ユートピアを読み解く10冊

『論座』1998年10月号

稲葉振一郎

 「ユートピア」という言葉は、もともと16世紀のイギリス人トマス・モアが書いた本の題名で、その物語中に登場する架空の国の名前である。それはラテン語で「どこにもない場所」というほどの意味になる造語である。モアはその国を理想の国家として描き、それに照らして同時代の国家、社会の現実を批判した。そこから転じて「ユートピア」という言葉は現実の社会よりも優れた、理想的な社会、ないしそのような社会の構想のことを指すようになった。
 幸福な楽園についてのファンタジーは、その舞台が創世直後の黄金時代(エデン)であれ、未来における救世主の到来(メシア信仰、弥勒信仰)であれ、死者を迎える天国(『エッダ』ヴァルハラ)であれ、また海の彼方(「アーサー王伝説」アヴァロン、蓬莱伝説)や深山幽谷(陶淵明『桃花源記』)、あるいは別の惑星(ルキアノス『本当の話』)であれ、新しくもなければヨーロッパ文化圏固有でもない。しかしそれらモア以前の、つまり「ユートピア」以前の異境探訪の物語は、多くの場合、作者と読者の住む現実世界とは単に空間的に別の場所にあるだけではない、語の正確な意味での異世界への旅行記として語られた。そこへの到達は偶然になされ、旅人たちのそこでの体験や見聞は故郷=現実世界への帰還後は何の意味も持たない。極楽浄土もまた、「彼岸」であって生ける人間の赴くところではない。始源の楽園は過去に追いやられているし、救世主の到来は人間の意志でもたらされるわけではない。
 これに対してモアの『ユートピア』はヨーロッパにおいてユートピア文学という新たな伝統を創始した。その描くユートピア国の位置はアメリカ大陸に想定されており、その制度、慣習、風俗の描写においても、当時のアメリカに存在した土着文明についての情報を参考にした形跡がある。それはたしかに虚構の物語ではあるが、その想定の前提として、ヨーロッパ文明にとっては最近到達された新天地アメリカという事実を踏まえている点で、サイエンス・フィクション(SF)と考えることができる。
 モア以降おおむね18世紀頃までのユートピア文学はおおむね、たとえばジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』のように、異境探訪記の形をとるものであった。現実に船団が地球を巡る航海を日常的になしている時代がこれら『ユートピア』以後の、新たな異境探訪記の前提としてある。虚構ではあるが、その内容があるいは十分に実現しうるかもしれない類の虚構、その実現の可能性が世俗的知によって予測、期待されるような虚構、それをSFと呼ぶとすれば、近世のユートピア文学はまさにSFである。
 「ユートピア」以降の、つまりユートピアとして物語られた異境は、現実世界を映す鏡、現にある社会の批判を意図して紡がれた虚構である。楽園伝承や千年王国信仰も結果的には社会の現状を批判するはたらきを持っていただろうが、それと意図して語られる社会批判の物語としてのユートピアとは明らかに違う。またユートピア探訪記の前提となっている現実世界での航海は、通商にせよ征服にせよ探検にせよ、すでに地球全体を覆う社会体制として運行しているものであり、かつての異境探訪記が想定していたような小規模で散発的なものではない。つまり、ユートピア物語において描かれる現実世界と異境との接触は、偶然の出来事としてではなく、現実の(西欧)社会システムの運行に伴って必然的に起こること、として描かれている。
 つまり『ユートピア』の前後では、異境物語における異境、異世界、つまりは他者のあり方が、それらと日常的現実世界との出会い方、関わり方が大変異なってきているのだ。『ユートピア』以前には、他者としての異世界とはただ単にそこにある(ない?)ものであって、それがあったから(あるいはなかったから?)といって現実世界のあり方が変わるわけではなく、当然、そのような他者との出会いを契機にして、日常的現実世界に生きる現実の人々が、その生き方や考え方を省みたり改めたりする必要はない。それに対して近世以降のユートピア物語においては、そこに描かれる異境、異文化、そこに生きる人々(時に人間以外のものも含む)のありようがまさに当時のヨーロッパの現実、そこにおける社会、人の生き方、思想の意義を反省するよう迫るものとして描かれている。もちろんユートピア文学のそうした重さ、真摯さは、そこに描かれる虚構の異世界、他者がヨーロッパが既に現実に経験した他者との出会いを下敷きに、将来ありうべき異世界、他者との出会いへの期待と不安を表現しているがゆえのものである。
