一社会科学の窓(序説)

■第1回  社会科学について
国際学部・国際学科のカリキュラム=総合科学

自然科学(物理・化学・生物・・・)
人文科学(狭義)文学・哲学・思想・宗教・歴史・人類学・・・・)――1群
社会科学(政治・法律・・・・――3群    経済――2群
=自然科学と社会科学の違い=
①自然科学は方法論が一つ(例えば数学などは解は二つない。)
 社会科学は多様な方法論がある。
 Step1:「あなたはブランド派か否か」 ルイヴィトン・ホームページ
      =価値観とななにか=
  経済学:「経済をどううまく運営するか」。
   古典派=自由主義経済学:政府は口出しをしない。そうすれば経済は『神の手』が
             作用してうまくいく。(アダム・スミス『国富論』)
           ===1929年世界大恐慌===
   ケインズ=規制・統制主義経済学:人は不安になるとお金を使わない。モノを買わない。
              需要不足→不況になる→政府が買い手(需要)→景気回復
                              (欧州の高度福祉国家)
              別Ver.としてのナチズム(独)・ファシズム(日・イタリア)
   社会主義経済:計画・公有原理に基づく計画経済
           ====1960年代の政府の赤字 典型奨励 イギリス病=== 
   新自由=新古典派:規制緩和:企業が安くていいものをつくれば,みんな買う。
              企業が儲かる。→給料も上がる→もっと買う<サプライサイド>
              2013年4月8日(英)サッチャー元首相死亡
②社会科学は緊密に各分野が関連している。
 例えば政治と経済=(Political Economy)+歴史→全体的把握
③社会の出来事は変化する。(絶えず・激しく) 
 例えば日本の歴史 徳川時代(近世封建制)→明治・大正・昭和(前半)
 敗戦(1945年)昭和後半・平成  国家・経済の激しい変化(145年間の大変化))
 
 もちろん自然科学も変化する。人類史500万年の間の人間の変化。サルからヒトへ
                        

第2回社会科学とは何か=モノの考え方・見方とは何か。
 「社会科学的見方・考え方」ということについて知ることの大切さ。

(A)現実の生きた社会の出来事はすべて緊密につながっている。
  自然科学と社会科学の分野のつながりについて考える。
  
  死生観:「生まれる」「死ぬこと」を考える。
  生命の起源
自然(偶然)発生説=無から有
  BC400年に自然発生説:古代ギリシャのアリストテレス(BC384~322)
  「泥の中から、昆虫やハエが突然出現するのを観察できた」。

生命永久説=有から有
  パスツール(1822~1899)化学者(養蚕業の振興=解雇の微生物による死を防ぐ)
  1862年パスツールの実験 

パスツールの実験|NHK for School

  http://cgi2.nhk.or.jp/school/movie/clipbox.cgi?das_id=D0005300448_
  00000&keepThis=true&TB_iframe=true&width=920&height=480
  「生物はもともと生命のないところからは生まれてこない」。
  「目に見えないほど小さな生き物(微生物)でも、親がいなければ産まれない」。
 
 ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ
   (Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz, 1821~1894年
   ドイツ出身の生理学者
  「生命の胚種がある天体から他の天体へと運ばれた」。
  「生命のない物質から生命を生み出させようというとす
   る・・努力が失敗している」。
   F・エンゲルス「偶然発生」(マルクス・エンゲルス全集20巻)603~4頁。


======1883年 哲学(唯物論)者考え方======
「最後に(地球の)温度が均一になって、すくなくともその表面のかなりの場所でその温度が
蛋白の生きられる限度をもはやこえないまでになると、その他の化学的な予備条件さえとと
のえば、ここに生きた原形質が形成されるようになる。そのつぎの進歩を可能にし、構造を
欠いたこのような蛋白が核と膜とを形成して最初の細胞をつくりだすことを可能にするような
諸条件が現われるまでには、数千年もの歳月が経過したかもしれない。しかしこの最初の細
胞とともに、生物界全体の形態形成の基礎もまたあたえられることになった。最初に進化して
きたのは、・・・・・細胞をもった原生物であった。無機の物質から化学的な仕方ででてくるなど
ということは、当時にあってももはやだれも考えていなかった」。
F・エンゲルス「自然の弁証法・序論」(『マルクス・エンゲルス全集』大月書店,)352頁。

【地球上の簡単な化合物→簡単な有機物→高分子有機物→生命】
人間も同じ。1個の卵細胞から人間が出来上がる。
人間の体は細胞でできている。細胞の半分以上はタンパク質。
  注記:有機物… 燃えると二酸化炭素を発生する物質・加熱すると黒くこげて炭になる物質
      【例】砂糖・ろう・プラスチック・エタノール・木・紙・プロパンなど
      無機物… 有機物でない物質
      【例】ガラス・鉄・アルミニウム・水・食塩・二酸化炭素・水素・酸素など
■1922年、A・I・オパーリン ソ連 『生命の起源』
生物出現以前から、地球上には多量の有機(炭素)化合物が存在し、それらの化学変化により
現在の生体構成物に類似した物質が生じ(化学進化)、それを基として最初の生物が形成された。
→1936年(英語版)→世界的広まる。

==現在の知見==
約40億年前の原始の地球ではメタン、硫化水素、アンモニア、水素などの還元的物質が豊富に
存在し、それらが高温・高圧下で反応して生体分子がつくられ、鉱物表面で重合して高分子化し
、紫外線が遮断された環境で細胞化した。
その現場が,海底熱水噴出孔の生態系でチューブ・ワームのような生物が発見されている。

チューブワーム とは、深海の熱水噴出孔や冷水湧出帯周辺に生息する
生物である。発見当時は分類上の所属が不明なことから、チューブ状の
棲管に入り、入り口から頭を覗かせる姿そのままの名前で呼ばれた。
 和名はハオリムシ(羽織虫)。体長は数十cmほどで先端には紅色の
ハオリをもつ。口・消化管・肛門などの消化管等をもたず、硫黄酸化細菌
と細胞内共生している。ハオリから硫化水素等を取り込み細菌に供給し、
細菌は有機物を供給している。


東京大学・海洋アライアンス・知の羅針盤
http://www.oa.u-tokyo.ac.jp/rashimban/nessui/001/post-14.php

==死について考える==
生命の誕生の逆=人間死ぬと土にかえる。(バクテリアによって分解されてゆく)
   脳死を素材に考える
    脳死判定:脳波計による。
        ↑↓
   人間の五感によって死を認識:呼吸停止・心臓停止・瞳孔拡大

第3回 史的唯物論
〔社会体制(システム)への関心〕
1800年代(19世紀)本格的資本主義社会の到来=社会の矛盾の噴出
              (労働者状態;長時間労働,女子・幼年労働,住宅・・・)
 →生産力と生産関係の衝突=資本VS賃労働関係の矛盾
 →社会変革の思想=史的唯物論(配布プリント)マルクス・エンゲルスの思想

 
第4回 唯物史観:社会システムの歴史的考察
マルクス主義の歴史観。物質的・経済的生活関係を以て歴史的発展の究極の原動力。

 生産と生殖 労働〔思考(情報=言語)+身体能力投下〕力+手段+対象
 (『サルが人間になるための労働の役割』直立歩行→手と言語の獲得

(B)社会の出来事は変化=激変する(自然科学の変化に比較すれば)
 (第2次世界大戦後に,日本では公に認められた「新しい分野の学問」となった。→なぜか

人類史における歴史の時代区分について(日本史に即して)
原始共産制  → 古代奴隷制  → 中・近世封建制 →  近代資本制  →ポスト資本制
                                               「社会」/共産制 ?

~縄文/弥生   奈良/平安      鎌倉/室町/安土・江戸 明治~平成~現在
  
  社会科学入門VTR教材 「龍馬伝」(江戸から明治へ:封建制社会~資本制社会へ)
   岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)と坂本龍馬
戦前日本のものの見方――例えば歴史=皇国史観 天皇制 
 入江曜子『日本が神の国だったころ――国民学校の教科書を読む』(岩波新書764,2001年)
  初等科国史(上下)
  戦後日本の社会科教科書
  帝国書院中学社会科(歴史)教科書
  高校歴史年表 吉川弘文館 4頁
  名作に見る
  島崎藤村:「夜明け前」

第5回 現代社会への関心(23~25);現代社会の矛盾をどう見るか。
  ①若者の状況:「今どきの若いモンは」(老人)
 「あなたはなぜ大学に入学したのか」を題材に,私たちと社会のつながりを考える。
 =「学歴社会」とは何か。=

     
    資料1企業規模と賃金格差   【投影用グラフ】
   
    
    資料2 生涯賃金(大会社格差:正規非正規(投影用資料)

    資料3 正規・非正規別の結婚している比率(男性雇用者,2002年)
   

    http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3250.html 本川裕「社会実情データ」ホーム・ページ
    

働くことの厳しさ・むずかしさ
「大学進学者,安定就業5割に満たず」2012年3月19日NHK7時のニュース
      「日本経済新聞」2012年3月19日電子版
    同世代の状況を理解してみよう
      『平成22(2010)年版子ども・若者白書』
      『平成23(2011)年版子ども・若者白書』
      『平成23(2012)年版子ども・若者白書』(本編/PDF形式)

      若者雇用関連データ 厚生労働省HP
      3年以内離職率厚生労働省調査結果
 なぜ格差が生まれたのか。
   戦後日本の経済構造三層格差系列編成支配の構造
   1945年8月15日 日本敗戦
     アメリカ(占領軍)の対日戦後構想:アメリカに刃向わない国農業+軽工業国(極東のスイス)
     米ソ冷戦の開始:1949年10月 中華人民共和国成立
                1950年2月中ソ友好同盟相互援助条約,6月朝鮮戦争勃発
     アメリカ(占領軍)の対日戦後構想の転換:極東のスイス→アジアの兵器廠
 
 
 お盆と正月の帰省ラッシュがなぜ起きるのか。「専業主婦」言葉のルーツ
 YouTube 帰省ラッシュ  http://www.youtube.com/watch?v=O9WMeHNLGm8

第6回 社会科学への関心
 社会科学への関心=現代社会への関心
⇒「誰もが切実に感じ,悩み、その解決を望む問題」(20頁)
   =====取り扱う問題群=====
  (1)20世紀とはどんな世紀だったのか(熱戦と冷戦の世紀)
   ①二つの世界大戦(熱戦の前半世紀)
   ②冷戦構造(冷戦の後半世紀;資本主義体制対20世紀「社会主義」体制の間対立)
   ③現代=ポスト冷戦世界をどう見るか。20世紀「社会主義」の解体とアメリカ
  
  (2)民族・宗教・国家
   ①パレスティナ対イスラエル(イスラム教・ユダヤ教・キリスト教)
  
  (3)日本の戦争責任と韓国・朝鮮/中国(東アジアの民族の対立?)
     日本とドイツ

  (4)環境問題とは何か。
     3・11(ツナミとフクシマ)
  (5)飢餓と貧困 先進国・途上国の飢餓
   ①日本とアメリカの「貧困」とアフリカの飢餓
   ②飢餓と貧困の理論問題
  ====取り扱う問題群======

 (1)20世紀とはどんな世紀だったのか(熱戦と冷戦そしてポスト冷戦の世紀)
   ①二つの世界大戦(熱戦の前半世紀)
  
    
   Ⅰ大戦:戦争の本質「植民地再分割の帝国主義戦争」=「強盗どもの分捕りあい」
      後発ドイツの急成長=少ない植民地 先発 英仏の停滞=多い植民地
   1929年恐慌=信頼を失った資本主義体制:病気を治す処方箋
   ①1917年社会主義体制=ソ連邦(恐慌に巻き込まれない)レーニン『帝国主義論』
   ②日本・ドイツ・イタリア(後発資本主義G)→ファシズム(国家資本主義)
     天皇・ヒロヒト/ヒトラー/ムッソリーニ
     打開する方策=植民地への殖民
    ポスター「開け満州の大沃野」ポスター
    ポスター「満州国2周年記念」ポスター
    「懐かしい満蒙」(見方)
   http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/081021/sangyou2.html
   ③イギリス・アメリカ・フランスなど先発資本主義国(広い植民地))
     ケインズ『雇用,利子および貨幣の一般理論』有効需要創出
     (ソ連・ファシズムの道ではない第3の道)
     1929年恐慌時1200万人(25%)の失業者/29年のGDP回復に11年(1940年)
     →戦争による軍需景気(良薬) 
   教材用VTR④FN:2WW地獄.mpg(南仏オラドール村)
  
