第1回現代史の全体像の把握とは
―熱戦の20世紀前半世紀―
開講一番現代史を学ぶ意義と意味
2012年春:何が起きているのか。
現代を見る目=全体像の把握の視角
1901年 熱戦としての20世紀前半の開始
Ⅰ大戦・ロシア革命 (1914年6月28日サラエボ政変~1918年11月ドイツ休戦)
↓
ベルサイユ体制
Ⅱ大戦:戦争の本質「植民地再再分割の帝国主義戦争」
後発日独(伊)の経済停滞(世界大恐慌後)脱出の植民地再再分割強奪と英米仏
政治体制 英米仏=民主制 日独伊=ナチス/絶対主義天皇制・ファシズム
Ⅱ大戦・中国革命 (1939年9月~1945年5月ドイツ降伏・8月日本降伏)
発問「第1次,第2次世界大戦はなぜ起きたのか」
動画現代史 FN:2ww地獄V2.mpg
【本質規定】帝国主義諸国家間の植民地争奪=侵略戦争(様々な戦争の性格の核心)
Ⅱ対戦の本質:帝国諸列強による植民地強奪・再々分割戦争
【根因】 後発資本主義(日・独・伊)の少・喪失植民地領有/回復と発展のアンバランス
■世界体系図表A:資本主義世界の構造図
第2回 キューバ危機・ケネディー暗殺事件と米ソ核軍拡競争
現代史の時期区分
1945年 冷戦(局地熱戦)としての20世紀後半の開始=現代史の始まり
1949年中国革命 一国社会主義から(複数国)社会主義体制へ
朝鮮(50~53年)・ベトナム(インドシナ戦争/65~75年)・第1次~4次中東戦争・
イラク/イラン戦争(82~88年)
1971年 金=ドル交換停止(アメリカ冷戦体制の機能不全の開始)
1989/91年アメリカ一国覇権主義
冷戦構造の溶解(ソ連「社会主義」体制の解体=89年東欧革命・91年12月ソ連崩壊)
:92年 中国鄧小平南巡講話=中共第14回全人代「社会主義市場経済建設」
1991年1月湾岸(第1次イラク攻撃)戦争・
1998年 第2次イラク攻撃(「核兵器保持疑惑」)
2001・9・11 アメリカ・テロ攻撃 アフガン攻撃
2003年第3次イラク攻撃(フセイン拘束)
2011年5月2日「ビンラディン容疑者殺害」『朝日新聞』2011年5月2日朝刊(要パス)
今日
世界システム=冷戦構造(米冷戦体制 対 ソ冷戦体制)体制間矛盾
基本には資本主義体制〔市場・私的所有〕と「社会主義」体制間〔計画・公的所有〕の対抗
互いに相手の政治・経済体制の浸透を防遏する
核の恐怖と冷戦=米ソの核軍拡競争(現実の恐怖)
アメリカ:1945年7月16日、アラモゴード砂漠で世界最初の原子爆弾を爆発
1954年 ビキニ環礁で水爆実験に成功
ソ 連:1949年9月 原爆保有発表 + 10月中国革命成功→「社会主義」体制成立
1955年 水爆実験成功
核弾頭を運ぶ長距離戦略ミサイルの開始
1957年 5月 アメリカは最初のIRBM(Intermediate Range Ballistic Missile)ジュピターの発射成功
8月 ソ連がICBM(Intercontinenta Ballistic Missile)最初の飛行に成功
12月 アメリカは最初のICBMアトラスの打上成功
57年10月 ソ連,最初の人工衛星スプートニク1号
58年1月 米エクスプローラー1号の打上げに成功した。
1960年代初 米ソ両国はICBMの配備開始
アメリカではアトラスに次いでタイタン、ミニットマン、ピースキーパー(MXミサイル)
ソ連ではSS‐××(番号)などのICBMが就役。
動画現代史 FN:米ソ軍拡競争.mpg
1962年10月 キューバ危機とケネディー大統領「核戦争1分前」
動画現代史 FN:Cuba危機
キューバ奪回(カストロ政権)のピッグス湾上陸作戦
1963年11月22日ケネディー大統領暗殺
動画現代史 FN:JFKV1.mpg FN:JFK暗殺.mpg (ケネディ―暗殺の実写8mmVTR)
ティム・ワイナー『CIA秘録,その誕生から今日まで,上』(文藝春秋社,文春文庫,第19章
