20010927
*「倫理ethics」「道徳moral」の学……こんなもの学になるのか?
現になっている!
社会科学における「事実解明的positive分析」と「規範的normative分析」の二分法。後者には価値判断と選択、実践が……つまり道徳が関わらざるを得ない。
(話さなかったこと;規範と実践の根拠としての「自由」)
倫理学と交錯する諸領域――厚生経済学Welfare Economics、政治理論Political
Theory、法哲学Jurisprudence、等。
事実解明的社会科学としての「道徳の社会学」。
(話さなかったこと;ニーチェ的「道徳の系譜学」といわゆる「メタ倫理学」)
*では哲学の一分野としての倫理学固有の主題などあるのか?
「天下国家」を主題とすることが多い規範的社会科学からこぼれ落ちがちな問題――
「処世訓」
「処世訓」と「倫理」「道徳」の関係――「倫理」とは洗練された「処世訓」か、それとも「処世訓」が素朴な「倫理」なのか? 「洗練された」とか「素朴な」という場合の基準は?
「処世訓」は「倫理」と親和的・両立可能なものも反「倫理」的・矛盾するものも含む。後者の極北としての「利己主義」(本当にそうか?)。
倫理学固有の主題(?)=個人の私的な「処世訓」と全体的・公共的・社会的な「倫理」「道徳」との関係;個と全体の関係
*現代倫理学における、個人主義的アプローチ(基本単位としての個から出発して全体に説き及ぶ)の全体主義的アプローチ(個を全体の部分と見なす)に対する優位
事実解明的分析においては、問題意識に応じて適宜使い分ければいいが、規範的分析においてはそうもいかない。どちらかに軸足をおかねばならない。(なぜか?)
個人主義優位の理由:歴史的教訓(全体主義と社会主義)
「全体」の多様性、恣意性――「全体」とは家族でも、国家でも、企業でも、人類すべてでもありえるし、またそのどれでもない。
それに対して、「個人」の紛れのなさ(本当か?)
*哲学的倫理学の固有の主題
(1)「個人」と「社会」、「個」と「全体」の関係
(2)「個人」とは、「人間」とは何か?
人間の定義にあたって、実証科学の知識は判断の素材を提供してくれるだけであって、答えは与えてくれない。
*関連する参考文献
永井均『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書『ルサンチマンの哲学』河出書房新社(語り口は平易、内容はやや高度)
平尾透『倫理学の統一理論』ミネルヴァ書房(少し難しいかもしれないが論理自体はすっきりしている。)
*次回の予定
(1)「話さなかったこと」補足
人間の「自由」;「道徳の系譜学」とメタ倫理学
(2)社会契約論:導入部
20011004
◇準備
補足1)「自由」
なぜしばしば「倫理(道徳)は科学の主題にはならない」と言われるのか?
逆に、なぜ社会科学は必然的に規範的側面をもつのか?
答えはとりあえず「人間は自由だから」である。しかし「人間は自由である」とは一体どういうことなのか?
とりあえずは「人間の行為は(神の摂理によってであれ物理的因果法則によってであれ)あらかじめ決定されてはいない」だから「あらかじめ決まっていないのだから人間が自分で決めなければならない」
補足2)「道徳の系譜学」
現実問題として、道徳というシステムはどのようにして発生し、変容してきたのか。
フリードリッヒ・ニーチェによる問題提起
補足3)メタ倫理学
◇本番
*決定論と自由意志
今日の自然科学はむしろ決定論的世界観を支持する傾向が強いが、道徳・倫理は自由意志の存在を前提とせざるを得ない。
この問題はヨーロッパでは古くは神の意志・能力と人間の自由の関係の問題として論じられた。
自由意志論は倫理学の本論ではなくむしろその前提問題である。
*非/反/没道徳的倫理学
倫理学はしかし、それ自体が道徳・倫理の一部、サブシステムであり、道徳・倫理の中に位置して、それを内側から吟味して批判的に再構築していく作業である。そのようなものではない倫理学はありえないのか? →ありうるし、現にある。
(1)ニーチェ的「道徳の系譜学」:道徳の(客観的・実証的)社会学と既存道徳に対する道徳的批判の混合(道徳の自己矛盾・欺瞞を突く)
ニーチェ的問題:道徳の批判はそれ自体別の道徳を構成することになりはしないか? 徹底して道徳の外に出ることは可能か?
(2)メタ倫理学:倫理的推論・判断の固有の論理の解明
20世紀前半の倫理学の主役はむしろこちらであった。なぜか?
20世紀前半の分析哲学(論理学・言語分析を主要武器とする)の隆盛の影響もあろうし、一種の相対主義、道徳体系は多様にあり、そのいずれもそれなりの合理性を持つ一方、それらの間での優劣も付けかねる、という問題への対応という意味もあっただろう。
*社会契約論
(近代的)社会契約論の意義
社会的なルール・道徳・慣習・制度等々を個人間の合意・協同・約束に還元して説明する。実証的にも(社会や約束によって作られた)規範的にも(法は約束だから守らなければいけない)個人主義的社会理論のプロトタイプをなしている。
もちろん多くの欠点がある。
ヒュームによる批判:
実証的には、社会契約によって作られた国家の方が少ないであろう。では規範理論としては生き延びうるか?
