2001年12月

12月22日

 デイヴィッド・J・チャーマーズ『意識する心 脳と精神の根本理論を求めて(林一訳、白楊社)はいかにも今日の「心の哲学」の著作にふさわしく、認知科学や人工知能の理論で重武装した大著だが、いっそう驚くべきことには、いかにも今風に実証科学の知見を総動員しながら、まったく反時代的にも、いまや少数派となった「心身二元論」を大胆に展開する。「現代認知科学、そして主流派の一元論的「心の哲学」は、行為するシステムとしての「心」の解明には十分な成果を上げているが、体験としての「意識」の解明には今もってほとんど寄与していない」という彼の問題意識はたとえばトマス・ネーゲルなどと共有するものである。その立場からすればたとえばダニエル・デネット『解明される意識』(山口泰司訳、青土社)の意識論などもまともな意味での「意識の理論」にはなっていないわけで、相当に厳しい基準だ。しかしチャーマーズは不満を述べ立てるにとどまらず、「ではまともな意識の理論はいかにして可能か?」を大真面目に問うていく。まだ読み始めたばかりだが、ざっとした印象ではぼくにとってはデネットよりリアリティがあるし、面白そうだ。
 それにしてもこいつ俺より三つも若いし、この本書いたときなんかまだ30だったんだよ。あーあ。

 岩田規久男『デフレの経済学』(東洋経済新報社)野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)、ともに日本経済が「デフレの罠」に陥っていると主張。景気対策として思い切った金融緩和、具体的にはインフレーション・ターゲッティング政策を提唱する。デフレがなぜインフレより破壊的なのか、わかりやすく説明してくれていて勉強になる。デフレだといくらゼロ金利にしてもなお実質金利が高いままになってしまうのだ。つまり現在の日本経済は、これ以上はありえない(つもりの)低金利政策にもかかわらず、実際にはまだまだ高(実質)金利にあえいでいるのである。なお後者では小林慶一郎・加藤創太『日本経済の罠』(日本経済新聞社)のデット・ディスオーガニゼーション仮説への有力な批判が提起されている。
 小野善康『誤解だらけの構造改革』(日本経済新聞社)もやはりケインズ的な需要重視の観点から構造改革論を批判するが、景気対策についての意見が岩田らとかなり異なる。小野はインフレ・ターゲティングにも景気刺激効果はさしてなく、それどころかハイパーインフレの危険が大、と主張し、むしろ公共事業・財政政策中心の対応(これを景気対策と見るのか、そもそも「景気対策」自体をあきらめ、失業救済に徹するものと見るのか、が重要な分かれ目だが)を提唱する。

 玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安 揺れる若年の現在(中央公論新社)は著者の篤実で暖かい人柄がしのばれる、こまやかな心遣いに充ちた好著である。著者はかの故石川経夫の弟子であり、主に若年者の雇用問題を中心に、近年論壇での活躍も目立つようになった若手労働経済学者のホープであるが、本書はそうした論壇活動、総合雑誌への啓蒙的な論考をもとに書かれた一般書である。そのようなものとして非常に読みやすく、文字通り「経済学の知識がまったくなくても読める」ものになっているが、本文の叙述のもとになった実証分析について各章末に付録として紹介してあるから、専門家にとっても読み応えは十分あるだろう。それらはポイントとなる回帰分析結果を示したチャートであるが、素人のために、最小自乗法や有意性検定についての最低限の説明もきちんとした上で紹介されている。こういうわずかな配慮があるかないかで、リーダビリティは格段に違ってくるのだ。
 もちろん著者の心遣いは内容自体にも十分に現れている。全体の要約は「終章 十七歳に話をする」でなされているから、興味のある方はまず店頭で手にとってそこを立ち読みし、興味を引かれたら購入されるとよい。あえてポイントを上げるなら二つ、
「現代の雇用状況で割を食っているのは、実はリストラに怯える中高年よりもフリーター化を強いられる若者である。」
「転職の成功も開業の成功も「友有り遠方より来る、また楽しからずや」的な友人をたくさん持っているかどうか、にかかっている。」
 ことにこの第二点には「やられた」と思った。今度HotWired Japanで「教養の再建」をテーマに連載を始めるのだが、これってまさに「教養」そのものやんけ! うーむ。

12月3日

 何の因果か昨年の二倍以上の志願者がゼミに押しかけてくる。とりあえず脅しをかけるが、あまり減らない。
 「脅し」ではだめだ。「実行」あるのみ。スパルタ詰め込み主義を貫くべし。

