昨年3月に始まった米英のイラクへの武力攻撃は、世界の多数の国々の反対を押し切って強行された、明らかに違法なものです。亡くなった1万名に上るというイラクの人々、それに数倍する負傷者、破壊された建物、資産に対し、米英は賠償義務を負っています。

米英の武力攻撃は、2001年10月のアフガニスタン空爆にさかのぼって批判されるべきものです。いまだにアフガニスタンは治安回復がすすまず、NGOの人道支援もままならない状況です。

日本は、こうした結果をもたらしたアメリカの9・ 11以来の暴走を、友人としてとどめるべきでした。ところがわが日本国政府は、卑屈なまでにブッシュ政権に追随し、平和憲法の指し示す方向に違えてアラビア海に自衛艦を派遣、米軍艦船への給油にあたらせました。さらに昨年、有事立法に続けてイラク特措法を急造・成立させ、これにもとづく陸上自衛隊の派遣を、今年初めに強行しました。

政府がどう国内向けに取り繕おうと、海外そして現地の目には、日本が占領軍の一部となったと映ります。小泉政権のとった一連の行動は、政府がしたがうべき平和憲法に違反するだけでなく、戦後日本が営々と築いてきたアラブ社会からの信頼をだいなしにしてしまうような愚行でもありました。

しかも、今年になってイラクの現地情勢はいっそう悪化し、暴力が蔓延する事態になっています。イラク特措法は、隊員の安全に配慮する義務を政府に課し、戦闘地域には派遣しないと明言しています。すなわちこの特別法によってさえ、現在の派遣は違法の疑いが強いのです。

こうした中、イラクへの主権「移譲」は、ノルウエー軍やオランダ軍のように、現地撤退へと方向転換するまたとないチャンスでした。ところが6 月18日、政府は多国籍軍への自衛隊参加を閣議決定、さらに主権「移譲」が早まった6月28日には持ち回り閣議という略式の形で断を下してしまいました。これもまた、国会はもとより政府部内での議論もなしに小泉首相がブッシュ大統領に約束してきてしまったことの、追認の儀式でした。

ことここにおよび、私たちは、日頃より国際平和の価値を学生たちに伝え、さまざまな平和教育活動を実施してきた者として、再度、発言しないではいられません。

自衛隊は、憲法と国際法がぎりぎりのところで許容する極限的状況をのみ想定して、法的に存在を許されている武装組織です。その公権の行使にあたっては、厳格な文民統制のもと、自ずから慎重に慎重を期すことが求められます。ところが、現在の政府の態度は、とてもそうした認識の上に立っているとは思われず、あまりに軽々しく、法的手続きさえ軽視するものであり、私たちに強い危惧をいだかせるものです。

軍事力を国民監視のもとに置くことは、戦前を再現させないための歴史の教訓です。ところが現在サマーワに特派員をおいている日本のマスメディアは、一つもありません。そして、こうした報道機関の姿勢以上に、私たちは、根拠法に違反してまで危険な地域に自衛隊員を派遣し、さらに日本人を戦争被害者の憎しみの対象に連ねてしまって平気でいる政府担当者をこそ、国民の生命・財産の保護という政府の本来の義務を忘れたものとして、厳しく批判しなくてはなりません。

「人道復興支援」を待っている人たちがイラクにはたくさんいます。戦争に荷担してしまった日本は、この人々のため国際社会と共に最善を尽くす義務があります。戦火に傷ついた子どもたちの病院をファルージャに建設するというNGOの案も既に報じられました。日本として、中・長期的な視野を持ってできることは多々あるはずです。

しかし、現地の人々の期待にこたえられない「任務」に税金を無駄づかいし、いつあるともわからない攻撃の危険に国民の身をさらさせ、しかも世界の平和と安全を危うくする違法な戦争への荷担という誤った政策判断を前提としている現在の自衛隊派遣は、とても許せるものではありません。

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」決意した憲法の精神を思い起こし、誤った政策を反省・撤回して、自衛隊員を早く家族のもとに返すよう、政府に対し強く訴えるものです。

2004.7.7 蘆溝橋事件勃発の日に

平和研有志
秋月望、阿満利麿、勝俣誠、高原孝生、竹内啓、竹中千春、寺田俊郎、中山弘正、橋本敏雄、古市剛史、吉原功(あいうえお順)