Akira Igarashi

Vis Moot 2005に参加して

1 はじめに

本年度、吉野先生の指導の下、国際模擬仲裁法廷(以下、MOOTとする)に参加することができた。この模擬仲裁裁判は、使用言語が英語であることもあり、現在の日本の参加校は明治学院大学(混成チーム)のみと、非常に少ない。しかし、参加校は、全世界から、昨年と比較して15校増えて、153校となっている。米国からハーバード、コロンビア、ジョージタウン等の超有名校のロースクールを含めて37大学、ドイツから18大學が主なところである。
このMOOTは、世界に名の知れる諸外国のロースクールの学生が集まり、本職の弁護士に勝るとも劣らないハイレベルな議論を闘わせる場である。そこで、本稿において、少しでも、このイベント有用性を報告することができたらと思う。

2 MOOTの流れ

詳しい流れは、MOOTのホームページなどを見たほうが詳しい。おおまかには、以下のようになっている。


10月1日 問題発表
12月上旬 申立人側準備書面提出日
1月下旬  被申立人準備書面提出日
3月下旬から4月上旬  口頭弁論期日

3 問題について

問題は50〜60ページある英語の文書である。これは、仲裁申立人の仲裁申立書と被申立人の答弁書、仲裁機関と当事者とで交換される文書、そして事実関係を補足する書面から成る。
  英語に不慣れな私は、これを読むことすら難儀であり、MOOTの厳しさにふれることになった。単語もわからないし、とにかく遅々としてなかなか読み進めることができない。(ただし、MOOT終了段階では、この読むスピードが格段に速くなったことを実感することもできた。)
  当初はこの問題のすべてのページのすべての文が重要であるように思えてしまった。このように事実を把握するとメリハリがつかないので、ただ何月何日にある出来事が起こった、という事実だけを追ってしまい、結果として一読しただけでは全く何も頭に残らなかった。
しかし、事実関係の重要性には差がある。遅いといえば遅いのではあるが、最終段階では、この差に気づき、それによって一連の事実関係が大変有機的につながっていることを意識することができた。そうすると、ある事実が原因で、ある当事者がまた別の行動に出て、さらにそれに応じる形で相手方の当事者がまた何らかの策を講じた、というように、事実の「流れ」を把握することができた。これにより、一連の事実がしっかり頭に刻まれた。さらに、この把握の仕方は、例えば当事者の意思を解釈したり、事実を評価したりする場合に大変有意義に作用した。一つのフレーズに大変な意味を込めていたはずだ、と考えたり、他の事実との関係上当事者は重要な意味を持たせていたのではないか、と推測することができるようになったからである。この事実の評価については、仲裁裁判官から度々質問が出ており、いかに自分が代理人として説得的にその評価を伝えるかがMOOTでは大変重要な点であった。
また、申立人、被申立人のそれぞれの立場で重視すべき事情も異なる。さらには、法文の適用を検討していると、いままで気にしなかった事実が重要性をもっていること、あるいは、自らの立場から重要な意味を持たせたいことがある。このような事実のさまざまな角度からの把握は大変重要なことであった。

