はじめに
米国の大学教育における八、九○年代の大きな傾向の一つとしてカリキュラムの抜本的な改革が指摘できる。簡単に言えば、伝統的な学問領域を越える、いわゆる学際的なアプローチが試みられるようになってきたということである。例えば文学に関して見るなら、従来のギリシア・ラテン文学に始まる西洋中心(ユーロセントリック)の伝統的教育・研究方法の是非が問われ、西洋文学以外の作品がカリキュラムに加えられ始めたばかりでなく、文化社会学や比較文化・歴史的な要素を盛り込んだ授業が増加した。そしてこの事は米国の大学におけるアジア学をはじめ、日本学などの隆盛をもたらした。
また特に文学研究は次の二点において、アンドロセントリック、つまり男性中心の学問であった。一つは研究の対象となるのは、ダンテやシェイクスピア或いはゲーテといった作家が多かったということである。最近このような古典作家は揶揄的に、デッド・ホワイト・ヨーロピアン・メイル(死去した白人西欧男性)と称されている。二つには文学解釈そのものが男性の視点による傾向が強かったということである。この反動として現代文学が重視されると同時に白人西欧男性以外のアジア、アフリカ、ラテン・アメリカの作家が取りあげられるようになってきた。そのような非西欧的、非男性中心主義的な研究対象として格好の素材を提供しているのが、まぎれもない日本の平安女流文学であり、日本文学専門の研究者ばかりではなく、広く他分野からの注目も集めている。米国のこのような傾向は徐々にヨーロッパ、オーストラリアなどの大学にも影響を及ぼしてきている。
以上のような状況を踏まえて、この論文においては、欧米で九○年代に出版された平安文学に関する研究書、翻訳書、論文を中心に紹介し、いま平安文学が、どのように読まれ、研究され、教育されているのかをみていきたい。八○年代後半にはノーマ・フィールド、ハルオ・シラネ両氏による二つの主要な『源氏物語』論が著わされたが、これらはすでに日本で良く知られているので特別取り上げないが、八○年代に出された他の主な研究書などについては必要に応じて触れることとする。[...]