 
   Ⅱ大戦:戦争の本質「植民地再再分割の帝国主義戦争」
     後発日独(伊)の経済停滞(世界大恐慌後)脱出の植民地再再分割強奪と英米仏
     政治体制 英米仏=民主制 日独伊=ナチス/絶対主義天皇制・ファシズム
 
   その証拠   
   教材用VTR03:FN=米戦宣伝
   第2次世界大戦の各国別戦没者数データ
      矛盾の暴力的解決 新たな矛盾の始まり冷戦体制

============ 社会科学方法論;唯物弁証法=============
         ジンテーゼ【Synthese 独語】〔哲〕総合
                  
 【テーゼ(These =定立)アンチテーゼ(Antithese)反定立
 世界を新たなものの生成、量から質への転化、古いものの消滅という諸過程の複合として認識し,
一切は、他と相互関係にありながら、自己の内部における対立物との闘争によって自己運動を起し
発展する。
======== ==============================

第7回冷戦とはなんだったのか。20世紀世界を染め上げた物資・触媒
  (1)冷戦構造(資本主義体制対20世紀「社会主義」体制の間対立
    核(原/水爆)の脅威におびえ続けた時代
    VTR現代史第2回フォルダFN:米ソ軍拡競争
    教材用VTR⑤FN:ソ原爆実験
    冷戦構造とは何か(板書と口頭説明)
    
   図 冷戦構造印刷投影用PDF
 (2)北欧福祉社会が,なぜ生まれたのか。
    北欧三国の位置(Google Map)
    北欧福祉社会 基本のき(036)
    (参考)レポート
 (3)ベトナム戦争と東西冷戦(現代史第3回を参照)
   毛沢東のベトナム戦争・米中和解とアメリカ衰退のはじまり
 ==キーワード==
 中国(三線建設・文化大革命)・米中和解・ベトナム和解・中ソ対立(論争)

==講義のOne Point==
ノートを取る大切さについて,朝日新聞2011年10月14日「メモの取り方学び理解深く」
書くことの大切さ;国仲涼子 日本経済新聞2012年11月9日夕刊「学びのふるさと」

第8回 日本とドイツ 戦争と罪責をめぐって日韓・日朝・日中関係を考える。
Ⅰ  (社会科学のを鍛える=世界システム・冷戦構造論視角)
  教材用VTR 在特会反韓デモ
          中国反日デモ
  アジアの国々/国民とのわだかまり=日中国交回復40周年(2012年)にもかかわらず
Ⅱドイツと日本―二つの敗戦
  ドイツ ナチの戦争責任に対する一般国民/政治勢力(政党)/知識人
    一般国民や知識人にナチス戦争責任に対する強い認識があったわけではない。
      例 ハイデガー『形而上学入門』(講義ノート;原稿1935年)
        1953年出版「この運動(ナチズム)の内的心理と偉大さ」という表現が訂正・
        削除もされず残存。ユルゲン・ハーバマスのエッセー
                    「フランクフルター・アルゲマイネ」新聞
        1967/68年の学生運動の中でのナチス戦争責任の追求

    ※政治勢力のナチス/独の戦争責任への毅然たる態度の強い潮流
      ナチス・ドイツ : ヒトラーの戦争責任の訴求=ドイツ基本法での明記
     基調:■ワイツゼッカー大統領「荒れ野の40年」(1985年5月8日=敗戦40周年)
         ドイツ人被害(ドレスデン大空襲など)についての言及 
         ■アウシュヴィッツ強制収収容所解放60周年にあたって
         ドイツ連邦共和国ゲアハルト・シュレーダー首相の演説
 日本 絶対主義天皇制政府への訴求=・・・・・・・
         天皇の人間宣言→全国巡幸→広島
         教材用VTR TennoHirosimaV1.mpg
Ⅲ日独の差異 
 冷戦における位置/日独
 日韓条約締結プロセス:1951年9月GHQ提起→1952/2第1回開催(中断・再開)→1965年
                         1965年米VW開始・アジア地域の安定=日韓条約
 日中国交回復プロセス:ベトナム戦争と東西冷戦(現代史第3回を参照)

 
=コラム=
 日中関係は中華人民共和国が成立した
1949年から始まるわけだが、中国側の対日態度の緩和によって日中関係が築かれようとした。だが日本政府は1952年日華平和条約で台湾を唯一の中国政府とし,19585月の長崎における中国国旗引き下ろし事件を契機にして日中関係は断絶する。その後1962年に日中間のいわゆるLT貿易 [1] が成立し、日中関係は民間ベースで細々と続いていたのが実情であろう。つまり日本側は外交問題としてさえ、日中の国交回復を自主的にすすめるなどという姿勢さえ持っていなかった。ましていわんや、帝国主義侵略国としての戦争責任など取ろうという姿勢など微塵もなかったといってよい。だが、アメリカのアジア戦略転換によって日本政府も外交関係を修復・樹立する必要に迫られた。それが1972年田中角栄の日中国交回復ための中国訪問となる。その時のエピソードが日本の戦争責任を取らない無責任ぶりを表している。
 大平正芳外相を伴い訪中した田中角栄首相は 1972925日晩餐会で答礼のスピーチに立った。「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどってまいりました。この間わが国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります。」と。田中のスピーチを中国語に訳したのは周恩来の通訳林麗韞(リン・レイウン)だが、林は田中の「多大なご迷惑」を「添了麻煩」(ティン・ラ・マ・ファン)と訳して伝えると会場がざわついたという。「添了麻煩」とは、うっかり水をこぼして女性のスカートを濡らしてしまったほどのことであり、とうてい謝罪の言葉には程遠い。約二年前、中国の新華社[2]が今まで公開されていなかった日中国交回復のあるエピソードについて内容を公表した。
  1972927日午後8時から9時半まで、毛沢東が田中、大平と二階堂に会った。日本側の通訳と書記官が出席しなかったので、日本の外務省には記録がないと思われる。会談後、毛沢東が中国の古書『楚辞集注』を田中角栄にプレゼントしたという。中国側の分析によると、毛沢東がこの本を選んだ理由は、本の中に「迷惑」という言葉の古文[3]がある。日本語と中国語の中で、「迷惑」の意味が違うけれども、日中両国の文化の相違点を示唆したものと考えられる。
 その
929日に発表された日中共同声明では前文で「日本側は,・・・中国国民に重大な損害を与えたことについて責任を痛感し深く反省する」と表記された。また第1条で日中戦争の終結時期を「不正常な状態」と表現した。日本は日華条約締結時に日中戦争が終結したという見解だがその後も「不正常な状態」が続いていた、と国民に説明でき、中国側はこの声明で戦争は終結した、と説明できることになる。[4]

[1]1962(昭和37)年に日本と中華人民共和国との間で交わされた(日中LT貿易覚書(日中貿易に関する高碕達之助・
廖承志の覚書)
データベース『世界と日本』,日本政治・国際関係データベース,東京大学東洋文化研究所http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19621109.O1J.html
[2]
新華網ホームページ・新華副刊 http://news.xinhuanet.com/xhfk/2011-07/17/c_121678094.htm 2012/11/23
[3]「慷慨兮不得,中瞀乱兮迷惑」。『楚辞・九』。「迷惑」という言葉の起源である
http://baike.baidu.com/view/137562.htm (2013/05/28
[4]このパラグラフは,NHKスペシャル「日中外交はこうして始まった」2012930日,チャンネル1 放映による。

第9回 20世紀「社会主義」とはなんだったのか。
      
      論文「20世紀社会主義・ソ連崩壊の歴史的意味   
      ―冷戦構造の溶解と市場原理主義の全面展開―」
      『国際学研究』第42号(2012年10月)
 歴史的条件
  19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシア社会
    VTR教材:①ロシア革命前社会状態 ②20世紀初頭半植民地中国の状態

 なぜ「遅れた」ロシア(ロマノフ王朝)と中国(清王朝=半植民地)に「社会主義革命」がおきたか。
       Ⅰ大戦とロシア革命:Ⅱ大戦後と中国革命
       遅れた社会体制に苦しむ大衆 教材用VTR  革命前ロシア社会.mpg 
  金持ちの皇帝と貧困に苦しむ大衆
  ==============================
  遅れた諸国が工業化=近代化しようとすると必然的に国家・政府が
  ①生産手段を国有化し(生産の主導者が未成熟)  所有
(国有/私有)
  ②生産を主導(計画・命令)せざるを得ない。     計画
(計画/市場)
  ===============================
   【計画の問題】
  無限に近いような連鎖,産業連関もっておこなわれる生産
  市場による「中間需要=供給」の調整:市場機能の欠陥の克服
                ↓
  国=政府が主導・計画し育てていく必要がある。国全体を一工場のようにする。
         無駄のない生産=計画生産
   ソ連/中国ー熱戦と冷戦の中で A を行わざるを得ない。
   軍事・航空宇宙産業(消費者=国=軍隊)民生品の不足・国民生活の犠牲
   
   図 指令型「計画経済」による軍事重化学工業化ー日本とソ連
   
   1960年代までの評価:資本主義体制の危機=ソ連社会主義体制の評価
   特に欧州での資本主義に対する不信=一種の資本主義を管理(ケインズ主義)
   民需品では大きな差→1970年代以米欧との格差拡大=ソ連国民の目にも映る
   
   図 国民生活犠牲の軍事重化学工業化
   
  【所有の問題】
  
  貧富なし=平等社会 貧富=不平等=階級社会=生産の社会(公)的性格
                                     ⇔取得の私的性格 
  私的所有の廃止=大衆ひとり一人が所有=自分たち大衆が建てた政府=国・公的所有
               ところが実施は
  計画を管轄するソ連共産党幹部「ノーメンクラツーラ」=特権富裕層
  
  ==ではなぜ1970年代==

  ME=情報革命にもとづく新産業革命(新素材とコンピュータ+ネット)
  民生品製造業の革新イノベーション
      ソ連社会主義は対応できない⇔アメリカ ガレージから生まれたコンピュータ
                  
   (儲けようとしたのではなく,結果として儲かった)
   それを大量生産に応用した日本・アジア
   1989/91年ソ連・東欧の崩壊→社会主義への失望
   ==課題==
   (1)中央指令型でない計画 インターネットによる「ムカデの足」の動きのような計画
    無限に近い産業連関の計画による調整は可能なのか。
   (2)所有=報酬主義を超えた労働観 (ボランティアの持つ意味)

    20世紀「社会主義」の崩壊  
     歴史上最後で最高の社会システムとしての資本主義か。
     環境 格差 貧困 飢餓 
  世の中の課題:なにか。その矛盾を解決できるか。=リアクション・ペーパー
    働くこと:労働・雇用問題
    先進国における所得格差 (1990年代社会主義体制の崩壊と共に開始・進行する所得格差)
    アメリカにおける貧困  
    日本における貧困(次の「第10回 日本の問題」で)
    本川裕『社会実情データ図録』」大変面白いためになるサイト
    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/index.html
    
 ■第10回 日本の問題=国内の矛盾の根元としての階級対立(搾取)
     導入としての若者の問題:格差社会・フリーター・ニート(前出)
①現代の「貧困」問題を考える(日本の貧困;過労死)。
  ブラック企業 ワタミ渡辺美樹会長「365日24時間死ぬまで働け」
  http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2761  
  大阪 「母子餓死事件」
「高度成長」=一億総中流意識
  1956~1960年代初頭 「大衆社会論」 
  1967(昭和42)年『国民生活白書』
  1977年村上泰亮「新中間層論争」日本的経営(終身雇用=非正規雇用)
  1970年代半ば
  ME=情報革命:ME自動化=合理化(1971年インテルi4004→マイコンの誕生)
  
