浴衣、団扇、バンドエイド。これが花火大会へ行く必需の3品目である。せっかく着物の国日本に生まれたのだから、年に1度くらいは着物を。夏なら浴衣、そして団扇、下駄。普段下駄を履くことの少ない現代人に欠かせないのがバンドエイド。鎌倉の花火大会は1949年に始まった。はじめは稲村ガ崎近くの坂ノ下で陸地から打ち上げていた。当時は今のような保安距離もなく、1発ずつのんびりと打ち上げていて非常に情緒のあるものだったようだ。海上で打ち上げるようになったのは、その後しばらくしてから。鎌倉花火大会の名物になっている「水中花火」は1964年から始まった。毎年、夜の海面をさまざまな色に染める水中花火にはこんな逸話があった…。当時の鎌倉花火大会の花火師−滑川春堂さんが、千葉県銚子の花火大会を見ていると、打ち上げた花火のうち、1つだけ海の中で半球形に開いたものがあった。滑川さんは新種玉だと思いその美しさに感激して聞きに行ったところ、誤って海に落とした失敗作だった。その時は大笑いしていたがよく考えてみると大変すばらしく画期的なこと。そこで、鎌倉の由比ガ浜で五寸と八寸の玉を20発、小舟で海に落としてみた。すると大成功。大受けに受け、それ以来35年以上、鎌倉花火大会の名物として皆に親しまれてきた。私自身毎年とても楽しみにしているこの水中花火。他ではあまり見ることのできない貴重なものだ。ところが、困った点もあるという。ちょうどこの時期、鎌倉の海はえび解禁になる。そのため毎年8月10日と少し遅らせて開催するのだがやはり10日以降は全くえびが採れない。近海の漁師の方々は苦労されているそうだ。そんな代償を払いつつも花火大会を続けてこられた観光協会の方には感謝すべきであろう。そこで、皆さんにお願いがある。どこへ行ったときでも常識ではあるが、ゴミは持ち帰ろう。持ち帰らなくともゴミ箱へ−花火大会の成功の影には前後の会場設営、清掃をしてくださるボランティアの人々の活躍がある。彼らの負担を少しでも減らせるよう、皆で協力しよう。さらに、この花火大会のちょっと変わった名物となっているものが記念団扇だ。毎年、鎌倉在住の画家に依頼し、竹の骨の和風の団扇に絵を描いていただいている。今年は横山隆一さんだ。題は『海』。オレンジ色の背景に魚をモチーフにしたデザインで、現代的な抽象画になっている。例年は落ち着いた雰囲気の日本画が多かったのだが、若い人を意識したのだろうか。今年は少しポップに夏を楽しむといった感じだ。このような企画は文化人の多く住む鎌倉ならではと思う。団扇は七月になると、鎌倉市内のお店に並ぶ。売上はもちろん、花火大会の運営資金となる。ただ募金を募るだけではないこのアイデア、なかなかだ。約50年間鎌倉のみならず全国の花火ファンを魅了してきたこの花火大会。各地方からはるばるやってこられた明学生の皆さん、ぜひ、この夏は鎌倉へ出かけて見てはいかがだろう。学生編集委員(白金通信2000年8月号)
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