(1)先行世代による契約がいかにして後続世代を拘束できるのか?
(2)所詮は教養と財産ある人士にしか適用できない……政治エリートではない一般庶民はが国家に服従しなければならない理由が付けられない。
(1)へのロックへの解答:人は遺産と共に、遺産を保護するための法と国家への服従義務をも相続する。
(2)の射程:普通選挙制と大衆民主主義が確立した今日の先進国では通用しない議論か?
道徳を約束によって説明するのは循環論法か? 必ずしもそうではない。約束を守るという道徳は約束によっては基礎付けられないというだけのことだ。
ホッブズの議論の構図:自然状態においても人々は自然法を発見し構想できる。しかしそれを実効あらしめることが容易にはできない。「囚人のディレンマ」
◇参考文献
倫理の内にある倫理学と外にある倫理学の違いについて、永井『〈子供〉のための哲学』の第2部、ならびにジョン・マッキー『倫理学』(皙書房)の第1章などが分かりやすい。他にニーチェについては永井『ルサンチマンの哲学』を。
前回話題にした「処世訓」と「倫理」との関係については、頼藤和寛『賢い利己主義のすすめ』(人文書院)が興味深い。
◇次回の予定
ゲーム理論と「囚人のディレンマ」:略説
ロック的社会契約論
ルソーの批判とアダム・スミスの経済学
20011011
◇本番
*古典を読むということの意義と限界
古典は読み手とは別の時代、別の状況に生きた書き手によって、読み手とは異なった問題意識の下に書かれたものである。
しかし同時に、古典はそれ自体我々の現在を形作ってきた歴史の構成要素の一部であり、その限りで我々と関係を持っている(我々の血肉の一部である)。
*社会契約説を読む理由
社会契約論は規範的にも実証的にも個人主義的社会理論のプロトタイプである、ということについて再確認しよう。
例えばホッブズが国家を「人工身体」「人工人間」と呼ぶように、また我々自身も日常的に集団や団体、組織を「法人」として扱うように、ひとつのまとまりとしての社会はしばしば擬人化して扱われる。このような場合、道徳・倫理や法は社会の意志・意図に擬することができる。つまりここで我々は道徳・倫理について論じる際に、個人の意志・意図・欲望・希望を論じるのと同じ論理を適用できることになる。
もちろんこのような擬人法的社会理論は社会契約論に限られているわけではない(例:社会の意志=君主の意志であるような独裁制の理論)が、社会契約論には大きな特徴がある。つまり、社会の意志は社会の構成員たちの間の合意(の所産)である、ということだ。
つまり、合意とはそもそも何か、という大問題(合意とは意図を集めて足し合わせたようなものか、それとも共通部分をくくりだしたものか、そもそも合意は意図の一種と言えるものなのか、等々)をとりあえず脇に置いておけば、社会契約論は、道徳・倫理、慣習、法、社会的慣習、公益、要するに社会的なもの、を個人の意図から導き出す/に分解することができるわけである。
こう考えるなら、個人の意志と道徳・倫理との間には、単にアナロジー(論理的に同じ構造がある、という想定)が成り立つ、というだけではなく、実質的に連続した関係(前者が後者の素材、構成単位になっている)がある、ということになる。
*ゲーム理論について(稲葉『リベラリズムの存在証明』より抜粋)
ゲーム理論における「囚人のディレンマ」モデルを簡単に例示する。
ゲームのプレイヤー、AとBが存在する。二人はそれぞれ、c、dという二つの行為の選択肢を有している。相互行為の結果、二人の得るであろう利益は、仮に以下のごとき数字で表される。cを協力、dを裏切りと解釈すると理解しやすい。
・Aの得る利益 Bがcを選択した場合、cを行えば3
Bがcを選択した場合、dを行えば4
Bがdを選択した場合、cを行えば1
Bがdを選択した場合、dを行えば2
・Bの得る利益 Bがcを選択した場合、cを行えば3
Bがcを選択した場合、dを行えば4
Bがdを選択した場合、cを行えば1
Bがdを選択した場合、dを行えば2
表にすれば以下の通り。()内左側がA、右側がBの得る利益を表す数字。
B
c d
c (3,3) (1,4)
A
d (4,1) (2,2)
Bの選択を所与とした場合、Aはどのように振る舞えば自分の利益を最大にできるだろうか? Bがcを選択した場合は、4>3でdである。Bがdを選択した場合は、2>1でdである。Aについても同様の推論が成り立つ。ゆえに、ありうべき結果=ナッシュ均衡は、両者ともにdを選び、得られる利益はともに2である、ということになる。
ホッブズ的自然状態はこの枠組みでは、cが「自然法に自発的に従う」、dが「自然法を無視して自由に振る舞う」という風に解釈できる。ありうべき結果(ナッシュ均衡)は全員がd=「自然法を無視して自由に振る舞う」である。
*ロック的自然状態論・社会契約論
稲葉「自然状態・自然権・国家」(『環』5号)を参照。
上で論じていないロックの面白み
「子供の権利」という発想の不在
ロックは資本主義を展望し得ていたか?
