日本語版購読者の皆様
第4回目の日本語版ダイジェストをお届けします。
*平安時代の『毒』
*毒、『Sino-Iranica』におけるルバーブ
*仏教解釈学、『古今集』そして伝搬論
*道長と日曜日
*メンバーニューズ
もしオフリストで質問者に直接ご返事頂けるときは、それぞれのメールア ドレスに直接返信して 下さい。その他の返事ならびに質問などはwat...@...eijigakuin.ac.jpに送って下さい。英訳します。
メールの総数: 29
期間:2003年6月28日 - 7月4日
英語の原文は以下のページにあります。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/logs/2003/2003.06.html
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/logs/2003/2003.07.html
その他のリンクなどは最後にあります
From: Pollack <Poll...@...l.rochester.edu>
Date: 2003.6.28 00:20:29 Asia/Tokyo
Subject: Re: 平安時代の『毒』
「早蕨」に関する大変面白いpmjsアーカイブのメールを読み直していて、ルバーブの葉にはいやな毒があるのを思い出しました。それからインターネット検索をちょっとしてみました。(あんまり的確な調査方法じゃないですけど、だんだん第一の手段なってきました)。それで、ルバーブは確かに中国の薬草(日本語;漢方)だということが、確認できました。下剤の働きがあり、平安時代の日本でも使われた可能性がある(?)。(何も用例がなくてすみません)。
シャープ製の電子辞書の『広辞苑』では「大黄の根(下剤)」とあって、ルバーブの訳の第一義は「丸葉大黄」とあります。根茎の外皮をはがし、乾燥して薬剤とします。中国と韓国(朝鮮)に別種があり、また黄色の染料として使われました。
以前、織りと染色をしている日本人の妻とサンフランシスコの中華街をぶらぶら歩いていたときに、漢方薬局の前を通りかかりました。ショーウィンドウにはサンプルが出ていて、漢名が付いていました。
「大黄」もその中にありました。妻は伝統的な黄色の染料としてこの名前を知っていました。中に入って、これについて訊きました。すると薬剤師はものすごく不審な顔をして、何に使うつもりか尋ねました。それで、妻は「染色(ダイイング、Dyeing)」と答えたところ、「死ぬため(ダイイング、DYING)?? 」と大声を上げ、「出て行って、二度と来ないでくれ」と叫びました。
実際「大黄」は致死させることもできる薬物で、取扱に注意が必要でした。漢字でさんざんコミュニケーションして(中国人と日本人の僧侶の中世の「筆話」というのを思い出しました)説明した結果、薬剤師は落ち着きを取り戻して、どのぐらい欲しいのか聞いてきました。もし、薬物として使用すると、微量でも高額で、染料としては大量でも、ほどほどの値段でした。
「大黄」が平安時代に書かれたものに出てくるかどうか全くわかりませんが、平安生活の一部ではあったようです。
David Pollack
From: INGP...@....com
Date: 2003.6.28 03:15:56 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の『毒』
皆様ご返事ありがとうございました。すばらしいです。いろいろな出典などが手元に揃ったように思えます。思い出せなくても、調べることが出来ます。Thomas Howell 『今昔物語』の用例ありがとうございました。堕胎用の薬は殺人には使われなかったのではと思います。でもわかりませんね。『医心房』では、性交についての既述はあるようですが、不思議なことに避妊や堕胎については触れられていないようです。多分、毒薬についてもかなり触れられていると思うのですが、本が高くて(まだ)購入してません。
Michael Watson アーカイブのリンクを直してくださり、そして用例にも、重ねて御礼を言います。
アーカイブではワラビとじっくりと時間をかける毒について面白い議論がありますね。これもいつか、どこかで使うために覚えておかなくては。トリカブトもあり得ますね。成親の用例はまだみていませんが、毒薬の名前は書かれていないのでしょうね。ルバーブはすばらしい提案です。サンフランシスコの漢方薬局での話、ものすごく面白かったです。虎退治の矢尻の毒はインドに起源があるでしょうね。ともあれ、インド、中国、朝鮮起源の薬物ないし毒物は当時の日本でも入手できたということですね。
覚書を作りましたので、これからもっと調べます。どうもありがとうございました。(不審にお思いの皆様へ、私は推理小説を書いています)。
Best,
Ingrid
From: Andrew Goble <platy...@...kwing.uoregon.edu>
Date: 2003.6.28 07:55:03 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の『毒』
知っている限り、現存の医学書や日本にあったとされるその他の出典のどこにも、戦国時代以前、「毒」(?)に関する記述は表れません。また、一般に良く知られた言葉の「薬」(?)は、英語では「medicine」とも言い、「 poison」とも言いますが(両者共にその摂取によって体内状態の変化を招くもの。つまり薬ですが、薬は普通粉末状であり、火縄銃などにも使われたものも指す、ということが思い出されます)、医学書というのは、治療について書かれているもので、殺人について書かれているものではないですから、「毒物」の用例をみつけることは出来ないと思います。