キューバミサイル危機)
第3回毛沢東のベトナム戦争・米中和解とアメリカ衰退のはじまり
―アジアにおける局地熱戦(体制間矛盾の発症)
涌井秀行『東アジア経済論』(大月書店,2005年)197~203頁「冷戦体制と中国の改革開放」
動画現代史 FN:ベトナム戦争.mpg
1970年1月駐ポーランド米大使(ウオルター・ストーセル)が駐ポーランド雷陽中国大使に接触
1971年3月28日~4月7日第31回世界卓球選手権(日本・愛知)への参加
(ピンポン=兵兵外交)
東京新聞Web版 http://www.tokyo-np.co.jp/feature/08olympic/news/080708.html
1971年7月キッシンジャー訪中 10月中国国連加盟
1972年2月ニクソン訪中第4次5カ年計画(1971~75年)西側プラント同期間中30億ドル
1972年3月30日 グエン・フエ作戦=北ベトナム軍 南下開始
1972年5月9日から10月23日:ラインバッカー作戦(Operation Linebacker)
アメリカ第7空軍とアメリカ海軍第77任務部隊の対北ベトナム空爆作戦
北ベトナム
(aerial interdiction campaign)。ベトナム和平米敗戦交渉の条件づくり
1975年4月30日 サイゴン陥落
1975年周恩来周恩来「四つの近代化」鄧小平「工業二十カ条」 同年文化大革命終息
1976年毛沢東,周恩来死亡
1978年「社会主義現代化」=「改革・開放」政策ほぼ定着
=コラム=
日中関係は中華人民共和国が成立した1949年から始まるわけだが、中国側の対日態度の緩和によって日中関係が築かれようとした。だが日本政府は1952年日華平和条約で台湾を唯一の中国政府とし,1958年5月の長崎における中国国旗引き下ろし事件を契機にして日中関係は断絶する。その後1962年に日中間のいわゆるLT貿易 [1] が成立し、日中関係は民間ベースで細々と続いていたのが実情であろう。つまり日本側は外交問題としてさえ、日中の国交回復を自主的にすすめるなどという姿勢さえ持っていなかった。ましていわんや、帝国主義侵略国としての戦争責任など取ろうという姿勢など微塵もなかったといってよい。だが、アメリカのアジア戦略転換によって日本政府も外交関係を修復・樹立する必要に迫られた。それが1972年田中角栄の日中国交回復ための中国訪問となる。その時のエピソードが日本の戦争責任を取らない無責任ぶりを表している。
大平正芳外相を伴い訪中した田中角栄首相は 1972年9月25日晩餐会で答礼のスピーチに立った。「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどってまいりました。この間わが国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります。」と。田中のスピーチを中国語に訳したのは周恩来の通訳林麗韞(リン・レイウン)だが、林は田中の「多大なご迷惑」を「添了麻煩」(ティン・ラ・マ・ファン)と訳して伝えると会場がざわついたという。「添了麻煩」とは、うっかり水をこぼして女性のスカートを濡らしてしまったほどのことであり、とうてい謝罪の言葉には程遠い。約二年前、中国の新華社[2]が今まで公開されていなかった日中国交回復のあるエピソードについて内容を公表した。
1972年9月27日午後8時から9時半まで、毛沢東が田中、大平と二階堂に会った。日本側の通訳と書記官が出席しなかったので、日本の外務省には記録がないと思われる。会談後、毛沢東が中国の古書『楚辞集注』を田中角栄にプレゼントしたという。中国側の分析によると、毛沢東がこの本を選んだ理由は、本の中に「迷惑」という言葉の古文[3]がある。日本語と中国語の中で、「迷惑」の意味が違うけれども、日中両国の文化の相違点を示唆したものと考えられる。