ロックは自然状態における商品経済、貨幣経済の発達を展望していた。更に、貨幣の導入による富の蓄積と不平等をも視野に入れていた。その意味では「資本主義」を射程に入れていたのではないか。
ありうべき反論:スミス的立場からのもの。貨幣それ自体は富ではない。貨幣が資本蓄積を可能にするのではない。
◇参考文献
ゲーム理論の倫理学への含意については頼藤前掲書、ロバート・アクセルロッド『つきあい方の科学』(ミネルヴァ書房)、稲葉『リベラリズムの存在証明』(紀伊国屋書店)等。ゲーム理論の入門書としては武藤滋夫『ゲーム理論入門』(日経文庫)、松井彰彦・梶井厚志『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』(日本評論社)
ロックにおける家、親子関係の問題については稲葉『存在証明』の144-154頁を参照。
◇次回の予定
ルソーの批判とアダム・スミスの経済学
◇第1回レポート
〆切:11月8日の講義終了時。
課題:
(1)倫理学とは何か? そのどこが自分にとって興味深いか? について、最初何回かの講義や紹介された文献を参考に論じよ。
(2)ホッブズ、ロック、ルソーなどの古典的著作を少なくともひとつは読んで、社会契約理論の意義、面白みについて論じよ。
(3)(今後の講義の展開によって流動的だが)市場経済(資本主義)の産む不平等と社会主義について論じよ。
20011018
◇本番
*余談:ヘーゲルなど
ドイツ観念論哲学の中で、近世哲学を総括して近代に橋渡しをしたカントの後に来て、マルクス主義への橋渡しをしたヘーゲル。
その評判の悪さ――全体主義への橋渡しをしたのではないか?
全体論的な社会観を持っていたが、著作・講義の記述スタイルはミクロ・個人から出発してマクロにいたる、という形を取る。政治的にも単純な国家主義というより、自由主義者と言ったほうがよい。
彼は(それはカントや、更には実はスミスなどから引き継がれるものであったが)一種の進歩史観を唱えていた。歴史は、人々の自由の実現に向かって進んでいる、と。ただしそのプロセスは、暴力と戦争、苦痛と死に彩られたものであり、またその中で人々は別に人類の進歩と栄光を目指して生きているわけではなく、それぞれの欲望に駆られ、めいめい勝手な目的を追求して生きているのだが、そうした混乱の総体が期せずして高度な学芸とか、強力な国家とか、個人の権利とかいったものの実現を結果しているのだ、と。
マルクスはある意味でこのような考え方に異を唱えたのである。すなわち、社会・歴史は本来自由であるはずの人間の行為によって織り成されたものであるはずなのに、その運動の総体は人間の意志を離れて、疎遠なものとして、あたかも自然法則のように作用し、人間の自由を制約している。マルクスはそれをヘーゲルにならって「疎外」と呼んだ。しかしヘーゲルは言ってみれば疎外論を捨てる。この一見したところの「疎外」は「理性の狡知」であり、歴史は期せずして人間社会を進歩を実現するのだから、肯定されてよい、と。これに対してマルクスは歴史を人間の意志のもとにとりもどそうとする。
マルクスにとっても歴史は「階級闘争の歴史」である。しかし社会主義、更には共産主義の実現によって、この苦悩の歴史には終焉が告げられるのだ。
* ルソーの社会契約論(批判)
(1)ルソーはホッブズ、ロックの自然状態論を批判し、それは「自然」ではなくすでに「社会状態」だ、と言う。それではルソーの想定する「自然状態」とはどのようなものか?