また、私自身は誰かの毒殺に成功したというような用例にはまだ出くわしていません(もしそういう例があるならばぜひご教示願いたいです)。『今昔』の話に関してですが、もちろん中国における虎退治のための毒矢というものの好都合な用例ですが、日本での話ではありません。
しかしながら、足利忠義は兄尊氏によって毒殺されました。それから、私が見つけました人工中絶薬に関する最も早い用例は、16世紀後半のもので、山科言経の日記の記載です。
From: Andrew Goble <platy...@...kwing.uoregon.edu>
Date: 2003.6.28 07:57:03 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の「毒」
もう一つの質問にお答えするのを失念しまして、失礼致しました。『医心房』には毒薬に関する記述はありません。実際の書物を御覧になっていないのに、その内容について憶測する(というふうに見受けられました)人がいるというのは一体どういうことなのか、お訊きしたいです。
From: INGP...@....com
Date: 2003.6.28 23:51:03 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の「毒」
Andrew Gobleさん毒についてのコメントありがとうございました。『医心房』について推測を述べましたが、これについて。まず、虚構作品の作り手にとって推測は大変必要なことです。次に、私の『医心房』についてのコメントはMichael Steinに多くを拠っています。更に、推測は、部分的に調査の一部でもあります。『医心房』は、遅れずに手に入れますが、分別なくしゃぺったことをお詫び致します。
Ingrid Parker
From: Lawrence Marceau <lmarc...@...scape.net>
To: Multiple recipients of pmjs <p...@...eijigakuin.ac.jp>
Subject: 平安時代の「毒」
平安時代の「毒」について、薬(medicine)と 毒(poison)と等価値のものについて、Jacques Derrida が有名な(そして啓発的な)エッセイを出しています。(このエッセイはその他のさまざまなものについて触れています)。英語の書名は"Plato's Pharmacy"です。Dissemination(1981)に収載されています。(ジャック・デリダ 「プラトンのパルマケイアー」『現代思想』1975年3月号ー訳者注)。
この論は、古代日本の文物では、何故「毒」などが認知されていなかったのか理解の一助となるかもしれません。
Hope this helps.
Lawrence Marceau
From: Aileen Gatten <agat...@...ch.edu>
Date: 2003.6.30 07:03:42 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の「毒」
薬と毒が近しい関係にあるというLawrence Marceauの良識ある見解について付け加えると、 Ingrid ParkerはEdward Schaferの唐代に関する一冊"The Golden Peaches of Samarkand"(特に第11章の"Drugs")と"The Vermilion Bird"(第10章の毒性のある植物を含む"Plants")を参照することを薦めます。Schaferは奈良正倉院に八世紀の薬が遺っており、平安時代の日本に中国などから薬が輸入されたとみなして良いだろう、と書いています。
Ann Woodwardは平安時代の推理小説"The Exile Way" (Avon, 1996)を書いています。それでは、薬と毒が主要な役割を果たします。
Aileen Gatten
From: pollack <poll...@...l.rochester.edu>
Date: 2003.6.30 10:23:02 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の毒
ルバーブのことを書いたときに言いたかったことは、食物としての植物にも毒性があるものがあり、中国の本草関係書では薬物として扱われるということでした。こういう薬草の類は特別な場合に使われ、またきちんと計量され、混合されます。それ以外に使われるときは、危険なものです。米国で近年運動選手がマオウ(mahuang)を無差別に使って、健康を損なった例があります。漢方薬局での話は単に面白いから書いたのではなくて、薬剤師が、この薬草が、無知な(或いは故意に悪用する)人によって、間違った扱いを受けるのを心配したのはもっともです。ジャック・デリダが役立つかどうか疑問ですが、 Ed Schaferの唐代の物質文明に関する本はどれもおもしろいです。これはEd SchafeがBerthold Laufer の1919年の"Sino-Iranica"という本から、その基本を発展させたものです。
David Pollack
From: guelb...@...eda.jp
Date: 2003.6.30 12:54:16 Asia/Tokyo
Subject: [pmjs] 仏教解釈学、『古今集』そして伝搬論
Lewis Cook、刺激的なコメントありがとうございました。私もこれについて自分で調査してみます。
