シンガポール生まれ。幼少をアメリカで過ごす。小学生の時に日本へ帰国。一時期、登校拒否になりながら、この頃に剣道を始める。それからは、平々凡々な少年時代を過ごした後に、都立の高校へ入学。この頃、激しい反抗期を迎えフランス文学と出会う。家を出たい一心で「Anywhere out of the world !」と願いながら高校二年生の時にアメリカへ一年間留学。フランス文学への思いは冷めず、フランス語を学ぶために大学へ入学。その後、語学研修のためにフランスへ一年留学。大学卒業後は、フランス文学の研究をするために大学院へ進む。久しぶりに剣道を再開。博士課程へ進学後、六年近くパリに滞在。2010年に帰国してから今に至る。
こうやって振り返ると、あちこちぶらぶらしながら、随分と落ち着かない生活をしてきました。「出身はどちらですか」と尋ねられても、いつもしどろもどろと答えることしかできません。結局、根無し草だからでしょう。ただ、長い海外生活を経験しながら、今こうして自分がいるのは文学と剣道のお陰だと思っています。だから「文武不岐」という言葉が好きです。
シャルル・ボードレール(1821-1867)の作品を中心にフランス近代詩の研究をしています。また、19世紀のフランスの中等教育についても研究をしています。教育に興味を持ったのは、当時の学校教育の内容がわかれば、ボードレールの文化的土壌が理解できると思ったからです。
でも19世紀のフランスの読者と、21世紀の日本人がそう簡単に同じような目でボードレールの作品を読める筈がありません。今と当時では言葉の意味が違うこともあれば、土台になっている教養も違い、作品の中で暗にほのめかされている人物やニュースなどわからないこともあります。ただ、当時の教科書や辞書などを数多く調べているうちに今まで見えなかったものが見えることがごくたまにあります。そういうときの喜びは、本当にかけがえのないものです。
19世紀のパリにタイムワープしてその時代を生きてみたいですが、それはできないから過去を再現できる特殊な望遠鏡を覗くような気分で研究をしています。ただ、今日19世紀の情報は断片化しているからその望遠鏡のレンズは、ばらばらに割れてしまっています。自分の研究は、そのレンズの破片を探してきては修復し、探してきては修復する作業で、たまにピントが合うことがあるのです。修復したレンズが小さすぎたり、間違った破片をつけたりしてピントが合わず、何も見えないことの方が多いですけどね。しかも何かが見えたとしても、とても小さな望遠鏡で大きな世界の一部分を覗いているだけなのです。ただ、自分には斬新で独創的な解釈を示す能力はとてもないし、臆病な上に頑固な性格だからこんな研究を地道に進めるしかないと思っています。
あとは、日本におけるボードレール受容についても研究しています。昔の日本人がどんな気持ちで、どんな理由でボードレールを読んだかわかると面白いですね。この研究でも地道な作業が求められるけれど、今自分がボードレールの研究をしているのは、先人たちが積み重ねてきたもののお陰だということもわかって感慨深いです。
3年次ゼミと4年次ゼミでは、ボードレールの作品を中心に19世紀の詩や文芸・美術批評などを読みます。当然、フランス語のテクストを正確に読んで、その訳ができることが前提となります。そして、テクストを批判的に読みながら様々な参考資料を利用して自分なりの解釈を考えてもらいます。ここでどのような発想ができるかが一番大きな課題になります。腰を据えてゆっくりと考えてください。
よい発想にたどり着いたら、その解釈をほかの人に納得させるような発表をしてもらいます。自分の解釈や参考資料をどのような順番で話すか検討して、結論まで話の配置を考えます。この時に、ある程度の原稿を作りますが、適切な語彙、表現、比喩など効果的な言葉のあやを組み込んでいきます。
実際の発表ではこの原稿を棒読みしていたら、人はなかなか聞いてくれません。レジュメ、参考資料、スライドを効果的に使って記憶した内容を発表します。最後に大切なのは、話し方など発表の態度です。細かいことは教室で説明しますが、以上のようにゼミは、テクストを精読して、考え、理解する力だけではなく、発表する技術も修得する場としています。
前期はグループワークでの発表になります。後期は論文の作成があるので、学生がそれぞれの興味に応じた主題を選び、個人で発表をしてもらいます。司会から質疑応答、論文集の作成等など役割分担を決めてもらい、学生主体の運営をすることもゼミの特徴です。