 18世紀頃までは、ヨーロッパの覇権はまだ現実的に確立していたわけではないし、思想的にもヨーロッパ中心主義は未確立であり、人文主義、啓蒙思想の徒はアメリカやアジアに優れた異文明のあることに素直に驚嘆することができていた。この世界には自分たちのそれとは別種の文化、社会があることを知り、そこから自分たちの社会、文化の現在のあり方が逃れがたい必然ではなく、変わりうるし変えうるものであることに思いを致したのが、啓蒙思想であり、ユートピア文学はその一翼をなしている。
 ところが、ユートピア文学の末裔たる、20世紀の通俗文芸としてのSFにおいては更に事情が異なる。もちろんSFも基本的には現実世界とは別の異世界を舞台としているが、その異世界は、典型的には単なる時間的な未来、つまり作者と読者の住む現実世界の延長線上にあるものとして描かれている。それは一方の極に、バラ色の未来、発達した科学技術がもたらす幸福と希望で一杯の世界を、他方の極に、同じく発達した科学技術が人間の自由や尊厳を脅かし、あるいは自然を破壊し、といった暗黒の世界を描き出すが、どちらにせよ、我々の世界がこれからたどりうる可能性の範囲内にあるものとして構想されている点では大差ない。SFが、それを「鏡」として現実の我々のあり方を批判しようとする虚構世界は既に「私たちとは異質なもの」という意味においては「異世界」、他者ではないのである。それはせいぜいのところ自己の理想像か悪夢でしかない。
 このようなユートピア文学とSFとの相違の背後には、19世紀を中心とする世界の激変がある。市民革命、産業革命、を経たヨーロッパはいよいよ本格的に世界を植民地化していき、19世紀中にはヨーロッパ諸国による「世界分割」が完了する。これによってユートピアの意味も変わってしまう。一面では、異世界であったユートピアは人間が自らの手で作り上げることができるものとして考えられるようになる。しかし他面では、地球上から未知の場所、つまり「異世界」の存在する余地はなくなってしまったのである。
 19世紀におけるユートピアは、文芸の中よりも、市民革命と産業革命の嫡子である社会主義の実践の中に見いだすことができる。だがその社会主義の中でも「ユートピア」なる言葉は評判を下げ、罵り言葉となってしまった。ありもしない異世界のイメージを頼りに現状を批判するより、実際に現状を変革していくことこそ大切だ、という考え方が支配的になった。初期の社会主義者たちは小規模なコミュニティにおける実験を全体社会の改革への第一歩として位置づけたが、それは心ない批判者によって現実世界の変革を捨ててユートピアへ逃避すること、と曲解されたのである。
 しかし、まさにそのように先行諸潮流を「ユートピア的」とそしって社会主義のチャンピオンとなったマルクス主義は、来るべき新たな社会についての確たるイメージを持たなかった。マルクス主義にとって革命後の社会は、基本的には既存の社会の遺産の相続の上に成り立つものとされていたのである。その遺産とはもちろん、産業革命以降、ものの生産、交通、通信のあり方を、つまりは経済システムを、人々の日常生活を激変させた科学技術である。産業革命以降の科学技術は経済と生活のあり方を一回限りではなく、絶えず変革していく、つまり変化そのものが日常化する。
 変革に向けての空想的な設計図ではなく、現実に存在して世界を変革し続けている産業的科学技術の中に、マルクス主義は(敢えて言えば)そのユートピアを見いだす。そうした発想は、足下の現実、すでによく知っているはずの身近なもの、あるいは他ならぬ自分自身こそが未知なる他者であるのかもしれない、という偉大な知恵でもありうる。しかし実際にはマルクス主義は多くの場合、他者を無視し、踏みにじる尊大な自己肯定の思想としてはたらいた。マルクス主義が反体制思想であるのは、産業の覇権を資本家階級から奪って労働者階級の手に帰そうとする限りでのことであって、産業的科学技術の体制そのものを批判することはもちろんない。かえってそれは時代を代表する反体制思想として他の体制批判、とりわけユートピア的構想を圧迫することによって、結果的には産業社会、科学技術文明の翼賛思想となった。
 ユートピア文学の20世紀における末裔としてのSFは、このような歴史の展開の中で、産業的科学技術によって、想像力を型にはめられ、産業社会が日常的に紡ぐ、科学技術の発展に伴う未来への夢想、恍惚と不安を、現実世界の意義そのものを政治的に問う構想力の糧とすることなく、単に娯楽として消費する通俗的エンターテインメントとなった。そこにはたくさんの宇宙人もまた登場するが、語の真の意味でのエイリアン、他者はほとんどいない。
 もちろんこのSFの時代においても優れたユートピア文学は書かれたが、それらはほぼすべて、むしろ反ユートピア(ディストピア)小説、つまり暗い未来を描き出すものであったことは注目に値する。19世紀まではかろうじて成り立ち得た、明るい未来のヴィジョンによって現状を批判する、というやり方は20世紀においては失効した。それはもはや現状肯定の所作にしかならず、現状に批判的に向かい合うには暗いネガティヴな未来像を紡ぐしかなくなったのだ。その代表作がジョージ・オーウェル『一九八四年』である。それは他者のいない閉じた世界の恐怖を生々しく描いている。
