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私の関わってきたこと、言われてみればボランティアです

ボランティアコーディネーター 田口めぐみ

5月13日は雨でしたが、私が所属するボランティアグループ「益田どんぐりの会」の毎年恒例のバーベキューの会が行われました。「益田どんぐりの会」は、障がいのある人と一緒に余暇活動を楽しむ市民グループです。障がいのある子どもや成人とその家族、一緒に活動を楽しみたい市民など賑やかな集まりです。

「益田どんぐりの会」では、毎月の活動ごとにその月のお誕生日の会員を紹介してお祝いの歌を歌います。5月生まれのA子さんは、「♪ハッピィーバースデーディアA子さん♪」の歌声に照れながらもニコニコ嬉しそうでした。周りから「抱負を一言」「何歳になったの?」と声がかかります。発話がはっきりしないA子さんに代わって横にいたお母様が答えられました。「これからも作業所のお仕事がんばります」「38歳になりました」

私は、今年で38歳になったA子さんが小学校に入学した時から知っています。その当時私はA子さんの小学校の通常学級の担任でした。A子さんが3年生になった時に、私は初めて特別支援学級の担任になりました。初心者としてどぎまぎして特別支援学級にやってきた私の手を引いてA子さん達が校庭の隅にあるウサギ小屋に連れて行ってくれました。A子さんは人参の切れ端を私に手渡して「あーあー」と言いながらウサギを指差します。「この人参をウサギに食べさせてみて。」と私に伝えてくれていたのです。発話がはっきりしない子どもとどうやってコミュニケーションをとるのだろうと不安に思っていた新参者の私に「そんなの心配ないよ。大丈夫だよ」とA子さんが教えてくれた出来事でした。

その後のA子さん達との学校生活は、私がこの仕事こそ一生の仕事と思えるような出来事の連続でした。ある時、学校外に出て町探検をしていると、A子さんが一軒の家の表札を指差して「あーあー」と嬉しそうにアピールします。「よそのお宅をそんなに指差しては失礼だよ」と思って止めようとして、その表札を見ると家族の一人に「めぐみ」という私と同じ名前が書いてありました。字が読めないと思っていたA子さんが、「めぐみ」という三つの記号のつながりを自分の先生の名前として認識していたこと、そして町並みのなかの小さな表札に同じ記号を見つけて私とつなげて必死で知らせようとしたことに衝撃を受けました。A子さんが私に対して強い興味と関心をもって見てくれていたこと、その根底にある深く純粋な親愛の情を感じました。反対に自分はこんなふうにA子さん達に対して尊重と共感の気持ちで接しているだろうかと振り返り未熟な自分を恥じました。「相手のことを心から大切に思うってこういうことだよ」と教えてもらった出来事でした。

A子さんはその後、中学校特別支援学級、特別支援学校高等部で学び、卒業後は「ひだまり」という作業所で働いています。「ひだまり」はA子さんのお母様が開設されその後、社会福祉協議会に運営が引き継がれた作業所です。「ひだまり」の運営委員になってほしいという依頼があり短い期間でしたが委員に名前を連ねさせてもらいました。公立学校で働いていた私にとっては、作業所の運営の厳しさを知り、理解を示して支えあおうとする人々の生き方に触れた経験はその後の糧になりました。

自宅から作業所に通っていたA子さんですが、保護者さん達が運営される入所施設「かがやき」が設立され入所することになりました。お誘いを受けてそこの施設の個人会員にもさせてもらっています。

あの時に8歳だった少女が、38歳のお姉さんになりました。ご縁が長く続いている人々がたくさんいる町で、その人たちと折々に関わりをもちながら暮らしています。その関わり方の一つの形がボランティアです。気がつくと色々な団体のメンバーにしてもらっています。小中学校で特別支援教育に携わったことで、その人達の成長の折々に、新しい関わりが広がり、ことさらボランティアをしているという気持ちではなくて、同じ町で一緒に生きている仲間達と暮らしを共有しつつ日々を過ごしています。
※このメッセージは、A子さんとご家族に許可をいただき公表しました。

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