  1982年 過労死 / 上畑鉄之丞,田尻俊一郎. -- 労働経済社, 1982.6
   働きざかりの突然死 / 上畑鉄之丞. -- 太陽企画出版, 1980.12. -- (Sun)
    →1988年「カロー死110番」 「カローシ」国際語 Chicago Tribune 1988年11月13日
   Tokyo Tries to Find Out if 'Salarymen' Are Working Themselves to Death false
   DAVID E. SANGER, Special to The New York Times. New York Times, Late Edition
                    (East Coast)19 Mar 1990: A.6.(図書館から読めます)
   1985年労働基準法「改正」(85・女子保護規定廃止,86年 派遣法成立*,
                                    87年 変形労働制・フレックスタイム)
       *派遣法(99業種拡大→04製造業解禁→06期間延長)
       暉峻淑子『豊かさとは何か』 (岩波書店,1989年) -- (岩波新書 ; 新赤版 85).
   ===1991年4月平成バブル景気終焉===
高度成長の終焉=失業と格差社会 1990年代世界的潮流へ 涌井論文の「Ⅰ.はじめに」
   教材用VTR:現代日本の貧困過労死.mpg Nスペワーキングプア女性たちの悲鳴.mpg
   ミニマム労基法 
「階級についての若干理論的なこと」(40頁)階級論
生産手段(重要な生産施設・運輸・倉庫・銀行) 資本主義的所有=私人(株式)のモノ=私的所有
                          社会主義的所有=社会のモノ=国・公有(実質は国家・共産党官僚のモノ)
階級を見るリトマス試験紙 生産手段所有/非所有
労働者階級・勤労者=生産手段の非所有:労働力を売る=(契約)賃金を得る
大原則「生産手段をもたないものは生産手段をもっているものに雇われ、その下で働かねばならない」(41頁)
    この他に社会を構成するものとしては中間諸階層(サービス業・公務員・教師・・

 純粋な経済関係でいえば資本対賃労働〓矛盾の根源
 なぜ失業と過労死が生まれるのか。〔120年前のメーデーのスローガン「8時間労働と失業の克服」〕
 
 資本主義体制下の自由(経済合理性における自由(43頁)と競争(資本主義社会を発展させてきたキーワード)
   労働の3要素
   
   
商品売買の自由(労働契約)・職業・居住選択の自由・資本投下(起業)の自由
        ↑
        ↓
封建体制下の不自由=身分社会=不合理
歴史の発展法則:原始共産制→古代奴隷制→中世封建制→近代資本制→(社会主義)
「資本主義体制はいつ、いかにして階級社会として成立発展してきたのか。」
 ②貧困の問題を考える。(南北問題;アフリカの飢餓)/アメリカ・日本の貧困)
  再度考えます。ここでは触れるだけ。
   We are the 99%.
 
   アメリカにおける貧困 

  日本社会の貧困 
  失業・ワーキングプアー・人間らしい働き方を資本主義は実現できるのか=日本の貧困
  2007年日本の現状 生活保護と所得10分位(働く貧困層の割合は世帯員は四分の一)
  「単身女性3人に1人が貧困 母子世帯は57%」 
  社科入教材用VTR「女性の貧困」FN:jhoseihinkondijesut
  「ヒンコン」
  同世代の状況を理解してみよう
      『平成22(2010)年子ども・若者白書』
      『平成23(2011)年子ども・若者白書』
(1990年代社会主義体制の崩壊と共に開始・進行する所得格差)
      先進国における所得格差 
   「生産の社会的性格取得の私的資本主義的性格」
   生産=社会の維持には全員参加なのに,富は一部のものが独占する
【問題】あなたは下の問いにどう答えますか。リアクション・ペーパー
  フリーター,ネットカフェ難民,失業の問題を考える。果たして怠け者か,必然の産物か。
      風邪をひいたときの個人的要素とウイルスの関係

 社会科学の場合立場・価値観が決定的 自然科学の場合にも立場・価値観は重要
   失業・ワーキングプアー・人間らしい働き方を資本主義は実現できるのか=日本の貧困
   2007年日本の現状 生活保護と所得10分位(働く貧困層の割合は世帯員は四分の一)
   2012年若者の状況 不安定就業の現状
   (働いてもどうにもならない・稠密・長時間・長時間通勤を資本主義は解決できるのか。
   農地改革=小作農の開放(地主的従属からの開放)  農業・農民問題  
                  日本農業をどうするのか
                  食料自給率=カロリーベース (40%)


第11/12回 民族と宗教への関心(導入:アラブとパレスチナ)
世界報道写真展 http://www.asahi.com/event/wpph/
==民族と宗教と国家==

民族:血縁によって結ばれた人間共同体(49頁) 共通の文化:言語
「民族とはある国土の上に血縁を基板に持って結ばれた人間文化の共同体」(53頁)
シェマホーホーンのエスニック集団の定義
 「共通の祖先,共通の歴史的記憶,そして構成員の象徴とされる
 シンボルに重点を置いた文化などを持っている集団」
■民族。民族意識の歴史的形成
近代国家の成立と民族=(近代)資本主義生産様式の成立
欧州における民族の形成 →民族をベースとする国民の形成
日本の場合 国民の意識形成はどのようにして起き,展開して行ったか。
  
  小熊英ニ『単一民族神話の起源,日本人の自画像の系譜』(新曜社,1995年1版1刷~17刷)
■植民地・半植民地における民族・民族意識
→帝国主義と植民地・従属
■第2次世界大戦後の民族紛争・問題
 (1)ユーゴスラビア問題について
 (2)アフガニスタン戦争について(大学教育→多国籍企業論  石油メジャーと地政学
   米軍の世界展開,アメリカによる中東戦争劇場
   『ポスト冷戦世界の構造と動態』第5章アメリカ一国生残りとしての世界軍事=石油支配
 (3)アフリカの部族対立 ルワンダの悲劇(ツチ族×フツ族)

ユダヤ人問題
 古代社会においてローマ帝国内の異教徒として迫害を受ける
 ヨーロッパ社会に移住

中世社会で生きていくために欧州の「3K」=高利貸・教会や貴族領(荘園)の徴税人
                 (シェクスピア「ベニスの商人」)
                 宗教改革(プロテスタント)
                 勤勉・清貧・節約
                 高利貸・教会や貴族領(荘園)の徴税人=悪者

近代資本主義社会においても迫害(政府の失敗を押付ける相手=いけにえ)
       部落や在日韓国朝鮮人差別と同じ構造
だったら・・居直る→「シオニズム運動」(19C末~20C初頭)ユダヤ人国家の樹立(初期は理念的)
第1次世界大戦中 イギリスが植民地体制を維持するために三枚舌のウソ
 対アラブ:パレスチナ(今のイスラエルの国土)に大アラブ独立国(1916年)
 対ユダヤ:同じ場所にユダヤ国家(民族ホーム)の建設(1917年)バルフォア宣言
 対トルコ:英仏露で同じ場所の山分け協定(サイクス・ピコ協定)1916年

戦間期~第2次世界大戦中
 1924年~26年=約6万人移住 ロシア・東欧(主にポーランド)のユダヤ人
 1933年~39年=ドイツ・オーストリーの資本家階級(金持ち)
             ↓
 オスマントルコ支配下のアラブ人不在地主から農地を買収
             ↓
        アラブ人小作人を追い出す

ここまでの内容をVTRでおさらい
教材用VTR02 ユダヤ教徒の王族とイスラム教徒の王族の結婚式
Ⅰ大戦中 タンク・航空機・軍艦の石炭→石油 1911年米海軍、ネバダ級戦艦 建造
            20世紀『石油の世紀』(D・ヤーギン)
            中東/西アジアの資源=油田地帯 
Q.パレスチナ・イスラエル紛争はなぜ?ユダヤ教とイスラム教の宗教戦争なのか
A.20世紀初頭までは今日のような対立はない。

第2次大戦後の1947年、国連は、パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分離
 エルサレムをどちらにも属さない国際管理都市にする決議を可決→アラブ諸国は反対。

1948年にユダヤ人がイスラエルの建国(ユダヤ教徒の国家=アメリカの肩入れ)宣言
                   ↓
■1948年第1次中東戦争=パレスティナ戦争 エジプトなどアラブ諸国がイスラエルに侵攻
 イスラエル(2万平方キロ/1988年)
 パレスチナ(イスラエルとヨルダン西部)2.2万平方キロ=(関東平野約1.8万キロ)の土地から
    アラブ人130万人のうち40~60万人を追放=70から90万人がアラブ難民
    アラブ側の敗北=ユダヤ人入植地を拡大

   ●1950年イスラエル,エルサレムを首都と宣言。(宗教問題)

 アラブ側は体制を整える(ソ連の援助:非同盟:反米)=旧態然たる王政ではイスラエルに対抗不可
  エジプト革命=ナーセル=軍事クーデター(1952年7月)
  エジプトの「ブルジョア」民族革命
課題
①封建的大土地所有制と英・②外国人特権のもたらす搾取と差別
→王制打倒と英軍事支配からの脱却はエジプト近代史を貫く民族的課題
   革命の担い手は軍人「自由将校団」ナーセルとナギブ「ムスリム同胞団」/民衆(労働者・農民)
   (1954年2月ムスリム同胞団はナセル暗殺/失敗、同胞団は解体され、ナギブは失脚)
   エジプト国王(モハマド・アリ王朝ファルーク王)打倒・追放
   ナーセル主導
   スエズ運河国有(1956年)スエズ動乱(英)
   イラン=石油国有化 アラブ民族主義=ナーセリズム  
            ↓   1956年ナーセル大統領(~1970年死亡)
■1956年第2次中東戦争(アラブ側のリベンジ)
  アラブ(エジプト)の勝利  ナーセルリズムアラブを席巻

 1960年アラブ民族主義高揚 石油戦略=価格決定権保持OPEC(石油輸出国機構)1960年設立

■1967年第3次中東戦争:6日間戦争(イスラエル(ユダヤ「民族」)のリベンジ)
      アメリカの最新鋭で装備したイスラエル軍の「勝利」
             イスラエル,東エルサレムを含むヨルダン川西岸・ガザ地区占領
   腐った既存アラブの国家指導者に頼ったらダメだ→アラファト
            (64年パレスチナ解放機構 Palestine Liberation Organization 設立)
                
   アラブ人既存国家に対して武装闘争を開始
   アラブ国家内(レバノン・ヨルダンなどで内戦,過激派テロへ)
   以降自らをアラブ人と呼ばずパレスチナ人と呼ぶ
        パレスチナ人の対イスラエル・ゲリラ闘争高揚→アラブ諸国政権側の弾圧を強化
        (1970年ヨルダン政府による黒い9月事件、1976年・84~85年レバノン内戦における
        シリア軍のパレスチナ・コマンド攻撃など)、アラブ諸国政権側とイスラエルの対パレスチナ人攻撃
   1971年1月アスワンハイダム完工/72年4月ソ連軍事顧問団引揚
■1973年第4次中東戦争(アラブ側の再リベンジ)
  (アラブ側ラマダーン戦争、イスラエル側ヨーム・キップール;贖罪の日戦争)
  エジプト(親米サダト1970年就任政権)はソ連製ミサイルで電撃的勝利
    石油戦略 仲良くしないと石油を売らないよ=第1次石油危機

1979年パレスチナおよび周辺以外でも既存アラブ国家体制の見直し
 2月ホメイニ革命(イラン);反パーレビ演説78年イラクから追放 パリ亡命/移住=反西欧イスラム原理主義
  7月サダム=フセイン(イラク)大統領就任
 12月アフガニスタン(ソ連の侵略:親ソカルマール政権) 第2次石油危機
 
  アメリカの中東戦略=1980年カーター「中東教書」(石油/天然ガスによる世界の支配)
  World Pipelines maps Homepage
  世界の石油パイプライン

  涌井pdfの石油/ガスパイプライン
  軍事=石油(産業の米)戦略の再編 湾岸戦争:湾岸石油地帯の制圧
  (1)イラク・イラン戦争(1980/9~1988)=双方に武器を送ってヘトヘトにして倒す
      →湾岸戦争(1991年)イラク攻撃 アメリカは中東武力支配体制完成(各国基地配備)
      『朝日新聞』1991年1月17日  (要パスワード)
  (2)反ソ・反カルマール政権武力対抗勢力を援助=タリバン(パシュトン人)・タジク・ハザラ・ウズベク人
     の各民族(部族)をそれぞれ周辺国とアメリカが,石油利権をめぐって援助利害=部族対立=
     宗教派閥利用
■1980年7月イスラエル,統一エルサレム(新旧市街+東エルサレム)と首都に宣言
   1981年10月エジプト・サダト大統領暗殺→ムバラク大統領に就任/独裁体制のはじまり
                         2011年アラブの春「民主化」への伏線
                        (西欧市民国家・市民的自由の若者の主張はイスラム教
                                 主義国家体制(ムスリム同胞団)に飲み込まれる。)

