2004年度 性現象論 シラバス

◆担当: 加藤秀一(本学社会学部教授)

◆単位数: 春A・秋B・各半期2単位

◆開講日時: 水曜6限 

◆教室:2号館 2301 (予定)

◆講義のねらい: (少し難しいかもしれませんが、講義ではもっと丁寧に説明します。)

 〈性〉にかかわるさまざまな現象について、(私が考えるところの)社会学的な視点から理解することをめざす。

 〈性〉は社会的な現象である。少なくとも、社会的な現象としてとらえることができる。これは、(よくあるように)どこそこまでが「生物学的」で、どこから先が「社会的」か(遺伝か環境か、氏か育ちか、等々)といった話とは違う。そうではなくて、そのような二項対立をも相対化する(その上で、議論の枠組みとして必要に応じて利用する)ためにも、〈性〉をあくまでも、徹底して〈社会的〉な現象としてとらえよう、ということである。そのような視点というか、思考の「構え」をとることの意味が実感できるなら、あなたはこの講義の内容を十分に理解できるだろう。逆に、この世界は、それと関わりながら生きている〈私〉(=あなた自身)のものの見方や感じ方とは独立に、あらかじめ決まったやりかたで存在している、という感覚を相対化するセンスのない人には、僕が何を喋っているのか、何もかもがちんぷんかんぷんだろう。

 たとえば「性欲」という現象について考えてみよう。性欲はまったく身体的な経験であって、社会などというものに先立っているように思われる。これも一つのリアリティだ。けれども、身体を持つと同時に身体である人間が、社会のなかでしか存在しえないということ、また、そのことについて考え語るために「性欲」や「身体」という言語記号を利用せざるをえないということ、これも事実だ。このことをふまえてみると、性欲の社会性というとき、そこにはだいたい二つの意味があるということがわかる。

 第一に、性欲という言葉で指し示された経験そのものが、社会的な作用によって影響されている、ということ。たとえば「第二次性徴の早期化」といった、いっけんするとまったく肉体的な現象でさえ、その背後に「社会全般における栄養状態の改善」といった原因を見出すことができ、さらにはそのような変化を支える社会のあり方を、どこまでも遡って見極めることができる。これは、社会環境が、物質としての身体のあり方に作用する、という水準の問題である。

 第二に、性欲という概念そのものが、社会的に生み出され、用いられる「ものの見方」を表しているということ。そのような「ものの見方」がどのようにできてきたのかを考えることは、第一の意味とはまた異なる、社会学的な営みである。たとえば、「性別」という言葉と「性欲」という言葉にはどちらにも「性」という文字が含まれているが、それは何を示唆しているのだろう? 私たちが、世界を把握し、論じ、分析する、そのやり方自体に〈批判〉の眼を向けること。それは、第一の意味での「性の社会学」が拠って立つ基盤そのものを問い直す、より根元的な知的探究につながってゆく。

 この講義は、こうした二重の意味において〈性〉を社会学的に理解していくことをめざす。具体的にあつかうトピックは、進化生物学、性暴力(セクシュアル・ハラスメントを含む)、ドメスティック・バイオレンス、性教育、労働市場における性差別、生殖テクノロジーと家族・夫婦の意味、など多岐にわたるが、それらの表面を撫でるだけではなく、時間の許す限り、相互の連関や社会全体のなかでの位置づけなどをできるかぎり緻密に分析してゆきたい。
 あらゆることに対して、「なぜ?」「どうやって?」というみずみずしい知的好奇心を持っている人の期待に応えていけるよう、内容は通り一遍のものにはしないつもりだ。専門科目なので、入門書に書いてあるようなことに終始することはしない。そのまま卒論に活かせるようなレベル設定を心がけたい。したがって、2年生にはキツイ科目になるかもしれないが、特別な予備知識は求めない。とても基本的なことがらから分析を始めるけれども、単に「わかりやすい」範囲で話をやめることはしない。僕自身が結論を出し切っていないような問題でも、それが興味深いものであれば、参加者に投げ出し、一緒に考えていってみたい。
 それこそ望むところだ、という学生の履修を期待している。

◆春学期(性現象論A) 講義計画       (質問の多少などによって進度は変わりますが、内容の基本的な骨格は変えないつもりです。)