4 準備書面について

準備書面は、発表された問題に書かれている各当事者の主張を整理し、それを法的に根拠づけることが要求される文書である。問題には、既に、仲裁申立書、答弁書、証拠が添付されており、互いに何を主張し(解除、損害賠償など)、それがどの条文を根拠にしているのかが一応示されている。しかしながら、あえて不明確にしてある点、論理的に飛躍している点があるので、これを補うために、準備書面の提出が要求される。この準備書面は、申立人、被申立人双方の立場で異なる時期に書くことが要求される(MOOTの流れ参照)。
  活動中は、この準備書面をmemorandumと呼ぶ。当初は何をどのように論じるのかまったくわからなかったが、終わった今となってみれば、何が要求されていたのかがよくわかる。すなわち、問題において論点はほとんど明示されているので、それにそってきちんと条文の要件に該当する事実があるか、そしてどのような効果が発生するかを処理していけばよい。その処理の中では、法的三段論法を遵守し、双方の主張を法的に根拠づけていくことになる。必要があれば、文献やケースを引用し、自説を補強する。
このように口でまとめるのは簡単であるが、中途段階では、この作業は難航した。英語の文献に慣れていない私としては、正直いくら時間をかけても作業がすすまなかった。三段論法の手順にしたがっていこうにも、全てに語学の壁が立ちはだかるといってよい状況だった。
  まず、いったいCISGの条文がどのような効果をどのような要件の下で規定しているのか理解するのに時間がかかる。英語の文献は難しいのに加えて情報量が豊富で、何がどうなっているのやら、さっぱりであった。世界のMOOT参加者は、シュレヒトリーム教授監修のコンメンタールをよく使うのであるが、この重要な本が難しく、なかなか読めないのである。したがって、当初は日本語の文献に頼っていたのであるが、これがあまりにも充実していない。日本民法のように、論文をコピーして、必要な基本書を読む、というわけにはいかなかったので、結局、本当にそんな話があるのかどうか、外国文献に頼ることになった。
  次に、なんとか条文の理解をしたとしても、問題のどの事実がどのようにあてはまるかを記述することは、日本語の場合と違って大変難儀である。必要な事実を探したり、探した事実に評価を加えたり、そのようなことを英語で行うことは、かなり難しかった。
  こんな状態で書いた準備書面なので、評価はかなり厳しいものであった。しかし、今回の経験で書き方、資料の使い方がわかったので、これを次に参加する人にフィードバックできれば、かなりよいものができあがると思う。この準備書面の作成にも、コツがある。例えば、書式はみやすくする、といった純粋に形式的なことにも細心の注意が必要である。段落分けや改行も含めてである。内容面では、こういうケースがある、学者がこういっている、という情報を多く盛り込んだだけではだめで、それらの文献が示すことが、本件との関係ではどうか、本件ではそれらの議論に修正が必要かどうかを丁寧に示すことが大事であると思われる。常に、本件との関係で議論をすることが、準備書面作成段階、口頭弁論段階において重要である。
この視点は恐らく正しいと思う。口頭弁論で優秀な成績をおさめたノートルダム大学(オーストラリア)とメモランダムで良い評価を受けたミュンスター大学(ドイツ)を比べたときに、私はミュンスター大学のメモランダムの方が優れていると感じた。なぜなら、判例文献の情報量はノートルダム大学の方が多くても、ミュンスター大学の方が事実との連関に気を配っていたからである。事実、ミュンスター大学はクレイマントのメモランダムで、高評価を得ている。(ただ、口頭弁論では、ノートルダム大学がミュンスター大学を破っており、両大学とも目標にしなければならないことはいうまでもない。)

5 口頭弁論について

これが、MOOT参加者の集大成となる一大イベントである。3人の仲裁裁判官と、当事者の代理人役の学生によって構成される仲裁裁判法廷が粛々と進められる。予選となるgeneral roundと決勝トーナメントとなるelimination roundがあり、どのチームも最低4回、general roundで闘うことになる。
  私も3回、代理人役を務める機会が与えられた。チームによっては、すべて同じ学生が、また別のチームではすべて違う学生が代理人役を務めることになる。3人の仲裁裁判官のうち、中央に座るchairmanによって、法廷は進行する。この際、弁論の形式はさまざまである。時間を与えられ、その中で主張するように要求されたり、一定の時間を論点ごとに区切ったり、いろいろなバリエーションがあるので、代理人はそれにそって議論をこなさなければならない。私はヒアリング能力、会話能力が欠けていたので、大変苦労したが、身振り手振りも交え、なんとか主張をしていた。ときに仲裁裁判官から質問が入り、それに答えながら主張を続けることになる。仲裁裁判官の質問は、法律論よりも、事実に関する質問が多い。「こういう事実もあるが、それは何ら意味を持たないのか」「その主張はどういう事実から認定できるのか」など、事実に関する質問も多様である。
  弁論中、自分の意図が伝わっていないときと伝わったときは、仲裁裁判官の反応が全く違う。前者の場合には大変悔しくなるが、後者の場合は喜びもひとしおである。基本的に、仲裁裁判官は質問した後にあまり深追いしてこない。端的に答え、不足があれば補充質問をしてくるし、長く答えても、それはそれで聞いてくれる。仲裁裁判官は親切で、とにかく意図をくみ取ろうとしてくれた。これを繰り返しながら、学生は毎日のように技術を向上させていくことができる。私も自分なりに向上しようと努力したし、当初よりは代理人らしくなれたと思う。仲裁裁判官の眼を見て話す、など最低限のマナーのようなものもある。主たる担当である被申立人の代理人としては、自分の手元の資料をほとんど見ること無しに、仲裁裁判官の目だけをみて会話をすることができた。
  仲裁裁判が終わると、仲裁裁判官から、改善すべき点や良かった点につき、講評をもらうことができる。これについては、初日はほとんど有意義な講評がつかなかったのに対し、日がたつにつれて、より実践的な、大変ためになる好評がついたことが何よりうれしかった。個人的には、チームワークについて、ほめられたことが印象深い。この点は重要なことで、代理人が個人行動をとっているわけではないのだから、当然に相談や助け合いが必要である。何より、仮想とはいえ、依頼人の利益のために行動しているわけだから、二人で最善を尽くすべきである。
なお、口頭弁論では、時間に要注意であった。10分といわれたら、10分以内に弁論を終えなければならないのはもちろんであるが、10分をぎりぎりまで使うこともまた必要であった。時間が余ることは、どの仲裁裁判でも、「もったいないことだ」との指摘を受けていた。そのように、与えられた時間をうまくやりくりすることも、能力として試されている。

