2003年12月

12月24日

 大変せわしない11月から12月。学務関係のことはさておき、『SIGHT』と『大航海』の原稿をやっつけ、『地図と磁石』の続きも書く。
 11月27日には一橋経済研の吉原直毅に呼ばれて現代規範理論研究会でしゃべる。森村進氏 と再会、都留康氏、長谷川かおり氏には初対面。都留氏、『地図と磁石』をチェックされていたとのこ と。悪いことはでけんなあ。
 11月29日には北田暁大氏を明学に招いて講演会。しかし忙しいと のことですぐ帰られた。そのあと勁草のT氏らと中華料理屋。仲俣暁生氏 と初対面。結局その後『本とコンピュータ』に書くことに。
 12月1日には『談』インタビュー。こちらが編集 者さんの日記。「特集 自由と暴走」だそうで、かなり面白いものになりそう。4日には『SPA!』インタビュー。新書特集で経済系ベスト5を選 ぶ。苦しい選択。先週出ました。

 20日には本郷の学士会館分館で中西洋先生の『日本近代化の基礎過程』合評会。先生まずはお元気で、法政は今年度一杯で定年 だが、あと2年NIRAで仕事をなさるとのこと。近々それでインドに調査に行かれるとか。
 『基礎過程』というのは、長崎製鉄所、のち造船所の幕営時代、維新期、官営(工部省)時代、そして払い下げ後の三菱時代最初の何年か、都合半世紀を丹念 にたどった本。敢えて先行研究を一切無視し、代わりに原資料を40年かけて徹底的に読み込み、焦点はあくまでも長崎の一工場にすえながら、必要とあれば長 崎の地域社会はもちろん、幕末の精神世界、明治憲法設計者たちの苦闘や日清戦争にまで、叙述は軽やかに、融通無碍に拡大する。使用された資料の基本的な部 分は、見やすく加工を施した上でほとんどそのまま読者の眼前に晒され、それ自体がひとつの資料集の観を呈する。
 上巻は軍艦を修理し、必要とあらば作るための「製鉄所」を、そもそも近代的な艦船、いや機械とは、そして機械を作るとはどのような営みなのか、をまった く誰も理解することなしにでっち上げ、事実上経営主体が不在のままに推移した幕営期、主体らしきものは登場しながら結局責任をとらなかった維新期を描いて いる。中巻では、文明開化の拠点たる官営工場として、きちんと船を製造するという任務は達成することはできるようになったが、採算を採ることができなかっ た工部省期が描かれる。そして下巻では、本格的な会計制度、工程管理制度等をそろえ、見事に利益をあげる近代的企業へと離陸した三菱時代の最初の数年が対 象である。更に来年暮に刊行予定の下巻では、この長崎造船所の払い下げを受ける前の時代の、三菱会社そのものの生成史が描かれる。
 つまりこれはひとつの工場を中心とした、日本近代の全体史の試みである。そしてこの近代は、国家を運営する主体=政治家や企業を立ち上げ、運営する主体 =経営者を主役としており、労働者や農民、つまり民衆はまだそこに登場していない。つまりここに描かれる労働市場、地域社会、労働者の生活世界は、なお企 業経営という「システム」にとっての「環境」であって、いまだその有機的な構成要素にはなっていない。民衆が公共世界の主役として登場してくる時代、それ は著者の旧論文「第一次大戦前後の労資関係」によれば第一次大戦期であり、それ以降日本は(東條由紀彦氏の言い方を借りれば)「近代から現代へ」と移行す るわけだが、本書はまだその前史を描くにとどまっている。
 労働史・社会史のメッカ、イギリスはウォリック大学留学経験のある出席者も述べていたとおり、これはE・P・トムスンらの作業にちょうど対応する仕事で あるのみならず、経営の心臓部にまで立ち入るかと思えば職人の履歴をも掘り起こし、さらには天下国家へも飛ぶというその実証のレベルにおいては雄にそれを 凌ぐかもしれない業績である。唯一の問題はお値段が非常識に高いことか。しかし経営自体が綱渡りだというのに、旧字旧かなてんこもりに図表山盛りの四千枚 の手書き原稿を押し付けられた版元も気の毒といえば気の毒。

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