小田中直樹『経済学史講義ノート』。これだけじゃ使えませんね。リーディング・リストをつけよう。あと、暇な人がいたら図を作ってgifかjpgで送っていただけませんか。(図については、小田中君には期待してません。原図が見つかって、誰かにスキャナを借りられたら別ですが。)
アイリス・マードック『野ばら』(サンリオ、絶版)を戸塚駅前の古本屋で拾う。マードックって今単行本・文庫では手に入らない(古本では結構どうにかなるが)。どういうこっちゃ。この間は『集英社版世界の文学 パヴェーゼ』を区役所の交換コーナーで文字通り拾いました。文学に親しんでます。しかし今思うと『集英社版世界の文学』はいいですね。『ギャラリー世界の文学』に引き継がれてない作品も結構あるのだ。あと中公の『新集世界の文学』も変なものが多くていいのだ。
守中高明『シスター・アンティゴネーの暦のない墓』(思潮社)より。
「あるドイツ人が拷問について書いた研究書を読んだのですが、それがあまりにも独断的なものだったので、すっかり興味がそがれてしまったということもあります。(中略)
さっき話した研究書の著者はアレクサンダー・ミチャーリヒといいます。精神分析医です。残念ながら、こういう問題にも精神分析医たちが進出してくるようになりました。この著者は磔にされたキリストのことまでもち出して、キリストの磔は私たちの文化と切っても切り離せないものだと言うんです。そして、その理論を敷衍して、こんなことも言っています。死そのものが潜在意識下においてじゅうぶんな罰として受け入れられないのなら、現実的な解決策は次のようなものだ。幻想を抱くのは止めよう。拷問はなくなることはないだろう。なぜなら、人間の破壊本能を抑えることはできないからだ。もっと簡単に言うなら、こうなります。諦めよう。なぜなら『人間は悪』だから。簡単なものです。そのいかがわしい先生がフロイトの理論をさんざん振り回したあげく言いたかったのが、こんな結論だなんて。『人間は悪』。それを読んで、私は考えを変えたのです」
「どういうことですか?」フィルミーノは聞いた。
「行動に移る、ということです」ドン・フェルナンドは答えた。「より謙虚な方法を選んだわけです。つまり、裁判所に出向いて、拷問同然の扱いを受けた人々の弁護をする。農業についての研究書を書くことのほうが鍬で土を掘り起こすことよりも役に立つかどうか、私にはわかりません。でも、私は鍬で土を掘り起こすほうを選びました。百姓のようにね。さっき、謙虚という言葉を使いましたが、それに惑わされてはなりませんよ。根っこのところでは、私の取った態度は何よりもまず傲慢から生じたものだからです」 (168-169頁)
喜多村和之『大学は生まれ変われるか』(中公新書)で紹介されていたホセ・オルテガ・イ・ガセット『大学の使命』(井上正訳、玉川大学出版部)を読み、頭を抱える。『大衆の反逆』はこれとあわせて読まないと読み間違える。必読の教養論である。
『事典 哲学の木』だが、柏端達也「スーパービーニエンス」(ふつう「附随性」とか「随伴性」と訳される)の項目がこゆくておすすめ。
アントニオ・タブッキ『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』(草皆伸子訳、白水社)、『ペレイラ』よりも腑に落ちるというか、ケルゼンの弟子だったという弁護士のキャラが立っている。
ベルナノスは読みかけです。すいません。