「先尺」については、他の種類の注釈書も見てみる必要はあるでしょう。(『大正新脩大蔵経』では索引に、この語は載っていませんから、編集スタッフは「先尺」が専門用語だったかもしれないとは思いもしなかったのでしょう)。
「伝搬論」: 中世ヨーロッパの神学的な推論に苦労した人間(私も大昔やはりそうでした)は誰でも、その(東西宗教の)類似性に驚かされます。一例だけをあげるなら、聖トーマス(・アキナス)の父と子と聖霊との内的関連についての推論と、法身(dharmakaya)、応身(nirmanakaya)、報身(sambhogakaya)との類似などです。
インド仏教はその教えをマケドニアの大王に説いたというのは歴史的事実のようです。そして、道長でさえ、日曜日には休息したようです。ドイツにいる知人 (Thomas Leinss) が、以前指摘していました。
こういう直接の影響関係に関する推測は興味深いですが、私はこういった関係を信じる実証的立場に立っています。「予型論」を、(広い意味での)聖典解釈は他種のテキストの解釈において生じる問題と似たような問題を持つというような、単に機能的観点から論じました。
よって、人はある種の問題に出くわしたときに、その解決には似たような方法を用いるということですね。たとえ、他の方法について全く聞いたことがなくても。
Sincerely yours,
Niels Guelberg
From: INGP...@....com
Date: 2003.6.30 23:01:49 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の毒
Lawrence Marceau、 Aileen GattenそしてDavid Pollack ありがとうございました。 偶然か、或いわざとか、「薬」( medicine)の間違った使い方というのが、私の頭にあったものです。Edward Schaferの中国資料にはすごく興味があります。ほとんどの医学知識は唐から伝わったものでしょうから。一般に、私は出来る限り、第一資料にあたり、次に学問的研究にあたります。フィクション(例えばAnn Woodward)は、知りすぎているほど知っていますが、事実を曲げている場合が多いです。サンフランシスコの漢方薬局の話は薬剤師が薬の用途を心配したことが可笑しかったのではなくて、 むしろその薬草が染色用ではなくて、殺人用に使うほうが、値段が高いということです。すごくおもしろいです。
皆様、ありがとう。
From: Pollack <Poll...@...l.rochester.edu>
Date: 2003.7.1 00:15:04 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の毒
蒸し返すつもりじゃないのですが、誤解があるようなので、訂正しておきたいと思います。薬物としてのハーブの価格は大変高いものですが、染色用には、比較的安いです。おそらく下ごしらえなどで価格差が出るのでしょう。ただ、殺人が目的の使用に対しては、誰も、商品として値段はつけないだろうということは確認しておくべきでしょう。
電子メールではジョークはあまり通じないようです。
Berthold Lauferの開拓的仕事を持ち出したので、私がよく知っている "Sino-Iranica"の他にどんな本を書いているのか、インターネットで調べてみました。かなり多作です。しかも広範囲にわたっています。書、陶器、籠、玉他などなどです。カリフォルニア大学図書館のオンラインでは103冊も著作が出てきて、大変広い範囲のテーマにわたっています。ただし、何冊かは単に同じ著作の版違いです。("Sino-Iranica"だけでも10年間の間に6種類の違う版が出ています)。
伝搬論は、そのころが最盛期だったと思います。そしてLaufer はそのころ、Schaferがやったように、よく知られていた中東文明の、まだあまり知られていなかった中国文明への、影響ではなくて、その逆で、中国文明の中東文明への影響について追求することで影響力のある方向で研究を始めたようです。彼の仕事があきらかに、重要な影響をJoseph Needham の偉業 "Science and Civilization in China" (『中国科学技術史』)プロジェクト、これは、何が何処で一番最初に知られていて、どのように伝搬したかということに、多大なスペースを割いていますが、に与えました。
David Pollack
From: Lewis Cook <lc...@...thlink.net>
To: Multiple recipients of pmjs <p...@...eijigakuin.ac.jp>
Subject: 平安時代の「毒」
David Pollack writes:
電子メールではジョークはあまり通じないようです。
冗談ですか。皮肉のことじゃないですか。ディスカッション・グループの電子メールでは皮肉は通じません。(後者は広く認められていますし、ここpmjsでも実証されてます…)。
Lewis Cook
From: Richard Bowring <rb...@...mes.cam.ac.uk>
Date: 2003.7.1 16:32:35 Asia/Tokyo
Subject: 道長と日曜日
一週間という概念は日本では新しく、近代社会になってから入ってきたと思っていましたけれど、でも(以前、ホトトギスで間違いをしましたから)多分思い違いかも知れません。道長が日曜日を休んだ?ないのでは?
