「倶利伽羅落」(くりからおとし)

edition: Haga and Sasaki 1914-15 = 芳賀矢一・佐佐木信綱校註『 校注謡曲叢書』(博文館, 1914-15), vol. 1, pp. 642-46.

[シテ あこねの前]
[ワキ 越中の国蓮沼の何謀]
[ツレ 蓮沼の臣]
 処は 越中

[砺並山の畑を打つ、あこねの前と云ふ者に、葵御前の霊つきて、木曽義仲、平家の軍勢を此処にて破りたる昔を語る事を作れり。]

ワキ詞「加様に候者は越中の国蓮沼の何謀にて候。我此間(あひだ)奇特(きどく)なる夢を見て候程に、此砺並山(となみやま)に初めて畑を開かせ候。今日も申し付けばやと存じ候。如何に誰(たれ)がある、
ツレ「御前に候。
ワキ「今日も各出でて畑を打てと申し付け候へ。
ツレ「畏つて候。早今朝とくより、皆々罷り出でて候。尚々申し付け候べし。<p. 643>
ツレ「いかに各残らず罷り出で、畑を打てとの御意(ぎよい)にて候ぞ。いや是に美事(みごと)なる太刀の候。あら目出度や候。やがて殿様は御目にかけうずるにて候。いかに申し上げ候。畑を開き候処に、太刀を掘り出し候。
ワキ「是はげに美事なる太刀にて候。即ち是をば謀が家の宝に仕り候べし。

ツレ「誠めでたき御事にて候。何と申すぞ。あこねの前が俄(にはか)に狂気仕つて、先(さき)の太刀返せと申すか。そは不思議の事にて候。其由直(ただち)に申さうずるにて候。如何に申し上げ候。只今各申し候は、是に召し仕はれ候あこねの前が、俄に狂気仕つて、先の太刀返せと申し候。
ワキ「是は不思議なる事を申す者かな。此方へ連れて来り候へ。
ツレ「畏つて候。いかに其あこねの前をこなたへ連れて来り候へと申し候へ。

