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2011年度エッセイ

白金通信「カウンセリング」およびポートヘボンお知らせより

自分らしさと不安

Q. 一緒にいるグループのなかで、自分をうまく出せません。みんなの話を聞いていることが多いです。自分も話を盛り上げたいとは思いますが、言ったあとのリアクションが気になります。一緒にいて苦痛に思うときもありますが、でも一人になるのはいやなのです。こういう考えは矛盾しているのでしょうか。(架空相談)
A. 大学生という時期は「自分」ということがとりわけ気になる時期のようです。もちろん自分のことはいつでも気になるものですが、中学、高校時代よりも「社会と自分との関係」という装いで一層気になってきます。自分は果たして皆の中でやっていけるだろうか、という不安が見え隠れしてきます。
皆とおなじでいたい
自分ひとりが取り残されることは恐ろしいことです。それでもいいと言い切れる人は少ないでしょう。皆から外れないでいることは消極的な価値しか持っていないわけではありません。皆が考え、感じたりしていることを、自分も感得し、同じように振舞えることが出来る。これは世の中で生きていくためには必要不可欠な技量ともいえます。大学までの学校生活もどちらかというと協調性の獲得に重点があるように思えます。
他の人とは区別される独特な自分
しかし、周囲と同調し、流れのなかにいることには安心感もあるものの、その中に埋没することには焦りも出てきます。他の人とは違う、独自の自分でありたいという願望もせり出してきます。固有の時間をこれまで過ごしてきた現在の自分ですから、皆と同じ流れに回収しきれないのは当然のことです。ただ、そんな自分を表に出して果して受け入れてもらえるのだろうか、という不安も生じるのだと思います。皆の中にいつつも、他の人とは違う自分でもいること、相談者もこの課題に取り組んでいる最中なのでしょう。矛盾した考えとは思いません。他の人との関係を絶てば独自の自分が生まれてくるわけではありません。自分を形作るためには他の人との関係は欠かせません。とはいっても、そこはそれぞれのペースと事情があることと思います。周囲と自分との関係をどうしたいか、自分はどうなりたいかなど整理してみたらいいかもしれません。
(白金通信2011年4月号「カウンセリング」より転載)

新学期に向けて

 東日本大震災で被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 このような事態になったことでのお悩みなどありましたら、どんな些細と思われることでも、学生相談センターをご利用いただければと思っております。
 さて、今年は例年より1ヶ月ほど遅れて新学期が始まりました。新入生の方は、大学という新しい環境に入ることに期待や不安もある中で、このような事態も重なり、「みんなについていけるかなぁ?」という不安があってもおかしくないと思います。在校生の方も「今学期はどうなるんだろう?」という戸惑いがあったりしても自然かもしれないです。
 このような大きな変化があった時、人間の体と心の仕組みとして、自分で気づいていなくても、自然と変化に馴染もうとしたり、変化から身を守ろうとして、いつもとは違うエネルギーの使い方をしやすいようです。そしていつもと違う調子になりやすくもあります。時には、いつも以上に元気でテンションが上がることもありますし、落ち着かなかったり、イライラしたり、考えがまとまらなかったりすることもあります。あとは「ご飯を食べ過ぎちゃう」、逆に「食べたくない」とか「ぐっすり寝れないな」ということも出てきます。
 そういうときに頭に留めておくといいと言われていることがあります。それは「もともとの自分と比べて今はどうだろうな」と考えてみることです。「もともと大人しいタイプなのに、やけに今は積極的に動いているなぁ」とか、「普段そんなに考え込まないのに、やけに悩みすぎてるなぁ」とか。まずはそういう普段と違う自分の変化を感じとることです。そして、いつもと違う自分に「状況が大きく変化するとそれに対処するために、一時的に調子が変わるのはごく自然なことなんだ」と自分に言ってみることが自分の支えにもなるようです。そうすることが気持ちが落ち着きやすくしたり、普段の自分らしさを取り戻しやすくもするようです。「前より元気だから今の方がいい」と思う方もいるかもしれませんが、後になって疲れが出ることもありますので、頭に留めておくと対処しやすいみたいです。
 ですが、今回のようにかなり大きな変化がある場合、なかなか調子が戻らなかったり、普段と違いすぎることがあってもおかしくありません。そういう時に誰かに話してみることも自分らしさを取り戻す一般的な解決方法の一つです。家族や友達以外の第三者に話してみようと気軽に学生相談センターを利用してみるのも一つだと思います。
(ポートヘボン「お知らせ」(5月)より転載)。


