19世紀小説研究(とりわけバルザック、フローベール、ゾラなど)
文学にあまり触れたことのない人には、その面白さを紹介したい:小説を読む快楽を何にたとえたらいいだろう。 異郷への旅? 忘れていた懐かしい記憶? 想像でふくらますことのできる夢? 隣の部屋の覗き見? ことばでできた御馳走?・・・まあ、読んでみてください。
文学好きの人とは、いっしょに楽しみたい:エネルギーに溢れた登場人物が動き回るバルザックの世界(あるいは神秘の探究)。 われわれ自身の生活の悲喜劇と欲望の不条理を描くフローベールの世界(あるいは文体の力)。自然と社会の圧倒的な力に戦いを挑むゾラの世界(あるいは火と再生の神話)・・・・
どうしても文学に興味が湧かない人には、テクストの読解を通して、その背後にある歴史や社会や文化について考えてもらいたい: 19世紀のフランスにおいて、小説は人間と社会のすべてを総合的に表現するのにもっとも適した形式と考えられていた。その19世紀は現代社会の出発点でもあり、 フランス革命と世界戦争に挟まれた100年のあいだに、われわれの時代、われわれの世界の素地が作られた。この時代のすぐれた小説のなかには、現代の諸問題について考え、 21世紀の展望を探るための材料がいっぱい詰まっている。
フローベール、ゾラ、ヴァレス、ヴェルヌなどの作家のほか「ファム・ファタル」「子どものいる文学」「イスラムって何?」「異世界への旅」など
いろいろな学生がいるとしか言いようがない。
ゼミのテーマは「19世紀小説研究」であるにもかわらず、たとえば2008年度に提出された卒業論文の題目は、フロベールやメリメに関するもののほか 「マルグリット・デュラス」「エミール・ド・ジラルダンと新聞」「ラヴェルの音楽」「『レクイエム』にみるフォーレの魅力」「シャガールが描く生命」 「ココ・シャネルという神話」「フランスの移民問題」「女性の社会進出と子育て」「髪型から見る近代フランス女性たち」など・・・
1951年10月24日 うさぎ年 蠍座 O型
母方は高知県、父方は静岡県、父親の出生地は北海道の網走。本人は東京都新宿区で生まれたが、誕生直後から親に連れられて各地を転々とする。神戸の幼稚園を中退し、4つの小学校を渡り歩き、現在まで転居すること28回。
学生時代は山歩き、カミキリムシ採集、演劇、ギターなどいろいろあったようだが、現在はほとんど無趣味。 強いていえば寝ること(一日中寝ていられるのは特技のひとつ)、見ること(絵画、映画、街、自然、人間の生態、その他)、読むこと(小説中心だが、ほとんど無差別)、勝負事(囲碁、将棋、麻雀・・・)
19世紀小説、とりわけフローベール:フランス19世紀は「小説の世紀」と言ってもいいほど多数の傑作が生まれたが、 なかでもフローベールの作品は、テーマの現代性と文体の不思議な力によって際立っている。具体的なテクストの分析を通じて、 現代文学の出発点ともなったフローベールの作品の特異な魅力のありようを明らかにすることが当面の目標。
テクストを読むことの具体的な経験と、作品の唯一性にこだわるため、「比較」はあまり好まないが、それでも作品研究をつづけていけば、他の問題へと関心は広がってゆく。 一方では作品が誕生した時代背景や、テクストが発する世界へのさまざまな問い掛けをめぐって。 他方では小説の形式や、人はなぜ小説を書いたり読んだりするのかという問題をめぐって(ジャンルの特性、物語の構造、描写や語りの技法、文学生産の欲望と受容の理論・・・)。 さらには小説の歴史と未来(とりわけフローベール以後の文学の展開、現代の世界文学の動向・・・)、および他の表現手段(映画、漫画・・・)との関係・・・
翻訳の作業や日本語教育の経験などを通して、日本語(とフランス語)の仕組みや思考法、表現力についてもいろいろ考える。
また動物行動学や文化人類学などさまざまな分野での研究成果と、自分を含めた人々の心理や行動とをつきあわせながら(三面記事なども面白い)、 人間の可能性と人間性の限界について考えることにも趣味的な関心を持っている。
『フローベール「サラムボー」を読む──小説・物語・テクスト』 水声社 1997年
『はじめて学ぶフランス文学史』 (共著) ミネルヴァ書房 2002年
「閉ざされた世界──『感情教育』の構造に関するひとつの考察」『形成』43号 1980年4月