ホッブズ、ロックの言う「自然状態」はただ単に国家、実定法がないという状態だった。ロックの場合には自然法が各人の自力救済によって、生きた慣行として実現されている。ホッブズの場合は一触即発の戦争状態だが、しかし人々が日々対峙し交流している状況には違いない。
これに対してルソーが描き出すのは、各個人がまったき孤立、没交渉のうちに生きているような状況である。もちろんこのような状況が歴史的に現実に存在したことがあるとは到底言えない(その意味では「自然」とは言いがたい)が、「社会状態」と対比されるべき「非社会状態」という理論的虚構としては理解できる。
つまりホッブズ、ロックには「自然状態(国家なき社会)」と「市民状態(国家)」との区別があったのに対して、ルソーには「自然状態」「社会状態」「国家状態」というより細かい区別があったというわけである。
このような形での社会と国家の区別は何を意味するか? 社会契約論の文脈においては、「国家」とは意図・合意による社会秩序のことであるが、となると「社会」とは意図・合意によらない社会秩序、ということになる。
(2)「自然状態は実は社会状態だ」という論難のあとは、ルソーはホッブズやロックの社会契約についてのシナリオを容認する。しかしその評価が異なる。彼にとって国家、実定法、とりわけ所有権の秩序の確立は、同時に不平等の固定化でもある。さて、法は不平等を固定化するものである、としたら、不平等を生み出すものは何か? それは学問・芸術・技術・産業の発達である。
*スミスの経済学(を支える社会理論)
アダム・スミスの経済学はルソーへの(更にホッブズ、ロックへの)批判的応答としてみるとわかりやすい。
(1)ルソーは自然とも国家とも区別された「社会」という空間を指し示したが、それが何であるのか、そこに働く力はどのようなものであるのか、を明らかにはできなかった。それに対し、「人為artifice」と「自然nature」という区別を行ったヒュームは、その「人為」の中に意図によらない領域を見出した。すなわち慣習conventionsである。誰の意図にもよらず不作為の内に自然発生したが、人々の役に立つがゆえに存続している行為様式、知識、規範がこれにあたる。
ヒュームが社会契約説を批判して、替わりに提出する国家、法、道徳の存立とその正当性の説明は、この慣習論と密接に結びついている。法・道徳が人々に支持され、存続する理由として社会契約説は「それは約束に、つまりは自分たち自身の合意に由来するから」という起源にさかのぼる理由付けを行う。それに対してヒュームの行う理由付け(スミスの言葉では「功利の原理」)は、「起源はともかく現時点においてそれが有用だから」という、機能、結果によるものである。
もちろん社会契約説は、ただむやみに起源にさかのぼるわけではない。合意という起源の中には、あらかじめ、ある特定の結果の実現への期待が含まれている。意図的な行為とは普通、ある特定の目的を実現するためになされるものである。意図・意思・目的はこの意味で、原因としての側面と結果としての側面をともに有している。そこでは原因の中に結果が先取りされている。社会契約による国家や法の設立もまた、共同行為としてみる限り同様である。
とはいえ行為の目的は常に実現するとは限らないし、成功裡に実現したとしても、行為が直接間接に引き起こす効果の範囲は、その所期の目的の実現にのみ限られるわけではなく、副次的、派生的なほかの意図せざる結果があるのが普通である。
ヒュームやスミスのはこの「行為の意図せざる効果」のレベルに照準している。ヒュームの言う慣習の機能はこのようなレベルに存在する。そしてヒュームとスミスによれば、国家もまた同じである。つまり彼らは、国家の起源の問題と国家の(正当性を含めた)存在理由の問題を完全に切り離す。彼らによれば、国家の存在理由はその起源にではなく、それが現在果たしている機能にこそあるのだ。
彼らの考え方に従うならばこうなるだろう;社会契約説においては、国家の起源の中に、国家の設立目的という形でそのもたらすべき結果、それがなす機能が先取りされていた。それゆえに過去における国家の起源が同時に、現在における存在理由でもありえたのである。しかしながらその考え方は狭すぎる。たとえそれが起源において、あるいは何時の時点においても、まったく誰によっても、人々の役に立つことを意図して作られたものではなかったとしても、国家が現にその下で生きる人々の役に立っているのであれば、国家の存在は現在の人々によって承認され、正当なものとされ、そうしてとりあえずは生き延びていくのである。
ヒュームやスミスの考える道徳や法・国家、またスミスが描く商品経済とは、このような論理によって存続しているものと捉えられている。この論理――20世紀の社会理論の言葉で言えば「機能主義functionalism」であり、また進化論的とも言える――と、社会契約説の擬人法的論法を比較してみよう。つまりそれによれば、国家や社会それ自体は、意図も目的も持たない。かといって国家や社会は個人の道具、個人の意図や目的を達成する手段というわけでもない。ではいったい何か?
