自治と自立を求めるさまざまな声 〜国なき民族の現在〜
国民国家の成立以来、地球の表面は国家によって分割されてきた。2009年現在、国際連合に加盟している国家は192カ国であり、1945年の原加盟国が51カ国であったことを思えば、半世紀の間に国家の数は3倍になろうとしている。ちなみに21世紀になってからの加盟国はスイス、(新)ユーゴスラビア、東ティモール、モンテネグロである。人々にとっていずれかの国家に属することが常態になっていて、その生活世界への影響ははかり知れない。しかしそれぞれの国家の内情はさまざまであり、いわゆる単一民族によって国家が構成されている例はむしろ例外的であり、多くは複数の民族集団が混成して「国民」を形成している場合が多い。国民には同等の権利が保証されているだろうか?国民国家形成の過程では、多数派の価値観や文化が主流となって、少数派には不公平な状態が発生することもしばしばであった。極端な例ではドイツ第三帝国において、ナチスがドイツ民族と定義した範疇に入らないユダヤ人・ジプシー・同性愛者・障害者が抑圧さらには大量虐殺の対象になった。今日、状況は改善されているだろうか?
後藤新平は日本の近代社会において「自治」の確立が急務であることを説き、実践した。後藤によれば「彼らの(主権者と解する:注記は筆者)生活を彼らの自治に委ねるのは、自分の生活を自分が支配し、自己の運命に対しては自己が責任を負うということになる」(後藤新平『自治』2009、藤原書店)自治にはさまざまなレベルがあり、個人から地域社会、国家にいたるし、政治的な権利から経済権さらには文化的なアイデンティティに及ぶものであろう。しかしどのレベルにせよ、自分(たち)の現在と未来を自身で決定する権利の保証であることに疑いはないであろう。その実現は必ずしも容易ではないのである。
今回のシンポジウムでは、異なる歴史的・地勢的背景をもつ3つの民族を取り上げた。すなわちクルド人、ナガランド人、沖縄人である。それぞれの民族・集団は優位な集団の支配的な国家に組み込まれた共通点をもっている。その現状はどのようなものだろう?彼らが後藤新平のいう「自治」を手にすることにどのような障害があるのか?こうしたケースへの考察が相対的な少数者の権利擁護と回復、さらには多数者の未来を開くものでありうるのか、可能性を探ってみたい。
|