Richard Bowring
(編集部より)参照:ホトトギスの議論
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/logs/2002/2002.12.html
From: Michael Watson <wat...@...eijigakuin.ac.jp>
Date: 2003.7.1 18:12:53 Asia/Tokyo
Subject: 道長と日曜日
古典における「月」を「January, February」などとは英訳しないように、陰陽道における七曜を、「Sunday」と訳すのは多分避けるべきでしょう。
Michael Watson
From: Richard Bowring <rb...@...mes.cam.ac.uk>
Date: 2003.7.1 18:58:17 Asia/Tokyo
Subject: 道長と日曜日
確かにMichaelの指摘のように平安初期、中国からもたらされた宿曜道の一部として七曜というのは存在していましたし、具注歴に書き込まれていました。ユダヤ文明の7日周期にその根元があるとみなされていますが、どなかたか、これが道長らにおいて、一週間として機能していたということについて知っている人はいますか。そして、一度でも、7日間の周期が一週間として使われたことがありますでしょうか。
Richard Bowring
From: Bodart-Bailey <bod...@...uma.ac.jp>
Date: 2003.7.1 20:42:59 Asia/Tokyo
Subject: 「毒」
どなたもまだおっしゃっていないので、もっとも手に入りやすい伝統的な毒として、ふぐの内蔵の毒があることを言っておきたいと思います。でも、これでもケンペルによれば、時には、治療薬となったようです。(_Kaempfer's Japan_, pp. 78-79)
Beatrice Bodart-Bailey
From: INGP...@....com
Date: 2003.7.1 23:34:23 Asia/Tokyo
Subject: 毒
了解しました。ルバーブの毒について楽しむのはやめます。ふぐ毒のことありがとうございます。ただ、わたしはもうこれは一回使ってしまいました。私の資料によれば、これは(慎重を期して)媚薬としても使われたそうです。
Best,
Ingrid
From: "Anthony J. Bryant" <ajbry...@...iana.edu>
Date: 2003.7.2 01:53:53 Asia/Tokyo
Subject: 道長と日曜日
Richard Bowring wrote:
確かにMichaelの指摘のように平安初期、中国からもたらされた宿曜道の一部として七曜というのは存在していましたし、具注歴に書き込まれていました。ユダヤ文明の7日周期にその根元があるとみなされていますが、どなかたか、これが道長において、一週間として機能していたということについて知っている人はいますか。そして、一度でも、7日間の周期が一週間として使われたことがありますでしょうか。
常にこれに関しては頭痛の種でした。ながいあいだ、一ヶ月はだいたい10日ごとに区切られていたという印象を持っていたのですが、月齢にうまくあいません。
伝統的に7で分割できるもの(例えば、49日)などがあることは認識しているのですが、果たしてこれで一週間7日の証拠になるでしょうか? 博文のために翻訳した『御伽草子』に、幾つか日にちが出てきましたが、週のどの日というものというよりは、月の位置に拠るものでした。(例:古代ローマの暦「イデス」のようなものか)。
これに関して何かあったとおもいますが…探してみます。
Tony
From: William Bodiford <bodif...@...a.edu>
Date: 2003.7.2 02:47:46 Asia/Tokyo
Subject: 道長と日曜日
Richard Bowring wrote:
確かにMichaelの指摘のように平安初期、中国からもたらされた宿曜道の一部として七曜というのは存在していましたし、具注歴に書き込まれていました。ユダヤ文明の7日周期にその根元があるとみなされていますが、
そうみなしているのは誰ですか。肉眼でとらえられる7つの主要な物体があります(太陽、月+5惑星)。この7つは民話、神話そして世界中のほぼ全部の人々にとってのどのような宇宙論においても主要な役割を果たします。共通の源を、推測する必要はありません。名前が割り振られた厳密な体系と配列が、仏教経典の中にあります。とはいえ、これは、インドと古代ギリシャ文明の接触の結果だといえましょう。一方、ギリシャの体系は、古代バビロニアに始まる共通の文明に源があります。仏教経典では週を始りも、そして正確な配列の始めも、決められてはいないのは注意しておくべきでしょう。現在の用語を使うと、経典に拠る週は以下のようになります:
(1)日、月、火、木、土、金、水
(2)金、木、土、水、火、日、月
(3)日、月、火、水、木、金、土
(4)日、月、金、木、土、火、水
(5)月、日、金、木、土、火、水
(6)木、火、土、金、水、日、月
(7)日、月、火、木、土、水、金
どなかたか、これが道長において、一週間として機能していたということについて知っている人はいますか。そして、一度でも、7日間の周期が一週間として使われたことがありますでしょうか。
月齢によるひと月は「曜」の六日周期によって構成されています。よってひと月にひとつの「曜」が五回繰り返されます。暦の呼び名や、意味は長期にわたって宿曜における新しい方法が取り入れられるたびに変化しましたが、一方それぞれの日(「曜」)に関連づけらた占星が重要であったことは疑う余地がありません。大抵の研究者は、「一週間」の曜日に相当するようなものに前近代の日本人が従っていたという仮説を一蹴してしまいます。(どうしてそう確信できるのかわかりません)
日本の暦に関する、最もよい参考書は:
大谷光男他編 『日本暦日総覧』(全二〇巻、東京、本の友社、1992-1995、米国議会図書館 請求番号 CE15 .N556)です。(英文タイトルThe Japanese Luni-Solar Calendar)
この二〇巻は501年から1500年までの全ての年の全ての日にちの西暦が載っています。(以下『暦日総覧』の内容、略す。ー訳者)
I hope this is helpful.