自分を知るには

 自分はどういう人間なんだろう。こういった問題のまわりをぐるぐる回っていると、なんだかくたくたに疲れてしまいそうです。そんなことにはもともと興味がなくても、就職活動のただなかでは、自己分析を明確にしなければ、という気持ちがプレッシャーとなって、考えたくなくても考えないといけない状況に焦っている人もいそうな気がします。
 思うに、自分のことを自分で考えるには限界があるのかもしれません。自分のことを考えてる自分がいるとして、その自分のことを考えてる自分がいて・・・と無限に連なって収集がつかなくなります。逆に、自分の内面を極めようとして、自分の表層の皮をむくように剥ぎ取っていくと中心にゆるぎない自分の核のようなものがみつかるでしょうか。保証はできません。そこまで極端なことを言わなくても、自分のことを考える自分も、出所は自分なので、視点や理解の仕方に一定のパターンがあり、そこから抜け出すのは案外むずかしいように思います。
 日常生活で自分の姿などを確認する道具に鏡があります。鏡に映して自分を見ます。自己イメージとは大きく違う姿が映し出されることもあるので、不満げな人もいますが。(もっとも鏡像なので実物ではないというのはその通りでしょう。)
外見的な姿ではない自分を知るためにもなにか鏡に相当するものが必要なのかもしれません。
 自分が成り立つのは、やはり人と人との関係のなかで生じる様々な気持ちや考えのなかからだと思います。だから、自分とは異なるほかの人(達)が自分を知るためには必要なのだと思います。他の人に手取り足取り教えてもらうということではありません。自分について近づこうとするにはどうしても自分とは違う他のものを一度経由せざるを得ないのではないかということです。
(ポートヘボン「お知らせ」(6月)より転載)。


内なる親との出会い

Q.母子(娘)家庭で厳しく躾すぎたのか、最近よく喧嘩になります。彼氏ができてからは特に、優しい両親を持つ彼を羨ましがり、私やだらしなかった父親への不満をぶつけては家を出たいと言うようになり、困惑しています。(架空相談)
A. 親子の距離
 娘さんを遠く感じるとのことですが、仲良し親子だけが近しいわけではなく、むしろ近すぎるのではないでしょうか。例えば喧嘩も理想的な母親像と現実とのギャップに苛立っているにすぎず、それは母への期待が大きいということで、好きだからこそ不満が募るのかもしれません。そこを見落とすと彼女の本当の姿を見失ってしまいます。厳しい躾も何を伝えてきたかが重要で、もし理想論や建前ばかりで叱っていたら、親自身のあり方を問われることもあるでしょう。
  心の旅と親探し
 家族とはその亡き後でさえ心を揺さぶり、人生に影響を与え続ける存在ですね。娘さんは他の家庭を知るにつけ、自分の家と比べてあれこれ考えているようにも見えます。だらしなかった父親を未だに責めるのも、母の心に残る父の別の姿を探しているのかもしれません。子は親の本音を知りたがるものですが、望まれて生まれたのか愛されているのかなど出生の背景や存在意義に不安があれば尚更です。
 青年期という子どもから大人に向かう旅路は、親子関係についても大人同士の関係へとその質の変化を求めてきます。だからこそ旅の過程で親の真の姿を見たい本当の声を聴きたいと願い、感情をぶつけることもあるでしょう。
 可愛い子には旅をさせよと言いますが、若者が一人旅などで飛躍的に成長することはよくあります。心の旅も同様で、家族との歴史や地図を見直すことで新しい発見をしたり、近すぎて一部しか見えていない親から一旦距離を置くことで良い所も悪い所もある全体としての親と出会える可能性も生まれます。娘さんは無意識にそうした心の旅を始め、これまでとは異なる新しい関係性を築こうとしているのかもしれません。
(白金通信2011年7月号「カウンセリング」より転載)


