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2007年度エッセイ

白金通信「紙上カウンセリングQ&A」より

学生相談センターにどうぞ

Q. 私は4月に入学した1年生です。明学は第一志望ではなかったのですが、二浪はできないし、両親の勧めもあって決めました。入ってみて特に不満はありませんし、周りの人たちも良い人ばかりで、新たな気持ちでがんばっていこうと思っています。相談センターというと、もっと深刻な悩みの相談なのかなとも思ってしまうのですが、こういうことも受け付けているのでしょうか?
A. 新入生の方々にとって、これまでの目標であった大学入学という課題がひとまず達成された今は、ほっと一息つくと同時に、今後の新たな目標や課題を探そうとしている時期なのかもしれません。しかし、目標や課題が100%達成された、自分の努力が完全な姿で実を結んだ、と思えるようなことが常に続くとは限りません。大学入学についても希望どおりにいかなかった方もいるでしょう。「なんとなく納得していない気持ち」があるのなら、学生相談センターを利用し、その気持ちについて少し整理してみたらいかがでしょうか。それによって今後の学生生活を組み立てていくための手がかりが見えることもあるでしょう。
学生相談センターでは、臨床心理士が皆さんの学生生活をサポートするために様々な問題について相談に応じています。今回のような相談ももちろん受け付けています。こんなことぐらいで、と思わずにどんなことでも気軽に相談してください。
大学生活は、いままでの学校生活と異なり、主体的に自分で行動しなければならない場面が増えてきます。人間関係も授業、サークル、アルバイト先など領域が広がり複雑になります。対人関係でうまくいかない、と思うときがあるかもしれません。
また、大学生という時期は、精神的により成熟していく時期です。その過程のなかで自分の性格をみつめなおしたり、今まで身近にいた家族との関係をあらためて考えることも、大学生活の様々な局面であるのではないでしょうか。
そして、大学卒業後のこと、将来の職業選択を現実的に考えるという課題も大学生活のなかにはふくまれています。大きな不安を感じている方もいるかもしれません。それから、様々な理由から精神的な健康面で調子を崩すこともあるかもしれません。気分が不安定で落ち込むなど、こころの健康についても相談に応じています。
大学生活をすごしていくなかで、このほかにもいろいろな悩みや問題を抱えることがあると思います。そんなときに学生相談センターをご利用ください。
(白金通信2007年4月号「紙上カウンセリング」より転載)


親機能の回復について

Q. 高校まで特に問題のなかった娘が大学入学後、情緒不安定となり、幼い子どものように甘えてきたかと思うと、これまでの親の育て方を責めてきます。どのように接すればよいのでしょうか。
A. 青年期というのは親からの自立がテーマになる時期ですが、このとき未消化のままになっていた乳幼児期における親からの分離のテーマが再燃し、顕在化してくる場合があります。十分に満たされなかった甘えやそこから生じた怒り、そのような本音を抑え、現実的に適応するために築かれた「偽りの自己」がもたらす空虚感や無価値感といったものが、親から自立し、社会の中で自分という存在を再構築していくことが求められる大学時代において向き合い、乗り越えなくてはならない問題として表面化し、混乱をもたらすのです。
このようなとき親としては「もう大人なんだから、もっとしっかりしなさい」とどうしても言いたくなります。しかしこれは逆効果なのです。むしろもう一度幼い子どもを育てるつもりで、本人の甘えや怒りに対して(戒めたり、説得したり、指示したりするのではなく)手当てすること、世話することが必要です。状態が落ち着いていくまで半年、一年、あるいはそれ以上の時間がかかる場合があることも覚悟しておく必要があるでしょう。したがって親の側には相当な忍耐が必要となります。
またその一方で、矛盾するようですが、親自身のゆとりも大切です。親が自分の人生を肯定的に生きられていること、楽しみながら生きられていることが子どもに安心感をもたらし、また子ども自身が自分の人生を肯定的に、創造的に生きていくことにつながっていきます。
実は学生相談センターには今回のようなご相談がしばしば寄せられます。お話を伺っていると、さまざまな事情で親機能が十分に果たせなかったということが理解されます。そしてそのことで親自身が傷ついていたり、罪悪感、無力感を抱いている場合も多いように思われます。
したがって子どもの回復のためには親がまず回復し、親機能を取り戻していくことが鍵となります。その過程において親が自分自身のこれまでの生き方を変える決断を迫られる場合もあるでしょう。それゆえに親自身が誰かに話を聞いてもらったり、助言を受けながら、自分や家族について振り返り、気持ちや考えを整理していくことが実りをもたらす場合が多いのです。
(白金通信2007年6月号「紙上カウンセリング」より転載)