                        サダトの基本路線を継承し、緊密な対米関係を維持。
                        87年大統領に再選。90年8月以降のイラクのクエート侵略時
                        エジプト軍をサウジアラビアに派遣
       
■1987年1月パレスティナ人による第1次インティファーダ(民衆蜂起)始まる。
  1993~2000年(つかの間の和平歩み寄り=オスロ合意)
  ワシントンでイスラエル首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長が和平合意
  1994年;パレスチナ人の自治区と暫定自治政府ができ、イスラエル軍は占領地から撤退開始
  しかし、国境線の引き方や聖地エルサレムの管理、また、パレスチナ難民は故郷に帰れるのかなど、
      難問は先送り=和平失敗
  1998年米英軍イラク攻撃 大量破壊(核)兵器査察拒否 『朝日新聞』1998年12月17日 (要パス)
                                    同上記事
■2001年シャロン氏が登場=対パレスチナ強硬派
   パレスチナ暫定自治政府の選挙で対イスラエル強硬派のハタファが優勢
    9.11「テロ」
   2001年10月8日 米 アフガニスタン空爆  『朝日新聞』2001年10月8日
「9・11テロ攻撃と国家テロによる反撃―ニュヨーク世界貿易センタービル崩壊の深層」
 衝撃映像「911テロ.mpg」(教材用VTR15)」
「フセイン政権とアルカイダ無関係」「米,イラク開戦根拠ない」『日本経済新聞』2006年9月9日夕刊(要パス)
  
          その結末2011年5月2日「ビンラディン容疑者殺害」『朝日新聞』2011年5月2日朝刊(要パス)
     2001.9.11以降アメリカが親米政権樹立(タリバン政権を攻撃)のためにアフガン攻撃

     2003年03月20日イラク戦争:アメリカ軍25万人を中心とする米英軍が攻撃を開始 
        04月9日には、サダム・フセイン(Saddam Hussein)政権が崩壊
        05月1日にはジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)「主要な戦闘の終結」を宣言
     2004年06月のイラク政府への主権委譲、
     2005年10月の新憲法承認を経た現在も、自爆テロや宗派間抗争頻発
            イラク「内戦」状態
■2005年8月イスラエル,ガザ地区から撤退。
   同時に,東エルサレム地域への入植(ギロ・ビスカトゼーブ・ラマトシュロモ)を強化
   2010年現在も分離壁を築きつつ,入植活動を継続。
         ユダヤ人入植地121ヵ所(イ 政府黙認も含めれば223ヵ所)
         入植者数(2010年3月時点)46,2400人

    アメリカの世界戦略 グローバルリゼーション=フィナライゼーション=マーケッタライゼーション
    世界「金融革命」→石油価格の決定権=WTI(West Texas Intermediate)
    WTIの先物がニューヨークマーカンタイル取引所(NYMEX)へ→ 第3次石油危機
                                          「朝日新聞」2008年6月17日社説
2010年末~現在アラブの春: Arab Spring)
2010年12月18日チュニジアから始まった暴動大規模反政府(民主化要求)デモや抗議反政府運動
2011年~現在 シリア内戦 
  アラブの春シンポジューム
  涌井コメント シリア内戦・混迷の「重要な要素」石油・天然ガスパイプライン計画
  2011年7月,「西イスラム・パイプライン(Islamic Pipeline):建設費100億米ドル」建設
   外務省のサイト 
  
2009年 イスラエル沖東地中海:レバント堆積盆地 タマル天然ガス田発見 
2010年       〃                    レビヤタン天然ガス田
米地質調査所 
Natural Gas Potential Assessed in Eastern MediterraneanReleased: 4/8/2010 12:42:36 PM)
http://www.usgs.gov/newsroom/article.asp?ID=2435 

中東Aljazeera インターネット版

==9.11テロとから西アジア==【参考】私の調査ではありません。
(イラク.イラン戦争・湾岸戦争・9.11・アフガニスタンイラク・イラン)問題
     
「世界政策研究所 WORLD POLICY INSTITUTE(http://www.worldpolicy.org/
W・D・ハートゥング、フリーダ・ベリガン「米国のイスラエルに対する軍事援助と武器移転」(2006.7.20)
「ブッシュ政権の2001年から2005年の間に、...イスラエルは63億ドルの米国武器供与のほかに、
105億ドルの『外国軍事融資 Foreign Military Financing』――ペンタゴンの最大の軍事援助プログラム――を受け取った」
5年間の合計額168億ドル(およそ2兆円)は、年平均33.6億ドル(だいたい経済援助4割・軍事援助6割)となる。
イスラエルの国家予算は550~600億ドルで軍事予算はおおよそ3割程度である。
全文はhttp://www.worldpolicy.org/projects/arms/reports/israel.lebanon.FINAL2.pdf  を見てください。
データは USAID:U.S.Overseas Lpans and Grants,•Economic Assistance, 1946–2010 •Military Assistance, 1947–2010
http://gbk.eads.usaidallnet.gov/data/detailed.html
アメリカとイスラエルの軍事戦略協定については:
http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/US-Israel/strattoc.html

教材用VTR25:憎しみの負の連,イスラエルとパレスティナ 

イスラエル・パレスチナ紛争 宗教戦争なのか
 ==基礎知識:Q&A==
 イスラエル地図 どこにあるか(Google Earth) 
                       PASSIA(在イスラエルイスラエル・アラブ人のNPO)サイト
                        Palestine Monitor
                        Foundation For Niddle East Peace

現在のエルサレム旧市街(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地) VTR教材No19 世界遺産エルサレム.mpg

 
 ユダヤ教とイスラム教 

●イスラム教
(「神の意思への服従」の意。イスラームとも)_世界的大宗教の一つで,610~630年頃マホメットは40歳頃メッカ近郊で天使ガブリエルの声を聞いて以来,しばしば天啓を受け,アッラーの預言者としての自覚を深めた。
 その後、アラビアを中心とした民族によって発展・拡大し,その地域も聖地メッカを中心に、アラビア半島・シリア・メソポタミア・小アジア、西は北アフリカを経て一時はイベリア半島、東はインド・中央アジアを経て中国および東インド諸島一帯、また南は黒人アフリカの各地に民族を超えて拡がった。特にトルコ・イラン・イラク・エジプト・サウジ‐アラビア・アフガニスタン・パキスタンなどでは国家の基礎となっている。
 教義はアラビアの民族信仰にキリスト・ユダヤ両教を摂取し、六信(唯一最高神アラー・啓示録であるコーラン・天使・預言者・復活・審判を信ずること)などの信仰箇条と、五行(信仰告白・祈祷・喜捨・断食・聖地巡礼)などの勤行とを大綱とし、更に種々の戒律が付随している。スンニーとシーアの二大宗派がある。
 その文化は中世に古代ギリシア文化を継承、戒律に伴う法学と地理学・医学を始め、いわゆるアラビア文化として発達、近代ヨーロッパ文化の誕生にも寄与した。イスラム教。回教。マホメット教。
 サラーム アレイクム(こんちには=アラビア語)
 <コーラン>
 預言者ムハンマドが神から下されたとする教えが書かれています。
 豚肉は食べません。
 お酒も飲みません。
 1日5回、サウジアラビアのメッカの方向を向き祈りをささげます。
 ●ユダヤ教
  教徒シャローム(こんにちは=ヘブライ語)
 。現在全世界にシナゴーグ(会堂)とユダヤ教徒が散在するが、国籍や日常言語、皮膚の色は異なっても、シナゴーグの礼拝に集まる人々はいずれもユダヤ人である。しかし民族としてのユダヤ人はいない。民族は文化とくに言語の共有す共同体の形成によって特徴づけられるが,ユダヤ人はそうした共通性をもたない。紀元前のユダイヤ人はベブライ語であった。『旧約聖書』は,98%強がヘブライ語で書かれたが,日常語としては,次第に使われなくなり,中世以降ヘブライ語は人工的文学語としてのみ残った。このヘブライ語が、シオニズム運動,啓蒙主義(ハスカラ)に刺激され、パレスチナに日常語(現代ヘブライ語Ivrit)として復活、現在イスラエルの公用語として300万人近くの話し手をもっている。現在イスラエルでは「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」と規定している。
 基本的な教義は「モーセの十戒」(≒『旧約聖書』の「出エジプト記」20章と「申命記(しんめいき)」5章)で,前文に「わたしはあなたの神、主(しゆ)であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」とあり、この戒めが、神に選ばれた民(選民思想)であることが明示されている。まず「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」として、唯一神への信仰を求める第1戒、偶像礼拝を禁ずる第2戒、神名をみだりに唱えることを禁ずる第3戒などは、多神教的な古代諸宗教のなかで比類のないもの。ついで、安息日の厳守、父母を敬うこと、殺人、姦淫(かんいん)、盗み、偽証、貪欲(どんよく)の禁止が、いずれも時と場合を問わず、命ぜられる断言法の形で示されている。日常生活の規範では,豚肉を食べないほか、肉製品と乳製品(行入、ヨーグルトなど)は一緒に食べない。 金曜の日没から土曜の日没までを「安息日」とし、休息する。頭のキッパは神に対する敬愛心をあらわすためにかぶる。

(明学社会科学入門を受講している学生は図書館の朝日新聞の新聞記事検索へ)

第13/14回 3.11東日本大震災(環境問題)を社会科学する==人間と自然==

社科入教材用VTR 311.mpg
リアクションペーパー:3.11東日本大震災とはなにか。
(1)地震  (2)津波 (3)原発
 東日本大震災は、地震災害と津波災害、さらに原発災害と風評被害まで伴って、災害史
上空前の複合巨大災害となった。それから 1 年 8 ヵ月、被災地にはいまだ 2,800人の行方
不明者が残され、また、約 33 万人の避難者が、遠くの仮設住宅や借り上げ住宅で、見通し
のつかない不自由な生活を余儀なくされている。
VTRの注意点 福島第一原発 3号機 の「水素爆発」=「プルトニュウム爆発」
放射線量
http://www.asahi-net.or.jp/~uq7k-hrsm/fukushima_moni.htm  
放射性物質の残留期間
http://grnba.com/iiyama/img99/radioactivity.html

    
 生態系では、植物類は無機物から有機物をつくる重要な「生産者」であり、動物類はその有機物を消費する「消費者」として菌類の働きを助け、菌類は有機物の分解を進めて無機物に還元して植物類にバトンタッチする「還元者」としての大役を担っている。こうして地球上の有限の物質は無限に利用されることとなる。たとえば、生物体になくてはならない有機物の素材となる二酸化炭素(CO2)は、この循環がなければ250~300年で植物類によって使い尽くされてしまう。

地球温暖化のネット上の情報  国立環境研究所  http://www.fepc.or.jp/thumbnail/zumen/2-03.html

    =大気の構成の変化=                   =大気中のCO2の歴史的変化=


投影・印刷用taikiseibun.pdf へのリンク         shakabanTaikiCo2.pdf へのリンク
空気はどうしてあるの
 長崎県・碓井(うすい)さくらさん(小6)からの質問

