2002年3月

3月29日

 『地図と磁石』第3回への補足。

*なぜ名目賃金切り下げではいけないのか?
 スミス=ワルラス主義、ニューケインジアン(I)によれば、問題は実質賃金の高止まりにある。ゆえにそれを低下させる必要がある。しかしスミス=ワルラス主義はここでストレートな賃下げを、ニューケインジアン(I)はインフレ誘導による間接的な切り下げを主張する。どっちでもいい、とはならないか? 
 ニューケインジアン(I)はただ単に、名目賃金切り下げが政治的に困難だ、と言っているだけではない。インフレによって債務が実質的に減価する、という重大なポイントを指摘する。名目ベースでのストレートな賃金切り下げは、給与生活者の債務負担を実質的に増大させ(賃金は下がったのに借金は減らないから)、デット(債務)・デフレーションを加速させるだろう。これを避けようと思うならば、賃下げは債務減免と組み合わせて行わねばらならない、ということになるが、こういうポリシーミックスは相当複雑なものとなるだろう。
 なお今日の日本の状況下での安易なワークシェアリングの導入には、雇用安定化に伴う消費の促進効果より、賃下げによる引き締め効果の方が強く出る恐れがある、と考えた方がいいだろう。
 ところで、今日のどちらかというと左派と目される論客の中にインフレ支持者が極めて少なく、実質賃下げにつながりかねないワークシェアリングへの支持者が多いのはなぜだろうか? たとえば橋本寿朗の遺著『デフレの進行をどう読むか』(岩波書店)では、現下のデフレの原因をこともあろうに実質賃金の下げ止まりと国際競争の激化による価格転嫁の困難による利潤圧縮に求めている。
 しかしこの利潤圧縮論はもともとはスタグフレーション下のイギリスで展開された議論である。これは当時のイギリス労働運動における「社会契約」論(賃上げ抑制と引き換えの社会改良要求)の根拠ともなっていた。そして当時の日本はいわば「暗黙の社会契約」で石油危機後のスタグフレーションを乗り切った優等生扱いを受けていたわけである。
 そして更にその背景を探るなら、労働組合の強力な交渉力による恒常的な賃上げ圧力、それを価格転嫁することを可能とする大企業体制、そしてそれらを大枠で支える管理通貨制度のもとでのインフレ政策、という三点セット、つまり国家独占資本主義ともフォーディズムともあるいはケインズ主義的福祉国家とも呼ばれる体制が、危機に陥った、という認識がある。その原因は何だかよくわからないが、とりあえず高度成長を可能としたさまざまな条件の解体、とりわけシュンペーター的長期技術革新波動(そんなもんほんとにあるのか?)の下降局面への移行、が重視された。(他には、原油その他第一次産品の価格高騰とか、伝統的セクター、つまり農村社会の解体、低出生化、とか、高度消費社会化に伴う勤労倫理の弛緩、とか。)
 石油危機後のスタグフレーションと現下の不況を同じ枠組みで論じるとは、まったく時代錯誤もはなはだしい、と思われるが、橋本はどうやら本気である。彼の認識に従うなら、賃金の下方硬直化はフォーディズム体制の遺産であるが、これを支えた国際環境は急速に壊れている。すなわちグローバリゼーションによるメガコンペティション時代の到来である。日本経済もこれに伍して行こうとするならば、賃金を弾力化するしかない、というわけだ。スタグフレーション期には生きていてインフレをもたらした大企業の寡占体制もケインズ的金融政策もいまや死に体だが、賃金の下方硬直性だけはまだ生きている。これが諸悪の根源というわけである。
 この妄説を退ける際に切り込むべきポイントは「グローバリゼーション」である。(1)グローバル化がなんぼのもんや? まだまだ日本(その他先進国)の経済は一国内での循環主導。(2)なんでグローバル化したら有効需要不足がなくなるねん? マルクス主義者の多くはケインズ的不況=有効需要不足の原因の一つを国内市場の狭隘性だと考えているが、これはレーニン的帝国主義理解に引きずられたただの誤りであろう。

 それにしてもなんで「労働組合は賃上げ! 企業は値上げ! そんでもって労使手を組んで政府にインフレ政策を迫れ!」と、つまり国家独占資本主義再建をうったえる左翼はどこにもおらんのじゃ? 

*財政政策ではダメか?
 財政政策には公共事業だけではなく、租税政策もある。有効需要喚起が目的の場合は減税だ。これは公共事業とは違って広く薄く効果を発揮するだろう。ただし問題はここでも、複雑な税体系の中で具体的にはどのような減税を行うか、である。もちろん、税収減の危険も無視してはならない。

3月11日

 東北大学経済学部「経済学史」ホームページ。講義のホームページとしては模範的であろう。これで掲示板への書き込みがもっとあれば……。

 松山巌の本を、ネット古本屋も使ってあさる。幸い品切れの『都市という廃墟』(新潮社)『肌寒き島国』(朝日新聞社)『闇のなかの石』(文藝春秋)が手に入る。あと新刊で『松山巌の仕事T・U』(中央公論新社)も手に入れ、夜中にぱらぱらめくる。

 古本屋の100円コーナーで拾ったアイリス・マードック『鐘』(丸谷才一訳、集英社)を読了。一見メロドラマ。上手にテレビにすれば(きっとなってると思うが)見事なメロドラマになるだろう。次はジョルジュ・ベルナノス『悪魔の陽の下に』(春秋社、品切)でも読もうか。アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』(須賀敦子訳、白水社)のせいでベルナノスが気になるのだ。しかし、普段マンガばっか読んでるからか、小説を読むのも意外としんどいですね。

2002年2月

2月20日

 「地図と磁石」第2回を見ていただければだいたいお分かりでしょうが、ここんところマクロ経済学と金融政策のことばっかり考えている。せっかく経済学部から脱出してきたというにアホか俺は。第3回、第4回と混迷は続くでしょう。

 同居人が買ってきた三浦展『マイホームレス・チャイルド 今どきの若者を理解するための23の視点(クラブハウス)の見事さにいまさらながら驚き、あわてて『「家族」と「幸福」の戦後史 郊外の夢と現実(講談社現代新書)を読む。高円寺が下北みたいになってたとは知らなんだ。ついでにストリート系の勉強をと思って石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』(文藝春秋)もブックオフで買って読む。

 あと最近持ち歩いて読んでるのは吉田武『オイラーの贈物』(ちくま学芸文庫)(笑うな)とマイケル・ムアコック『グローリアーナ』(大瀧啓裕訳、創元推理文庫)


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