松山巌の新刊『建築はほほえむ 目地 継ぎ目 小さき場』(西田書店)[bk1, amazon]と『住み家殺人事件 建築論ノート』(みすず書房)[bk1, amazon]を読むが、『群衆 機械の中の難民』(読売新聞社)のときほど感動しない。いまとなってはこれでもなお高踏的に過ぎる気がする。少なくとも、叙述が抽象的になってきている気がする。テキストにせよ街にせよ、もっと対象に具体的に付き合ってこその、松山節であろう。それがなければほんとに、ただのセンチメンタルな嘆き節だ。
とまれ、建築、住宅、都市についてもう少し勉強したいので、某所で評判の平山洋『不完全都市 神戸・ニューヨーク・ベルリン』(学芸出版社)[bk1, amazon]なども読んでみる。
暑いから創造的な作業ができない。ということで採点。「教育を軽んじるな!」とのお叱りは甘んじて受けます。合間あいまに、延々貯めこんだamazonギフト券で一気に買ったゲームボーイアドバンスSPでリメイク版『シャイニング・フォース』[amazon]をしこしこやる。なつかしい。しかしこのゲームボーイアドバンスというハードはどうにかならんのか。画面が小さいだけじゃなく暗い。半端じゃなく暗い。SPだとフロントライトをつけてやっとどうにか我慢できるという感じだが、いまの子どもたちほとんどが持ってる旧型機だと一体どうなるんだ?
子どもたちの目のために、とっとと外部モニタ出力用のデバイスを作ってくれ。(ゲームキューブに差し込む奴じゃなくて、ダイレクトの奴!)
SFとファンタジーとリアリズム文学の関係についていろいろ考える中、結局今のところもっとも参考にしているのは昔なつかし構造主義批評バリバリのツヴェタン・トドロフ『幻想文学論序説』(創元ライブラリ)[bk1, amazon]である。他方英米文学研究の最新モードに身を包むブライアン・アトベリー『ファンタジー文学入門』(大修館書店)はまったく使い物にならん。視野が完全に『指輪物語』以降のジャンル・ファンタジーに限定されてしまっている。一言で言うとダメヲタだ。
水谷三公『丸山真男 ある時代の肖像』(ちくま新書)[bk1, amazon]、著者の言うとおり『ラスキとその仲間 「赤い三〇年代」の知識人』(中公叢書)[bk1, amazon]の続編である。しかし著者にとって丸山は、直接教えを受けた師のひとりというにとどまらず、異見はいろいろあるにせよ、いかがわしい二流人、忘れ去られて当然のラスキとは違う、正真正銘の「本物」である。それゆえ、左翼が商売になった時代の知識人群像をシニカルに突き放して描いた前著とは異なり、本書は対象との正面からの対決になっており、読んでいて気持ちがいい。
石見徹『開発と環境の政治経済学』(東京大学出版会)[bk1, amazon]、掘り下げはともかく(学部教科書だし)、元マル経のいいところが出ているというか、目配りのよい入門書になっているような気がする。ただやっぱり「教科書」なんだな。読み物としての自立性がもう少しほしい。
ジョルジョ・アガンベン『開かれ 人間と動物 』(平凡社)[bk1, amazon]が出たので、さっそくめくりつついろいろ考える。「動物性」も困った問題だが、最近アレントの「世界」概念についていろいろ考えていたのだが(次回以降のインコミ『片隅の啓蒙』をみてくらはい)、どうやらハイデガーも同じ問題を、しかも「動物性」とからめながら追究していたようなので、ここはやっぱりこれまで避けてきたハイデガーを読まねばならんようだ。ということで『ハイデッガー全集 第29/30巻 形而上学の根本諸概念 世界−有限性−孤独 』(創文社)[bk1, amazon]を注文したのだが、それにしても困った。これからの人生、分析系で行こうと思ってたのに。しかし『現代思想』の先月号のマクダウェルとか読まずとも、分析系と大陸系との区別にこだわりすぎてもいいことないというのはたしかだし。そういえばサイモン・クリッチリー『1冊でわかる ヨーロッパ大陸の哲学』(岩波書店)[bk1, amazon]は解説の野家啓一の言うとおり「羊頭牛肉」のいい入門書ですな。