William Bodiford
From: Rokuo Tanaka <ro...@...aii.edu>
Date: 2003.7.2 09:26:50 Asia/Tokyo
Subject: 毒、『Sino-Iranica』におけるルバーブ
Berthold Lauferの"Sino-Iranica”を、ばらばら見てみました。(副題Chinese Contribution to the History of Civilization in Ancient Iran With SpecialReference to the History of Cultivated Plants and Products"[Field Museums of Natural History, Publication 201, Anthropological Series Vol.XV, No.3, pp. 185-621] dated Chicago 1919)
'Irano-Sinica-Rhubarb' という章段に目がとまりました。Lauferは中国ではルバーブは「大黄」か「黄良」という名で知られていると言っています。そして、「ルバーブが 神話の皇帝神農が書いたとされる『神農本草経』に出てくるという主張は、あまり意味はない。『神農本草経』は名前だけのものであり、現在手にすることのできる本文は、注釈書として修正されたものに遺っている。これは加筆や錯誤に満ちた引用に基づいて再構築されている」と書いています。ここに Lauferは脚注を施して、「三世紀のWu Puによれば、神農と Lei Kunは「大黄」を毒性のある植物としたが疑わしく、実際はそうでなく、Pen kinはこれを無毒だとしている」と書いています。
中国の百科事典と辞書 『太平御覧』 (vol. 4, book 992, p. 4391, 1963 ed) 、『中国大百科全書』 (vol. 40, pt.1 p. 192, 1980 ed)は、「大黄」を毒性なしの薬草としています。
Rokuo Tanaka
From: Thomas Howell <thowel...@...thlink.net>
Date: 2003.7.2 10:30:49 Asia/Tokyo
Subject: Re: 毒について
Hi Ingrid and all,
Rokuo Tanakaのメールで、『本草(Pen Ts'ao)』 が『和名類従抄』に引かれていたのを思い出しました。例えば、過去にたまたま英訳したことのある項目ですが、このようなものがあります。
酢 [vinegar]--The Pen Ts'ao says "酢酒. Taste is sour, but mild, not poisonous." The on pronunciation of 酢 is s-u, also written as 醋, su...T'ao yin ji says, ‘in the colloquial (俗呼) it is 苦酒.’ Now, note that in dialect 鄙語 vinegar is called ‘karazake’--the same type of thing.
翻訳した当時の覚書には:Pen Ts'ao『本草』は薬草と薬に関する参考書(諸橋vol. 6: 29)、おそらく漢時代後半ごろから、梁の学者陶弘景を含む後人の手によって多数の注釈が施された。
「本草」についてのLauferの考えをどのように理解すればよいかわかりませんが、ともあれ、『和名類従抄』(それから初期の辞書類が)毒について調べるに、その食物と植物についての項が優れた参考となるのを思い出しました。自分で持っていないので、ざっと見ることができませんから、これ以上のことは今わかりません。David Pollackが提案した線で調べてルバーブがそこにあるかどうか見てみるのも面白そうです。もちろん、『和名抄』に毒の説明があるからといって、日本でも知られていて使われた、という証拠にはならないでしょう。源順は中国の書物から取っただけかもしれませんから。
Tom
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From: Rokuo Tanaka <ro...@...aii.edu>
Date: 2003.7.2 12:21:26 Asia/Tokyo
Subject: Re: 毒について
『本草綱目』は1578年に李時珍によって、編纂され、出版されました。英文書名は "Chinese Medicial Herbs"で、F. Porter Smith, M.D.と G.A. Stuart, M.D.による翻訳と研究があります。(SF:Georgetown Press, 1973)
ルバーブの項には、「RHEUM OFFICINALE(大黄)、またHuang-liang黄良とも呼ばれる。…中略(訳者)…五帝 (約3000 B.C.)の時代から知られている。神農帝と、始皇帝時代の人と考えられる とLeikungはこの薬草に毒性があるとみなした。よって、『本草』では毒物に加えられている…。Lauferは、特に神農帝は中国における架空の、伝説的存在であるが、薬と農業の神とみなされていたという事実によって李時珍がルバーブに関する説明をしていることに対して、異論を述べているのでしょう。
当方の図書館にも『和名抄』二巻があるので、見てみます。
Rokuo Tanaka
追伸:『本草』関係の研究書(もちろん中国語ですが)もたくさんあります。
From: INGP...@....com
