1998年1月1日(木)

 みなさん、新年あけましておめでとうございます。今年があなたにとってよいお年でありますように。

 今日は知人宅に招かれて朝から夜まで新年会。したがって何も読んでいないので、正月でもあるし、昔読んだ本のことでも、気楽に書いてみよう。

 まずは本ではなくTVのはなし。ぼくが幼少時に最も熱中した作品は、いうまでもなく『ウルトラマン』シリーズだった。昭和38年生まれのぼくが、昭和40年から放映開始した初代『ウルトラマン』をちゃんと理解していたはずはないのだが、母親の証言によると、とりあえずテレビの前に座って熱心に観てはいたという。『ウルトラセブン』ぐらいからは、一応リアルタイムで観ていたといえるかもしれない。しかしどちらも、本当にそのおもしろさに胸を打たれたのは再放送で観てから立った気もする。それに比べると、『帰ってきたウルトラマン』は精神の基本的なかたちがつくられる時期と重なっていたから、あの岸田森と団次郎、そして舞台設定とシナリオがかもしだすあの何とも言えない暗い雰囲気に強い印象を受けたことを、今でも覚えている。観ていた人にぼくなんかが説明する必要はないと思うけれど、『帰ってきたウルトラマン』を知らない人も、ウルトラマン・シリーズに才能のすべてを賭けた若者たちの情念については、切通理作『怪獣使いと少年』(宝島社)という名著でうかがうことができる。その表題にもとられている、『帰ってきたウルトラマン』だけでなくウルトラマン・シリーズの「暗さ」の極致を示すシナリオ「怪獣使いと少年」のあらすじについては、このサイトを覗いてみて下さい。切通氏が見事な表現でつかまえた、「みんなが戦いに出てしまって、誰もいない星」というウルトラの星のイメージは、ウルトラ・シリーズにかつてやられてしまった者たちの心象風景の底部を完璧に表している。

 ぼくの家には本などというものはなかったので、本を読みたいときは親にねだって買ってもらうか、小学校の図書室で読むかのどちらかだった。
 たしか小学校の1年生か2年生のころに、『学研の学習図鑑 昆虫』を買ってもらったことはよく覚えている。ちなみに考えてみるとこのころは、お年玉で学研のトランシーバーを買ったり、学研の『科学』と『学習』を毎月とっていたり、学研『マイキット』という電気回路のおもちゃ(これは今でも持っている)に熱中して性能の悪いラジオや妙な音の発信器を作ったり、とにかく「学研」に多大な貢献をしていたな。「学研」さんには、アホなオカルト雑誌なんかで儲けていないで、少年少女に正しい実験と探求の精神を受け付けるよう、あくまで啓蒙主義的にがんばってもらいたいものである。
 小学校では、週に1回「読書」という時限があって、ただ単にみんなで図書室に移動して好きな本を読んでいた。ぼくがとにかく好きだったのは、作者も今ではわからない、『光る雪の恐怖』みたいな感じのジュヴナイル(あるいは、ジュヴナイル向けにリライトされていたのかもしれない)SFで、雪が生きていて次々に人間を襲って殺す、という話だった。これが面白くて面白くて、同じ話を1年のうちに何回も読んだものだ。

 あくまで今振り返ってみれば、ということなのだが、ぼくがその後(一応、、、)社会科学系に進んでくる上で最大の契機になったのは、小学校の4年生の夏休みに読んだ松村明『公害の話』(ポプラ社)という本だった。これはたした1969年頃に出版された中学生向けの啓蒙書シリーズの一冊で、もしかしたら著者名は違うかもしれないが、今でも本屋で見かけることがある。どうしてこの本を手に取ったのか、よく覚えていないが、たぶん何かの「課題図書」で、中学一年生向けとしてとりあげられていいたのだと思う。(当時のぼくは、小学館の学習雑誌でも何でも、自分の実学年よりも上の生徒向けになっているものしか手に取らない、生意気なガキだったのである。)
 この本から受けた衝撃は、簡単に表現できるものではない。表紙を開くと、中表紙には丸い地球の写真があって、その下に中原中也の「汚れちまった悲しみに……」という詩の一節が印刷してある。そして内容はタイトル通り、ラルフ・ネーダーのGM相手の消費者運動から始まり(この時以来、ネーダーはぼくにとって今に至るも特別な人物である)、水俣病やイタイイタイ病などの実態のルポであった。

 ぼくはまだその頃は、理科系的なことにものすごく興味があって、なぜか宿題でもないのに、ノート1冊に様々な病原菌とウィルスの絵、そしてそれらが引き起こす病気についてまとめたものを、小学1年生の夏につくって学校の先生に見てもらったりしたこともあったのだが、そういう「病気」そのものへの関心が、ぼくをこの本に強烈に引きつけたことは確かだ。けれども、衝撃はもちろん別の次元にかかわるものだった。最初、水銀中毒についての情報がないあいだはともかく、どうしてチッソは多くの中毒患者が出た後も、排水を流し続けたのか。どうして科学者はそれを止められなかったのか。問題は、科学技術に内在しているものでもあるが、それだけでもない。こんなことを許してきた人間とは、社会とは、いったい何なのだろう。……そのときぼくが考えたのは、おおよそそういうことだった(どこかに当時書いた感想文が保存してあるはずなのだけれど)。

 ウルトラ・シリーズで無意識のうちに学んでいた、廃墟と絶望の感覚は、この読書によって決定的に研ぎ澄まされたように思う。その翌年には、『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになり、ぼくはそれを読んで「ああ、ぼくは1999年7月で37歳だから(本当は36歳なので、計算が違っていた、、、)、37歳までしか生きられないのか」と暗い気持ちになったり、梅図かずお(字がわからん)『漂流教室』に感動したりと、なかなか時代風潮にはまって「終末論」していた。先日書いた、「フェッセンデンの宇宙」に出会ったのもその頃だった。

 その次の衝撃は、大学に入って女性学を勉強し始めてから、従軍慰安婦の歴史に触れたときを待たねばならない。それについてはすでに少し書いたのでやめておこう。それ以来、魂を揺さぶられる本には何冊も出会ったけれど、自分が否応なく決められてしまう、という体験は、もう二度とない。
(午後11時41分)