 ==酸素は、生物の光合成のおかげ==
藤原先生 地球の空気に酸素がなかったら、私たちはいないわ   。その可能性もあったのよ。
ののちゃん へえー?
藤原先生 空気は窒素約78%、酸素約21%、アルゴン    約1%、二酸化炭素約0・04%などからできている混合物なの。でも、隣の惑星である金星や火星の場合は95%以上が二酸化炭素なのよ。
ののちゃん それじゃ、息ができない!
藤原先生 45億年前、誕生(たんじょう)したての地球の空気は今(いま)と全然違(ぜんぜんちが)ったのよ。二酸化炭素、窒素が主で、それに一酸化炭素、水素が少しずつ。
ののちゃん それはどこからきたの?
藤原先生 惑星は、太陽の周りを回っていた物質がお互いに衝突したときに合体して、雪だるまみたいにだんだん大 きくなってできたの。そのとき、岩石に含まれているガスが放出され、地球の重力のせいで地表にたまった。これが最初の空気ね。
ののちゃん 地球に酸素がなかったんだ。
藤原先生 水や二酸化炭素という酸素化合物はあったけど、酸素だけというのはなかったわ。酸素ができたのは、生物のおかげなのよ。他の惑星にはないことね。
 ののちゃん へー、どんな生物なの?
 藤原先生 約40億年前に誕生した生命は、少しずつ進化して、27億年前ごろ、太陽光エネルギーで水と二酸化炭素から自分で生きるのに必要な養分を作り、いらない酸素を放出するという能力を身につけたの。光合成ね。初め   てその能力を持(ったのは、今もいるシアノバクテリアという単細胞生物。海にたくさんいたので、20億年前ごろには、吐き出す酸素がどんどんたまっていって、濃くなったのね。
 ののちゃん そんな昔のことがよくわかるね。
 藤原先生 その年代の地層から縞状鉄鉱という特別な岩石が発見されているわ。水に溶けている鉄が酸素と結びついて溶けにくくなり海底にたまったの。これが酸素が増えた証拠とされているわ。
 ののちゃん 今、二酸化炭素が少ないのは生物が吸っちゃったから?
 藤原先生 それは違うわ。最初、空気中に多かった二酸化炭素は水に溶け、水中のカルシウムとくっついて炭酸カルシウムとして沈殿、これが石灰岩となって海底に徐々に積もっていったの。地殻変動で地上に出てきた石灰岩は、ゆっくりとしか溶けないので、二酸化炭素は石灰岩としてたまる一方で、大気中には少なくなったの。
 ののちゃん 空気にも歴史(れきし)があるんだね。
 (取材協力=田近英一・東大大学院准教授、構成=内村直之)「朝日新聞」2007年6月17日 朝刊 週末日曜4頁
新聞で学ぶ「朝日新聞」2007年6月17日(日)s4頁

人類(ヒト)生存のために生態系の外に生産経済(経済系)作る
                  ↓
                歴史の始まり

    「日本経済新聞」1999年6月11日第二部2S



 (資料2)
 日本の古代・中世・近世おけ人口・GDPの推移 ttps://honkawa2.sakura.ne.jp/1150a.html



 
=====3.11原発事故の自然=人類に対する罪責=====
自然の循環,生態系を断ち切る危険物質の永遠の監視という倫理的問題を抱え込み,解決できない。
コストパフォーマンス(費用便益分析)視角で解は得られない。
下記 特別研究/学習⑥見よ

専門家の知見;回答「高レベル放射性廃棄物の処分について」 - 日本学術会議 
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-k159-1.pdf
報道・解説
視点・論点 「学術会議からの提言・核の廃棄物をどうするか」 NHK視点・論点

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/132849.html

==特別研究/学習==

2011年3月11日 東日本大震災と福島第一原発の「臨界事故:核爆発」
(1)東京電力福島第一原発の事故は「臨界事故:核爆発」(3号機燃料プール)ではなかったか。
   他の核燃料の臨界事故はないか。
(2)放射性物質に対する正しい認識
(3)なぜ浜岡原発は再稼働できなくなったのか。
  2011年5月6日 管直人総理に記者会見 http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/100/81095.html
  浜岡原発と神奈川  神奈川県内米軍座間司令部・横須賀海軍司令部
(4)原発と市町村
(参考)朝日新聞原発特集
(5)もっと深めて勉強したい人のために
 ①都留重人最も早くから原子力発電の危険性を指摘し,自然エネルギーへの転換を主張。
 ②Allen V. Kneese『公害研究』 (第4巻1号,1974年8月)
    「原子力発電をすすめるということは,知識と魂を交換することである」
 ③宮入興一「東日本大震災と復興のかたち」(『世界』820号)
  阪神淡路大震災の復興が「阪神では、「創造的復興」の名の下に、平時になしえなか
  った大規模な市街地再開発、新空港建設、最新港湾の整備、基幹道路など巨大な産業
  インフラの建設が実施された。しかし、その結果は、投入資金 16 兆円の約9割が域外
  大手企業に転がり込み
、反対に被災地では、域内で資金が循環せず、地域経済は停滞
  したまま復興は遅れた」。  
  (http://www.einap.org/jec/committee/disaster/JECkentoui20121130miyairi.pdf) 
 ④長谷川公一『脱原子力社会』(岩波新書,2011年)
 ⑤大島堅一『原発のコスト』(岩波新書,2011年)
   電源三法による補助金がコストに含まれない。福島原発事故のコスト8.5兆円(除染除外)
   関連処理を含むと18兆円
 ⑥原発と原爆
  ドイツの脱原発への政策転換は原爆を保有しない政策への転換。日本は原爆保有の選択を残す。
  プルトニュウム(核兵器の原料)23.3トン(欧州保管分)+6.3トン(国内保管分)
  「宙に浮く核燃再処理」(「朝日新聞」2012年12月8日朝刊)7頁。



■第15回 我々はどこからきて,今どこにいるのか。そしてどこへ行くのか。.
 未来社会(ネット新世界)をみる。
(A)社会科学と常識の間は接近している。 
  専門用語と日常用語が近接(例えば,民主主義・資本主義・賃金・階級・・・)
(B)研究者の立場と価値観(どの立場に立って考えるか)が決定的
  自然科学でもないわけではない。例えば原爆水爆を開発した科学者の立場
(C)社会科学には実験室がない。〔自然科学は実験室がある〕
  抽象力が武器。したがって方法論が決定的
  歴史と構造
  歴史発展段階説(歴史は進歩し発展する)から未来を考える

A 機械制大工業 (英→独)新世界アメリカ
B ネット新世界
言語=情報の意味「言語の獲得と人類の進化」

 投影・印刷用図はここをクリック
未来社会を見る窓 インターネット:ネット新世界

==インターネット簡易年表==
                
アスキー社homepage http://ascii.jp/elem/000/000/428/428741/index-2.html (2012/11/28)
1964年 リックライダー(J. C. R. Licklider)最初の着想“銀河間ネットワーク”(Intergalactic Network)
1964年 米空軍ランド(RAND;Research ANd Development)戦略研究所の
      ポール・バラン(Paul Baran)パケット通信方式公表
1965年 英国立物理学研究所のドナルド・デービス(Donald Davies)パケット通信方式公表
1969年 米国防省研究機関ARPA(Advanced Research Projects Agency)の下部機関IPTO
(Information Processing Techniques Office)のロバート・テイラー(Robert Taylor:統括責任者;
第3代部長)とローレンス・ロバート(Lawrence Roberts:実施責任者)ARPAネットの計画を発表。
現在のルーターのような役割の小型コンピュータ(IMP:Interface Message Processor)開発・設置
1969年 ARPANET (the Advanced Research Projects Agency’s computer network)
     米4大学・研究所ネットワーク完成
1974年 ヴィントン・サーフ(Vinton Gray Cerf)とロバート・カーン(Robert Elliot Kahn)TCP/IP
(標準プロットコール) 公表 "A Protocol for Packet Network Intercommunication"
1990年11月 欧州原子核研究機構 (CERN) のティム・バーナーズ・リー(Tim Berners Lee)ら
World Wide Web : Proposal for a Hyper Text Project」考案
1991年8月6日、T・B・リーはWorld Wide Web プロジェクトに関する要約wo alt.hypertext
 (ニュースグループ)に投稿(WWW誕生日)
1995年マイクロソフトのInternet Explorer を搭載Windows 95発売

(1)インターネットの編成原理]:インターネット生成史にてらして

インターネット・プロトコル(TCP/IP)の生みの親であるヴィンセント・サーフやロバート・カーン,
インターネットを構成するWWWの開発者のティム・バーナーズ・リー、ハイパーテキストを考案した
テッド・ネルソン(Theodor Holm Nelson),電子メールの考案者のレイ・トムリンソン(Ray Tomlinson)
などインターネットの開発者たちは,仕様を公開し誰一人として権利(特許)を主張しなかったことで
ある。なぜなら,これらの人々は、多くの関係者が新しい提案をインターネット上に公開し,問題点や解決策等を議論し,相互に批判・検討し合うことが,ソフトやネットワークの拡大・発展には必要不可欠であると認識していたからである。多くのネットワーク関係者が共通認識をもち,研究開発を進めなければ自身の研究はもちろん,全体の研究も進まないことを認識していたのである。さらにARPANETの生成に見られるように,実際の研究に直接かかわった人たちは,多くが若い大学院生など無名の人々であった。米国防省の下部機関のIPTOでさえ,彼らに全権限を与えて自由な意見を尊重したのである。

(2)アメリカ特許法
「アメリカ合衆国特許法,合衆国法典第35巻(35 U.S.C.)―特許」,特許庁ホームページ
http://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/fips/pdf/us/tokkyo.pdf (12/11/19)
10章 発明の特許性
第100条 定義・・・(a)「発明」とは,発明又は発見をいう。 (b)「方法」とは,方法,技法又は手法を
いい,既知の方法,機械,製造物,組成物又は材 料の新規用途を含む。
第101条 発明は特許を受けることができる 新規かつ有用な方法,機械,製造物若しくは組成物,
又はそれについての新規かつ有用な改良を発明又は発見した者は,本法の定める条件及び要件
に従って,それについての特許を取得することができる。
==判例==
USPTO (The United States Patent and Trademark Office )Homepage,
http://www.uspto.gov/web/offices/pac/mpep/old/E6R0_2100.pdf (12/11/19)
たとえば、ディア事件 (Diamond v. Diehr, 450 U.S.175,209 USPQ 1(1981)) の判例でも、自然法則
(law of nature)、物理現象 (physical phenomena)、抽象的アイデァ (abstract idea) 等
については、いずれも特許対象に含まれない
ものとされ、「科学的事実」や「数式」についても特許が与えられないことは、その他判例法上も確立した見方であった。これは、従来において、ソフトウェア工学の基本的な技術の大部分が特許可能性を有してこなかったことを意味している。
  
インターネットの編成原理  →公開・非独占  【分散=共有】
⇔機械制大工業の編成原理→非公開・独占  【集中=独占】

==労働原理の遷移(新労働観の芽生え)==
科学/精神労働=芸術家の労働=労働の成果を時間で計測不可⇔平均的労働時間(時は金なり)
発明(個人→企業/資本→国家・企業/資本)→ネットによる共同/協同作業
報酬主義→自発/互酬主義へ

(3)アトムの世界とビットの世界
モノに囲まれた我々の世界
アトムの世界にもインターネットのネットの編成原理がかけられ始め,「共有=分散」が製造の原理
  例えば世界の変容の兆し。
①「3次元プリンター(3D;three dimensions printer)」やレーザー・カッター(Laser Cutter))などである。
3Dプリンターは、3D CAD(computer aided design)や3D CG(computer graphics)データを元に立体を
造形する機器・装置
生産方式による製造方法を「オープン・ソース・ハードウエア」方式 
教材用VTR 3Dmonodukuri.mpg

Sparkfun Electoronics社
 https://www.sparkfun.com/categories
Scaled Composites 社 http://www.scaled.com/
拳銃製作 LIBERATOR http://defcad.com/liberator/


■第16回 新しい社会への展望 未来社会を考える。
 自然科学と社会科学――天動説と地動説 自然科学の認識は新しい時代の兆候を示す第1図参照
 天動説図 
■地動説
  地球は惑星の一員として自転しつつ、太陽を中心にその周囲を公転しているという宇宙模型。太陽中心説。古代・中世を通じて天動説(地球中心説)が人々の宇宙観を支配してきたが、16世紀になってコペルニクスの提唱に基づいて、この地動説に転回した。
 地球が不動でなく、円形軌道を描いて空間を公転しているという構想は、古代ギリシア以来、フィロラオス(前5世紀)、アリスタルコス(前3世紀)、ニコラウス・クザーヌス(15世紀)、レオナルド・ダ・ビンチ(15世紀)らが唱えた。なかでもアリスタル
コスの立論はもっとも合理的かつ具体的であが,当時はプラトン、アリストテレスらの天動説が主流の時代であり、評価されなかった。
地動説は、コペルニクスの発表(『天球の回転について』1543)後、ローマ教皇庁の強権的圧迫を受けたにもかかわらず、近代科学発展の原点ともなった。ガリレイの望遠鏡による実証(1609)32年2月『天文対話』出版、ケプラーの公転に関する三法則の提唱(1619)、ニュートンの万有引力に基づく軌道解析(1687)などを経て、ブラッドリーの光行差の発見(1727)、ベッセルらの年周視差の検証(1838)によって、地動説は確固たるものとなった。

