1943年1月7日、東京都港区高輪に生まれた。現在は世田谷に住んでいるが、中学3 年のころまでくらした高輪とその周辺の土地柄がなつかしく、いまでもときどき歩くことがある。 旧・東京市の南端に近い高台の町だから、坂や石段が多い。斜面にひろがる細い道々を進むにつれ、風景が移りかわってゆく。そんな不思議な空間体験が、その後の活動に関係しているような気がしないでもない。明治学院大学のある白金の町はその高輪のすぐとなりなので、このあたりの風土にちょっとした郷愁をおぼえ、それでここの専任になることをえらんだのだ──といってもいいほどである。 幼少年期のことは「教授としての自己紹介」の項で触れたのでくりかえさない。ともかく「見ること」が好きで、ついでに「書くこと」「描くこと」も好んでいたから、しぜんと文学や芸術の方向へ進んできてしまった。「見ること」のなかには見えないものを見ることや、見えているようでじつは見えていないものを見ることもふくまれる。そんなわけで、いわゆる非現実的なものや非合理的なものへの傾斜も強かったせいか、早くからデ・キリコやエルンストやミロやタンギーやマグリットの芸術作品に惹かれ、大学に入るころにはすでに、シュルレアリスムの文学・芸術一般に親しむようになっていた。 研究者としての専門領域はいくつかある。 まず第一に、アンドレ・ブルトンという20世紀の作家・詩人・芸術家。この人物が創始したシュルレアリスムという文学・芸術運動。これには何百人という文学者・芸術家たちが参加し関係していたので、一応、そのすべてが専門領域に入ることになる。 たとえば、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノス、ルネ・ドーマル、ジョイス・マンスール、瀧口修造、澁澤龍彦といった作家・詩人たち。さかのぼってギヨーム・アポリネールなども、さらにアルチュール・ランボーなどもその先駆者として関心の対象になる。 また、マックス・エルンスト、マン・レイ、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ、トワイヤン、ヴィクトル・ブローネル、ハンス・ベルメール、ジャック・エロルド、マックス・ワルター・スワーンベリ、ロベルト・マッタといった画家たちも。ごらんのように世界各地から集まってきた人々なので、芸術上の専門領域のほうはフランス一国にとどまらない。 第二に、シャルル・フーリエという19世紀前半の思想家。マルクス、エンゲルスの評価以来、「空想社会主義者」あるいは「ユートピア主義者」というレッテルを貼られていた特異な思想家だが、そうした通念をこえて、この人物の作品を一個の巨大な文学世界としてとらえようとしている。周辺の作家や社会主義者、神秘家──フロラ・トリスタン、ペール・アンファンタン、エリファス・レヴィといった人々もまたこの領域に加わる。さらにボードレール、ランボーをへてブルトン以後の現代作家たちにおよぶ、フーリエのひそかな影響ということも考えに入れなければならない。 フーリエにはたしかに独特のユートピア思想があったが、それはプラトンやトマス・モア以来の「理想国家」論とは似て非なるものだった。理性にもとづいて構築される管理・統制された閉鎖社会としてのユートピア(現代の日本にもその徴候がある)に対しては、私自身、フーリエやブルトンとともに異をとなえている。したがってこの専門領域は、正確にはむしろ「反ユートピア」というべきものかもしれない。 第三に、シャルル・ペローとメルヘン(おとぎばなし)。ペローは17世紀後半の文人だが、ヨーロッパでもっとも早くおとぎばなしを文章化したことで知られる。フランス語でコント・ド・フェ(妖精物語)と呼ばれるこの文学世界が、のちに加わってきたもうひとつの専門領域である。ペローのほかオーノワ夫人、ボーモン夫人のような作家たち、さらに文学・美術・映画・漫画にわたるメルヘン的なもの、神話・伝説的なもの一般が、じつは早くから関心の的になっていた。 ところで、第二のユートピア(反ユートピア)にしろ、第三のメルヘンにしろ、第一のシュルレアリスムと底を通じるものとして、たがいに切りはなされることなく目の前にある。いずれも通常のレアリスム(リアリズム)とはちがう、夢や驚異や綺想につながってゆく傾向のある領域だが、それらをも一種の現実として、あるいは現実と地つづきの「超現実」として見ているのだといってもよい。 ついでに、そんな「超現実」の思想が生活上のあれこれにも反映しているというところに、独自の立場があらわれていると考えられてよいかもしれない。批評家の四方田犬彦氏は「巖谷さんはシュルレアリスムの研究家として著名だが、研究対象というよりむしろ彼の物事を見る眼自体がシュルレアリスムの驚異の哲学を体現しているような人物である」と書いているが、たしかにそんなところがなくもないように思える。 そういえば「趣味」(ホームページ作成のためのアンケートの一項にあった)のことを書きわすれていたが、性来、この趣味というものがあるようで、ない。好きなことはみんな専門とつながって、不可分の一体をなしてしまうかのごとくである。そんなわけで、求められて書くテーマには、以上の専門領域に入らないように見えるものもあり、文学一般、美術一般、映画、マンガ、食物や住居やモード、都市、庭園、旅、等々へとひろがってゆく傾向もあらわれているが、しかし、それらもまたシュルレアリスムと連続するかぎりにおいてとられている、というふうに理解していただいてかまわない。 そのほか、1980年代からは旅行家・紀行作家としての活動をはじめ、最近はその関係の著書がふえている。また写真家としての肩書もあって、2000年以後、四度の写真展をひらいていたりする。講演をすることも多い。だがそうしたすべてが自分のなかでは連続性として体験されている──ということもつけ加えておくべきだろう。 それにしても、今回のように細分されているアンケートに答えることはどうも苦手である。そこでやむをえず、各項について問われている大まかな方向をこちらで自由にとらえなおし、大まかな文章によって応じるという方法をとった。諒とせられたい。 1996/2007 |