2002年5月

5月20日

 「地図と磁石」第4回は少しもめましたがもうじき出ます。たしかにコラムの体はなしていないので、編集さんのひやひやする気持ちもわかる。

 畠山弘文氏から新著『動員史観へのご招待 絶対王政から援助交際まで(五絃舎)をいただく。
 日本におけるストリートレベル・ビューロクラシーの実証研究として記念碑的な『官僚制支配の日常構造 善意による支配とは何か(三一書房)の著者による、マクロ歴史社会学理論。
 山之内総力戦体制論と西川(柴田)国民国家論とフーコー権力論をベースに、更に熊沢企業社会論だの竹内学歴社会論だの宮台援交論だのをぶち込んでごった煮にしたような感じ。
 目を引くような独創性はないが、視野が広く、わかりやすくて面白いし、分量の割にお安い(2段組400頁弱で3200円)ので、買ってみても損はない。
 ただ問題は、どうやら版元の営業が著しく無知無能無為無策らしくて、店頭にろくに並んでいないし、bk1にもアマゾンにも在庫登録されていないのだ。気になって「五絃舎」で検索かけたら……この先は皆さんご自分で確かめてください。まあとにかく、版元の所在と連絡先は明らかなので、直接注文すれば何とかなるでしょう。

 野尻抱介『太陽の簒奪者』(早川書房)を読む。SFファンだった時代も、ハードSFなんか別にぜんぜん好きではなかったのだが、やはりSFの本道と言うか王道はハードSFなのだといまさらながら強く思う。
 もともと日本のSFの第一世代は小松左京がはっきりそうであったように、戦後文学の鬼子というか落ちこぼれで、主流文学に対するルサンチマンがすごく強かったが、結局ルサンチマンだけではだめだった、ということか。いまや主流文学がかつてはSFにおいてしか許されなかった道具立てを自由に駆使できる時代になったので、かつての文学的SFにおけるような「重く困難なテーマをSF設定という裏技で玩具化して軽く探ってみる」というやり方が、正攻法の前に完全に失効したわけだ。ある意味、ジャンル全体で現代文学の前線を広げるための露払いをさせられて割を食ったわけで、気の毒と言えば気の毒なことだ。
 しかしハードSFという、小説あるいは文学としては「奇形」に近い代物は、おそらく主流文学によって追い越されたり取り込まれたりすることはないだろう。それは「SF」にしか扱えないテーマを扱う「SF」でありつづけるだろう。SFの王道たるハードSFのそのまた王道である、異種知性体とのファーストコンタクトを直球勝負で描いた本書を読み、そういう感慨を覚えた。
 また「ハードSF」という狭いジャンルの中の尺度で測っても、本書はある意味歴史的な意味を持つのではないか。古い話だが、ある意味本書の大先達に当たるだろう、ハル・クレメントやロバート・フォワードの描く異種知性体が「ものすげー変なかっこしてても所詮頭の中はアメリカ人」とよく揶揄されたのに対して、本書の描くエーリアンはスタニスワフ・レムばりの、まさに人間とは異質の何かである。しかもどちらかというと思弁的で文学志向のレム(しかし読み返すと意外とハードSFしているところもあってちょっと感動するが)に対し、徹底して具体的なハードサイエンスの成果の延長線上でそれを描こうとしているところが新しい。もちろんこの辺は、近年の認知科学や心の哲学の急速な発展を踏まえてこそのものではあろうが……。
 それにしても、やはり近作『ふわふわの泉』(ファミ通文庫)でも語られていたが、野尻の考える「非適応的知性」とはどのようなものなのだろうか? もっとこのテーマを彼が突き詰めるのを見てみたい。

 旧友和智正喜の久々の小説、『仮面ライダー 誕生 1971』(講談社)が来月に出ます。ところで彼はまったく出版されるあてのない非常に奇妙な短編連作を書きつづけていて、その草稿を読んでいるのだが、技術的にもテンションにおいても一種異様なまでにレベルの高い小説になっているのだ。いやマジで。まあこの連作が世に出る可能性は五分五分だが、とりあえず今度の企画ものの小説もかつてライダー好きだった方は買ってやってください。きっと面白いから。


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