問題関心 

 昨年、大学新聞『白金通信』の編集子に依頼されて、「研究室の扉」というコラムに
一文を載せた。このコラムの趣旨は、「人の数だけ学問の面白さとの出会いがある」
ことを学生に知ってもらうために、研究の先達としての些少の経験を語ることにあった。
紙数の制限や学生向けという制約はあるにしろ、私の会計学研究に対する問題関心
を表していると思われるので、以下に引用する。

   

会計を通して人間を見る

大学入学は1960年代、政治の季節であった。会計学を専攻したが、政治
づいた友人達に、資本主義的搾取の手段を研究するのかと揶揄された。モラト
リアム気分も手伝って、大学院修士課程に進学したが、修士論文の一部を纏め
た論文が偶然ある賞を受賞したことと、高等学校の非常勤講師を務めた経験が、
研究教育職を一生の仕事として選択させる契機となった。

大学に就職した直後、ほとんど会計学の研究をせずに社会学・政治学・経済学・
法律学・経営学・行動科学・情報科学・科学哲学など他の学問領域の文献を読み
漁った。大学院を通じて研究していたリース会計の技術性に辟易していたことも
ある。また、大学時代の友人達のあのいわれなき軽蔑の視線が心に影を落として
いたことも否定しない。しかし、直接のきっかけは、「会計もまた人間行動の
一部であるなら、会計にかかわる人々が何を考え、いかに行動するか研究する
視座をもてばよいのではないか」という同僚教授の一言であった。

会計が技術であり、その技術的合理性の追求が第一義的であるとしても、会計
技術そのものが会計にかかわる人々の行動に影響することは事実である。例えば、
経営者はその会計責任を果たすために貸借対照表や損益計算書のような財務諸表
を作成し、株主はこれらの財務諸表をみて経営者の業績を判断する。この関係は
封建領主とその財産管理を受託する執事の関係に似て、誠実なスチュワードシッ
プの遂行を暗黙裡に前提としている。

しかし、ひとたび、利己心仮説を導入し、経営者は株主より有用な情報を持ち、
株主の利害よりも自らの利害を重視すると仮定すると、経営者が自らの立場を
不利にしないために情報操作(歪曲または粉飾)することを認めないわけには
いかない。経営者のモラル・ハザードをチェックするために、会計監査人が組み
込まれてきたが、その会計監査人にしても利己的に行動すると仮定すれば、株主
と経営者と会計監査人の関係はダイナミックな(人間臭い)三者関係へと変化する。

このように、会計を取り巻く人々の組織的・社会的な相互関係を見ていくと、
「帳簿や計算」といった会計の無味乾燥な技術的表層が剥がれ、人々の本音が
出てくる。それを聴くと、時に楽しく、悲しく、そして切なくなる。だからこそ
僕は会計研究を続ける。


         明治学院大学『白金通信』・「研究室の扉」 2003年5月1日号(第398号)

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