日本近代音楽館レクチャーコンサートシリーズX

「日本の音楽雑誌五十年−1890年~1945年」関連音源について

  1. シェーンベルク「6つのピアノ小品第6曲」op.19-6 https://amjm.ml.naxos.jp/work/6713810

    ●楽譜掲載誌:『音楽と文学』1巻5号(1916.7)、巻頭

    『音楽と文学』は『バッハよりシェーンベルヒ』などの著書で知られる大田黒元雄が創刊した同人誌・音楽評論雑誌。4巻まで発行されました。


  2. 山田耕筰「病める薔薇」(三木露風詩) https://amjm.ml.naxos.jp/work/4557598

    ⚫︎楽譜掲載誌:『詩と音楽』創刊号(1922.9)、巻頭

  3. 山田耕筰「幽韻」(百人一首による) https://amjm.ml.naxos.jp/work/4557601

    ⚫︎楽譜掲載誌:『詩と音楽』2巻2~3号、巻頭 (2巻2号に「小野小町」「和泉式部」、2巻3号に「二條院讃岐」「式子内親王」「右近」掲載)

    山田耕筰が詩と音楽の融合を目指して創刊した芸術雑誌『詩と音楽』から2作品。同誌創刊号には「毎号清新な歌謡の作曲を巻頭に巻頭に添へることによつて(中略)詩と音楽の両者を、完全に、有機的に融合せしめる」と書かれ、当時の日本の作曲家たちの新作歌曲の発表の場となりました。10号発行を間際に控えて関東大震災に遭い、これを「震災記念号」に模様替えして発行したのが最終号となりました。


  4. ストラヴィンスキー「ドド」(《猫の子守唄》第3曲) https://amjm.ml.naxos.jp/work/3087207

    ⚫︎楽譜掲載誌:『音楽世界』1巻3号(1929)、巻末p.17-18

    『月刊楽譜』が定番の音楽雑誌と考えられていた1929年、その編集に関わっていた門馬直衛が編集主宰となって創刊された『音楽世界』。門馬の掲げた目標は、「誰にでも読まれる」、「もう一つの音楽雑誌」であり、掲載楽譜については、通俗的なものから「ストラヴィンスキイとかヒンデミットとかの最も近代的な作品とを一緒に発表することにもなるだろう」と述べています(門馬生「『音楽世界』を出すまで」、創刊号p.88-90)。

    お聴きいただける音源はロシア語版ですが、掲載されたものはフランス語版でした。「Dodo ...」は全4曲中の第3曲で、再生時間約1分48秒から約3分7秒までです。


  5. ファリャ「ナナ(子守歌)」(《7つのスペイン民謡》第5曲) https://amjm.ml.naxos.jp/work/3795915

    ⚫︎楽譜掲載誌:『音楽新潮』6巻3号(1929)、p.38-37 歌詞はスペイン語、フランス語併記

  6. スベルディア「アストゥリアナ」 https://amjm.ml.naxos.jp/work/5509241

    ⚫︎楽譜掲載誌:『音楽新潮』6巻3号(1929)、p.36-33

    1926(大正15)年にフランスから帰国したバリトン歌手照井栄三は、持ち帰った楽譜を次々に雑誌に提供したり、解説記事を書いたりして新しい作品の普及に貢献しました。演奏会も積極的に行っており、この2曲は、1929年3月24日開催の「西班牙歌謡の午後」(音楽新潮後援)のプログラムで披露された独唱曲です。


  7. 菅原明朗「水煙」(《白鳳之歌》第3曲 https://amjm.ml.naxos.jp/work/82022)

    ⚫︎楽譜掲載誌:『月刊楽譜』23巻1号(1934)附録

  8. 貴志康一「駕籠舁き」(貴志康一詩) https://amjm.ml.naxos.jp/work/4796316

    ⚫︎楽譜掲載誌:『月刊楽譜』25巻2号(1936)附録より

    楽譜掲載を主目的として創刊されたと思われる『月刊楽譜』は、1912年創刊。楽譜が綴じこまれている時期もありますが、この2曲は分離したピース楽譜が付いた時期のものです。25巻2号の付録は貴志の歌曲「天の原」「八重桜」「駕籠舁き」3曲を収めたピース楽譜。菅原《白鳳之歌》第1曲「臈纈(ろうけち)」、第2曲「和琴」は、すでに1931年と1932年に『音楽世界』で発表されていました(3巻3号、4巻4号)。


  9. 清瀬保二「琉球舞踊」https://amjm.ml.naxos.jp/work/82024

    ⚫︎楽譜掲載誌:『音楽新潮』13巻11号(1936)、p.62-56

  10. 深井史郎「日本の笛」(北原白秋詩) https://amjm.ml.naxos.jp/work/82248

    ⚫︎楽譜掲載誌:『音楽世界』13巻5号(1941)、巻末p.33-46

    *1930年代には日本人作曲家のさまざまな作品が雑誌で発表されるようになるとともに、民族的な視点が重視されるようになります。「新歌曲運動」という特集が組まれた『音楽世界』13巻5号には、95ページにわたって、13人の作曲家による「創作歌曲」が掲載されています。


以下は国会図書館 歴史的音源でお聴きください。

  1. ジルヒャー「ロオレライ」(近藤逸五郎訳詩) https://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3574467/1

    ⚫︎楽譜掲載誌:『音楽界』1巻2号(1908)、巻頭

    『女声唱歌』(1909)に収録され、その後も長く歌い継がれていくことになる近藤朔風訳詩による「ローレライ」の初出。近藤の解説も掲載されています。

  2. 「哀悼の歌」(三角錫子詩) https://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3576173/1

    ⚫︎楽譜掲載誌:『音楽界』159号(1915.1)p.41、160号(1915.2)巻頭

    明治43(1910)年1月、逗子開成中学校生徒ら12名の七里ヶ浜沖ボート転覆事故の犠牲者を悼み、姉妹校の鎌倉女学校の教師であった三角が作詞、追悼式で歌われました。旋律は『明治唱歌』(1890)に収められた「夢の外(ほか)」(J.インガルス作曲の讃美歌が起源とされる)で、全国的に流行しました。事故後5年を記念して『音楽界』159号(1915年1月号)に歌詞が掲載され、翌月号に楽譜付で掲載されました。後年、「七里ヶ浜の哀歌」「真白き富士の根」のタイトルで知られるようになります。