的に生成するようになっていました。中国語を誤読していたのではなくて、意識的に中国語を操作し、日本語の言語基準が及ばないところでは、理解できないようにしていたのです。残念ながら、徳川期以前に中国語がどのように理解されていたのかはあまり知ることは出来ません。

________________________
William M. Bodiford (bodif...@...a.edu)
Dept. of East Asian Languages and Cultures
University of California (UCLA)
Los Angeles CA 90095--9515
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Date: Wed, 28 Apr 2004 11:07:16 -0400
From: Michael Watson <wat...@...eijigakuin.ac.jp>
Subject: 新会員と変更など。

Brecht Debackere <Bre...@...2.hku.nl>
所属 修士コースの学生 (ビデオ作家) Art Media and Technology Academy Hilversum(オランダ)
研究分野  3D ヴァーチャルリアリティ映像 修論においては日本の「無」と「間」の概念を「時間」と「空間」の概念とリンクさせたい。

Hervieu Pascal ...@...do.plala.or.jp>
所属    翻訳家 コンサルタント  INALCO (French oriental languages institute, BA in Japanese 1981)を卒業。
研究分野:和歌
研翻訳書:志賀直哉、石川啄木、
現在翻訳中:宮沢賢治  疾中、折口信夫 死者の書

Maria Grazia Petrucci <muras...@...us.net>
所属    修士 University of British Columbia (カナダ)
研究分野  戦国時代とキリスト教 (国際交易と茶道政治)

Nicholas Teele <nickte...@...oo.com>
所属   同志社女子大学教授
研究分野 和歌 『古今集』、西国三十三所遍路と御詠歌

Yokomizo Hiroshi <hzn00...@...ty.ne.jp>

横溝 博 (よこみぞ ひろし)<hzn00...@...ty.ne.jp>
所属   日本学術振興会特別研究員
研究分野  平安~鎌倉時代の物語文学について研究しております。
『いはでしのぶ』について、いくつか論文を書いております。


(内容変更)
Rolf Giebel <rolf.gie...@...adise.net.nz> 
著書  
_Two Esoteric Sutras_ (BDK English Tripitaka 29-II, 30-II). Berkeley: Numata Center for Buddhist Translation and Research, 2001.
(co-translator) _Shingon Texts_ (BDK English Tripitaka 98-I~VII). Berkeley: Numata Center for Buddhist Translation and Research, 2004.

Wang Yong <wangyong...@...mail.com>
王勇(オウユウ)
(中国浙江大学)日本文化研究所
○専門は古代の中日交渉史、人物としては聖徳太子・鑑真・最澄を主として取 りあげ、分野別には遣唐使・隋唐期の中日混血児・中日書籍交流を重点的に研 究している。
○博士論文(日本国立総合大学院大学)は「聖徳太子と中国文化」。主な日本 語著書には『聖徳太子時空超越』(大修館、1994)、『天台の流伝』(共著、 山川出版、1997)、『唐から見た遣唐使』(講談社、1998)、『中国史のなか の日本像』(農文協、2000)、『おん目の雫ぬぐはばや--鑑真和上新伝』(農 文協、2002)などがある。そのほかに、10巻本「日中文化交流史叢書」(大修 館、1996-1997)や『奈良平安期の日中文化交流』(農文協、2001)などの編 著もある。
○近ごろは東西間のシルクロードに対して、東アジア世界の文化交流を特徴づ けるブックロードを提唱して、国際・学際共同研究を進めている。
○個人のHPは(http://shinjuku.cool.ne.jp/jiangnanke)、日本文化研究所 は中国の日本研究を総合的に紹介する HP(http://japanologe.hp.infoseek.co.jp)を運営している。いずれも日本語 のHPである。

(所属変更)
Janick Wrona <wr...@....ku.dk>
所属 Department of Asian Studies
University of Copenhagen(デンマーク)
 博士号 (オックスフォード大学2004年)(DPhil, University of Oxford, 2004)
研究分野 古代と中世初期日本語における補文節と関係節、統語上の変化
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Date: Wed, 28 Apr 2004 15:47:38 +0900
From: "Wang Yong" <wangyong...@...mail.com>
Subject: 成尋『参天台五臺山記』データベース

成尋『参天台五臺山記』データベース
Jacqueline Stone氏は10世紀から13世紀にかけての貴族日記データベースにつ いての問い合わせがありました。貴族日記とはいえないが、それと関連のある ものとして、わたしの所属する中国浙江大学日本文化研究所は11世紀後半の成 尋の入宋日記『参天台五臺山記』全八巻をデータベース化して、下記のHPに公 開しています。ご参考になればと思います。

http://www.zdrbs.com
http://shinjuku.cool.ne.jp/jiangnanke
王勇(wang yong)
2004.04.28
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Date: Wed, 28 Apr 2004 08:05:10 -0700
From: Andrew Goble <platy...@...kwing.uoregon.edu>
Subject: 音訓読み

[漢語の訓読の過程における]新しい日本語の創造や[馬琴などの]巧みな言葉遊びに関する会員の方々の幅広いご意見に大いに刺激を受けました。

表意文字が創造的な用いられ方をするという感じが確かに想像できます。この過程は中国でも日本でも(韓国でも?)起こったと思います。宋代の知識人は、新資料編纂や新儒教や多分仏教書の著述などで、一体どんなことをやったでしょうか。日本以外では同じような、巧みな漢字の操作などがあったでしょうか。不埒な問題を助長させている国粋的な日本の著述家への隠された批判はやめませんか。

