2001年7月

7月24日

 転職を機に新規まき直しというか、必要に駆られてと言うか、教育に今までよりは真面目に取り組んでいる。このようなことをいけしゃあしゃあと書くのは気が引けるのだが、前の職場では正直かなり教育へのモチベーションは低かった。

 と言って、岡山大学経済学部が教育に真面目に取り組んでいないというわけではない。どちらかというと個人的な問題であって、「俺が悪かった」と一言言えばすむところだが、少し整理しておこう。
 92年に着任した頃はちょうど岡山大学経済学部にとっても、また全国の似たようなポジションにある地方国立大学文系学部にとっても過渡期だったと言える。かつてはこうした大学では、まず教員個人のレベルでは、「教育より研究を優先する」と公言して、学生のレベルや興味を斟酌せず勝手に講義をしても別に誰も問題にはしなかったし、学部レベルでも、教養と専門の二部門制に安住して、カリキュラムの体系性について真面目に考えることもないような状態だった。それが急速に変化していったのが90年代であり、まず早々に教養部解体再編という嵐がやってきた。運の良いところ、うまく立ち回ったところは教養部を母胎に4年制の新学部を立ち上げられたが、その余裕のないところでは結局部局としては解体、旧スタッフは各学部に分属吸収(もちろん行った先ではしばしばお荷物扱い)、という具合である。語学教官のゲットーというか姥捨て山、「言語教育センター」なんてものをでっち上げた例も複数ある。
 岡山大学の場合は中途半端で、教養部の一部理系スタッフを核に環境理工学部なる新学部をでっち上げる(「でっち上げ」とあえて言うのは、少なくとも当初は、「環境」を売り物にできるほど環境科学の専門家を抱えていない、看板倒れ状態だったからだ。今では、状況はいくぶんか改善されたのだろうか?)が、とても全スタッフは吸収できず、ことに文系スタッフの大半は既存学部に分属となった。もちろん一番問題になったのは大量の語学教官であり、その多くは文学部が引き受けたが当然「××文学科」だけでは枠が足りず、帳尻合わせに変なところに押し込まれた人も少なからずいた。
 教養部問題総論を展開する余裕はないので、この話はこの辺でやめよう。当面の主題は岡山大学経済学部である。ここでは旧教養スタッフ引き受け自体は結果的には比較的スムーズに運んだ。異動してきた人が外様扱いされることもなかった。(現学部長は教養部出身である。)問題はカリキュラムの再編であり、4年全部を見通して体系的なカリキュラムを学部の責任で構築しなければならなくなった。つまり、かつて教養部が引き受けていた荷物がずっしりと肩にのしかかってくるようになったのである。
 とは言え、事態はそれほど深刻には受け止められていなかった。むしろ教養課程という「拘束」がなくなったことへの解放感の方が学部の雰囲気を支配していたように見える。だがカリキュラムは確実に迷走をはじめる。課程制(その昔学生として経験した立場から言わせてもらえば、ほとんど意味がない)導入、演習修学年次の変更(3−4年から2年次後半−3年、2−3年、という具合)、1年生オリエンテーション科目の新設、等々毎年のようにカリキュラムは改訂され、ひどい場合には1年生と2年生ではまったく異なる制度の下で学ぶ羽目にさえなりかねない。学生はもちろん、教員、職員の方でもなかなか全貌や細部は把握しきれない状況だ。
 このような教養からの遁走のさなかに進行していたのは、既にここで指摘したように、学部専門課程自体の「教養教育化」に他ならなかったのだが、学部全体の目指す方向は、「地方大学の雄」にふさわしく、「高度職業人養成型大学院」への転身であった。しかしそれは実のところ、「経済学・経営学とは何か? 何のための経済学・経営学か?」という問いを学部が組織として引き受けることの回避に他ならない。「大学院重点化」とは、「専門家の、専門家による、専門家のための学問・大学」に安住して、「ずぶの素人が筋金入りの素人になろうとするための学問・大学」という課題から逃避することを意味している。しかし実際には「大学院重点化」は、社会人学生を含めて大量の、もはやとうてい専門家予備軍とは言い得ないレベルの者たちまでも含めて、院生をとにかくじゃんじゃか入れ、結果的に教育水準を下げることによってしか実現できていないのだ。
 こういう状況の中、正直言って自分としては岡山大学経済学部において自己の存在価値を実感できなかった。最初の2,3年の間、講義には経済学部生よりも法学部生の方がビビッドに反応してきたが、カリキュラム改革後他学部履修生はほとんどいなくなった。ゼミを開講しても、学生はほとんどまったく来なかった。(進んで選択、参加してくれた学生は5年間で1人だけだった。)学部の同僚とも、経済学観や社会科学観において共有するものはほとんどなかった。自分の発言に反応してくれる相手というのは結局、学生でも同僚でもなく、紙上・ネット上の読者であった。だから教育にも行政にもほとんどまったく熱意は持てなかった。やがて子供ができたり、留学したりで忙しくなり、職場への帰属意識はどんどん減じていった。要するに課せられた義務だけ果たし、こちらから積極的に働きかけることはするまい、と決めたのである。
 それでも帰国を機に、ちょっと心を入れ替えて、ゼミの内容をそれまでとはがらりと趣を変え、ゲーム理論とミクロの基礎を軸に、サブゼミで歴史を、という風にしたら思いも掛けずたくさんの学生が来た。サブゼミの方はまともにゼミとして成立しなかったが、とにかく工夫の余地はありそうだった。しかしやっぱり大局的に見れば自分はここにいればじり貧になるばかり、と思い、岡山から、そして経済学部からおさらばすることにしたのである。