心身の不調はこんな危険信号から

Q. それほど深刻な悩みではないのですが、夏休みの中ごろから寝つけない夜があります。深夜ラジオを聴きながらいつのまにか寝ているようなのですが、翌日は朝からだるいので自分らしく過ごせません。近くの内科では「夏の疲れだろう」と言われました。でも身体の調子が…。こういうことは、学生相談センターで聞くいてもらえるのでしょうか。
A. 日常生活がうまく廻ること、それは大学生活を有意義に過ごすために不可欠で大切な要素ですね。例えばこの方のように睡眠が思うようにとれないと、授業に手中できませんし、サークル活動やアルバイトにも支障を来たします。また人によっては不眠ではなく、逆に過眠、つまりいくら寝ても疲れが取れず寝足りない傾向になる方もいます。心身の不調は睡眠の過不足として現れるだけではないようです。例えば食欲についてはどうでしょうか?食欲がわかない、お腹はすくけれども心のどこかが食べてはいけないというストップをかけるので、結果として食事をしない、普通に食事をしても満腹感が得られないために過食して後悔する、などの例も日常生活がうまく廻らない上体といえるでしょう。これらの身体の症状は心の不調を表す最初の危険信号のようなものかもしれません。
では、なぜこのような不調が生じるのでしょうか。もちろん身体そのものの病気を第一に考えないといけませんが、中には『うつ病』など、努力や頑張り、心がけだけでは補えないような病気が背後に隠れていることもあります。その場合には早めに適切な対処をすると、早期に回復する可能性がでてきます。また中には自分で気づかないストレスが絡んでいる場合もあります。自分では敢えて気にしないようにと脇に追いやったような心の悩みやストレスに心当たりはありませんか?例えば四年生には就職の面接の困難さや進路選択の是非や卒論。三年生にはこれから始まる先の見えない就職活動やゼミ。また単位取得、友人関係、家族内の悩みはどの学年の皆さんにも共通しているかもしれません。悩みとして悩まないでいる様々な想いがストレスとなって、自分でも望まないところで日常生活の様々な行動に影響を与えているのです。たとえ現実的に問題解決に至らなくても、その問題を自分のものとして悩み、葛藤することも時には必要になるのです。
学生相談センターでは、このような相談にも応じています。一人で考えているだけではなく、第三者に話すことで何かが少し変化したら、それが状況を変えていく糸口になるかもしれません。そんなことを願いつつ、皆さんのご相談をお待ちしています。
(白金通信2007年10月号「紙上カウンセリング」より転載)