 樋口美雄『雇用と失業の経済学』(日本経済新聞社)、論点網羅的で目配りもよく、丹念な実証の膨大な積み重ねの上に書かれた好著ではあるのだが、隔靴掻痒の感があるのはなぜか。
 繰り返すが、目配りはよい。現下の日本の雇用と失業の動向について、個別企業・家計・個人レベルのマイクロデータを万単位集めた計量分析で、雇う側雇われる側双方の事情をきっちり浮かび上がらせているし、グローバル化や情報化の雇用へのインパクトも視野に収め、包括的な政策提言でまとめている。日本の雇用問題に関心のある人はとりあえず必見、であろう。では一体何が足りないのか。
 大人気ないないものねだりかもしれないが、この本からは日本経済の全体像が見えてこない。「本書は雇用・労働という部分領域を扱ったものなのだから、日本経済の総論を求めるのは筋違いだ」との弁護も可能だろうが、しかし同じく部分領域を扱っていても、この間の日本金融研究の多くは、金融という角度から日本経済の抱える問題の核心を突き、全体像を描こうという野心を感じさせるものがむしろ多かったし、あるいは日本経済総論を標榜する書物でも、金融分析をその焦点とするものが多かった。
 概括的に言えば、こういうことだろう。かつて1980年代には日本経済論の焦点は日本企業論であり、そして日本企業論の焦点は職場の生産システムと、人事労務管理・労使関係であった。貿易摩擦を引き起こす日本経済、日本企業の強みは職場の労働にあり、というわけだ。しかし90年代以降流れは明確に変わった。バブル崩壊以後、長期不況下の日本経済論の目玉は金融システムであり、日本企業論においてもその焦点はいまやコーポレートガバナンスに移っている。つまり不況からずるずる立ち直れない日本経済の弱みは金融システムにあり、というわけだ。
 たとえばこの本にはマクロ経済の影が薄い。マクロ変数としての雇用−失業は、ミクロ的な企業と家計の行動の結果として定まってくるものとしてのみ扱われている。雇用政策の分析においても、伝統的なケインズ政策としての公共事業による雇用創出の弱さが指摘され、ミクロ的な発想に基づく積極的労働市場政策――職業紹介、教育訓練、起業支援が三本柱である――の構想が展開される。
 しかし、積極的労働市場政策の意義はわかるとしても、ケインズ政策が死んだというわけわけでもなかろう。まず、現下の不況についてはクルーグマンらの「流動性の罠」説、つまりケインズ的不況との理解が有力な見解となっている。そしてケインズ政策は公共事業などの財政出動がすべてではない。近年ではむしろ金融政策のほうが重視されているのであり、クルーグマンの「調整インフレ」戦略はその典型である。ここに描かれている構想はマクロ変数としてのマネーサプライ、利子率、物価が原因となってミクロレベルの経済主体の行動を変えていく、というまさにケインズ的な、固有の意味でのマクロ経済学的なヴィジョンである。
 マクロ経済の視点イコール全体経済の視点というわけではないにしても、ミクロとマクロの両レベルを視野に収め、なおかつ両者の整合性に配慮した、今日的に洗練された(ニューケインジアンの)マクロ経済学の分析を念頭におくと、ミクロに徹した――マクロをミクロの積み上げ、ミクロの結果としてのみ見るタイプの分析はどうしても平板な印象を与える。
 それにしても、金融論の視点から現代マクロ的なヴィジョンに――賛成するにせよ反対するにせよ――到達しやすいことは「流動性の罠」論争を見ればわかるが、労働経済学からこのようなマクロ的ヴィジョンにいたることはできないのか? そう考えると、奇妙なことに気づく。かつての古典的な――ミクロ積み上げ的マクロではなく、ミクロ棚上げ的マクロ、つまりオールドケインジアンの経済学では、労働サイドはある重要な役割を担っていたではないか、と。つまり昔懐かしいフィリップス曲線、失業率と賃金上昇率、更にインフレ率との相反関係である。フィリップス曲線の世界像とは、つまるところこういうものだ。労使関係レベルでのせめぎあいが雇用と、そして何よりも賃金を決める。そして賃金がマクロ的な物価を決め、マクロ経済環境を左右して、それがひいてはミクロ的な企業行動を制約する。昔風の言い方をすれば階級闘争である。
 更に言えば、そこで想定された労使関係自体が実はミクロ的というよりはマクロ的であった。日本の春闘体制は言うに及ばず、合衆国のパターンバーゲニングやヨーロッパの産業別交渉、更にはコーポラティズム体制において労働サイドは労働組合の全国組織という形をとってマクロ経済レベルでの主体としてはっきりした形をもっていた。
 こう考えてみると、まさに樋口の本書には、マクロの影が薄いだけではなく、それ以上に労働組合の影が薄い――というより皆無である。本書で言う労働者はまさに労働者個人とその家計であって労働組合ではない。労使の関係は労使関係というより雇用関係である。(経営者団体の影もないが、それはさておく。)
 しかしそれは本書の欠点なのか。著者の責任なのか。そうではあるまい。まさに今の日本の状況が、そういうものなのだ。


インタラクティヴ読書ノート・別館

インタラクティヴ読書ノート・本館

ホームページへ戻る