1998年8月6日(木)

 アメリカ合州国とメキシコとの国境の町ティファナに入ると、まず広場に土産物屋が並んでいる。アクセサリーのようなものが多いが、なぜか様々な大きさの「クマのぷーさん」ディズニー・ヴァージョンの人形がたくさん売られていて、いったいこんなもの誰が買うのだろうとあきれるのだが、実はぷーさん人形を抱えたアメリカ人観光客らしき人の姿をけっこう見かける。やっぱり子どもが「欲しー!」とか叫んで親がしぶしぶ買ってやるのを見込んでいるのだろうか。2回前の日記に添えておいた、うまく行かなかったらしくてテナントがほとんど入っていない廃墟のようなショッピング・モールを何となくぶらぶらしているとき、音もなく照りつける太陽とじりじりするような照り返しのあいだを、黄色と赤の中型「クマぷー」を小脇に抱えた、これはメキシコ人らしい小柄なおっさんがせかせかと歩き過ぎて行ったのが、なんだかつかみ所のない夢のような感じだった。

 メキシコでは、特にティファナ(英語流に発音するとティワ〜ナァ)では、観光客相手の商人たちの客引きが凄いと聞いていったのだが、国境沿いではまだそうでもない。屋台が並ぶなかを通っても、スペイン語でなんやかや叫びかけられるだけだ。でも、そこからオンボロのバスに乗って、中心街(その名もCentroというのだ)の方へ行くと、また世界が変わる。なぜか僕と同居人しか観光客の乗っていない――こんな暑い時期にあんなところに行く人はいないのか、それとも不況で日本人が少ないからか――バスを降りたとたんに、たぶん4歳かせいぜい5、6歳ぐらいの小さな子どもたちが、手に持ったソフト・ドリンクの紙コップを突きつけてくる。何も言わず、こっちをじっと睨んで。一人に小銭を渡すと、次から次に子どもが寄ってくる。10セントもあれば、パンがいくつか買えるという。その中の二人――兄弟かもしれない、男の子と女の子――に、「これはレボリュシオン通りかい?」と尋ねてみると、はにかんだ笑顔を浮かべて、何も言わずに、もじもじしていた。そんなことをかれらに尋ねるのは無理だったのだろう。日本でだって、4歳ぐらいの子どもに、いきなり「これは青梅街道?」とか尋ねたってわかりゃしないだろう。それにしても、メキシコ人の子どもたちはみんな滅茶苦茶かわいい。僕の好みもあるのだろうけれど。そういえば、その後、商店街を離れて一人でぶらぶらあてもなく歩いていたら、公衆電話を使おうとしているメキシコ人のにいちゃんに、「これ、カードでかけるにはどうすればいいんだ?」と、(たぶんそれらしきことを)スペイン語で訊かれた。同居人に言わせると、僕は日本人の平均なんかよりも圧倒的にメキシコ人の方に似ているということらしい。自分でもそんな気がする。

 「革命通り」には民芸品や洋服を売る店、それにレストランやカフェが延々並んでいて、歩いているとばしばし声をかけられる。なに!?と思うのは、ほとんどの呼び込みが、日本語の決まり文句を持っていることだ。それも、「ミルダケ、タダ」とか、「ショチョー!」(「社長」のことか?)とかは別に良いのだが、「チョービンボー」(誰かが、買わないと言うときに言い訳として使ったのをそのまま反復してる?)とか、果てはなぜか「チビマルコチャン!」と叫んでくるやつがいたりする。何が言いてえんだよ、何が。そんなだから、たぶん、かつてはここにも日本人観光客が溢れていたのだろうが、今はほとんど出会わなかった。香港あたりでも、日本人の買い物ツアー客はめっきり少なくなっていると言うしな。しかし、おみやげ的なものや、実用的なグラスなんかを買うのはわかるが、わざわざ買い物に来るようなところだろうか、いったい何があるのだろう、と思った。ブランド品の店が目立つわけでもないのだ。いや、たぶん調べれば、しっかりあるのだろうけれど。

 旅行から帰ってきてからは、来る日も来る日も図書館通いとコピー取り。目先の研究テーマと関係のない本をのんびり読む暇もないのだが、思い立って、ひさしぶりにプラトン『ソクラテスの弁明/クリトン』(岩波文庫)を読んだ。プラトンの邦訳書はいくつか読んだが、質量共に飛び抜けて面白かったのは何といっても『国家』(岩波文庫)だった。『饗宴』(岩波文庫)もいいんだけど、プラトン/ソクラテスのあのとことん行くところまで行った一種の邪悪さがよく出ているのはやはり『国家』の方だろう。『ソクラテスの弁明』も『クリトン』も、短いながら、いい線行っている。