現代の若者のうつについて

Q.消極的でマイペースなところがあるものの、特に問題なく過ごしてきた息子が、最近気分の落ち込みややる気のなさを訴えています。厳しい就職活動がきっかけのようです。自分の好きなことをしているときは元気なので、ただ甘えているようにも見えるのですが、どう理解すればよいのでしょうか。(保護者からの架空相談)
A.秩序を重んじ、責任感が強く、几帳面で、課題に熱心に取り組むタイプの人が、がんばり過ぎて燃え尽きてしまう形で発病する、というのが従来のうつ病の典型でした。
  ディスチミア親和型うつ病
 これに対して、秩序をストレスに感じ、自分自身への愛着が強く、他罰的で、回避や無気力の傾向が目立ち、漠然とした抑うつや倦怠感を訴えるタイプのうつ病が若者に増えていると言われています。若くして亡くなった精神科医、樽味伸氏が唱えたディスチミア親和型うつ病と言われるものです。   自己愛と競争の狭間で
 ディスチミア親和型うつ病の概念については現在さまざまな検討がなされており、まだ定まっていないところもあります。しかし、規範や競争よりも自由や個性を尊重する風潮もここに極まれりという時代に育ち、前述のような自己愛的、回避的な性格傾向を身につけた若者が、これもまたかつてなく激化した競争社会にいきなり放り込まれ、そのギャップによって不調をきたすというディスチミア親和型うつ病を巡る議論には、彼らの心の問題を考えるにあたり、確かにうけずけるところがあります。
 このような現代の若者が抱える共通の問題として息子さんの状況、状態を理解できるところもあるように思います。彼らの心性は、高度成長期の社会の中で育ち、大人になった親世代とはずいぶんと異なっているという認識が必要でしょう。
 サポートする際には、一方的な説得や叱責、放任ではなく、不全感、無気力感といった心情を理解しつつ、直面している問題をいっしょに考え、整理し、現実的な対応を促す「ほどよい大人」のスタンスが望まれます。
(白金通信2011年10月号「カウンセリング」より転載)


心理テスト体験プログラム

 秋学期に入って1ヶ月が経ち、秋も深まってきました。白金祭が近づいてきて、これから白金キャンパスは普段とは異なる非日常のムードに包まれていくのでしょう。一方で就職活動に本格的に取り組み始めている、あるいは就職活動の追い込みの時期を迎えているという皆さんは現実と向き合いながら、気の抜けない日常を送っているのではないかと思います。
 学生相談センターではそうした就職活動に取り組んでいる皆さんをサポートするために、自分がどのような職業領域に興味をもっているのかを明確化し、自己理解を深めることを目的として「VPI職業興味検査」を11月22日(火)に白金キャンパスで行います。
 就職活動には試行錯誤や回り道がつきものですが、まず手始めに自分がどのような職業領域に興味があり、そこには具体的にどのような職業があるのかということを知っておくことは、より実りのある就職活動を行うために必要不可欠です。
またこれまで就職活動を続けてきたけれど、なかなか結果に結びつかない、煮詰まっているという4年生以上の皆さんにとっても、今一度基本に戻って自分の興味、関心を確かめてみるという作業が膠着した状況を打開していく手がかり、足がかりになる可能性があります。
 3年生以上の皆さんにはぜひ参加してみることをお勧めします。また就職活動を本格始動するにはまだ間がありますが、1、2年生の皆さんの参加も歓迎します。
尚、横浜キャンパスでも11月9日(水)に職業への興味や職業遂行の自信に関する理解を促すことを目的として「職業レディネステスト」を行います。1、2年生を主な対象としていますが、こちらも本学学生ならばどなたでも参加できます。
(ポートヘボン「お知らせ」(10月)より転載)。