その9月29日に発表された日中共同声明では前文で「日本側は,・・・中国国民に重大な損害を与えたことについて責任を痛感し深く反省する」と表記された。また第1条で日中戦争の終結時期を「不正常な状態」と表現した。日本は日華条約締結時に日中戦争が終結したという見解だがその後も「不正常な状態」が続いていた、と国民に説明でき、中国側はこの声明で戦争は終結した、と説明できることになる。[4]
[1]1962(昭和37)年に日本と中華人民共和国との間で交わされた(日中LT貿易覚書(日中貿易に関する高碕達之助・
廖承志の覚書)データベース『世界と日本』,日本政治・国際関係データベース,東京大学東洋文化研究所http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19621109.O1J.html
[2]新華網ホームページ・新華副刊 http://news.xinhuanet.com/xhfk/2011-07/17/c_121678094.htm (2012/11/23)
[3]「慷慨绝兮不得,中瞀乱兮迷惑」。『楚辞・九辩』。「迷惑」という言葉の起源である
。http://baike.baidu.com/view/137562.htm (2013/05/28)
[4]このパラグラフは,NHKスペシャル「日中外交はこうして始まった」2012年9月30日,チャンネル1 放映による。
中世封建制 | 近代資本制 | 社会主義 | |
生産=消費 | 強制 | 市場 | 計画 |
所有 | 占有 | 私的所有 | 国公有 |
労働 | 強制 | 搾取 | 応分労働 |
現実(歴史的)には
Ⅰ大戦とロシア革命:Ⅱ大戦後と中国革命
=なぜ「遅れた」ロシア(ロマノフ王朝)と中国(清王朝=半植民地)
に「社会主義革命」がおきたのか。
遅れた社会体制に苦しむ大衆 教材用VTR 革命前ロシア社会.mpg
金持ちの皇帝と貧困に苦しむ大衆
社会科学(経済・歴史)考察=原因の究明
【計画の問題】
無限に近いような連鎖,産業連関もっておこなわれる生産
市場による「中間需要=供給」の調整:市場機能の欠陥の克服
国=政府が主導・計画し育てていく必要がある。国全体を一工場のようにする。
無駄のない生産=計画生産
軍事・航空宇宙産業(消費者=国=軍隊)民生品の不足・国民生活の犠牲
1960年代までの評価:資本主義体制の危機=ソ連社会主義体制の評価
特に欧州での資本主義に対する不信=一種の資本主義を管理(ケインズ主義)
民需品では大きな差→1970年代以米欧との格差拡大=ソ連国民の目にも映る
【所有の問題】
貧富なし=平等社会 貧富=不平等=階級社会=生産の社会(公)的性格
⇔取得の私的性格
私的所有の廃止=大衆ひとり一人が所有=自分たち大衆が建てた政府=国・公的所有
ところが実施は
計画を管轄するソ連共産党幹部「ノーメンクラツーラ」=特権富裕層
==ではなぜ1970年代==
ME=情報革命にもとづく新産業革命(新素材とコンピュータ+ネット)
民生品製造業の革新イノベーション
ソ連社会主義は対応できない⇔アメリカ ガレージから生まれたコンピュータ
(儲けようとしたのではなく,結果として儲かった)
それを大量生産に応用した日本・アジア
1989/91年ソ連・東欧の崩壊→社会主義への失望
==課題==
(1)中央指令型でない計画 インターネットによる「ムカデの足」の動きのような計画
無限に近い産業連関の計画による調整は可能なのか。
(2)所有=報酬主義を超えた労働観 (ボランティアの持つ意味)
第5回 冷戦構造の溶解:アメリカ超帝国主義と石油戦略/金融反革命
湾岸戦争1991年1月~4月
映像教材:現湾岸戦争.mpg(教材VTR5)
1989年12月マルタ会談(ゴルバチョフソ連共産党書記長と父ブッシュ米大統領)
冷戦の終結
