美しい夕焼け空に古びた町並み。今ではもうめったに見ることのできない駄菓子屋や銭湯までもがここにある。駅員さんの切符を切るハサミの音や夕暮れを告げるカラスの鳴き声が心地良い。街の人々は巨人軍に入団した長嶋茂雄の話で盛り上がっている。ここは昭和33年の下町、国鉄「鳴門橋」駅にあるラーメンの街である。 ここはあくまでも架空の街ではあるが、当時は日本のどこにでも見られた町並みが、「新横浜ラーメン博物館」に、みごとなまでに忠実に再現されているのだ。当時の日本の主な出来事は、美智子皇太子妃の御成婚、特急こだまの運転開始、東京タワーの完成など、明るい出来事でいっぱいであった。 そんな活気に満ちていた頃の街並に全国から集まった8軒の店が営業して、ラーメンを一番おいしく味わえる環境を作るというのがコンセプトである。博物館には日本で初めて作られたラーメンのレプリカや全国約320店から集められたラーメンどんぶりなどの貴重な品々や、インスタントラーメンの開発の足跡など、ラーメン文化と歴史が分かる展示ギャラリーが常設されている。 この博物館は新横浜出身で、元々ラーメン好きの岩岡館長が、街に欠けていると考えた話題性・飲食・駐車場の3つのキーワードを満たした新名所を作りたいと思ったのがきっかけとなっている。最初はラーメン屋が集まったテナントビルにしようと思っていたが、どうせなら単に食べるだけでなく楽しめる、目で見て触って五感で味わえるスポットにしようということになった。博物館というと見て終わりという一方的なイメージがあるが、ここはコミュニケーションのある博物館にしたかったそうだ。その思いがこの下町の再現につながったのだろう。「ディズニーがラーメン屋さんを作ったらどうなるだろうという発想からできたのがモチーフです」と広報の武内さんが話してくれた。 この博物館で勤務するスタッフのラーメンに対する愛情は並大抵のものではない。武内さんは高校時代から現在に至るまでラーメン店を食べ歩き、今でも月4、50食は食べるほどのラーメン好きで、某テレビ番組の東京ラーメン王選手権で優勝した経歴を持っている。「ソバやうどんのように格式や伝統がなく、『何でもあり』で、日本一がいくつあってもいいようなところが面白い」という。 再びラーメンの街を歩いてみた。駄菓子屋の店の中では店員の老人と中学生が石原慎太郎の話を熱心にしている。ふと屋根を見上げると鳩がとまり、交番の若いおまわりさんに声をかけると町中のことを詳しく説明してくれた。人情味のある街−現代にない温かさを感じた。 この頃には携帯電話やインターネットといった便利なものはなかったろうが、今ではもう失われてしまった良さがここにはある。この時代に生まれてみたかったなと素直な気持ちで思った。単なるラーメンの博物館で終わらせない、ラーメン好きのスタッフの熱意が伝わってきた。 学生編集委員白金通信1999年4月号)
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