Date: 2003.7.3 01:16:06 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の毒
多くの、ご親切な皆様のお手をわずらわせてしまったようです。感謝に堪えません。あまり御心配なさらないでください。なんとかなると思います。Rokuo Tanaka と Thomas Howellに御礼申し上げます。実のところルバーブに落ち着いたのですが、ある資料では、毒性がないとしているのには、ちょっと驚きました。
現代のインターネット上の情報ではこの葉部は特に毒性が強いということです。これを服すると、脱力し、口内が暑くなり、呼吸困難となり、腹痛、吐き気をもよおし、嘔吐し、脱水症状をおこし、意識不明となり、痙攣するということです。かなりひどいものです。とはいえ、薬としても使われ、特に便秘に対しての下剤として使われたり、リューマチの鎮痛や内臓に拡がった炎症を抑えるのにも使われました。患者に大量に使用することは可能だったようです。
英訳の『本草』につて教えて下さりありがとうございます。
Thanks again,
Ingrid
From: Pollack <Poll...@...l.rochester.edu>
Date: 2003.7.3 02:00:22 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の毒
アジアとアメリカにおける朝鮮人参の違いも念頭に入れておく必要があるでしょう。こちらでルバーブと呼ぶもの、そして中国、日本の薬品の翻訳名で呼ばれるものが、必ずしも同じ働きをするものではないかもしれませんし、必ずしも同じ植物でさえないかもしれません。もし、同一の植物だとしても、作り方や分量によって違うものとなり得ます。 foxglove (digitalis purpura キツネノテブクロ)という可愛らしい庭の普通の花が、ほんの少しで心臓を刺激して、大量にあると死に到ります。そうしてルバーブと同じように、manioc(マニオカ)の根は、死をもたらすのではなくて、ちゃんとタピオカ プディング(プリン)として食べられるようにするためには、慎重に分量にも注意して取り扱われなければなりません。(日本の「プリン」は、オムライスとかあんパンの中身のように、西洋のそれとは「似て非なるもの」というカテゴリーに分類されると思いますけど)。
ふぐ毒が、客のグループに「わー、唇がしびれるわー」と叫ばせるより以外の目的があって、少量だけ、同毒療法的に使われることがあるのかどうか疑問になってきました。ボルジア家の人々がヒ素毒の予防として、微量ずつ服用したといわれているように、少量ずつの服用によって毒に対する耐性ができるものでしょうか。
David Pollack
From: Thomas Howell <thowel...@...thlink.net>
Date: 2003.7.3 03:53:18 Asia/Tokyo
Subject: 仏教解釈学と『古今集』
和歌と解釈学についてです。これまで、議論されてきたところに、ひとつ一般的な考えを加えても良いでしょうか。
文学ジャンルとしての和歌に対して聖性としての地位を与えるための、ありがた迷惑なことに思えるのですが。皮肉にもこのような聖性を付与された和歌そのものは、閉塞し、経典や聖書やその他の教典が存在していた遠い過去に押し戻されます。教典には、注釈が施され、説明が加えられ、決まった呪文として暗唱され、或いは、神仏への供物として誦されます。が、和歌は単なる和歌として機能するのが難しくなってきます(とはいえ、『古今集』注釈書で「義なし」とされる『古今集』歌はまだ、単なる和歌であるのかもしれませんが)。
和歌に聖性が付与されれば、されるほど、(おそらく)和歌は人が作ったもの、或いはすでにあった歌集から自由に引き抜かれ、例歌を提供するものとなるのは、ますます難しくなるでしょう。本覚思想(すべてのテキストは等しく神聖である)を、この問題を本当に解きあかすものとして使えないでしょうか。歌人でさえも、その意図するものは仏の意図だと確信できるならばですが。
このことを明らかにするに、寂然の『法門百首』をみてみます。寂然は百首の和歌を詠みました。それぞれが、経典の引用に符合しています。歌の前に、それに込めようとした象徴的な意味についての説明を加えています。第五番目の歌と説明を次に引用します。
草木をば人天二乗菩薩にたとふ、是を5乗といふ、一切衆生みな仏の道にいるを、如来の世に出で給へるまさしき心とせり、しかはあれど平等一味のあめ、わくところなければ、菩薩の大樹にそそくうるほい、おのづから人天の小草までその益をうるなり、おほあらきの杜のしづくにめぐるいづるした草にも思ひよそへつべし
青葉紅花非染便然
ぬしやたれ柳の糸をよりかけて いろいろにぬふ梅の花笠
比喩的に、様々な法(dharma)が起ちあがる様子を描いています。初春の梅花から初霜にしぼむ菊の花まで、花の様々な色を見ていると、外側から色付けされる花は一つとてないし、樹木の内側から色がしみこまされているわけでもない。むしろ、時期にかなって、自ら花開く。このことを考えてみるに、法(dharma)も様々な色や形をもち、まばゆいばかりの「ことわり(理)」として花開く。そうしてこうした「ことわり」が何を意味するかを熟考してみると、その形を愛でるだけ以上の何もっと興味深いものとなる。柳の緑の糸は春の織り姫によって染色されて、乾かす為に干されており、梅の花笠は鶯が編んだといわれる。けれどもすべてこれらは仮の姿で、実は誰が織ったのかなどわからない。ために、「ひとつの色、ひとつの香、中庸」そしてそれ以上は何もないと説明される。緑の葉、赤い花は一つのことを意味する。異なった色があるけれど、もとはほんの少しも違っていない。花ばかりではなく、全てに通じる。形を作ったものはなく、空である、と寂然は言う。