(2)社会契約による法と国家の設立は現存する不平等を固定化するものだ、というルソーの洞察は鋭い。しかしルソーの議論の枠の中では、そのような社会契約を廃する方法もまたそれ自体社会契約になるしかなかった。新たな契約でもって悪しき契約を取り替えるのである。
それに対してスミスが打ち出すのは、不平等問題に対する正面からの解答――平等にいたる別の方法を提示したり、「不平等でいい」と居直る、といった――を与えるのではなく、問題設定自体をずらすという戦略である。つまり不平等をもたらすより根本の原因である学問芸術、産業の発達、スミス的に言えば分業の発達は、たしかに不平等をもたらすが、同時に絶対的な生活水準の向上をももたらす。つまり、不平等な商業文明社会の中の最底辺の人々の生活水準は、平等な未開社会の中の最も恵まれた人々の生活水準より高い、と彼は論じる。この論理は20世紀の「厚生経済学の基本定理」――完全競争市場経済はパレート最適な配分に導く――にまでつながるものである。
このスミスの問題提起を経たあとで、素朴な不平等批判を繰り返すわけにはいかない。社会主義とはいわば、ポストスミス的状況におけるルソー主義なのである。
◇参考文献
ピエール・ロザンヴァロン『ユートピア的資本主義』(国文社)
内田義彦『経済学の生誕』(未来社)『社会認識の歩み』(岩波新書)
稲葉『存在証明』154-171頁
◇次回の予定
スミスと古典派経済学
社会主義
20011025
◇本番
*思想史的議論の社会史的背景:前期近代と後期近代
(1)「近代」はどこから始まるのか? 西欧にとって見ればルネサンスと宗教改革から、と言ってよい。何がどう変わって「近代」なのか? 西欧中世は(後に近代にそうでっち上げられたような暗黒時代ではなく、「カロリング・ルネサンス」だの「中世の産業革命」だのと現代では言われることもあるが)ローマ帝国崩壊後の「一つの教会・多数の国家」という時代であった。教会は世俗の国家権力に対して宗教的権威を保ち、かつそれ自体一つの強力な世俗的権力体として対抗した(建前としてはローマ帝国再建を指向していた)。これに対し宗教改革後は、教会も一つではなくなり、キリスト教は現代的な意味での「宗教」――私的な生活と内面にのみ関わるものとしての――に囲い込まれ、世俗権力は精神的にも教会から独立した。
このような時代に書かれた啓蒙知識人による社会契約論、道徳哲学、経済学の書物を我々は(同時代的には重要事だった)宗教的脈絡を無視して、まさに我々の同時代につながるものとして読むことができる。中世の書き物はそうはいかない。
では、世界史的な意味での「近代」はどこから始まるのか? やはり時期的には同じで、大航海時代によって始まるのだ、という考え方がある。これによってヨーロッパの世界化が始まったのだ、と。しかしこのような見方には異論もある。大航海時代以降たしかにヨーロッパ勢力による世界進出、とりわけ「新大陸」南北アメリカの植民地化という重大事件が起きているが、まだこの時点ではヨーロッパはユーラシア大陸の端っこの半島にすぎず、中華帝国やイスラム文明圏に比べてどうと言うことのないローカル文明にすぎない、という見解も根強い。この立場からするとヨーロッパの世界化への折り返し不能点、世界史的な意味での「近代」の始まりはどこか、というと18世紀末から19世紀初頭、いわゆる産業革命とアメリカ独立革命、そして何よりフランス革命の時代ということになる。
この時代以降――後期近代とでも、あるいは前期近代を「近世」(便利な日本語だ)と呼びこちらを狭い意味での「近代」と言ってもよいのだが、この19世紀以降の思想は、近世思想を継承しつつ、やっぱり、別の現実と向かい合っているゆえに、はっきりと別種の思想になっている。さて、どこがどう異なるのか?
(2)またこのような図式を描いたとき、かのアダム・スミスはどこのあたりに位置するのか、が実はきわめて微妙な問題になる。ルソーならば(彼を「フランス革命の思想的準備者」と呼ぶことはもちろん間違いではないが)まあだいたいにおいて「近世人」と呼んでよかろう。しかしスミスは? 一見すると彼は産業革命の目撃者のようにも見える。実際蒸気機関で有名なジェームズ・ワットの知己でもあった。彼の経済理論は富の源泉を人間の労働の生産力に、その増大の要因を分業の発達に求め、また「重農主義physiocracy」とは異なって(農業のみならず)製造業をもまた生産的なセクターと認めるものであった。だから彼の経済学を、来るべき工業資本主義の理論とみなしてしまいたい誘惑に人が駆られるのは当然であり、もちろん19世紀、まさに産業革命と初期工業化の時代を生きたイギリス古典派経済学者たち(リカード、ミル他)は、スミスをそのように読み、自分たちをスミスの直系の弟子とみなしていた。
しかし他方、『国富論』でスミスが描いている製造業というのはせいぜい工場制手工業といったところで、機械制生産と言えるものではなく、どちらかというと産業革命以前的なしろものであった。つまりスミスの経済理論は、自律的な市場経済の理論という意味で時代に先んじてはいたが、なお工業経済の理論ではなかったのではないか。
翻ってスミスの批判対象であったいわゆる「重商主義mercantilism」(これはスミスによる蔑称でそう名乗った人々がいたわけではない)の経済理論について検討してみよう。たとえば彼らが貿易黒字、それを通じての貴金属獲得を重んじたのは、何も彼らが貨幣や貴金属そのものを富と同一視する(スミス流に言えば)倒錯に陥っていたからではない。貨幣を「ヴェール」、市場における交換を効率化するための単なる仲立ちと考え、極端に言えば貨幣なしにも市場経済は交換のネットワークとして働きうるとしたスミスとは違い、彼らは十分な貨幣流通なくしては市場経済自体が成り立たない、と考えたのである。あるいは、イングランド銀行の発達を見ていたスミスは、市場経済は銀行その他金融システムによる信用創造という形で貨幣を自ら供給できる、と考えていたのに対し、「重商主義」者たちは、貨幣は市場の外側から持ち込まねばならない、と考えたのではないか。
あるいは特許会社による貿易の独占や植民地政策にしても、もともと市場が成立していないところに乗り込んでいって国家の暴力で取引を押し付けて市場化したあとで、成長した市場が自律化して、今度は国家的暴力の存在が邪魔になっている、というのが実相ではないか。
そう考えるとスミス的経済自由主義は、暴力で市場を切り開いた重商主義の後からやってきて、もう暴力は不要になりました、とすましているようにも見える。それはさておきとりあえずここでは、スミスは「(狭い意味での)近代=世界史的近代=後期近代」の始まりを告げる存在というよりは、「近世=局地ヨーロッパ的近代=前期近代」の終わりに位置する存在である、としておいた方が見通しがよくなる。
しかしでは一体、近代を前期と後期に分かつ具体的な違いを何に求めたらいいのか?
