Yuki Fukuyama

2度の経験からのささやかな道しるべ
 〜国際商事仲裁模擬裁判大会に参加しようとする人たちへ〜

Willem C. Vis International Commercial Arbitration Moot. 私はこの大会に2回にわたって参加した。大学3年のゼミのテーマとして、そして大学4年間の学生生活における最後の挑戦と思い出の為に。2年間を通して、得がたい経験をたくさん積むことが出来た。

この大会の概要やCISG、仲裁裁判、模擬裁判がどのようなものかについては、他のメンバーの報告書に良く述べられている。私は少し違った観点から、来年以降のこの大会に参加する方の参考になるようなことについて述べていきたいと思う。  最初にメンバーの一人がすでに書いたように、いくら文献や判例に通じていても、それが事実とどのようにつながり、それがどういう効力を持つのかについては大きく賛成できるところであり、これから問題に取り組む方にはこの点を常に念頭において取り組んでいってほしい。

最初に問題発表からメモランダム作成について述べることにする。言うまでも無く問題からメモランダムまですべて英語で書かれるものである。しかし問題に書かれている英語は決して難しいものではなく、たとえ英語が得意でない人でも、事実の把握にはそれほど苦労をしない。なにがこの仲裁裁判の論点になるのかは問題の中にある Procedural Order No.2 に示されているので、それを元にメモランダムを構成していくことになる。論点の中には、CISGに関するものと、仲裁裁判の手続法に関するものの2種類が含まれている。当然ウェイトとしてはCISGに関するものが多くを占めるのではあるが、手続法に関しても、日本の法律を学んだだけではカバーしきれない部分が多いので、国際法における手続きそれ自体の定義を確認するところから始めなければならない。CISGに関しても、手続法に関してもUNCITRALの示すルールは大きな影響力があるので、UNCITRALに関する文献や判例は自説の補強の為に使うことが出来る。

実際にメモランダムを作成していくに当たっては、Issue(論点)ごとにメンバーごとに役割を分担することが望ましいと思う。さらにそれぞれのIssueにかんして文献、判例の情報を収集する役割を作ることが出来れば、時間の短縮にもなるし、たくさんの情報を集めることが出来る。情報を集める為にはインターネットも有効な手段であり、大会のホームページから判例を検索することが出来るHPも公表されているが、もちろん文献を読むことも非常に大事であり、CISGについては、シュレヒトリーム、ホノルドの書いた本の内容は非常に説得力のあるものとされているこの大会の必須本だといえるだろう。そこに英語で書かれる内容は最初読んでみてもすぐに理解できる簡単なものではないが、問題について思考を深めていくにつれ、次第に共感を持って読みすすめることができるだろう。

メモランダムの内容は仲間同士でよく話し合うことも大切だ。いくら分担があるからといって自分のことだけに集中するのではなく、1つも問題の中で生まれた論点であることと、他人の意見を聞くことで、また自分の意見を他人に話すことで、議論はどんどん深まっていくものなのだから、メモランダムの作成中はメンバー同士でたくさん話をすることも大切である。またメンバー以外であっても法律をよく勉強されている方に話してみると、論理的な構成についてヒントが得られることも多い。とにかく、大学の勉強では学ばなかった内容について挑戦するのだから、周りにもどんどん働きかけて力を分けてもらうことも大切だと思う。

英語での執筆については、最初は戸惑うことが多いだろう。法律文書の特殊な表現や形式的な構成になれることが必要であるが、過去の大会で使われたの他大学のメモランダムはこのようなときに大変参考になる。そして言うまでもなく、英語を母国語レベルで扱える人に読んでもらい、正しい英語、より分かりやすい英語にする作業も大切である。

こうしてメモランダムが出来上がるのであるが、言うよりも行うが難しである。実際の学生生活のなかでこれらに取り組むことは楽ではない。実際に私は2年とも提出期限前には徹夜と睡眠不足が続かないことは無かった。余裕を持って取り組みたいならスケジュールを調整することも大切な要素のひとつだといえるだろう。