 ■情報革命
  グ ーテンベルクが自分のつくった活字と印刷機で最初のころ印刷したのはラテン文法書『ドナトゥス』Donatusと聖書であり、とくに『三十六行聖書』と継続して出版した『四十二行聖書』が現在もごく少数残っている。このとき使った活字の書体は当時の筆写の書体で、できあがった本は印刷本であることを隠し、
書写本として売られたという。書写していた聖職者たちの反対を恐れたためであろう。このようにグーテンベルクは活版の発明によって印刷本をつくりだし,発明後半世紀を経た16世紀初頭にはヨーロッパには1000軒を超える印刷所があったという。
  小学館『スーパーニッポニカ』「地動説」(一部)より

教材用VTR社科入第5回 地動説ガリレオ.mpg (松平定知 ガリレオの生涯と地動説放棄)

== 20世紀に入って新しい自然観=宇宙観の登場==
1895年末 レントゲンによるX線の発見
1896年春 ベックレル放射能の発見 ウラン元素そのものの作用
        新放射能は「ベックレル線」と命名された。
1898年  マリー・キュリー 元素ラジウム(放射線の意味のラテン語rasius)の発見
       (発光スペクトル写真による証明)
       膨大なエネルギーを持つ
 「この無尽蔵のエネルギーはアインシュタインの相対性理論が導いた質量エネルギーで説明された」
 「物質は原子から一重に組み立てられていない。
 原子より小さい物質があってそれによって原子が組み立てられる。」
1900年 プランク原子核の周りを電子が回っている=量子論
1905年アインシュタイン特殊相対性理論(光速一定・時刻の同一性)
1913年 原子の構造の解明(ラザフォード,ボーア)
1916年アインシュタイン一般相対性理論(質量が存在すると時間と空間で構成される4次元の「時空」の歪み)
    NASA相対性理論の予言観測「朝日新聞2011年05月06日」
1932年原子核の解明・破壊(1932年)
     光子,電子,陽子,(中間子),中性子=素粒子論
素粒子の特徴的性格は相互転化性=創造・消滅の絶え間ない変化
人間の五官がコントロールできない極微と極大の世界(宇宙~分子-原子-核子・・)
原子核のコントロール→原爆・水爆の開発
計算の必要→コンピュータの開発・実用化 パソコンへ
脳死判定 人間の五感(五官)によって判断できない
19世紀自然観=不変的な原子 とニュートン力学自然が永劫不変なアトム(原子)からつくられている。
ニュートン力学の法則が世界の隅々までを支配する千古不易の世界観崩壊。

■ビックバン宇宙説(論)
 【スライドショー(CD)『銀河宇宙』】→START1024×768→分野別スライドショウ→10章
  日本での研究では新聞記事「大転換 レーダー観測で宇宙像激変(宇宙論をよむ:1)」
                   (「朝日新聞」1990年7月2日夕刊)
教材VTR社科入第5回 ビッグバン.mpg






ものの見方のコペルニクス的転換
アインシュタイン1905年『ドイツ物理学年報』第17巻「運動する物体の電気」
  特殊相対性理論
  (1)すべての慣性系は相対的
  (2)高速度不変定理(光速=30万キロ/1秒間)
     絶対時間と絶対空間の否定(すべての観測者がそれぞれの立場において独自な空間の尺度と時間
     の流れをもつ。

  ■相対性理論 relativity theories■
アインシュタインにより提唱された特殊相対性理論と一般相対性理論の総称。特殊相対性理論は、ニュートン力学と光の電磁気理論との矛盾を時間・空間の考え方に新概念を導入して解決したもので、1905年に発表された。この理論は電磁気の理論の基礎を明らかにしたばかりでなく、その後に発展した原子核・素粒子の研究の手段として活躍した。一般相対性理論は、1916年に完成された理論で、重力の相対論的理論の一つであり、特殊相対性理論と異なり、まだ完全に実証された理論ではない。

  1983年5月9日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、バチカンで開かれていた国際シンポジウムの席上、かのガリレオ・ガリレイ(1564~1642)に対して、次のように述べました。 「かつて、ガリレイが教会側から苦痛をこうむったことを認める。この経験は科学と宗教の関係を正すことに役立った」。

  読みやすい自然科学の入門書と自然科学者の立場についての参考文献
    ――自然観=世界観=宇宙観
  坂田昌一『新しい自然観』(大月書店,国民文庫805,1974年)アマゾン200円
        横浜 地下書庫B1 1000236024 080:K79:805
  坂田昌一『科学と平和の創造――原子科学者の記録』(岩波書店,1963)


第17回 社会科学の歩み(69~129頁)
その1
1 社会科学の成立
(大きな流れの理解15世紀から19世紀までの)

      ◆文化革命の進行 イタリア・ルネサンス最盛期
=1500年代(16世紀)=              
キリスト生誕1500年記念「免罪符」(キリスト教会の腐敗の象徴)
                       ルター(95カ条:1517年)カルヴィン(1541年)
  資本制社会への準備時代=本源的蓄積)←富を蓄える  
          教会との戦い=宗教改革
:聖書(キリスト)に還る
                ルネッサンス:ギリシアの精神に帰ろう
                =人間中心の考え方=ヒューマニズム 
                *農奴:奴隷のような状態にいる農民
                 領主・僧侶(教会)×VS×農奴・商工階層    
                          ↓(旧教カトリック)   (新教プロテスタント)
                                         大義名分としての宗教その1
     ポルトガル・スペイン・イギリス
     大航海時代=商業革命(1400~1600央年代)
     英  第1次エンクロジャー(牧羊のための囲い込み)
=1600年代(17世紀)=
        第2次エンクロジャー資本家的借地農業(穀物増産)
           ↓     
        三十年戦争(1618~1648年)
        封建領主の領土拡張戦争
=1700年代(18世紀)=                                   
 
 工業の勃興 マニュファクチャー(工場制手工業←問屋制家内工業)
                    ↓                  
       工業へこの担い手たちが都市商工業者であり                          
            ブルジョアジー(都市の勃興)へと成長                           
絶対主義国家・国王はこの流れを強力に支持・推進(植民・国債・租税・貿易) 
           (旧教カトリック)VS(新教プロテスタント)
          例えば 植民:インドからの収奪、黒人奴隷     大義名分としての宗教その2
               国債:金融・投機家からの借入=高利保証
               貿易政策:保護貿易

 英◆ 産業革命(農業→工業) 1760年ジェニー紡績機      
    (=大変革)    ∥(道具機=作業機)
   機械制大工業のシステム(編成)
   動力(機):(水車→蒸気) →化石燃料
     ∥          石炭→石油
               ⇒CO²,Nox環境問題のルーツ
   伝動(機)    
     ∥
   作業(機)
 仏◆ 政治革命(絶対王政の打倒=ブルジョワジーの革命)フランス革命

=1800年年代(19世紀)=
 独◆ 英仏での大きな出来事②を考えて,まとめる営為①。
                ∥
        社会科学の学問体系の成立
             「解決」の道筋
        科学的社会主義体系の成立

  ②「社会---大きな変化」(P73)
  ①「第1には人間が物事を考え、自分自身の行動や生き方の基準を立てるのに、
   人間自身の確かな経験にたよろうとする態度である」(P71)
     ∴ 政治・経済・法・国家・社会「とは何か」(P73)→社会科学の成立
----------------------参考------------------------------------------
封建制社会の解体  ⇒  近代資本制社会誕生物語
貨幣経済の発達=商業資本の発達=商人の進出=商業利潤の追求=獲得
封建社会の基礎=自然(自給自足)経済を食い破る貨幣の流通

最初に人間の文化革命=人間性回復として表出; イタリアル・ネサンス
   ■電子美術館へようこそindex.html へのリンク

 【ビザンティン美術】は、5世紀から15世紀の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)で発達した美術の体系で,
  古代のヘレニズム美術、ローマ美術を継承しつつ、東方的、キリスト教的要素を含んだ独特な体系を産んだ。
ロシア正教の聖母マリアのイコン
 【ゴシック美術 -Gothic Art-】
12世紀から16世紀初頭にかけ中世当時の主流であったビザンティン様式からの逸脱から始まったルネサンス前の一大様式で、最終的に欧州全土に広がり、細部描写や優雅で装飾的な表現、世俗的主題への関心を示した
国際ゴシック様式として発達する。ゴシックという言葉は、本来建築に使用された言葉で、その為、絵画より建築や彫刻にその特性がよく表れている。




===神が人間として描かれはじめる==
 モナリザ 拡大図
【ルネサンス芸術 -The Renaissance-】
15世紀から16世紀にかけイタリアはフィレンツェを中心に展開し、絵画、建築、彫刻などあらゆる芸術に影響を与えた史上最も重要な芸術運動で、自然主義と古典美術への回顧的思想から始まり、遠近法、明暗法、
解剖学など諸学問を通じて人類の理想的な形態を追求することを目的とし、ローマ、ヴェネツィアなど各都市で独自の画派が成立、以後国際的な様式に発展した。
* レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452‐1519)、

■ピエタ 拡大図* ミケランジェロ(1475‐1564)
Pieta(イタリア語)
キリスト教美術において、キリストの遺体を膝(ひざ)の上に抱き悲嘆に暮れている聖母マリアの姿を表した礼拝図像のこと。この「ピエタ」をもとにした、多くの人物で構成された「哀悼」とよばれる物語図像と区別される。「ピエタ」ということばは「敬虔(けいけん)な同情」という意味のイタリア語で、語源はラテン語のピエタスpietas(敬虔)である。しかし、この図像そのものは、元来イタリアで形づくられたものではなく、1300年ごろライン地方の諸修道院で礼拝像の一形式として成立したものである。それは、キリストの死去を記念する「聖金曜日」の礼拝の対象として使用され、ドイツではこの種の礼拝像をベスパービルトVesperbild(晩課祈祷(きとう)像)と称した。
 14世紀にさかのぼるドイツ彫刻の「ピエタ」の場合、聖母マリアの悲痛に満ちた表情やキリストの傷痕(しようこん)に覆われた裸身の描写など、しばしば非常に写実的に
取り扱われた。この人間的悲哀を強調する主題は、14世紀末に全ヨーロッパを襲った大疫病や百年戦争の災厄が引き起こした熱烈な宗教感情の展開と結び付いて広く世に流布し、15世紀から16世紀にかけてフランスやイタリアまで普及し、数多くの名品が制作された。たとえば、ルーブル美術館の『アビニョンのピエタ』はフランス・ゴシック絵画の傑作であり、イタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロの「ピエタ」三部作(バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、フィレンツェ大聖堂、ミラノのカステロ・スフォルツェスコ)は賛嘆すべき崇高な作品として名高い。しかし、三部作のうち『ロンダニーニのピエタ』とよばれるミケランジェロ晩年の作品では、聖母マリアは直立し、死せるキリストの遺体を背後から支えており、正統的な図像から離れ、新しい解釈が持ち込まれている。
〈大築勇喜嗣〉(C)小学館『スーパーニッポニカ』より引用(DVD-ROM版:簡単に知識が得られて大変便利信頼性もある)

■鶸(ひわ)の聖母拡大図(フィレンツェ、ウフィツィ美術館* ラファエロ(1483‐1520)
 