(3)「産業革命」「工業」にこだわる理由はそこにある。大雑把に言えば、ヨーロッパにおける産業革命が「折り返し不能点」の内実であり、それがヨーロッパによる世界市場制覇を可能にした。同時に工業化は、単なる市場経済のグローバル化とかを超えて、普通の人々の生活のありよう自体を変えていく。
前期近代においても、ヨーロッパ世界経済の展開は普通の庶民の生活を多少なりとも変えた。イギリス庶民にとってアメリカ大陸への移民はありうべき選択肢であったし、日常生活の中にコーヒー、紅茶、砂糖、タバコといった新商品が入り込んでもきた。しかし根本的な生活の質はなお変わらなかった。こうした新商品の多くは贅沢品とは言わないまでも、なくても済ませられる嗜好品であった。
ところが産業革命以降徐々に事態は変わってくる。機械で紡がれた糸で機械で織られた布でできた服。用途において従来の服と変わるものではないが、贅沢品や嗜好品ではなく、日常の必需品が、これまでとは違ったやり方で作られるようになった。やがて鉄道や電信など、従来からあったものを機械で作ったというにとどまらず、そもそも機械制工業の出現以前は存在しなかったような商品が次々と現れ、人々の日常生活を変えていく。それはやがて20世紀の本格的な大衆消費社会の出現につながる。
また労働の現場においても機械の出現は事態を大きく変える。それまでの手工業的道具は人間の手足の延長だったが、機械はむしろ人間の方を自らの部品に変える。太陽の動きなどの自然のペースよりも、時計で測られる時間に合わせて人々は暮らすようになる。
(4)以上「経済」的側面に偏った話であったが、では「政治」的側面に目を転じるならどうなるか?
前期近代は(英国を除外すれば)絶対王政の時代だが、この絶対王政というものは中世の遺産などではない。中世の「封建制」とは違ってそこでは王への権力の集中が進み、貴族たちはかつての独立領主から単なる王の家来(官僚)に変質していく。このような中央集権化のプロセスは市民革命によっても中断されず、後の民主主義国家においても一貫して継続するのだ。その意味で絶対王政はまさに「近代」的なものである。社会契約論自体、この絶対王政とも民主主義とも両立しうる議論として扱われていたことも忘れない方がいい。
ではこの時代の庶民、民衆とは政治的にはどのような存在だったのか? 「無」ではないが、少なくとも国家レベルでの代表を持たない存在だった。日ごろの民衆の政治行動はローカルな地域共同体レベルの自治活動や「暴動」(無秩序な暴力行動ではなく、儀式的、お祭り的に秩序だった象徴的暴力による示威行動)が主体だった。
そのようなあり方を大きく変えたのがフランス革命であり、以後民衆の社会運動が国家レベルの政治を大きく左右するようになる。
18世紀の啓蒙思想は民衆の登場を予測し、待望していたとは言える。しかしそこに描かれた民衆はいまだ現実の存在というよりは抽象的な理念だった。現実の民衆を思想の課題の中に取り込まなければならなかったのは、19世紀である。
*社会主義
いわゆる「社会主義」は上記の意味での19世紀的課題を正面から引き受けている。(実は現代的な意味でのナショナリズムもこのような19世紀的課題への応答なのだが、それはさておく。)
スミスによるルソーへの解答を踏まえた上で、なお平等主義を主張するなら、それなりに手の込んだ議論を展開しなければならない。たとえば「絶対的な生活水準は向上したとしても、相対的な不平等はそれ自体として望ましくない」とか「実は絶対的な生活水準の低下が起こっている」とかいう風に。では、社会主義はその辺をどうしているのだろうか?
