およそ100年前、国木田独歩が愛してやまなかった武蔵野を、目黒で垣間見ることができる。目黒駅から白金キャンパスへと向かって歩いていると、東京都庭園美術館のすぐとなりに「自然教育園」の看板が見えてくる。フェンスで囲まれた外観は一見研究所のようなのだが、入場料さえ払えば誰でも利用可能だ。早速中に入ってみよう。一見手付かずのように見えるこの空間。もともとは中世の豪族の館であり、その後高松藩主松平頼重の下屋敷、明治陸・海軍の火薬庫、白金御料地を経て、1949年に天然記念物及び史跡に指定され今に至る。一般の人々が出入りを許されなかったために豊かな自然が残った場所、というわけだ。現在は国立科学博物館の付属機関として自然との触れ合いを人々に提供しながら、自然への理解を促す教育活動を行なっている。一口に自然学習といっても、子供や一般を対象とするものから自然観察の指導員を養成するための専門的な講座に至るまで、その活動は多岐にわたる。中には郊外へ出て自然を訪ねる「自然観察会」というプログラムもあるというから、一味違った東京を味わいたいときにはぜひお勧めである。もしかすると読者の中には小学校の自然観察学習できたことがあると言う人もいるかも知れない。実際私が取材で訪れたときにも、団体で自然観察に来たらしい小学生たちが、季節の生物について解説してあるリーフレットを片手に園内を歩き回っていた。小学生の後に続いて展示ホールを後にすると、さきほどまでの都会の喧騒は遠のき、たっぷりと水気を含んだ空気と土の匂いが林の中であることを実感させる。深呼吸を一回。気持ちを切り替えるとあちこちから鳥のさえずりや虫の声が耳に飛び込んできた。道端に育成している植物を集めた路傍植物園をぬけて武蔵野植物園を目指す。林の中を行き交う人はみなハイキングに訪れた様ないで立ちで、写真を撮る人、絵を描く人、本を読む人とさまざまである。水辺に憩う人たちを横目に出来るだけ林の奥へ奥へと進むと、いよいよ道は細く、視界からは高層ビルが消えてなくなる。その瞬間現代という時間感覚すらも消え、独歩が楢の美しさをかみしめながら歩いた武蔵野の林に迷い込んだような錯覚に陥るから不思議だ。かつて独歩がそうしたように、林の中に腰掛け、目を閉じる。遠くに聞こえる車の音が、かろうじて1998年であることを主張している。物音にこんなにゆっくりと耳を傾ける時間が最近あっただろうか。とかく目先のことに気をとられがちな生活を送ってきただけに、改めて自分のゆとりの無さを痛感させられるひとときであった。今月の末には、ここにももみじ前線が訪れる。楓の紅、楢の黄色。都心で味わう静かな紅葉を楽しんでみてはいかがだろうか。学生編集委員(白金通信1998年11月号)
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