初めて舞岡公園を訪れたのは一年生の秋のことだった。友人と三人で、G館向かい側の山に入り、130メートル位で広場(休憩所)に着いた。そこで将来の自分や世界のあるべき姿など、いろいろな事を語り合った。今は柵ができてしまって、公園に直接入ることはできない。代わりに、遠望橋から東に見える階段を登ってまっすぐ歩いていくと、南門から300メートルで入口に辿り着く。公園の大部分は手のつけられていない自然である。ありのままの姿をずっと残していこうという努力が、至る所に見られる。遊歩道の脇にいくつもの立て札があり、目を引いたのは、「舞岡公園憲章」の一節を記した石碑である。「様々な生き物たちと 共にあることを 大切に」――ここが草花や動物たちとの共生の場であることをやさしく教えてくれている。そして小川や池には、「コイや金魚などの魚は絶対放さないでください」とある。釣りがいけないのはわかっていたが、放流もしてはいけないのである。人間の身勝手な振る舞いが生態系を破壊し、自然を汚していく、という事なのである。別の池にはカモが泳いでいた。やがて陸に上がってきたが、幼い子どもに追いかけられると、また池へと帰っていった。その端には子供の両親がおり、「危ない」ととがめながらも楽しげな表情をしていた。カモや子供の可愛らしさに加えて家族の愛情にも触れ、何だかほほえましい気持ちになった。地元の南舞岡小学校の児童たちによって、動物の絵や特徴などの説明が貼りだされているのがおもしろい。人間の側から自然へと接近し、理解を深めていく試みである。 公園には多くの田畑がある。市民が土地と農具を借りて作業をおこなう。耕された土地や、ヘタの部分だけがいっぱい残された柿の木などがあった。夏には田んぼが鮮やかな緑色を、秋には収穫の喜びを伝えてくれるであろう。再び訪れる楽しみが湧いてくるのである。舞岡公園はありのままの自然だけにとどまらない。「小谷戸の里」は是非訪れて欲しい場所である。ここのメインは古民家の主屋である。明治後期に建築されたと思われる旧金子家住宅を、戸塚区品濃町から移築したもので、横浜市認定歴史的建造物として認定されている。茅葺き屋根と広い土間がいかにも古い民家といった感じだが、平成七年六月移築とあるから、戸塚にもつい最近までこの様な家が残っていたんだなと感心させられる。なお、見学は自由で、申し込めば主屋の座敷を団体利用できる。「どんな利用方法があるか皆さんのアイデアを生かしてください」とある。「白金校舎は街の中、横浜校舎は山の中」とよく言われているが、「山」の正体が舞岡公園である事を知らずに卒業していく人も少なくないだろう。明学から見ると、単なる森にしか見えない。逆に公園に行ってみると、丘の上からキャンパスの白い建物を見ることができる。キャンパス隣の森は、実はこんなにも魅力的な場所だったのである。学生編集委員 (白金通信1999年5月号)
http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/park/yokohama/maioka.html