「『感情教育』におけることばの問題」『フランス語フランス文学研究』37号 1980年10月
「演劇性の逆説──『聖アントワーヌの誘惑』の形式をめぐって」『明治学院論叢』521号 1993年3月
「変貌するカルタゴ──『サラムボー』のヴィジョンについて」『明治学院論叢』561号 1995年3月
「『ルーゴン家の繁栄』の空間と時間」『明治学院論叢』411号 1987年3月
「記憶のありかをめぐって―『ルーゴン=マッカール叢書』における人・モノ・場所」 (小倉孝誠・宮下志郎編『ゾラの可能性』藤原書店 2005年)
「衣服とことば――ジュール・ヴァレス『子供』のいくつかのテーマをめぐって」『明治学院論叢』650号 2000年3月
「語る私・語られる私――ジュール・ヴァレス『子供』をめぐって」『明治学院論叢』664号 2001年3月
「ネットワークと身体―ロビダの見た二十世紀」『明治学院論叢』42号 2009年3月
“ Robida au Japon ” De jadis à demain-voyages dans l'œuvre d'Albert Robida,2009
バーバラ・エマーソン『デルヴォー画集』 (共訳) リブロポート 1987年
レイモンド・ドゥブレ=ジュネット「『ヘロディアス』再紹介」『文学』フローベール特集 岩波書店 1988年
アルバート・ブランケルト他『フェルメール画集』 (共訳) リブロポート 1991年
パトリック・ベッソン『ダラ』新潮社 1992年 (第二次世界大戦下のユーゴスラヴィアから現代のパリまで、時代とともに生きたクロアチアの一女性の物語
レーモン・クノー『文体練習』朝日出版社 1996年 (ひとつの出来事を99通りの文体で書きわけた、おかしなことばの変奏曲)
(参考 一青窈 『ふむふむのヒトトキ』メディアファクトリー 2008年
ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』岩波書店 (文庫) 1997年 (地底の海に棲む恐竜や、巨大キノコも登場する19世紀空想科学冒険小説の古典)
セシル・サカイ『日本の大衆文学』平凡社 1997年 (フランス気鋭の日本文学者による、明治以降の大衆文学の歴史とその考察)
アレクサンドル・デュマ・フィス『椿姫』新書館 1998年 (ドゥミ・モンドの世界に生きた薄幸のヒロインの涙なしには読めない悲恋の物語)
ジョジアーヌ・ペラン『母の手を逃れて』 (共訳) 紀伊国屋書店 2002年 (実母に虐待されて育った少女の、恢復と自立への道のりを綴った自叙伝)
エミール・ゾラ『パリの胃袋』藤原書店 2003年 (パリの中央市場を舞台に、食べ物の洪水の中で描き出される政治的陰謀と小市民たちの悲喜劇)
アルベール・ロビダ『20世紀』朝日出版 2007年 (19世紀に書かれた「なつかしの20世紀」とは? 著者自身による楽しい挿絵満載の未来予測小説)
「フローベール『紋切型辞典』書評」 『日本読書新聞』 1979年3月19日
「フランス文学の世界から」『月刊国語教育』 東京法令出版
「(1) フランス文学と自然」 1986年4月
「(2) さまざまな愛」 1986年5月
「(3) 食べる喜び」 1986年6月
「(4) 生命の讃歌」 1986年7月
「(5) 罪と恩寵」 1986年8月
「文化の十字路」『NHKテレビ フランス語講座』 日本放送出版協会
「(1) トゥルニエと現代の神話」 1986年年6月
「(2) エリアーデの死」 1986年年9月
「(3) 歴史への招待」 1986年年12月
「(4) トロワイヤとロシアの皇帝たち」 1987年3月
「バルガス=リョサ『果てしなき饗宴──フロベールと「ボヴァリー夫人」』書評」 『マリー・クレール』 中央公論社 1988年7月
「ゾラ年譜・ゾラ著作年譜・『ルーゴン・マッカール一族』紹介」 『集英社ギャラ リー世界の文学7 フランスII』 集英社 1990年II』 集英社 1990年
「フローベール『紋切型辞典』解説」 平凡社ライブラリー 1988年
「旅する子供たちの物語――エクトール・マロ『家なき子』」 週刊朝日百科・世界の文学16 1999年10月
「カルタゴ――フローベールの古代都市の夢」「ル・ピュイ――ヴァレスの少年期の風景」 ドコモ・ワールドクリップ 文学のある風景 2001年5月
「デュマ父子と『椿姫』」『椿姫プログラム』新国立劇場 2004年