前近代における中国文献のあり方について知る方法があまりない、という点に関してですが、どれかを読んでみるのがいいと思います。たくさん知られている。

どなたか実際の[操作の]用例や日本人の著者が意図的に中国語を利用した語句などについてご存じのかたはいますか。私は、徳川期以前のテキストで漢文や中国語(漢文と中国語というのは別なものですよね。日本人は同時代の中国文献を読み続けました)を扱っているものについて調査していますので、知りたいと思います。

Andrew Goble
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Date: Wed, 28 Apr 2004 10:07:37 -0700
From: William Bodiford <bodif...@...a.edu>
Subject: 音訓読み

Andrew Goble と皆様こんにちは。

***At 04/04/28, Andrew Goble wrote:
> 不埒な問題を助長させている国粋的な日本の著述家への隠された批判はやめませんか。

暗にそういう批判をしようというのが私の意図だったのではありません。

> どなたか実際の
> [操作の]用例や日本人の著者が意図的に中国語を利用した語句などについてご存じのかたはいますか。> 私は、徳川期以前のテキストで漢文や中国語(漢文と中国語というのは別なものですよね。日本人は
> 同時代の中国文献を読み続けました)を扱っているものについて調査していますので、知りたいと
> います。

これは広い論題なので、最初のメールを書いたときに何が念頭にあったのかはっきりさせてみようと思います。「残念ながら、徳川期以前に中国語がどのように理解されていたのかはあまり知ることは出来ません。」と書いたときには、このことがよく論題に上ったように思われたのですが、あまりきちんと議論されることはなかったと思ったからです。

いま、正確な引用などを挙げる、時間的余裕はありませんが、中国文の操作というのは議論されています。例えば(1)前田慧雲の親鸞関係の論(2)鏡島元隆の道元関係の論 (3)浅井圓道の日蓮関係の論(4)Hagiwara Tatsuoの渡会神道関係の論など、そのた数多くの中世宗教の研究者による論などです。これらには、中世の真言、天台の系譜に連なる仏教注釈書の伝統において見受けられる、似たような本文の技法の例などが挙げられています。

しかしこれらに取り上げられている中世における真言、天台経典の大半は出版されていません。いくつかは日本国外においては見ることの出来ない図書館の蔵書となっています。その他は死蔵されている状態で、良く実体が知られていず、日本国内にいる人でも閲覧が困難なものもあります。こういう中世の宗教経典に的を絞った語学的研究や辞書については全く知りません。(Jackie StoneとSusan Kleinがそれぞれの著書で密教経典におけるこういった操作について論じています)。

禅研究における例としては、中国語学者入矢義高氏のおかげにより、宋元代経経の文体や語句の解釈が、徳川、明治期の注釈とかなり違っているということがわかってきています。今日では、こういう[徳川、明治期の]伝統的な解釈はほとんど注目されていません。また、これほど知られていないのですが、日本人言語学の専門家が中世の禅経典、抄物の大半を出版しました。そこには当時の解説もそのままあり、それは徳川期のの解釈とはかなり相違していて、またそれらは、現代の言語学者の解釈ともズレているわけです。辞書類に関する研究については知りませんが、抄物における中国語の解釈を体系的に整理してあります。

UCLA[カルフォルニア大学]において、宋元代経典を、現在理解されているような中国言語学に則って読むという講義をしていますが、宋元代経典が引用されている古典日本の書物を読む場合は、[中国言語学]の方法でそれらの引用を理解するというのは、間違いです。学生に様々な日本の注釈を紹介し、日本では禅経典における中国語が別な読み方をされていることを教えます。禅経典の場合に限っては、違いを簡単に見せることができるというわけですが、天台、真言、浄土宗、日蓮宗、渡会神道などの場合はそう簡単ではないのです。中世禅経典の書物のほうが後者のそれらよりずっと数が多いのです。

何かのお役に立つと良いのですが。

William M. Bodiford (bodif...@...a.edu)
Dept. of East Asian Languages and Cultures
University of California (UCLA)
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Date: Wed, 28 Apr 2004 13:46:09 -0700
From: Noel John Pinnington <no...@...rizona.edu>
Subject: 音訓

音訓問題の解釈技法の代表的例が古今集仮名序、真名序に見られるともいえるでしょう。どちらも六義を基としていますよね。[ノ]

Noel Pinnington
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Date: Thu, 29 Apr 2004 13:53:14 +0900
From: "Karel Fiala" <fi...@...l.fpu.ac.jp>
Subject:音訓

「漢語がどのように発音されたのかということは語句の意味には作用しないものなのですが」と書きましたが、これが実際には起こりえないことだということを意味したのではありません。書記化されたものだけが主として得られる情報だ、という意味だったのです。ソシュール言語学[オーラル先にありき]に反するわけで、ただし(ソシュールも認識していたのですが)[場合によっては]書記化されたものが始めにあった[ここで議論された漢字の例のように]ということもありえたわけです。

Fiala

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英語の原文は以下のページにあります。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/logs/2004/2004.03.html
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/logs/2004/2004.04.html

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