『古今集』に寂然の歌ことばを辿ることが出来る。1081番歌(神遊びの歌)、「青柳を片糸に縒りて鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠」。寂然が、伝統的歌ことばや類型(stylistics)を使って、歌で説明できる思想世界を拡げようとしているのがわかる。これは、西行や、俊成、定家といった歌人もそうであった。これらの歌人にとって、伝統的な和歌は解釈するだけのものではなくて、解剖され、再利用されるものであった。寂然の説明は法(dharma)を確かめる、その思考の過程を強調するものであり、先の歌の神秘性(とはいえ、つまるところ寂然が自分で詠んだのではあるが)を強調するものではなかった。
逆に、『古今集』に聖性が付与されると、その内部の、神秘的意味性の迷路に囚われないようにするのは難しくなる。簡単に言うと、和歌の読みは作歌という行為を上まわる。経典の場合は、これは問題とならない、というのも、外典を書いた者以外は、誰も経典を書こうとはしなからである。Lewis Cookが書いていた「深層の深いレベルにある新参者 が結局表面に引き戻され(或いは追い出され)、何も得るべきものはなく、別 世界があったのではない、という必要不可欠な経験だけが残ります」という解釈の方法については分かります。
まさに、このために、古典的和歌の、最も洗練されて念の入った注釈書を書いたのは、歌人としては、むしろ連歌師の訓練を積んだ人々であった、と言ってもかまわないでしょうか。
Tom Howell
From: Rokuo Tanaka <ro...@...aii.edu>
Date: 2003.7.3 15:58:45 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の毒
手短に:私の先のメールに下記のもう一冊付け加えておきます。
Unschuld, Paul U. (Paul Ulrich) "Medicine in China: a history of
pharmaceutics" (Berkeley: UC Press, c1986).
研究社の英和辞書は、ルバーブを「大黄」と訳しています。
『日本国語大辞典』は、『大黄』を含めており、大安寺の記録に出てくるとしています。ということは、これがすでに奈良時代に薬として使われたことを意味します。
Rokuo Tanaka
From: Rokuo Tanaka <ro...@...aii.edu>
Date: 2003.7.4 06:45:42 Asia/Tokyo
Subject: 平安時代の毒
ふぐ毒で、突然死した有名な人間国宝であった歌舞伎俳優、板東三津五郎八世(1906-75) のことを思い出しました。京都南座のお正月興行に出た後、ふぐを食して死亡しました。
板前はふぐ取扱の特別の許可を取っていなければなりません。卵巣と肝臓に毒があります。板前はそれを慎重に除去しなければなりません。その後、どのようにその毒性のある部分の処理するのかについては私はわかりません。
ふぐ毒ではまた、滑稽なよく言われる言葉を思い出します。「ふぐ喰う無分別」これは江戸時代の俳諧師横井也有 (1702-83)の「鶉衣」という俳文集に引かれています。「無分別」という語にかわり、「馬鹿」も使われます。ふぐは毒を持つので食べるのは危険なので、避けるのが賢明ですが、ふぐ刺しやふぐなべは美味で、チャンスがあれば食してみるべきです。まさに「キャッチ22」状態です。個人的には「唇がしびれる」スリルは味わいたいとは思いません。
Rokuo Tanaka
From: Michael Watson <wat...@...eijigakuin.ac.jp>
Date: 2003.Jul.3 23:26:39 Asia/Tokyo
Subject: メンバーニューズ
大変遅くなりましたが、先月新規加入した会員をここにご紹介します。
Puck Brecher <brec...@....edu>
University of Southern California
博士課程。美学とエキセントリズム、18-20世紀における日本近代化との関係。
Patricia Fister <fis...@...hibun.ac.jp>
国際日本文学研究所 助教授。
江戸期の女流絵師の研究。京都奈良地区の門跡寺院の尼僧による、宗教的芸術と俗美術の研究。
Robert Jay Gould <rob...@...-a.or.jp>
神奈川国際交流協会
日本の昔話、妖怪、怪談に興味を持つ。
Yukiko Hanawa <y...@....edu>
New York University
大学院生の日本語学術論文の読解コースを計画中。
Horikawa Takashi 堀川貴司 (horik...@...l.ac.jp)
国文学研究資料館研究情報部 助教授
専攻:日本漢文学、特に中世・近世。
著書:『瀟湘八景―詩歌と絵画に見る日本化の様相―』臨川書店、2002
ホームページ:http://www.nijl.ac.jp/~horikawa/horikawa.htm(日本語のみ)
Imazeki Toshiko 今関敏子<tima...@...u.ac.jp>
川村学園女子大学
中世日記、物語。