 しかしディストピア小説の達成をも越え、「明るい」「暗い」といった得手勝手な意味づけを拒否する他者、異世界としての未来を描いたSFも少数ながらまた存在する。これらこそが20世紀における、ユートピア文学の伝統の正統な後継者なのだろう。その中でも戦後日本で書かれ、現在でも容易に読めるものをあげるなら、安部公房『第四間氷期』宮崎駿『風の谷のナウシカ』となるだろう。前者は日本SFの揺籃期に、現代を尺度としてはその意味をはかることのできないものとしての未来、をテーマとした最高の達成であり、後者は冷戦の終焉に伴走しつつ、人間の構想力の極限としてのユートピアが、気がつくと自立して人間にとっての他者として立ちふさがる様を描いて、日本SFの幕引きにふさわしい傑作となった。
 更に言えば、未来のみならず過去もまた本当はそのような意味での他者なのだ。我々は過去にあったすべての出来事を知っているわけではないし、またそのような過去の知識にしても、個人の記憶のような意味で「憶えている」わけではない。何より現在の我々と出来事の当事者とでは、同じ出来事に対する解釈も異なってしまっているかもしれない。20世紀後半の歴史学は「社会史」においてそのような問題系への目覚めを改めて経験した。またアカデミックな意味での歴史研究ではないが、ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』は、ストレートにそのようなユートピアとしての過去(とりわけ「ユートピア的社会主義」への注目が興味深い)の救済を目指した作業である。日本においては中世史家網野善彦の、「封建」社会の中に着実に息づいていた自由の空間を描き出す作業(『無縁・公界・楽』他)にそのような問題意識を読み込むこともできるが、アカデミックに禁欲的な網野よりも無遠慮かつ鮮明に、日本の現在をも批判的に照射しうるユートピアとしての過去、まつろわぬ自由人たちの姿を描いたのは隆慶一郎『影武者徳川家康』、他)であり、更にその系譜の源流には幕末の混沌の中のユートピア実験の諸相を描く中里介山『大菩薩峠』がある。
 小説、歴史叙述、つまりは「物語」におけるユートピアの伝統について以上瞥見した。更にここに付け加えるならば、ジョン・ロールズ『正義論』に始まる今世紀後半のアカデミックな規範倫理学、政治哲学の展開は、抑圧装置としてのマルクス主義の陰りとともに隆盛を迎え、臆面ないほどストレートに「あるべき社会」の設計構想を語るユートピア的試みが多数現れている。その中でもロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』は、「多様なユートピア的実験の併存、つまりメタユートピアこそが「ユートピア」である」と主張しており注目に値する。それはある意味で「ユートピア的」社会主義の復権の宣言でもある。つまり、広い意味での文芸的伝統としてのユートピアはなお滅びてはいない、とたしかに言いうる。しかしながら、かつて19世紀のアメリカにおいて「ユートピア的」社会主義者たちが作り上げていったコミュニティの後継者は、実践としてのユートピアの現在はどうなっているのだろうか? 
 世界の「北」「南」を問わず、大都市のスラムや荒廃した農村の再開発において、住民主体のコミュニティ再生こそが鍵である、とはよく言われる。おそらくはそこにこそ今日の、実践としてのユートピアにとっての焦眉の課題があるのだろうが、本稿ではそれに関説する余裕は残念ながらない。

10冊
トマス・モア『ユートピア』(岩波文庫)(中公世界の名著)
ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)(新潮文庫)
ジョージ・オーウェル『一九八四年』(ハヤカワ文庫)
網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー)
安部公房『第四間氷期』(新潮文庫)
宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店)
隆慶一郎『影武者徳川家康』(新潮社)
ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(岩波書店)
中里介山『大菩薩峠』(筑摩書房)
ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(木鐸社)

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