鶸(ひわ)とは,歳暮の膝元にいる幼児聖ヨハネが幼児イエスに差し出している
小鳥のことで,キリスト受難伝中の「茨(いばら)の冠」を象徴する。

こうして「マリアやキリストが人間として描かれることになる
===近代社会化学が成立する以前のカトリック(教会)擁護派VS批判派の論争===

* トマス・アキナス(1227‐74):カトリック教会のイデオローグ(改革派的)
  トマス思想が同時代人に与えた圧倒的な印象はその新しさであり、それを危険視する勢力もあって、彼の学説の一部は、1277年パリとオックスフォードで行われた異端宣告の対象となった。この印象は誤りではなく、トマスは、アウグスティヌスをはじめとする教父思想、アリストテレス、新プラトン哲学、イスラム、ユダヤ思想などの遺産を豊かに継承しつつ、「トマス的総合」とよばれる独創的な思想体系を確立したのである。そこでは信仰と理性、神学と哲学の統一が追究されているが、それは、一方では学としての神学の成立であり、他方、自律的な学問としての哲学の基礎づけを意味するものでもあった。
                
*ルッター(1483‐1546)、
ドイツ宗教改革の第一世代・指導的神学者。ドイツのザクセン地方に販売され始めていた教皇の免罪証書(免罪符)について学問上の討論を開く目的で、1517年10月31日、「九十五か条の論題」を当時大学の掲示板でもあった城教会の扉に提示。

* カルヴァン(1509―64)
(1509―64)ジュネーブの宗教改革者。スイス改革派教会の創始者の1人。
第二世代の宗教改革者カルバン、基本的には「信仰のみ」「聖書のみ」の二大原理においては同じ。その後のカルビニズムで注視すべきは、アングロ・サクソンでは新大陸を含めて、生活全体の聖化を目ざす清教徒主義(ピューリタニズムPuritanism)の形をとり、個人のレベルにとどまらず国家や社会全体にまでカルビニズムが押し広げられ、既存の国家権力や社会と対立し激しい衝突を生みだした。清教徒(ピューリタン)革命がそれである。

ルッターやカルヴァンらは,成長してくる商工階層:(都市)ブルジョワジー=市民の生活信条を支え,農民の声を代弁した。とりわけ 「ローマ教会の理不尽な搾取と封建領主の圧迫」に苦しむ都市ブルジョワジーの利害と直接結びつき,後にカトリック教会は否定されていた貸付・利子は容認へと変わり,「働くとは祈ること」という彼らの職業倫理はプロテスタントの教義となって,生活を支えた。

第18回 社会科学の歩みその2(69~129頁) 2 絶対主義との戦い

         ======封建社会の基本構造========

≪最大領主=国王≫ =絶対王政=絶対主義
   領主・教会    英   /   仏 (典型)---- 各国で出現
      ×                           ・17c 西オランダ
    階級対立   チューダ    ブルボン       ・プロシア:フリードリッヒ
      ×                           ・帝政ロシア
   農奴・商工階級 スチュアート             ・日本帝国=絶対主義天皇制
                ↓       ↓          
          1688年 名誉革命         
                       1789年 フランス革命


P84 「絶対主義は封建制→資本制への過渡期に出現=封建制の最終段階=資本制の生誕期」

 ①「だれがどうして絶対主義を批判するようになったのか」
 ②「だれがどうして---絶対主義批判を社会科学の理論にまで仕上げたか」
==法学==
① 僧侶や貴族への批判(=農・商工階層擁護)

英)トマス・モア(1478-1535)
『ユートピア』、
トマス・モアが1516年刊行。ラテン語表記 正式な題名は『社会の最善政体について、そしてユートピア新島についての楽しさに劣らず有益な黄金の小著』。架空の人物ヒュトロダエウスが新世界で見聞した架空の諸国、とくにユートピア(どこにもない場所の意味)についてモアと語り合うという対話形式の物語。第一巻は主として当時のヨーロッパ社会を批判し、第二巻は理想的な社会であるユートピアを描写した物語からなる。当時のヨーロッパの君主は自分の富や領土の増大のみに専念し豪華な暮らしをしているのに対し、一方の民衆は「囲い込み」によって土地を奪われ、牛馬以下のひどい労働を強いられている。国家や法律も貧しい人々を搾取するための「金持ちの共謀」による私物化にすぎない。このような諸悪の根源として貨幣経済、私有財産制がある。これに対してユートピアでは、市民は平等であり、貨幣が存在せず、財産共有制が敷かれている。すべての人間が労働するために、少ない労働時間で十分であり、自由な時間を「精神の洗練」のために用いる。
 この作品は、愉快な物語の形式を借りて、当時の腐敗したキリスト教社会の改革、再生を、政治家、知識人に訴え、真の公共性、正義とは何かを問うたキリスト教人文主義者の主張である。その後、ユートピアは一般的に理想郷の代名詞となり、また、ユートピア文学のジャンルの始まりとなった。結局,僧侶・貴族(君主)も世俗的富=力が欲しい。これに対する社会批判として『ユートピア』で市民平等と自由時間拡大を主張した。

英)F・ベーコン(1561―1626)
ルネサンス期後の近代哲学、とくにイギリス古典経験論の創始者。経験論(empricism)
認識や知識の根源を経験に求める哲学的立場あるいは傾向をいう。プラトンのイデアのような超越的存在、本有観念やカントの直観・悟性の先天的な能力等よりも、感覚や内省を通じて与えられる具体的な事実を重視し、前者も後者によって説明されるとする考え方である。

仏)モンティーニュ

仏)デカルト
② 絶対主義(国家)の肯定・否定:君主の存在理由を論ずる

◇ホッブズThomas Hobbes
(1588―1679)イギリスの哲学者、政治思想家 主著『リヴァイアサン』
法律も政府も全然知らない自然状態にあっては、人間は自分の生命を自分で守る権利(自然権)をもち、その意味では自由であるが、他方、自然状態において各人が自然権を主張すれば、「万人の万人に対する闘争状態」が発生する危険性が大きい。人間がこの危険性から逃れるためには、各人は(理性)従って相互に契約を結び、共通の権力を樹立して一つの合議体(政治社会)を設立し、単なる群衆を一人格に統一し、その人格を代表する1人または合議体(主権者)の制定する法律に従って平和に生きよ、という「法の支配」の考え方を人々に教示している。これが有名な近代的社会契約思想の原型である

:人間が幸福に生きる。しかし人間は元来争う=「万人の万人に対する戦い」
     ⇒ 絶対的調整者=王(絶対君主×?)


◇ロック John Locke
(1632―1704)イギリスの経験論の哲学者、政治思想家 主著『統治論』
  第一部と第二部からなり、第一部は、王権神授説批判、第二部では、「政治的統治の真の起源、範囲、目的」などを述べ,「市民政治論」を展開している。第一部では政治社会とは、家族の集合体ではなく、所有権(プロパティ)(生命・自由・財産など)を守るために設けられた共同社会(コミュニティ)であるとして、ホッブズ流の社会契約説を展開している。
   続いてロックは第二部において、人々はなぜ政治社会を設けたかという理由を述べている。つまり自然状態では自然法の下で,人々は平和に暮らしていた。だが貨幣が発明され、財産の蓄積が可能になると、強奪・詐欺などの不合理が生じたため,所有権を守るために契約を結んで政治社会を設けた、と述べている。さらにロックは、政治社会を運営するために良法が制定されるべきであり,国王・上院・下院からなる議会に最高権力を与え、もし立法権と行政権をもつ国王との間に矛盾が生じれば、立法権が優位すると述べた。こうして法の支配と議会制民主主義の近代的原理が確立された。また、立法部や行政部が契約を結んだ目的を破壊するような行動をとれば、革命を起こしてもよい、という革命権を是認している。これは名誉革命の正当化といえる。本書は、後のアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に大きな影響を与えたといわれる。

:人間は元来自由・独立・(理性的?)・基本的人権と私有財産権を持つ
    ⇒ 調整機能としての国家(人民)
         ⇒ 「三権分立」の思想的芽
◇モンテスキュー(仏) 
(1689―1755)『法の精神』
三権分立の明確化 (→立法・司法・行政)
『法の精神』は、第2、3編における理念型としての三政体論(共和制、君主制、専制)および第11編第6章のいわゆる「三権分立論」が有名であるが、後者の「三権分立論」についていえば、モンテスキューの真意は、執行権=君主、立法権=下院(人民)、司法権=上院(貴族)の三権力機構の勢力均衡にあったと考えられる。

◇ルソー(仏)Jean-Jacques Rousseau
(1712―78)『人間不平等の起源』1755年刊(本田喜代治, 平岡昇訳. 岩波書店, 1957. -- (岩波文庫 ; 白-156,945-946).白金 B2和書 0000433599 080:IW:156)
 ルソーは本書で次のように述べている「人間の本性を赤裸々に暴き、その本性をゆがめてきた時代と事物の進歩の跡をたどり、人為の人と自然人を比較することによって、人為の人のいわゆる進歩改良のなかにこそ、その不幸の真の原因がある」ことを示した。
 自然状態の人間は(=自然人)も悪徳も知らず、身体的不平等を除いてほとんど平等であった。「完成能力」(=理性)は社会状態において発達するが、同時に邪悪になる。家族が成立した頃の社会状態は「人間にとって最良の状態」であった。しかし私有とともに平等は消失し,富者の横領と貧者に対する略奪が始まり、恐ろしい戦争状態へ至る。富者は自己の利益を守るために、契約によって種々の不平等、富者と貧者、強者と弱者、主人と奴隷の状態を制度化する。この状態すなわち無である個人は平等であるが,最強者の欲情だけが支配する社会であるから,善の観念や正義の原理は消失する。不平等が行き着く所で,再び「新しい自然状態」が始まる。

◇ベンサムJeremy Bentham 
(1748―1832)
「市民・ブルジョワジーの『自由の保証』:富(元手)
を蓄積して人を雇い、道具(機会)を買って、生産し財をふやす⇒
                 ↓
    「私有財産の絶対不可侵」

 イギリス・ロンドン生まれ。主著に『政府論断章』(1776)、『道徳と立法の原理序説』(1789)がある。法廷弁護士に満足せず,ロック以降のイギリス思想家やフランス啓蒙家の著作を学び,早くから利己心と慈愛の精神とを一致させる普遍的原理とは何か,を思考した。ヒュームの『人性論』第3巻を読了しハチソンらにみられた「最大多数の最大幸福」=功利主義の原理に到達する。行動の義務や正邪の判定は、社会全体の善への効用utilityにあるという目的論の立場をとり、しかも、善を快楽または幸福と同一視し、快楽が七つの基準によって計量可能とする快楽計算を主張して量的快楽主義を唱えたのが特色である。彼は功利の原理により英国法の改正に努力し、政治的にはのちに急進主義に接近した。
  〔ルソーと日本〕
明治維新後、自由民権運動とともに中江兆民による翻訳もある『社会契約論(民約論)』、明治後期には、自然主義の文学者島崎藤村などに『告白録』、教育界には『エミール』が大きな影響を及ぼした。


【まとめ】
=平等破壊の起源(原因)は私有財産と絶対主義的封建国家
  :人々の自由意志による民主共和国←絶対主義国家の否定=

  ∴ 封建制 → 資本制
    商工階層 → 市民階層(市民・ブルジョワジー)
=商人・工場制手工業者 ≪工(商)業≫
 [総合するとΣ] 「自由競争、万人の共倒れに」ならず「平和共存の秩序」となる
そのためには「私有財産の擁護」=国家の役割 (P91)
その役割を果たさない国家=絶対主義国家は打倒されて当然(英、仏、〈独〉)
      新しい真正に基づく新社会(国家)秩序=契約
第19回 社会科学の歩み(69~129頁)その3 市民社会の科学
 成立、成熟しつつある市民
(ブルジョワジー:都市商工業者→商業資本家(家内制;工場制手工業)社会とは何か。
仕組みの分析=社会の「解剖学としての経済学」の登場。
〈国富論〉どうしたら国家の蓄財が進むか ――――→ 財・富とは何か。
                                  =人間が働くこと<労働価値説>
 ㋑ 重金主義=絶対王政の殖民政策=略奪 金の蓄財
   bullionism
  16~18世紀にかけてヨーロッパ諸国に支配的であった重商主義のうち、とくに初期の経済思想とそれに基づく政策を重金主義という。重金主義者たちは、国富すなわち地金銀という考えにたち、富を確保するため為替(かわせ)統制など直接的な貿易統制によって個別的貿易差額を順(プラス)ならしめ、また正貨、貴金属の輸出を制限、禁止する政策を主張した。こうした主張はとくにイギリスにおいて行われ、その代表者は17世紀前期のG・マリーンである。各国の君主はこの考えに基づき、地金銀の獲得のため盛んに金・銀鉱を開発し、また植民地の経営に乗り出した。しかしその結果、国内の貨幣価値の下落(物価の騰貴)を引き起こし、国内産業の発達をかえって妨げることになった。そのため重金主義は、輸入を上回る輸出の実現による地金銀の獲得を主眼とする貿易差額主義の重商主義にとってかわられた。