さてClaimant、Respondent、のメモランダムが完成したら、次は口頭弁論;Oral Argumentの準備に取り組むことになる。Oral Argumentについては、必ずしも自分たちが作ったメモランダムに基づく口頭弁論である必要はない。実際には基づいているべきなのだろうが、二つの採点が別に行われるので、もしもメモランダム作成後により良い議論を得ることが出来たなら、そちらを使ってもいい。口頭弁論において大切なことは、仲裁人に対して敬意を持って分かりやすく主張を述べることなのだ。何を言うべきかスクリプトを作りそれを覚えこんでしまうのも良いかもしれない。しかし、実際の会場で、緊張のあまり、覚えた内容をすっかり忘れてしまうこともよくある。(実際に2年とも私は緊張で頭がまっしろになってしまった!)そんなとき、その場で自分の言葉で主張ができるということは非常に有益なことであり、スクリプトを覚えると同時に他の自分の英語でも同じ内容を伝えられるような練習が必要である。実際の会場では仲裁人によって、主張の時間が様々に区切られるし、仲裁人の質問によってはスクリプトどおりに話が進められないこともある。主張の順序や内容の量が変わっても対応しなければならない。このために口頭弁論の為にたくさん練習をしていく必要がある。実際に日本にいる間に日本人同士で英語で議論をするのは抵抗があるだろう。しかし、いくら日本語の議論ができても、英語でも練習を積まなければ、意味がない。日本語ならいくらでも言えるといってもそれでは会場では誰一人理解してくれない。つたない英語だとしても仲裁人はきちんと耳を傾けてくれる。発音の悪さなんて気にせずに、どんどん自分で英語を話すことが大事なのだ。

来年以降も海外からコーチを招いて、メモランダムや口頭弁論について指導が受けられる機会があるかもしれない。そんなときは、せっかくの機会を無駄にしない為に、コーチが来るまでに十分勉強を積み重ねて、質問をはっきりさせておいたほうがいい。彼らは、周りの日本人の先生よりもこの問題について、論点が実質的にどういうものかについて詳しいし、しかも英語でそれを説明するのだから、自分たちの理解と英会話の能力を高める為に、来日前から十分に準備していただきたい。

加えて口頭弁論は表現の舞台でもある。大きな声ではっきりと明確に伝える。時には気持ちを込めて。表現豊かに説明して見せることで生まれる説得力もあるのだ。自分たちの口頭弁論が始まる前に、他大学同士の模擬裁判を見ておいたほうが良いだろう。優秀な学校の口頭弁論を見ることは自分たちが具体的にどうやって主張をしていくべきなのかについて非常に参考になる。英語の聞き取りに自信がない人でも、できるだけ日常生活の中でも英語を聞く機会を設け、この問題に取り組んでいれば、口頭弁論中はこれまで自分たちが英語学んできた内容が扱われるので、それほど心配しなくても、誰が何を言っているのかについて理解することが出来る。

実際の会場では口頭弁論は入室時からの自己紹介に始まり、進行予定について話し合われ、Claimant 、Respondent、それぞれの主張の持ち時間が示される。主張の間には仲裁人からの質問が入り、それに答えながらどんどん主張をすすめていく。一度互いの主張が終わったら、battleといわれる、抗弁の機会も与えられる。そのためにも、自分たちの主張だけでなく、相手がどんな主張をしてきたのかについてよく聞いていなければならない。すべての主張が終わったら、仲裁人は講評として改善点やアドバイスを示してくれる。うまくいかなかったときも、しっかり励ましてくれる。ここでの仲裁人は私たちを教育する目的も持っているため、ただの議論の講評にとどまることなく、プレゼンテーションの仕方から、どうやったらスマートに話を続けていけるかについてまで細かい指導をしてくれる。その場は、けっして堅苦しい雰囲気ではなく、失敗しても、仲裁人の講評で勇気付けられることも多かった。

以上のようにメモランダムから口頭弁論まで来年以降のアドバイスを中心に書いてきたが、全部をきちんとこなしていくことが出来れば、もっとこの大会に参加することを楽しめるだろう。言うまでもなくこの大会はオーストリアのウィーンで開かれるのだ。

ウィーンを思う存分楽しみたいなら、日本にいる間に完璧にきちんと準備することが一番。大会が開催されている間、毎晩のようにクラブでイベントが開かれ、参加者は無料や格安で様々なイベントに参加することが出来る。毎日ホテルに閉じこもって次の日の為に準備に明け暮れていたのでは、様々な国からきた学生たちと楽しみや喜びを心から分かち合い仲良くなる絶好の機会が台無しになってしまうだろう。歴史ある本当に美しい町並みだって、自分に自信がなくて、不安な気持ちでいっぱいなら、やたらヒールが引っかかる石畳に悪態をつくだけで終わってしまう。そうならないために、忙しくとも得がたい経験をより良いものにするために、努力をおしまず粘り強く取り組んでいっていただきたいと思う。

最後に、この2年間の中で出会ってお世話になった皆さんに心から感謝していることを加えて記しておきたい。先生はじめ、ピッツバーグ大学ロースクールの方々、研究員のみなさん、特に一緒にチームとして参加した仲間との出会いは、国際交流よりも素晴らしいものであった。

ありがとうございました。