Georgia Jarrett <georgiajarr...@...mail.com>
UNSW (Australia)の卒業。現在Leiden University 。1800年代における西洋医学の日本への紹介について研究。脚本と美術書の研究。
Jinno Hidenori 陣野英則 < ji...@...eda.jp>
早稲田大学文学部 専任講師
平安時代の物語文学を主たる研究対象としています。これまで、特に『源氏物語』の表現、語り手、話声(narrative voice)、〈書く〉ことなどの諸問題について論じてきました。現在は、物語文学の読者及び享受に関する問題、また、中世の『源氏物語』古注釈の展開などに対して関心をもっています。
Kanechiku Nobuyuki 兼築 信行 <k...@...eda.jp>
早稲田大学文学部
藤原定家を軸とする中世の和歌を専門としています。
Kido Kuniko 木戸久二子 <kido...@...ai-wjc.ac.jp>
東海女子短大
伊勢物語の中世における注釈書の研究。
Tamah Nakamura <ta...@....com>
九州大学(International Student Center)
非常勤講師 (留学生及び、日本人学生)
Education: M.Ed., M.A. (Human Development); Ph.D. (candidate in Human and Organizational Systems, Fielding Graduate Institute)
講義:ジェンダーと現代日本。比較論的ジェンダー論。異文化コミュニケーションなど。
Nakamura Yasuo 中村康夫 <nakam...@...l.ac.jp>
専門ということになりますと歴史物語をあげますが、広く歴史がらみの文献や記紀から軍記などまで、歴史色の強い作品に興味をもっています。ですから、和歌も、どちらかというと古代和歌のほうが面白いと思います。源氏物語も歴史的要素を多く持つ作品として読みます。
日本文学の研究が主たる仕事ですが、仕事としては、国文学のデータベース全般についても仕事をしています。特に最近はフルテキストデータベースの構築により、古典籍を丸ごとデータベースにすることを仕事にしています。岩波書店から出版されている古典コレクションシリーズなどもご参照ください。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/13/X/130094+.html
(pmjs編集部:http://www.nijl.ac.jp/syomu/kenkyusya01.html)
Kendal Korach Parker <kendal_par...@....edu>
Ackland Art Museum, University of North Carolina at Chapel Hill
フリーランス学芸員。現在Ackland Art Museum での日本美術展示会("Plum, Pine, and Bamboo: Nature and Buddhism in Japanese Art")を準備中。
研究分野:源氏絵、室町から江戸期にかけての、寺院における絵画制作の過程。
Robert B. Rama <rr...@...ch.edu>
University of Michigan
博士課程。王陽明思想の日本における受容と適応。徳川期における中国の社会哲学と中世歌論の近似性の研究など。(以下略ー編集部)
共著 Liars Monks and Tengu: A Graded Reader for Students of Japanese
Crestec Publications, 1988.
Sakurai Yoko 櫻井陽子 <yosak...@...azawa-u.ac.jp>
駒澤大学文学部
中世文学、特に平家物語の研究をしています。
Sato Nobuko 佐藤信子 <n.s...@...l.ac.jp>
国文学研究資料館 研究支援推進員
国文学研究資料館に所属し、科学研究費基盤研究S「日本文学国際共同研究」の研究支援推進員をしております。ご興味のある方は、ホームページ(http://www.nijl.ac.jp/~kiban-s/)をご覧ください。
専門分野は、中世の和歌・日記、特に阿仏尼を中心に勉強しております。
Suzuki Yasue 鈴木泰恵 <y-suz...@....so-net.ne.jp>
武蔵野大学
『狭衣物語』。後期平安物語。
J. Marshall Unger <unger...@....edu>
The Ohio State University.Department of East Asian Languages and Literatures 教授。
ホームページ(履歴、著書など)
http://deall.ohio-state.edu/unger.26/
~~~~~~~ 自己紹介の更新 ~~~~~~~
Mindy Varner <mindy.var...@...ostate.edu>
Colorado State University.
日本語と日本文化を教える。
研究分野:能、戯作。第二次世界大戦中のプロパガンダの研究。
pmjs メールアドレス: p...@...eijigakuin.ac.jp (直接リスト全体へ)
pmjs 編集メールアドレス: wat...@...eijigakuin.ac.jp (編集を通してリストへ)
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