 ㋺ 重商主義=輸出奨励・保護貿易=貿易差額=富の源泉
    mercantilism
  いつの時代でも同じだが国家、為政者は政策を遂行するために、学者を動員する。その政策の合理性を示し、人々を納得させる必要があるからである。資本主義の幼年期(1500から1700年代)には、ヨーロッパを中心として世界貿易が拡大して行く中で、問屋などの商業資本がみずから生産に関与(問屋制家内工業)したり、あるいは工場制手工業(マニュファクチャー)も大いに発展した時代であった。それにつれ富もまた急増していった。国家は、貿易差額を大きくし国内の貨幣を増大させるために輸出産業を奨励し、輸入を規制した。この政策を理論的にサポートした学説が重商主義である。その代表的な思想家は、イギリスのスタッフォード(William Stafford、1554-1612)、チャイルド(Sir Josiah Child、1630-99)フランスのモクレティアン(Antoine de Montchretien,1575-1621)などである。本来のブルジョア的関係の発展はまだ商品流通の領域にとどまっていたが、発達しつつあったマニュファクチャーを背景に彼らは立論したから、生産を富の増加に欠かせないものと認めてはいた。しかし、富を、交換価値とその自立的形態である貨幣とを区別できず、貨幣を即富と考えた。国内での取引は一方の利益は他方の不利益となり相殺されるから、これは富の増加とはならない。したがって外国貿易こそ、輸出超過による貨幣の流入こそ富の唯一の源泉と考えたのである。これが、資本主義の幼年期に支配的な経済思想、重商主義である。


 ㋩ 重農主義/工業重視
   ケネー『経済表』(1758)/富の源泉=人間の労働=農業中心=重農主義 
  1国の経済構造の全体関連を経済学で把握する試みは,フランスの経済学者 フランソワ・ケネーに始まる。この試みは,以下に示すケネー経済表として公表された。それは後に,マルクス再生産表式,ケインズ国民所得論そしてレオ ンチェフ産業連関表という国民経済の全体を経済学で把握する学問的系譜を産 み出した。これらの試みは,1国の経済構造の全体把握の大胆なそして創造的な構想であり,国民経済を構成する諸経済量の集計的計算とこれらの経済諸量相互の経済的関連を解明する基礎を確立した。
 だが,それらの試みには分析方法の相違があった。経済量の相互関係を規定 する経済社会の歴史的性格の理解と,この社会を構成している諸階級の構成員 が同じ階級として再生産されていくという社会構造再生のシステムの把握の方 法の問題であった。それは,マルクスが問題としていた資本主義社会の歴史的 性格を決定づける資本家と労働者という二大階級の社会的階級としての再生産 のメカニズム,したがって,歴史的な対立を内包しながらも統合されている資本主義社会の経済構造の再生産の必然'性の把握の有無にあった。 歴史の各段階でそれぞれの国民が直面した解決すべき課題,深刻な対立を孕 んだ経済問題の多くは従来の経済システムの限界から生じる経済の行詰りであ るが,その問題の解決には,それぞれの時代の歴史的な経済的課題の体系的解 析と経済構造の全体的な把握を必要とする。この全体把握の必要性とは,問題 解決を迫られた社会経済構造の変革の方向性を科学的に解明し,そのための国 民的合意を形成することにある。再生産と経済循環論に係ったそれぞれの経済 学者の問題意識は,どのようなものであったろうか。
 まず,このような問題領域を先駆的に開拓したのがケネーであった。彼は 1766年の「経済表の分析」で,フランス国民経済の再生産過程を総括的に把握するために生産と流通の総循環を,簡潔な,しかし長期にわたって経済学の 謎といわれてきた1枚の次のような経済表を構想し発表した(下図参照)。 この表は,フランスのルイ王朝の絶対王政の重商主義政策のもとで疲弊し,経済的危機に陥ったフランスの農業と国民経済の再建方向を明断に示す意図を有 していた。そのためには経済の全体構造を,そして,個々の産業部門相互の経 済的関連を把握することが必要であった。

  
 
ここでは,生産的階級(農業),不生産的階級(商工業),地主階級(国王・ 貴族,土地所有者)の間の経済循環が経済表という形式によって全体把握され ている。つまり,土地生産物50億と工業生産物20億の計70億の生産物が, また土地所有者の地代収入である20億の貨幣が,どのように国民経済を循環 して再生産を可能としているかが社会的総循環図で総括されているのである。 若干説明を加えると,生産的階級は農業生産のために20億の,そして不生産 的階級は工業生産等のために10億の「年前払」,つまり,生産財をそれぞれ毎 年投下し,前者は50億の農産物の,後者は20億の工業製品の産出を得る。そ の他に,生産的(農業)階級は10億の「原前払」,つまり,工業製品の固定設 備などを投下する。階級間の5本の点線は貨幣支出による生産物の流通を表し ている。もっぱら消費=浪費階級である地主階級は,他の2階級からそれぞれ 農産物と工業製品を各10億購入し消費する。生産階級は不生産的階級から10 億の工業製品を購入し,自部門で産出した20億の農産物とその10億の工業製 品を投入して50億の農産物を産出し,不生産的階級は生産的階級から20億の 農産物(原料と食料)を購入し,それらを投入して20億の工業製品を産出す る。生産階級のみが30億の投入にたいして20億の剰余を付加した50億の農 産物を産出することができる。このことが,ケネーが農業階級を唯一生産的階 級と規定した理由である。このような「経済表」によってフランス国民経済の 生産と流通,経済循環の全体構造を解明した。
   ==コラム==
  経済の全体構造を経済学の方法と体系で把握することは時代の深刻な経済問題を受け止め,その解決方向を指し経済循環分析の着想 経済の全体構造を統一的な循 環として把握しようという着想は,どのように して生まれてきたのであろうか。医者であったケネーは,国民経済全体の経済循環の構想をハーヴェイの血液循環説から得 たといわれている。マルクスの再 生産表式はケネーの経済表の解析から確立された。レオンチェフの産業連関表 は同じくケネーの経済表から着想されたという。マクロ  経済の形成となるケイ ンズの国民所得論も,マルクスの資本循環論や実現問題=有効需要と関連する 再生産表式論と関わりがあるといわれている。奇しくも,病人(病 める経済) を治療するために全身の検査をする医学的方法が経済循環の理論として継承さ れていったということができよう。

   A・スミス(1723-90)Smith,Adam『国富論』(1776)労働価値説の芽生え=「富」の源泉は人間労働(力)
   イギリスの古典派経済学者。国富の増加を図ることこそが経済学の課題であり,その方策は分業であるとした。そして,この分業を最も促進するのが人々の利己心の  自由な発揮であり,それを社会的調和に導くのが「神の見えざる手」であるとした。こうしたスミスの「自由放任と予定調和」という楽観論は,背景に産業革命を迎えたイ   ギリス経済の順調な発展があったからである。◇A・スミスの『国富論』
「労働価値説」生産性の上昇と分業(ピンの生産)
         経済学の歴史を学ぶとき
         J・K・ガルブレイス『不確実性の時代』上・下(講談社,講談社文庫,1983年)
            ではA・スミスの『国富論』を見てみよう。前掲著30-39頁ここをクリック

 次第に成長し力を増した都市ブルジョアジーは,経済・政治・法律の各分野の理論家の助けを得ながら,絶対主義王政やローマカトリック教会の理不尽な圧制・支配に対して,議会制度や法律を整備して,市民的自由を確立し市民社会を形成していった。だが,都市ブルジョアジーの成長は商業資本家,そして何よりもの工場主である産業資本家の急速な成長でもあったから,同時に工業労働者の急激な成長をともなっていた。いまやかつての圧制者にかわって,今度はその都市ブルジョアジーが,工業労働者にとっては,圧制者ではないのかという疑問が出されるようになった。
       ↓
第19回社会科学の歩み(69~129頁)その4 市民社会の科学
 ≪市民社会への疑問≫社会主義の誕生
    18c末~19c初
  市民社会とは「私的財産所有」を基本原則とする社会である。
  「自由と平等」=私有財産の自由を平等に持つことができる(のか)。⇒<No!>
  【理由】スタートラインがちがう。  ⇒財産を持つものと持たないものがいた
         (合法・非合法)     ⇒差が開くばかり
                有産者・無産者
                   ↓

基本矛盾
  ∥
階級矛盾 = ブルジョワジー(土地所有者)とプロレタリアート
                              ↑
                        中間階層(中小企業家・高中級官僚)
◇K・マルクス 『資本論』        *なぜ現代を[資本主義社会]というか。
  :資本の運動から矛盾の分析
  「資本とは---貨幣や生産手段(機械・道具・原材料)そのものではなく、(それらの)所有者が、それを利潤獲得の目的をもって運用すること」

 その運用には労働者(生きた労働力)を買う=雇用する
            ↓↓↓
        資本(家) 対 労働(者)
         (生産関係:階級関係)
             ↓
◆ 一方への富の蓄積と一方への貧困の蓄積(窮乏化論)

第20回 後進国・日本の場合(P103-114)→(P179-190)

日本の幕末~明治維新
 
日本社会の発展を古典から学ぶび,生きいきとしたその時代の息吹を感じよう。
日本の封建社会(中世・近世)はどんな時代だったのか。
服部之総『明治維新のはなし』(青木文庫,1955年)25-35頁ここをクリック


服部之総『明治維新のはなし ; 近代日本のなりたち』(青木書店 , 1990.8)入手可能
あるいは図書館では本学白金図書館 B2和書 ID:0001784586 請求番号=210.08:H36:1
網野喜彦『日本の歴史をよみなおす(全)』(筑摩書房,ちくま学芸文庫ア-17-2,

 
============
第20回
構造
(複雑な社会の核)としての人間労働(労働価値説=歴史発展の原動力)
〔一国経済の仕組みを総体把握=鳥瞰(Bird View)すると,どう見えるか。〕
『ニールスの不思議な旅』  http://www.dailymotion.com/video/x2oipf_yyyyyyyyy_music
  ==総体把握==
1国の経済構造の全体関連を経済学で把握する試みは,フランスの経済学者 フランソワ・ケネーに始まる。この試みは,以下に示すケネー経済表として公表された。それは後に,マルクス再生産表式,ケインズ国民所得そしてレオ ンチェフ産業連関表という国民経済の全体を経済学で把握する学問的系譜を産 み出した。これらのみは,1国の経済構造の全体把握の大胆なそして創造的な構想であり,国民経済を構成する諸経済量の集計計算とこれらの経済諸量相互の経済的関連を解明する基礎を確立した。
  だが,それらの試みには分析方法の違があった。経済量の相互関係を規定 する経済社会が(1)歴史的に発展するということと,その(2)社会を構成している諸階級の構成員 が同じ階級として再生産されるという社会システムをどう
把握するかという方法の問題であった。それは,マルクスが問題としていた資本主義社会の歴史的性格を決定づける資本家と労働者という二大階級の社会的階級としての再生産のメカニズム,したがって,歴史的な対立を内包しながらも統合されている資本主義社会の経済構造の再生産の必然'性の把握の有無にあった。 歴史の各段階でそれぞれの国民が直面した解決すべき課題,深刻な対立を孕んだ経済問題の多くは従来の経済システムの限界から生じる経済の行詰りであ るが,その問題の解決には,それぞれの時代の歴史的な経済的課題の体系的解析と経済構造の全体的な把握を必要とする。この全体把握の上に立って,解決しなければならない矛盾を摘出し,社会経済構造の変革の方向性を科学的に解明し,そのための国民的合意を形成することにある

構造把握の試み
戦前日本社会の総体把握=構造的理解

軍封構成(kgunpoukousei.pdf)