進路選択に悩んでいる人へ

 青春の熱気に沸いた白金祭が終わり、キャンパスにはまた元の落ち着きが戻ってまいりました。皆さんそれぞれ参加の仕方は違っていたとしても、これからは気持ちを切り替えてそれぞれの現実に立ち向かうことになりますね。
 3年生にとっては自分の進路に向けて本腰を入れなければならない時期ですが、最近は就職活動が早まっていますので、自分がどのような人間であり、どのような人間になろうとしているのかについての充分な検討をしないまま、進路を決めざるおえないという状況に追い込まれている人もいるのではないかと危惧しています。
 将来を予測した進路の選択や就職活動の基盤になるのが大学生の発達課題であるアイデンティティー(自我同一性、自分らしさ)の確立です。自分のやりたいものがない、何をしてもむなしいと無為に過ごしている人はもちろんのこと、自分の選択はこれでいいのか、これでやっていけるのか、あっちの方がよかったのではないかなど、自分の気持ちが揺らいで悩んでいる人がいらっしゃいましたら、今からでも遅くはありません、相談センターに話しにいらしてください。悩みを整理することによって気持ちが落ち着き新しい意欲が湧いてきます。人に頼るのはどうもと抵抗のある人も、必要なときに人に頼るのは甘えではありませんから勇気を出していらしてください。
カウンセラーは守秘義務を守っていますので何を話してくださっても大丈夫です。話すのが苦手という人には絵や箱庭による自己表現も可能ですし、夢のイメージを語っていただいても結構です。相談室は気軽なこころの居場所です。そこでのカウンセラーとの自由で自然な会話ややり取りが救いとなって自分の内面への理解が深まり、アイデンティティーの確立という精神的な成長が促されます。少し時間をかけてこの内的な仕事を成し遂げると、自分が何に向いているのかがはっきりつかめて、進路の選択も卒業後の現実生活に繋がる職業選択もスムーズにできるでしょう。
 今年は東日本大震災や不安定な世界経済の影響もあって、目下、秋冬採用に挑戦している最中の4年生にとってはとても厳しく不安材料もあるのではないかと思います。具体的な情報や面接の心得などについてはキャリアセンターに相談するとしても、内面的、心理的な悩みでお役に立てそうなことがありましたら、相談センターに遠慮なくお話にいらしてください。ストレスをできるだけ溜めないようにして、自信を持って試験や面接に臨めるよう、その対策を一緒に考えていきましょう。
(ポートヘボン「お知らせ」(11月)より転載)。


就職の方向性を見直す時

Q.公務員志望で試験勉強をしてきましたが能力の限界を感じています。勉強の意欲も効率も落ちて、机に向かうこと自体が苦しいです。企業の説明会に行ってみようとも思うのですが、親に今さら言い出しづらく、就活に意欲的な友人に引け目を感じます(架空相談)
A. 一つの目標をもってここまでいらしたのですね。公務員の夢が、自分を奮い立たせる原動力だったのでしょう。大学の出口が見えてくる時期には、社会との関わり方を再度捉え直し、新しい価値観を見出す必要性に迫られるのです。
  現実との新たな出会い
 私たちは日々迷い、選択し、何かを切り捨てて生きています。夢に向けて努力し初志貫徹することは美しいですが、現実はそうもいきません。立ち止まり無理だと思うと悩みます。それでも猛進するうちに身体が悲鳴をあげます。気づかない振りでさらに邁進すると、意に反しておかしな症状が出ることもあるのです。立ち止まることには意味があるのですね。夢の諦めには悲しみがついてきます。しかし自分を遠くから見つめているもう一つの自分の目には何が見えるでしょうか。現実に向き合ううちに自分を活かし易い新たな世界がぽっかりと見えてくることがあります。その道へ踏み出すことは本当に諦めや断念なのでしょうか。
   宝探しの伝説
 新たな価値観、等身大の自分の役割の獲得こそが青年期の心理的課題であり、珠玉の宝なのではないでしょうか。「不老不死の妙薬を探しに旅立ち別の宝を持ち帰る伝説」のように。持ち帰る宝は妙薬よりも余程役に立つものです。それも当初の夢に向けての旅立ちと紆余曲折なしには得られません。幼い頃の夢に牽引され、大学時代に現実と擦り合せ、広い視野に立脚した価値観を手にして卒業する時、自分の選択に納得し、自信をもってそれを受け容れることができたら、卒業後も前に進み易くなります。自分の日々の迷いを一緒に眺めてみませんか。その中に本当に価値のある何かが隠されているかもしれません。
(白金通信2011年12月号「カウンセリング」より転載)