6 決勝トーナメント

これをMOOTではElimination Roundと呼ぶ。口頭弁論において第1位の学校を決めるために予選に続いて行われる。これに残ることができるのは32校であり、まさに精鋭が集結している。この32校の発表はにぎやかであり、残ることが出来たチームは歓声を上げる。この歓声を聞いていると悔しくなるので、是非とも日本のチームとして雄たけびを上げたい、と感じた。
  そして、発表の翌日からまた白熱した口頭弁論が繰り返される。ここで気づいたことは、勝ち進んでいくチームもまた、継続的に成長し、技術を伸ばしていっていることであった。一つ前の口頭弁論では、仲裁裁判官の質問に対して反論的な意見をどんどん出していた人が、次には仲裁裁判官の意見を受け入れ、かつ自分の立場を多少緩和して、柔軟に対応しているのを目の当たりにしたときは、自分もただ見ているだけではだめで、そういう高度なテクニックを盗まなければならないと感じ、自然と緊張感を持った。
  この口頭弁論で勝ちぬくためには、柔軟な姿勢が欠かせない。代理人として、仲裁裁判官の質問に真っ向から反論してばかりいたのではいけない。余裕をもって、仲裁裁判官の心証を把握し、譲れるところはどんどん譲ってしまってよいのだと思う。その際に、「even if」という表現を用いる人は多かった。よく知られた表現だが、使いどころが重要である。

7 表彰式
 

ここでは、決勝と各表彰が行われる。他人が表彰される場面をひたすら見つづけることもまた、気分のよいものではない。自然と悔しい気持ちが湧く。殊に、今回はチームメンバーが先に帰国していたので、余計にその気持ちが増幅されたように思う。
  ただ、やはり他国の優秀なチームは素晴らしい。いろいろな面で、学ぶことがあった。

8 終わりに

以上、簡単にまとめてみたが、正直、伝えきれないものがこの行事には詰まっている。吉野先生や同伴してくださった櫻井先生もおっしゃっていたが、参加してみないとわからないことがあることは紛れもない事実であると思う。毎年しのぎを削ってハイレベルな争いを繰り広げる他校と比較して、自分が相当な遅れをとっていることに大変な危機感を感じた。その遅れは語学の面が非常に大きいように思う。ただし、この点については、単なる会話力があるだけではだめで、説得的に、納得するように伝える力が要求されることを忘れないようにしなければならない。早くしゃべり過ぎて注意される他国の生徒もいたし、大事なのは、ぺらぺらしゃべることよりも、重々しく、論理をたどって、仲裁裁判官にしっかり考えを伝えることである。
  実際に帰ってきて、国際問題への感心が高まっていることを感じているし、負けてはならない、という気持ちが高ぶった。また、英語については以前に比して格段に力がついたのではないかと思う。法学に関しても、仲裁や調停といったADR(裁判外紛争処理手続)について飛躍的に興味が高まった。
  今後、法曹を目指すことを考えると、この年齢でこれだけの経験をつめたことが大変意味のあることである。このような契機を得たからには、この期間に目にしたレベルを見据えていかなければならない。それが最も重要なことだと考えている。
  そしてもう一つ、忘れてはならないのは、数ヶ月間ともに活動したメンバーとの信頼関係が構築できたことである。これからも切磋琢磨する関係でありたい。

最後に、このような貴重な経験をさせていただき、吉野先生には大変感謝しております。誘っていただいたときに想像していたものより、はるかに大きなものがはね返ってきて、大変有意義な期間になりました。本当にどうもありがとうございました。

以上