【研究会】
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「広島の物語ーローカル・トラウマからナショナルなトラウマへ」
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日時:2012年 1月18日(水)18:30〜20:00
会場:明治学院大学白金校舎 本館9階91会議室
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/
報告者:アンナ・シピローワ
Everything? is unique, everything is comparable.
La Capra
ヒロシマは、世界中で普遍的で、感情的なシンボルとして受容されているけれども、日本国内でヒロシマは、日本の独自なものとしてとらえている。それは、広島原爆の経験が、a)人類の歴史で前例のなく、b)日本だけ襲った悲劇であるからだ。このように、広島原爆が日本でナショナルなシンボルとなった理由は、原爆という出来事の性質事態にあると捉える傾向がある。しかし、広島(長崎)の原爆経験は、広島市民(長崎市民)のローカルの経験であった。また、広島原爆は、戦死、空爆、引き揚げ等の戦争中・敗戦の苦痛の連鎖の中でたった一つの悲劇であったものの、ある時期から広島原爆の被害者の認識は広島市民(長崎の市民)の枠を超えて、日本国民全体まで拡大してきた。このような変遷は疑問視されることはなく、「ヒロシマだから」とのように当然なこととしてとらえてきた。
このような問題意識をもち、本報告で広島原爆の物語は、ローカルな悲劇からナショナルな悲劇に変更した時期とプロセスを究明することを課題としたい。広島原爆の位置づけの変遷を、集合的トラウマというフレームワークの中で検討する。そこで、Jeffrey
Alexander( 2004)が提供している集合的トラウマについてのとらえ方を土台とし、日本における広島原爆の物語はAlexanderが論じている集合的トラウマと同様な現象であるかを明確としたい。このため、記憶場、儀式、記念碑などを含まれる記憶インフラ―の整備過程とそれに関わっていた重要なアクターを把握する。また、広島平和記念式典は、公式的記憶と公的記憶が交差している場であるため、その際、歴代広島市の市長の平和宣言と歴代総理大臣の挨拶での広島原爆の位置付けの変遷を把握し、比較する。それらの結果を報告させていただきます。
[参考文献]
Alexander, Jeffrey C., 2004, “Toward a theory of cultural trauma,”
Cultural trauma and collective identity, University of California Press
参加費 :無料
主催:明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
E-mail: prime@prime.meijigakuin.ac.jp
TEL:03-5421-5652 FAX: 03-5421-5653
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/
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