■テーマT 「性現象論」は何を・どのように問うのか
@ 4月14日 ガイダンス、小レポート「なぜこの授業を履修するか」

A 4月21日 1 性現象とは何だろう
 1・1 〈性〉というコトバ:コトバとしての世界/カテゴリーとしての〈性〉/〈性〉の多義性と単一性
 1・2 〈性〉を社会学すること:社会現象としての「犯罪」と「性」/「〈性〉とは何か」とは何か――社会現象に対する二つ の態度

B 4月28日 2 性別という〈現実〉
 2・1 「性別とは何か」とは何か
 2・2 性別が二つであるとはどういうことか:性別そのものへの問い/ヒトの発生過程/「性別」の多層性/生物学・生物医学における「性/性別」(セックス)の定義/日常観念における「性別」観念の本質/個体の性別を決定でき るための予備的条件

C 5月12日  3 二つの基礎概念:ジェンダーとセクシュアリティ
 3・1 「性別」と「性欲」:第一の考察:性器と生殖器/第二の考察:「無性人間」は何ゆえに無性と呼ばれるのか/結論 :「性別」と「性欲」の癒着
 3・2 〈性〉を分析するための概念地図:性別分割・性別差異・性別役割・性別同一性/セクシュアリティ
 3・3 ジェンダーの3つの水準:性別・性差・性役割:ジェンダーのシステムを構成する三つの水準/性差とは何か
D 5月19日 (承前)
 3・4 ジェンダー・アイデンティティと他者の視線:アイデンティティと社会的役割/ガーフィンケル「アグネス論文」の 事例/J・バトラーによる「パフォーマンスとしてのジェンダー」 
 3・5 進化生物学による「性別」の理解:基礎知識

■テーマU セクシュアリティと権力作用

E 5月26日 1A ジェンダー/セクシュアリティのマトリックス
 1・1 性別アイデンティティと性的指向:19世紀の性科学とS・フロイト『性理論三篇』/現代日本における「オカマ」とい う観念/性別アイデンティティと性的指向へ
 1・2 性別同一性障害と同性愛:性別アイデンティティと性的指向のマトリックス/性同一性障害/インターセックス /同性愛/異性愛
 1・3 ジェンダー/セクシュアリティの相対性:性別アイデンティティに何を含めるか/両極化の陥穽

F 6月2日 1B 「ヘテロセクシズム」の社会
 1・4 ジェンダー二元制とヘテロセクシズム:セクシズムとヘテロセクシズム/同性社会と同性愛/ホモフォビア(同性 愛嫌悪)をめぐる闘争/現代アメリカ合州国の同性愛者解放運動/現代日本の同性愛者解放運動/同性婚 の展望/補論・「結婚」という国家制度について

G 6月9日 1C 〈セクシュアリティ〉は実在するか?
 1・5 〈同性愛〉は実在するか?:〈同性愛=ホモセクシュアリティ〉の発明/フロイトの同性愛論と現代の脳科学/  「同性愛」と〈同性愛〉の区別
 1・6 〈同性愛〉ではない「同性愛」:古代ギリシア社会の「少年愛」/D・ハルプリン『同性愛の百年間』/ニューギニア 部族社会の「儀礼的同性愛」/日本・江戸期の「男色」文化
 1・7 〈セクシュアリティ〉という構築された〈現実〉 

H 6月16日  2 「性暴力」をめぐって
 2・1 性暴力とは何か:「暴力」とは何か/暴力の意味づけをめぐる言説の闘争/性暴力の定義
 2・2 性暴力の現状:分類について/性暴力をめぐる神話と現実/基礎的データ

I 6月23日 (承前)
 2・3 セクシュアル・ハラスメントをめぐって:セクシュアル・ハラスメントとは何か
 2・4 性暴力と社会:性暴力の〈物質性〉と〈言説性〉/性暴力をめぐる「言説の闘争」/被害者の〈スティグマ化〉と〈帰 責=加害者化〉
 2・5 性暴力とどうたたかうか:「性的自己決定権」の確立/被害者と加害者/「性暴力」の彼方へ