職業選択とアイデンティティー

Q. 就職先の内定はいくつかもらえたものの、まだやりたいことがはっきりしておらず、どこにすればいいのか決められません。いつも親の言う通りに動いてきたからでしょうか。こんなことでこの先やっていけるか不安です。
A. 職業は自分が何者であるかを全て語ってくれるわけではありませんが、今の時代少なくとも何割かを占める重要な柱です。複数の選択肢から一つを選ぶのは勇気と覚悟が要ることでしょう。その決断が人生を決めてしまうかと思えば尚更です。しかし平均寿命が延びて青年期も30才位までと捉えられるようになり、まだモラトリアムでいられるとの考え方も出てきました。社会人になれば当然責任の担い方は変わりますが、自分が何者かを見極めるプロセスとしての職業選択があってもいいのかもしれません。実際いろんな仕事を経験して初めて自分に向くものを見つけられたという人もいます。
人生の選択とアイデンティティーとは密接なつながりがあります。早くから進路を決め一直線という人、迷った末ようやく選べる人、決めた後まで悩む人、色々ですが、どれがいい悪いではなく、悩み方、選択や決断の仕方などにその人らしさが出るものです。その自分らしさを受容できるかどうか。自分に自信が持てなかったり自分を好きでないと、どんな選択肢であれ不安が生じるものかもしれません。
今回もし成り行き任せになってしまうとしても、大切なのはどんな気持ちでどのように選んだかを心に刻み付けておくことだと思います。長い人生、流れに身を任せざるをえない状況もあるでしょう。そう言うと受身的で主体性がないように見えますが、実は身を任せるという決断が必要だったりもするのです。何も考えずにただ翻弄されるのと、流れ行く先を見据えることが妥当と判断したのとでは意味が違います。心構えやスタンスを明確にしようとする姿勢があれば流れの中で次の手を考えることも可能になるし、選べないのか選ぼうとしないのか、そうしたあり方や自己を見つめる眼さえ失わなければ、いつからでも方向転換できるのではないでしょうか。
何事も自らの意思で決めたとき、それは受身ではなく主体的な生き方につながるものとなるはずです。要は自分と自分の人生に、どれだけ意識的に関われるかどうかだと思います。ですから、こんなふうに生きたいというイメージを持つことも大事です。漠然としていようが、まず意識することが重要なのです。親の意見に左右されてきたならばその自覚をしっかり持ち、同時になりたい自分をデザインすること。それが自立と自己形成への着実な一歩になると思います。
(白金通信2007年12月号「紙上カウンセリング」より転載)


クウキガヨメナイ

「空気が読めない」というからには、読めるべきだ、読めたほうが良い、というのがおそらく前提なのだろう。真っ向から反論できないのは「対人関係を大切にしている」という主張が含まれているからかもしれない。最近、「KY(クウキガヨメナイ)」という言葉を聞くことが多い。ある集団の中で、それが動的静的かは関係なく、ある個人がその場に発生している暗黙の了解を察知できずに行う言動への非難、軽蔑が含まれているらしい。空気は、雰囲気みたいなもので、それを大切にしましょうということなら、「察する」「気持ちを汲み取る」などの言葉があったはずである。「KY」のミソは否定形にあるらしい。だから、言葉にすると不味い、身も蓋もないことをわざわざ言うお前はバカか?と言われた気がして、言われた人が傷つく、らしい。
こうした人物は程度の差はあれ存在するだろう。中学・高校生活ではいじめの標的とマーキングされるのが容易に想像できる。大学生活は集団の拘束力が緩いからいじめまで発展することは少ないかもしれないが、浮いた人物として扱われる。
そもそも今なぜ「KY」というようなことが強調されるのか。今の大学生世代は、ゆとりと個性重視をスローガンにした教育を受けてきたのではなかったか。「KY」の強調は、お前、はみだしているぞ、個性を発揮するな、ということではないか。そもそも本当の個性は伝達不能なはずで(伝達可能な方法を見出すか否かが社会的価値を獲得できるかどうかの条件の一つだろう)、本人からしてみれば周囲が「KY」のはずである。個性を甘くみたスローガンの副作用か。
会社のスローガンとして「コミュニケーション能力重視」と聞くことも多くなった。これは職業の大半をサービス業が占めるようになったからでもあるだろう。職人に「コミュニケーション」を要求するのは二次的、三次的な理由からだろう。それは別の問題であると思う。コミュニケーションが大切というスローガンも反論が難しい。皆が肯定せざるを得ない。その一方で「自主性、独創性の重視」と言われる。この二つはセットではないのか。
コミュニケーションが大切なのは言うまでもなく、気持ちを汲み取る機能が軽んじられる対人関係社会に棲みたいと思う人はあまりいないだろう。個性の方は大切云々以前に、実際に存在するものだから折り合いをつけつつ受け入れるしかないのではないか。こうした当たり前のことから問題が生じる場合、反対側が見落とされていることが多い。どうあっても伝達できない個性が誰にでもあり、それゆえ人と人がわかりあえない領域があり、しかし、それがその人たらしめているものでもある。
そうした意味で「KY」がことさら強調される社会はコワイ。空気だけでは済まなくなるのが目に見えているからである。「限定つきだけれども、多様性を許容することが望まれている」ような社会にワタシハスミタイ。みなさんはどんな社会に棲みたいですか。
(白金通信2008年3月号「紙上カウンセリング」より転載)

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