1991年国連=米軍によるイラク攻撃(90年8月イラクのクエート侵略)
『朝日新聞』1991年1月17日
(要パスワード)
1993年1月米英仏軍イラク空爆
1998年 米英軍イラク攻撃 大量破壊(核)兵器査察拒否
『朝日新聞』1998年12月17日
同上テキスト記事
(要パスワード)
9.11「テロ」NY世界貿易センタービル・国防総省・
「9・11テロ攻撃と国家テロによる反撃―ニュヨーク世界貿易センタービル崩壊の深層」
衝撃映像「911テロ.mpg」(教材用VTR15)」
2001.9.11以降アメリカが親米政権樹立(タリバン政権を攻撃)のためにアフガン攻撃
2001年10月8日米 アフガニスタン空爆 『朝日新聞』2001年10月8日
アメリカは「9・11テロの首謀者オサマ・ビン・ラディンをアフガニスタン政府がかくまう?
としてアフガニスタンを攻撃
2003年03月20日イラク戦争:アメリカ軍25万人を中心とする米英軍が攻撃を開始
04月 9日には、サダム・フセイン(Saddam Hussein)政権が崩壊
05月 1日にはジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)「主要な戦闘の終結」を宣言
2004年06月のイラク政府への主権委譲、
2005年10月の新憲法承認を経た現在も、自爆テロや宗派間抗争頻発
イラク「内戦」状態
「フセイン政権とアルカイダ無関係」「米,イラク開戦根拠ない」
『日本経済新聞』2006年9月9日夕刊(要パス)
2006年国連安保理「イラン核開発制裁警告決議」
2011年5月2日「ビンラディン「容疑者」殺害」 『朝日新聞』2011年5月2日朝刊(要パス)
最後の状況 『朝日新聞』2011年5月8日朝刊(要パス)
2011年12月14日オバマイラク戦争終結宣言(「アジア重視」戦略以降)
==ソ連・東欧崩壊とアメリカの世界戦略の転換==
アメリカの世界戦略
グローバルリゼーション=フィナライゼーション=マーケッタライゼーション
(1)世界「金融革命」=アメリカの金融収奪
(2)石油戦略による世界支配
なぜアメリカは西アジア=石油地帯に執心するのか。
西アジア石油パイプライン網(FN:gendaishiWAPL.jpg)
映像教材:TaribanBush.mp4
石油価格の決定権=WTI(West Texas Intermediate)
原油価格推移図:GendaishiOilPrice.GIF
WTIの先物がニューヨークマーカンタイル取引所(NYMEX)へ→ 第3次石油「危機」
「朝日新聞」2008年6月17日社説
(イラク.イラン戦争・湾岸戦争・9.11・アフガニスタンイラク・イラン)問題
「世界政策研究所 WORLD POLICY INSTITUTE(http://www.worldpolicy.org/)
W・D・ハートゥング、フリーダ・ベリガン「米国のイスラエルに対する軍事援助と武器移転」
(2006.7.20)
「ブッシュ政権の2001年から2005年の間に、...イスラエルは63億ドルの米国武器供与のほか
に、105億ドルの『外国軍事融資 Foreign Military Financing』―ペンタゴンの最大の軍事援助プ
ログラムを(受領)」5年間の合計額168億ドル(およそ2兆円)は、年平均33.6億ドル(だいたい
経済援助4割・軍事援助6割)。
イスラエルの国家予算は550~600億ドルで軍事予算はおおよそ3割程度である。
全文はhttp://www.worldpolicy.org/projects/arms/reports/israel.lebanon.FINAL2.pdf を参考。
石油メジャーと地政学(バルカン半島・中東・中央アジア
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