J 6月30日 3 現代日本における「性教育」と権力
 3・1 「性教育」の意義・歴史
 3・2 東京都における性教育弾圧の現状とその背景

K 7月7日 4 「性の商品化」をめぐって
 4・1 「性の商品化」とはいかなる問題なのか:「買売春の是非」を論じる前に/「性の自己決定権」論vs.「性道徳」論?
「性道徳」とは何か――「売春」はどのように定義されているか/何を問えばよいのか――商品である性と商品 ではない性/なぜ女の肉体が商品になるのか/なぜ「女が売り、男が買う」のか?
 4・2 買売春の歴史:日本における売買春:近世以前/近世日本における公娼制/近代国家と公娼制・売買春産業の 発展 (西欧/日本)/第二次大戦後

L 7月3日  (承前)
 4・3 現状――世界市場のなかの買売春:世界的な人身売買・奴隷状態の蔓延/国家的産業としての売買春/現代 日本における売買春の変質?
 4・4 「性の商品化」の倫理学:売買春の倫理学における二つの視点/倫理学的問いと法的規制/「売買春の犯罪化」と「売買春者の犯罪者化」/「性の自己決定権」論

教科書・参考文献

1.買わなければならない教科書はありません。教科書を解説するスタイルの講義ではありませんから、講義そのものをよく聞いてください。

2.参考文献リストには、講義に関係するものを掲載しました。最低限、これだけは眼を通してもらいたい、というものは太字で示してあります。
  これ以外の参考文献は、講義の中で、適宜紹介していきます。リストも順次拡大していきますので、ときどきこのページを覗いてみてください。

 
◆課題と成績評価

 履修人数によっても変更するが、今のところ考えているのは以下のようなやり方。

 ・学期中に小テストを数回行なう。(未受験分は「零点」としてあつかう。受けなくても即落第ではない。)
  学期末には教場試験を行なう。(欠席の場合は即落第とする。ただし正規に「追試験」を受ける場合は別)

 ・成績評価は小テストと学期末試験の合計点を基準として、平常点を勘案して行なう。
 (平常点とは、授業に臨む態度・発言(質問)回数・自主的レポートの出来などを評価するものです。)

◆備考: 

履修にあたっての注意。あるいは、履修学生に私が期待すること。

1.ただ漫然と出席していれば単位がもらえる、という授業ではありません。講義のねらいや内容に深く興味がある人「だけ」に履修を期待します。そういう参加者の質問や要望には、できるかぎり答え、応えたいと思っていますが、「単位ください」とか言ったり、試験答案にその手のことを書いたりしてくる人は、その瞬間に落とします。

2.「平常点」を成績評価に組み入れる以外に、単に教室に来て座っていたという意味での「出席」は重視しません。

 勘違いをしている人が毎年いるようですが、小テストやレポートを全部提出して試験も受けることは、単位取得のための前提条件にすぎないのであって、それがただちに合格を意味するわけではありません。全回出席しても、試験の出来があまりにも悪ければ不合格になります(ただし、試験の出来はいまいちでも、授業中に毎回有意義な質問をした、というような人は、それなりに評価したいと思っています。)。
 逆に、まったく講義に出席していなくても、その分を自分でどんどん勉強して、テストで素晴らしい答案を書けば、「A」だって取れるでしょう(が、現実にそういう人はほとんどいないように思います。授業にでていないくせに試験だけを受けた人の答案は、一目でわかります)。

 念のためにつけ加えておきますが、講義に全回出席して、全時間集中して講義を聴くことは当然の前提ですから、勘違いしないように。ただ単に、いちいち出席はとらない、というだけです。

3.私語は絶対に許さない。私語があるあいだは講義は進めない。居眠りぐらいならともかく、私語を延々とつづけることは悪質な授業妨害であるから、教室から退出してもらいます。もちろん、その時点で単位取得においても「失格」とします。
 あまりにも常識的なことであり、書いていて情けなくなりますが、講義中に平気で私語をし続けたり(しかも前のほうの席で!)、椅子にふんぞりかえってスポーツ新聞を拡げていたりするゴミ人間が少数とはいえ「実在する」現状があるので、あえて注意を述べておきました。自分はそんな程度の低い学生ではない、と憤る人もいるでしょうが、申し訳ありません。

   ぼくは知的に何かを吸収したいという人(学生とはかぎらない、もぐりで講義を受けている「社会人」もいる)の期待に応えるために講義をするのであり、内容なんかどうでもいいからとにかく単位をくれ、という人のために講義をするのではありません。講義の内容に関する質問・疑問・議論は大歓迎です。ぜひお互いに協力しあって、活気のある、有意義な講義にしていきましょう。

(2004年4月12日現在)

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