ふゆ・物語

 新たな年、2012年が始まりました。東日本大震災の影響でひと月遅れの5月から始まった2011年度も、残すところあと2ヶ月ほどになりました。
 一段と寒い毎日が続いていますが、みなさんは冬という季節からどのようなイメージを抱かれるでしょうか。寒くて朝起きられない、お正月に御馳走を食べすぎて後悔している、クリスマスやお正月などの行事が楽しみ、他の季節に比べて昼間の時間が短く陰鬱な感じがする、風邪やインフルエンザが心配、など思いつかれるかもしれません。
 今回は、この「冬」という季節にまつわる、ちょっと古いお話を取り上げてみようと思います。
 古代の人々は、自然現象や天体の動きなどを深く生活の中に取り入れて生きていたと言われています。科学の発達した現代を生きる私たちにはちょっと考えられないことかもしれませんが、たとえば昼の長さと夜の長さは年間を通じて変化していくわけですが、そういう現象を、目には見えないけれども自分たちにとって大切な存在である精霊というものと関連づけて捉えていました。昼と夜の長さが同じになるのが「春分と秋分」、昼の長さが最も長いのが「夏至」、そして夜の長さが最も長くなるのが「冬至」です。
 昼と夜の長さが最もアンバランスになる「夏至」と「冬至」の時期には、多くの祭りが行われます。「夏至」の時期のお祭りは、のちに仏教の影響を受けて「お盆」の行事となりましたが、もともとは死者の霊や精霊を心をこめてこの世にお迎えし、その来訪を喜び、祝うというものでした。この時ばかりは、日常のしがらみや義務などを忘れて自分の心を精霊とともに遊ばせるのです。人々はそうやって自分の心を解放し、精霊から元気を分けてもらって、再び日々の労働の中へと帰っていくことができたのではないか、と考えられます。
 「冬至」の時期にもやはり精霊を迎えるお祭りが行われましたが、「夏至」とは違って、この時期は特に、精霊の増殖と霊力の蓄えが行われる、と考えられていました。「冬(ふゆ)」という言葉は、「ふえる」「ふやす」を表す古代語の生き残りと言われています。古代人は冬の間、狭い室(むろ)のような所に籠って、霊力を増やす儀礼を行っていたと言われています。そこに現れる霊は「鬼」の姿をしていることが多いらしいのです。節分の鬼や秋田のなまはげなどにも関係ありそうです。世界の中に、そして人々の心の中に増え、しっかり蓄えられたエネルギーが、「鬼」という力強い存在によって象徴されているのかもしれません。そしてその蓄えられたエネルギーがあればこそ、春・夏・秋の生活を送ることができる。古代の人々は、そのような世界観に支えられて生きていた、と言えるのではないでしょうか。
 人間には古代から、このように自分自身を世界や自然や時間の流れの中に位置づけ、それらとの関わりの中に意味を見出し、その意味を大切に扱い、そこから生きる活力を得る、という知恵が備わっていたと考えられます。私たちは日々科学技術の恩恵を受け、スマートに生きることができていますが、電気エネルギーを生み出す仕組みについての知識は持っていても、こころのエネルギーがどのように補給され蓄積されているのか、ということについては、もしかするとあまりわかっていないかもしれません。時には、間違いなく私たちの祖先である古代人たちが抱いていたこのような世界観について、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
 (参考文献: 中沢新一 『古代から来た未来人 折口信夫』 筑摩書房 2008)
(ポートヘボン「お知らせ」(1月)より転載)。


春休みに思うこと

 春休みとはいえ、寒い日々が続いていますが、いかがお過ごしですか。さて、春休みは4月に学期がスタートして、締めくくり、仕切り直しの時期にもなります。大学生活は、のんびりしているようでも、授業を始めとする学業、友達付き合い、恋愛、家族との関わり、サークル活動、アルバイト、趣味、将来についてなど気づかないうちに、自分の時間を失ってしまいがちです。そこで、この春休みに一息ついて、自分の時間を取り戻し、自分自身を見つめ直してみるのはいかがでしょうか。
 まず、現在の自分自身はどういう状態なのかを考えてみてはいかがでしょうか。例えば、秋学期に心身の調子が優れないため、思うように授業に出席できず、単位取得があまりできなかった。そのような時は、心身の調子が優れなくなったことに何か思いあたることはないか、調子の優れなさと言ってもそれはどのように調子が優れず、どの程度なのか、どのくらい続いているのか、調子の優れなさを回復させるために行ってみたこと、そして、行ってみたことの結果はどうだったのか。このように振り返ってみることで、調子が優れない状態が明確になってくるのではないでしょうか。中にはどう考えても自分が怠けていたからだと自責の念に囚われてしまう方もおられるかもしれません。怠けだと自己認識したとしてそれを改善できれば問題ありませんが、ただ自分を責めても改善には結びつきません。やる気が起きない、外出するのが億劫だ、どうにかしようとは思うが考えられないなど、調子の優れない状態は様々です。どの人にも調子が優れないと感じて、思うように動けない時はあると思いますが、それが普段の生活に影響を及ぼし授業や日常生活が困難になった時は、学生相談センターにいらしてみてください。
 授業期間に比べて春休みは、キャンパスが静かな時期となります。学生相談センターの相談業務は継続されていますので、この機会にゆっくりお話をしにいらしてみませんか。  
(ポートヘボン「お知らせ」(2月)より転載)。

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