ここで「機械」「工場」というのが大きなテーマになってくる。市場経済の中での富める者と貧しき者、といえば資本家と労働者、ということになるが、労働者の置かれた状態がどのようなものか、というときにキーとなるのが新たな労働の場としての工場、そこに配された機械である。上述のとおり、機械のおかげで労働が変質する。一口には言えないが多くの場合、簡単になり、人でもいらなくなる。それによって失業者が増えたり、同じ仕事でもより経験の少ない未熟な労働者にこなせるようになって賃金が下がったりする。また簡単な仕事は労働者の知性を低下させる。あるいは、簡単なくせに危険で不衛生な工場の仕事は、労働者の健康を損なう。更にまた、工場での仕事は簡単ゆえに女子供の就労が増え、女子供の健康リスクは男よりも高くて余計事態は悪化する、等々。
整理すると第一に、機械の導入のせいで失業や賃金低下、労働災害の恐れがあり、これが生活水準を下げる可能性がある。第二に、それをさておいても、機械の導入が労働の質を低め、職場における、ひいては社会全体における労働者の地位、発言力を弱めるおそれがある。それどころか労働者の知性を低下させるかもしれない。
社会主義が捉えた、産業革命以後の新たな不平等とは、以上のようなものだ。社会主義が克服しようとしたのは、このような不平等と、もうひとつ、市場経済の無秩序性だった。彼らは大体において、スミスとは違い、市場経済は無秩序な混乱状態となる危険がある、と考えていた。
◇参考文献
前回の文献に加えて
柴田三千雄『近代世界と民衆運動』(岩波書店)
藤原保信『自由主義の再検討』(岩波書店)第U部
ピーター・シンガー『マルクス』(雄松堂出版)
稲葉「サイエンス・フィクションの終焉」
◇次回の予定
社会主義(続):マルクス主義
20世紀:世界戦争・世界恐慌・全体主義
◇第1回レポート〆切延長(ゼミ選考レポート提出を控えた2年生のみ):11月15日の講義終了時。
20011108
◇本番
*社会主義(続):マルクス主義
結果的に見れば、単に運動であるにとどまらず、権力を掌握して資本主義にとって代わる別の体制としての社会主義を作ったのはマルクス主義者であるから、マルクス主義を社会主義のチャンピオン扱いすることは正当である。しかしそれだけでよいのか?
前回話したような不平等とか労働者の搾取とかについての問題提起はすでにいわゆる「初期」社会主義、マルクスの言う「ユートピア的」社会主義によってなされていた。それらとマルクス主義を分かつもの、マルクス主義が自らを「科学的社会主義」と称する根拠はどこにあるか?
・マルクス主義によるユートピア的社会主義批判:
(1)説得や宣伝を通じた平和的改良主義ではだめである。資本家的市場経済の中で労働者を搾取して利益を得ている資本家たちは説得されないし、政治権力を握っている彼らは逆に弾圧にかかる。
(2)協同組合やコミューンなどローカルな社会主義実験体を作ってもだめである。資本家的市場経済の中でそれら孤立した社会主義共同体は存続できない。
ゆえに、体制の変革は一挙的になされねばならず、かつ暴力革命をもってせねばならない。
・マルクス主義がユートピア的社会主義に優越する(という)ポイント
(1)体制変革の困難さ=敵の強力さ=資本家的市場経済の強さをよく認識している。社会主義の設計図を描くことよりも現実の資本主義の分析を優先課題とする。
(2)運動においても、ローカルな社会主義実践ではなく、暴力革命を達成する主体=社会主義運動組織(党)の構築という課題を優先する。
(3)ユートピア的社会主義にとって労働者は主に指導と救済の対象であるのに対し、マルクス主義にとっては労働者自身こそが革命と社会主義建設の主体である。労働者階級こそが、資本主義の打倒と社会主義の建設によって利益を得る存在であり、また資本家階級を倒す実力を秘めた存在でもある。
しかし、マルクス主義の概念としての「労働者」はどの程度までに現実の存在としての労働者に対応していたのか? 結局、マルクスが自分の歴史観の中で革命主体という役割を労働者階級に勝手に割り当てただけのことではないのか?
・進歩主義としてのマルクス主義
マルクス主義は社会主義のチャンピオンというだけではない。実は社会主義か非・社会主義かという枠を越えて、進歩主義のチャンピオンでもある。
資本家的市場経済(資本主義)、ブルジョワ社会を打倒すべき敵として批判する一方で、マルクス主義はその偉大さ、歴史的画期性を誰よりも強調する。ブルジョワジーこそが世界史的な意味での近代をもたらした主役なのである。となると、プロレタリアート=労働者階級は、ブルジョワジーに対する反逆者であると同時に、その歴史的使命の継承者でもある、ということになる。
エコロジカルな観点でも、スミスを継承する19世紀の古典派経済学者たちが、経済成長には自然の制約がある、と考えていたのに対し、マルクスはむしろ無限の成長力を信じていたようだ。(稲葉「サイエンス・フィクションの終焉」
参照。)
*19世紀という時代
経済的には、自由主義の普及の時代。政治的には、民主主義が実現に向かっていく時代。(「自由主義と民主主義の時代」と直ちには言えない。理想として普及しただけで、制度的に実現したわけでは必ずしもないから。)
「理性的で自由な人間たちが、合理的な社会を現に作っている、あるいは、現に作ってはいないが、作ることは可能である」という理想が出来上がった時代。
では20世紀とは?