 この二つのテクストには、「死は一種の幸福である」とか、「不正はいかなる場合にも許されない」とかいう命題が、その精髄だけをとりだすような形で明快に提示されていて、現代の倫理学も結局はそれを乗り越えてはいない地平が示されている、と思う。死を賭してもやらなければならないことが存在するということ、条件付きで不正を許容することもまた別に堅固な根拠のあることではないということ、それくらいのことは僕にもわかるが、しかし、僕には、何から何まで、そのすべてを完全に乗り越えなければならない偽りの倫理のすべてが、この二つの書、いや、プラトンの著作の内容をなしているように思われてならない。というか、そもそも倫理の領域においてはならない事柄を語ることが倫理学であり哲学であると読者に錯視させるというトリックを徹底してやり抜いたのが、これらの著作ではないのか、と疑っているのだ。

 それにしても、賢者と称する/称される者たちの不十分さを、誰からも頼まれもしないのにわざわざ旅してまで暴いてまわるなどという、考えようによってはまったくどうでもいいようなことにかけがえのない生涯の貴重な時間を費やし、最後の最後になっても、異邦の地へと逃げて生き延びることができるにもかかわらず、屁理屈をこねて結局は毒杯を仰いでみせることに固執したソクラテスの異様な生き様とは、いったい何だったのだろうか。学生時代に読んで感動した名著、関廣野『プラトンと資本主義』(出版社は忘れた)の言うように、この世を生きる上での地に足の着いた徳は、むしろソクラテスが誹謗してやまなかったソフィストと、悪妻として名高いあのクサンチッペの方にあるのだろう(いったい、なんら生産的な仕事もせずにぶらぶらし、時には美少年をはべらせて悦に入っている夫を優しくかいがいしく世話して差し上げる妻なんてものがいたら、その女はただの馬鹿と言うべきではないのだろうか)。

 それでは、もうプラトン/ソクラテスなんてものは、せいぜい笑い飛ばして省みなければいいのだろうか。そうかもしれない。けれども、知の自己言及としての「哲学」を創始するという「奇蹟」をなしとげた――と「哲学史」の観点からは遡及的に、そしてそれ自体が自己言及的に位置づけうる――ソクラテス/プラトンのテクストは、そうと意識しようとしまいと、僕ら――明治以降の「日本人」をさえも――の精神を確かに決定的なところで呪縛しつづけているように思える。そこから脱出しようとしたニーチェ、ハイデッガーが、「ナチス」というもうひとつの事件と関連づけられてしまわざるを得なかったことの意味だって、まだ十分に解き明かされたとは、僕にはとうてい思えない。ニーチェが書きつけた、「いつの日か、私はすべてを肯定する者になりたいのだ」という一節の苛酷さを、僕は日増しに強く感じるようになっている。まるで大雑把にしか言うことはできないのだが、僕は世界そのものについて語りたくて、一方では素朴に事物を記述すりゃいいのだというジャーナリスティックな行き方で十分だと思ったり、しかしそのためには前段階があるのだというカントやフッサールの行き方にも共感してかれらの著作をかじってみたり、それでどっちつかずの社会学――これは肯定的な表現のつもりだ――の方へ進んできたわけで(『北の国から』の純くん風に)、しかしそんな「世界」はそこに転がっているわけではなくて、ソクラテスのあの過剰な思考との対決をつづけるなかから見いだしていくしかないんだろうな、なんて改めて考え、ため息をついたりする。

 ここんとこ、なんか体調が悪いんですよね。食べた物を全然消化できない。そもそも、僕は1年の半分以上は腹をこわしているのだが、この1週間ばかりはちょっとひどい。そんなわけで、なかなか読書日記も更新できませんでした。帰国が近づいているのが、ワタクシの繊細な精神に作用しているのかしら。大学院に入学した前後も、3ヶ月ぐらい腹をくだしつづけたもんなあ。わりと地味な生活だったけど、やっぱりこのバークレー滞在は夢のような日々だったと、今にして思います。(25時00分)
 

   
ティファナの「造花売り」の親子。     ティファナにはなぜか歯医者がやたら多くて、しかもかわいい看板を出していた。