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1 : 社会学とはどのような学問とお考えですか。
2 : 先生が専攻されている、あるいは、
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『社会科学と社会政策に関わる認識の「客観性」』(マックス・ヴェーバー 岩波文庫 1904=1998) 社会科学とはどうあるべきかを、認識論と方法論の双方から論じた古典。「客観的」であるとは、「価値自由」であるとはどういうことかを論じています。 |
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『社会学の知33』(大澤真幸編 新書館 2000) 33のトピックについて、一流の執筆陣がそれぞれの観点から論じています。教科書的知識をひっくり返すような論考も多いので、教科書と併せて読んで、社会学的に問いを立てるとはこういうことかというのを感じてください。 |
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『まなざしの地獄:尽きなく生きることの社会学』(見田宗介 河出書房新社 2008) 1968年のN.N.による連続射殺事件について考察した名論文が、ついに単行本化されました。個別の事件を例外事例や個人の心理の問題に解消せず、社会の問題として描く試みは、社会学とは何かを考えさせます。大澤真幸による解説も必読。 |
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『近代とはいかなる時代か』(アンソニー・ギデンズ 而立書房 1990=1992) モダニティとはどのような運動を孕んだもので、日本語で「現代」とも呼べるような20世紀末とはそのどのような展開の先にあるのかを論じたもの。本当かなという部分もあると思いますが、20世紀が歴史に見える世代の皆さんは、とりあえず勉強してください。 |
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『現代日本の感覚と思想』(見田宗介 講談社学術文庫 1995) 同じく、戦後日本社会がどのように変化したのか、勉強してみてください。「第Ⅰ部 現代日本の感覚変容」で、1945年から1990年までを、15年ごとに「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」と位置づけています。(第Ⅱ部は1980年代に同時代を語ったエッセイ。これも読ませます。)併せて、1990年代以降を考えた『虚構の時代の果て』(大澤真幸 ちくま新書 1996)、『不可能性の時代』(大澤真幸 岩波新書 2008)も読むとよいでしょう。 |
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『時間の比較社会学』(真木悠介 岩波現代文庫 2003) 初出は1981年。歴史の時間に習うような直線的な時間感覚は普遍的なものか。さまざまな時代や地域を縦横無尽に動き回りながら、近代的時間感覚を相対化していきます。「比較」という手法も注目ポイント。真木悠介は見田宗介の筆名です。 |
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『希望格差社会:「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(山田昌弘 ちくま文庫 2007) 2004年に出された本。豊富な資料を読み解きながら、21世紀日本は未来に希望が持てない不安定な社会になりつつあるという診断を下しています。教科書的な構成になっているので、現代の社会状況と最近の議論の前提を把握するのにも便利です。 |
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『階層化日本と教育危機:不平等再生産から意欲格差社会へ』(苅谷剛彦 有信堂高文社 2001) 子どもの勉強時間や希望する学歴と、出身家庭の文化的・経済的要因が強く関係した時代になりつつあることを示した本。格差という観点からゆとり教育批判に先鞭をつけた本の1つでもあるので、昨今の教育問題に興味のある人は一読を薦めます。 |
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『桜が創った「日本」:ソメイヨシノ起源への旅』(佐藤俊樹 岩波新書2005) 日本といえば桜という常識を問い直しています。モノと言葉の関係、現在の言葉の連なりが見せる歴史の遠近法からの逃れがたさも論じています。私たちの「常識」は歴史的に誕生したものなのだ!といったレベル(…も、1年生には相当なじみがないかとも思いますが)をはるかに超えた論考。とりあえずぐるぐる回る感じを味わってください。 |
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『社会は笑う:ボケとツッコミの人間関係』(太田省一 青弓社ライブラリー 2002) 最後にこれをもってくること自体が「ボケ」みたいなものですが、みんなとりあえずボケることから外に出られない「笑う社会」って何だろうということを考えています。「お笑い」を切り口に、日本社会が描けてしまうの!?と、社会学的視点のおもしろさを感じていただければと思い、あげました。 |
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『危険社会』(ウルリッヒ・ベック 法政大学出版会 1986=1998) 最近の「リスク社会論」で必ずといっていいほど参照される本。(「危険社会」はリスク・ソサエティです。原語はドイツ語ですが。)本当かな?という部分もあるかと思いますが、とりあえず読まないと始まりません。ギデンズとラッシュと書いている『再帰的近代化』も。 |