◇参考文献
前回の文献に加えて
マルクス&エンゲルス『共産党宣言』(文庫版いろいろ、他に最新の訳として金塚貞文訳『共産主義宣言』大田出版)
進化論の予習として
河田雅圭『はじめての進化論』
◇次回の予定
「公共性の構造転換」
20世紀:世界戦争・世界恐慌・全体主義
20011115
◇本番
*20世紀とはどんな時代か?
(1)「高度成長」の時代
この場合「高度成長」は戦後、1960年代前後のみのエピソードとしては考えられていない。さかのぼること半世紀の1920―30年代、いわゆる戦間期に、その原型が求められている。第一次世界大戦後から大恐慌までの1920年代に、アメリカはバブル景気と大衆消費社会の到来を見ており、日本では軽工業中心から重化学工業中心の産業構造になった。
(2)戦争と革命の時代
問題は、「高度成長」それ自体が「戦争にもかかわらず」というより「戦争があってはじめて」成り立ったものであるということ。
第一次世界大戦の画期性=総力戦・戦時動員体制
戦争・軍事のハイテク化は戦争財政を拡大し、その負担は増税・公債発行で民間を圧迫する。民間経済は平時よりも悪条件の下で、平時以上の生産性を達成しなければならない。平時以上の経営合理化が進み、あるいは官主導で新技術開発の巨大プロジェクトが組まれる。
若い男手をとられた上で平時以上のノルマを課された職場では、労働組合の地位向上や女性の職場進出が見られ、社会保険も拡充されていく。もちろん兵士とその家族対象の福祉制度も重要な意義を持つ。
国政レベルでも、しばしば少数野党をも取り込んだ挙国一致政権が組まれ、労働組合の政府との直接交渉体制も整備される。
すなわち、「福祉国家」の成立である。(その全面展開は戦後に持ち越されるとしても。)第2次大戦下イギリスでは、戦時キャンペーンにおいて、ナチスドイツを「戦争国家」とし、対する自国の理念を「福祉国家」とした。
そして実はナチスもまたそれなりに「福祉国家」であったのだ。ユダヤ人やジプシー、精神障害者の排除や抹殺はもちろん、ほとんどの一般大衆での公衆衛生の拡充と裏表でもあったし、職場から労働組合を排除して出来上がったナチスの職場組織は、実際には労働組合の代わりに労働者の利害を代表する機能を担うことになった。
戦後の「高度成長」はこうした「戦時動員体制」の遺産の上に可能となったとはいえないか?
(3)大衆の時代
自由主義から帝国主義・独占資本段階へ
制限選挙・議会不在から大衆民主主義へ
「公共性の構造転換」 市民的公共性から管理社会へ 「生活世界の植民地化」
大衆社会の出現 大衆massとは何か? 群衆crowdとの異同
人間は一人一人では理性的、とは言わないまでも訳のわかる存在であるが、集団になると訳がわからなくなる。
大衆の両義性:管理社会の中の、操作の客体か? ファシズムを突き動かす得体の知れない運動体か?
大衆は、その振る舞いが理解不能であるが故に、一方的な客体の枠に押し込めざるを得ない!
「市民的公共性」的合理的近代人モデルの説得力崩壊
(ではなぜ現在合理的主体モデルは復権しているのか?)
*講義で言わなかったこと
「自由で理性的な個人たちの対等な関係」という「近代」的社会像の原点を19世紀に帰し、20世紀をそこからの逸脱ととらえるこのような図式は、しかし、本当に正しいのか?
このような図式に立つ20世紀論――有り体に言えば、大衆社会論特有のいかがわしさというものがある。古典的「近代」の理想が18世紀末のフランス革命のスローガン「自由・平等・友愛」にあったとして、19世紀の近代人の少なからずはすべての個人を自由で平等な存在へと解放することを理想としたはずである。その思わざる結果が20世紀の大衆社会化だとしたら、それは古典的近代人(というものがいたとして)にとって、厳しく言えば「身から出た錆」である。ファシズムを支持した愚昧な大衆は、近代化の所産である。
あるいはそれは近代化(啓蒙)の故と言うより、近代化(啓蒙)の不徹底故のことだったのだろうか? 「未完のプロジェクト」としての近代自体は傷つかないのだろうか?
◇参考文献
ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(岩波書店)
ハーバーマス『公共性の構造転換』(未来社)
オルテガ『大衆の反逆』(中公世界の名著、白水社、他)
◇次回の予定
社会科学における合理的主体モデル