シテ「扨も平家は越前の燧(ひうち)が城迄攻め落し、此砺並山(となみやま)迄攻め下るに、味方の兵はなど出でて追(お)つ払(ばら)はぬぞ。味方の兵は皆御前に候物を、今井の四郎はいかに。
地「六千余騎にて追手に向ひ候。
シテ「樋口の次郎、
地「たてね縫(ぬ)ひ逢ふ紐巴(ひもともゑ)も、
シテ「女武者、
地「よそにや 斯くと白真弓、
シテ「矢並(やなみ)つくろふこがらしの、
地「音迄鬨の声やらん。
ワキ「あら不思議の有様や。そも汝はいかなる者の附き添ひたる<p. 644>ぞ、
シテ「さん候。古(いにし)への名大将に仕(つか)へし者にて候。
ワキ「名大将に仕へしとは、若し頼光(らいくわう)の四天の内か。
シテ「貞光(さだみつ)季武(すゑたけ)にもあらず。
ワキ「綱金時(つなきんとき)か。
シテ「さもあらず。
ワキ「扨は平家の郎等(らうとう)か。
シテ「それは敵や腹立(はらだ)ちや。我は源氏の郎等なり。
ワキ「扨頼朝の御内の人か。
シテ「余りに多き兵(つはもの)にて、いづれをさして名乗るべき。
ワキ「もし判官(はうぐわん)の郎等か。
シテ「鈴木(すずき)片岡(かたをか)増尾(ましを)兼房(かねふさ)弁慶(べんけい)なんども思ひもよらず。
ワキ「さて木曽の御内の人か。
シテ「もし其内(うち)とや申すべき。
ワキ「今井の四郎か。
シテ「さもあらず。
ワキ「樋口の次郎か。
シテ「それにもなし。
ワキ「実に今思ひ出したり。葵か巴(ともゑ)か女武者(をんなむしや)は。
シテ「恥づかしや女とは、
ワキ「色に出づるか葵草(あふひぐさ)、/\、
シテ「年はふれども二草の名をば、隠さず恥づかしや立ち退(の)かん、あら 恥づかしや 立ち退かん。
ワキ「扨は葵御前にてましますかや。太刀(たち)をば返し申すべし。然らば昔此山にて合戦(かせん)の有様、御物語り候へ。御跡(おんあと)を弔(と)ふて参らせ候べし。
シテ「扨も我主(わがしゆう)木曽殿は、五万余騎を引率(いんぞつ)し、此砺並山(となみやま)の北の林に陳をとる。
地「平家の御勢十万余騎、雲霞(うんか)の如くたなびきたり。ここには源氏。
シテ「かしこには平家、
シテ「両陣相ささへ竜虎(りゆうこ)の威(ゐ)を振ひ、獅子争(ししさう)の勢、帝釈(たいやく)修羅(しゆら)の思をなし、月日をとるべき勢あり。
地「先づ味方よりの謀(はかりごと)に、軍(いくさ)は明日とふれけ<p. 645>れば、敵は誠(まこと)と心得て、其夜は共に陣をとる。さる程に味方には、無勢(ぶぜい)にて多勢を亡(ほろぼ)すべき、其謀をめぐらすに。木曽殿の御陣より、東の方を見給へば、此は寿永二年五月半の事なるに、其山の繁(しげ)き青葉の陰よりも、朱(あけ)の玉垣(たまがき)ほの見えて、かたそぎ(1)造り(づくり)の社壇(しやだん)あり。問へば当家(たうけ)の御氏神(おんうぢがみ)、八幡大菩薩、埴生(はにふ)の宮と申すなり。木曽殿たのもしく思し召し、扨は此軍に勝たん事は決定なり。急ぎ社壇に参りて、願書をこめんと宣ひ、覚明とこそ召されたれ。 覚明仰せに従ひ、兜を脱ぎ高紐(たかひも)にかけ、鎧の引合(ひきあは)せより畳紙(たたうがみ)を取り出し、 箙(えびら)なる矢立(やたて)の筆を墨に染め、願書を書きて読みあぐる。
クセ「そもそも此覚明は元は南都の住侶(じゆうりよ)にて、法相(ほつさう)諸学の其外、和漢の才覚ありしかば、水を流す如くに願書を書きて読みあぐる。木曽殿悦びおはしまし、御鏑矢(おんかぶらや)を宝前(はうぜん)(2)に参らせ給へば、御供の兵共も、上矢の鏑を一つ宛(づつ)宝前に捧(ささ)げて、南無帰命頂礼(なむきみやうちやうらい)、八幡大菩薩とて、御礼拝を参らする。さる程に夜に入れば、敵に大勢と見せん為に、千(せん)つの牛を集めて、皆角(つの)の先に火をともし、追つ払ひ給へば、光雲空(くもぞら)にみちみちて、五月やみおぼつかなくも闇(くら)き夜も、くらからぬ星を集むれば、敵大勢と心得さう【左右】なう懸り得ざりしに、今井の四郎六千余騎、
シテ「追手より鬨(せき)をつくれば、
地「後の林の五万<p. 656>余騎、一度にとつと鬨を合すれば、敵は取る者も取り合へず、倶利伽羅(くりから)が谷にばつと落つ。馬には人、人には馬、おち重(かさ)なり、/\、七万余騎は倶利伽羅が谷(たに)の、深きをも浅くなる程埋(う)めたりけり。これにつけても後(のち)の世を、/\、願ふぞ誠なりける。いざ砂(いさご)を塔(たふ)と重ねて、黄金(こがね)の肌(はだへ)こまやかに、花を仏に手向けつつ、悟(さとり)の道に入らうよ、/\。
[END]

transcription: Michael Watson