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『マクドナルド化する社会』(ジョージ・リッツァ 早稲田大学出版部 1996=1999) 近代と近代組織に特徴的な合理性と効率性を追い求めていった先に何が来るのかを、某ファストフードチェーンを比喩に論じています。ウェーバーの官僚制論が下敷きになっているので、そちらも勉強しながら読みましょう。最近、非正規雇用の増大が問題視されていますが、そのあたりの問題とも関係します。バイトの休み時間にでも(笑)。 |
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『消費社会の神話と構造(普及版)』(ジャン・ボードリヤール 紀伊国屋書店 1970=1995) 「消費社会」という言葉もあまり聞かなくなったような気がしますが、豊かな社会の人とモノの関係を考えた、もはや古典と読んでもいい本です。階級の時代の内部から現れ、格差の時代へとつながっていく時代の論理を見てみてください。 |
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『〈子供〉の誕生:アンシャン・レジーム期の子供と家族』(フィリップ・アリエス みすず書房 1960=1980) 昔の絵の中の子どもは可愛くない!昔の書物を読むと子どもを大人から隔離して育てようという感覚はない!そこにいるのは「子ども」ではなく、「小さな大人」なのだ!…と、「子ども」とはそれを見出すまなざしの相関項であることを、膨大な資料から明らかにした歴史書。子どもや教育を考えようとしたとき、読まなくてはいけない本です。個人的には、『春画のなかの子供たち:江戸庶民の性意識』(早川聞多 河出書房新社 2000)も衝撃的ですが。 |
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『学校と社会/子どもとカリキュラム』(ジョン・デューイ 講談社学術文庫 1900/1902=1998) 子どもの個性と自主性を尊重した教育を!というときに必ず参照されるデューイ。でも、実際に読んでみると、そんな印象をずいぶんとはみ出ることも書いてあります。プラグマティズムの思想家としてのデューイと併せて読むと、戦後日本の教育言説が何を読みとって何を無視したかが見えてくるかもしれません。 |
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『ディスタンクシオン:社会的判断力批判』(ピエール・ブルデュー 藤原書店 1979=1990) 生活様式から趣味までもが生まれた階級によって規定されているということ、学校も階級の再生産に寄与していることを、豊富なデータから明らかにした大著。日本と文脈が違うので、わかりにくいところもあるかもしれませんが、階層や格差の再生産といったことを考えるときに経なければいけない本です。学校に焦点を当てた『再生産』も。 |
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『社会の教育システム』(ニクラス・ルーマン 東京大学出版会 2002=2004) ルーマンならば『社会システム理論』や『近代の観察』をあげるべきかもしれませんが、専門の観点からこれを。システム論の語彙がわからないと苦戦しますが、教育現場で起きていることや、教育についての語りの特徴などについて、かなり日常的な感覚に近い分析をしています。教育のことを考えるならば、格闘してみてください。 |
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『性の歴史Ⅰ:知への意志』(ミシェル・フーコー 新潮社 1976=1986) ジェンダーとかセクシュアリティに興味ないし…と切り捨てないでください。言説を分析するってこういうことかと染み入ってきます。『知の考古学』とか『言葉と物』より読みやすいし、教育分野ではよく参照される『監獄の誕生』よりもオススメです。ⅡⅢもよいです。 |
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『言説分析の可能性』(佐藤俊樹、友枝敏雄編 東信堂 2006) フーコー以後、「言説分析」を名乗る研究が増えたのですが、従来の知識社会学と言説分析は何が違うのか、言葉と社会の関係を見るとはいかなることかを、最先端をいく論者たちが考察した論文集です。言説資料の分析をやってみようという人は是非。 |
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『観察者の系譜:視覚空間の変容とモダニティ』(ジョナサン・クレーリー 以文社 1990=2005) 西欧近代の「視覚」を言説・装置の編成とその変容という観点から描き出します。フーコーの系譜学の可能性と盲点を見せる本。色々な教養が必要な本なので、私は初めて読んだときは何もかもわかりませんでしたが(今も?)、こういうのと格闘してみるのも楽しいものです。なお、出てくる昔のカメラについては、ミッドタウンのフジフィルムスクエアでまとまって見られるはずです。 |
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「現代日本における「子ども」の揺らぎ:中学生新聞投書欄から分析する子どもから見た「子ども」」(『教育社会学研究』第76集 2005) |
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「子どもへの配慮・大人からの自由 :プレーパーク活動を事例とした「子ども」と「大人」の非対称性に関する考察」(『社会学評論』57巻3号 2006) |
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「近代日本における「子ども」の成立と教育の自律化:戦前期綴方教育論の分析から」(『教育社会学研究』第83集 2008) |