 縁あって転職してきた明治学院大学社会学部社会学科であるが、どうにかやっていけそうな気がしてきたのはひとえに第1期のゼミ生たちのおかげである。とてもよくできる――とは言い難いが、ずいぶんと真面目で熱心で、サブゼミも(多少弛緩した雰囲気だがコンスタントに)やっているし、この夏休みは何の因果か補習をやる羽目になってしまった。
 問題がないわけではない。が、それは彼らが悪いというのではない。むしろ構造的な問題――社会学科自体のカリキュラムの問題であろう。ものを知らない。教養の幅が狭い。狭い意味での学力はさほど高くはない。例えば進化ゲーム理論を教えるとしよう。まさに「私大文系」、彼らには高校生レベルの微分方程式もわからない。(とは言えこれは国立大学でも似たようなものなのだ。)あるいは社会学の実証研究で普通に用いられる、今時はどんな表計算ソフトにもパッケージされている回帰分析も、彼らには使えない。t検定の意味も知らないのだ。
 実はここ社会学科のカリキュラムは極限まで自由にできていて、学科専門科目には必修科目というものが存在しない。社会学原論も社会調査法も必修ではないのだ。(他の大学ではどうなっているんだろう? )聞くところによれば、このような現状はそれなりの理由があって、カリキュラム改革の様々な試みの果てに、あくまで暫定的なものとして出来上がったものである。それはある意味で社会学という学問の現状――支配的な研究のパラダイムがない、誰もが認める社会学界としての共有の知的基盤がない――をも適切に反映していると言えなくもない。経済学・経営学という学問の現状と教育カリキュラムとの関係について真剣に考えようとしていない岡山大学経済学部より、ずっと真面目で誠実なのかもしれない。
 でもやっぱりそれは無責任だ。既に自分の専門分野を決め、狭い畑を耕す研究者としての教師にとっては別にそれでも構わないかもしれない。しかし学生にはそれでは困るのだ。とりあえずは嘘、方便でもいいから、とっかかりというものが必要だ。しかし分厚いだけでとりとめもないあのギデンズ『社会学』(1年生基礎演習共通テキスト)なんかじゃとうていそれには足りない。
 で、正直言って困ったので(正確には、俺が困ったんじゃなくて、将来連中が困るだろうと勝手に俺が思って)、仕方なく自分の専門でもないのにゼミ生に最低限、回帰分析の(やり方ではなく)読み方だけでも教えようと夏期講習を開くことにした。が、実に意外なことに、必須でもないのに、単位にもならないのに、連中嬉々としてやってくる(らしい――まだ夏休みじゃない、本番がはじまるまで気を抜くな)のだ。別コースでフーコー『監獄の誕生』も読む。首都圏の古本屋で『監獄の誕生』が足りなくなってるとしたら、俺のせいだ。
 普段のゼミの運営は――少なくともはじめのうちは、おっかなびっくりだった。演習の運営というのは、理想というか建前としては、学生たちに自分たちで議論させることにある。そのために教師は無理矢理指名してしゃべらせたり、あるいは誰かがしゃべるまで何分でも何十分でも沈黙を決め込んだり、といろいろ悪あがきをする。だが俺はそれをやめた。(岡大時代末期、ゲーム論の頃からやめた。)連中自分でしゃべるほどのネタをもっていないのだ。ゼミのテキストを読んだくらいじゃ、しゃべるネタにはとうてい足りないのだ。ということで、とりあえずはもっぱらこちらから働きかけて、ネタを詰め込むことに当面は徹することにした。テキストを読ませて報告させるだけではなく、それを踏まえた上でこちらの手持ちのネタをとにかく消化不良になるまで詰め込む。
 「それじゃしかしただの講義じゃないか?」という声が聞こえてきそうだ。実際、俺の中からも聞こえてくる。しかし日本の文系大学の現状を見るならば、このやり方は普通の講義とは違う――少なくとも今や私大のみならず地方国立大学でも当たり前と化した大教室のマンモス講義(岡山大学経済学部に関して言えば、明治学院大学経済学部と五十歩百歩、社会学部よりは確実に多い)とは違う。このやり方なら、顔の見える関係のプレッシャーから、必要とあらば宿題を課して予習・復習を徹底させられるし、また逆に顔の見える関係の気安さから質問も出やすくなる。(逆に後期にはじまる講義「社会倫理学」を、どこまでこの状態に近づけられるか、が問題である。)
 「成果は現実に上がっているのか? 」もちろんまだわからない。何と言ってもゼミの時間に俺がしゃべりまくっていては、ゼミ生からのフィードバックが出てこない。しかしそのための伝言板である。これによって何となくの連帯感を錯覚でもいいから作り、必要とあれば質疑応答・議論の場にもする。これを見る限り、モラールは下がっていない。いずれ連中も訳も分からず呑み込んだネタを消化し、自分なりのネタも加えて、こちらに提示してくるに違いない。そう信じて後半戦は一応「議論」主体にしようと考えてはいるが、その準備を伝言板での他愛のないおしゃべりの中で少しはさせたい。99パーセントはなごみ系でいいのだ。
 とりあえずは学科の、学部の、大学のカリキュラムには何も期待しない。自分一人でどこまでやれるか、それを試してみようと思っている。「あるべき社会学科の姿とは」を云々するのはそれからだ。

7月23日

 内藤朝雄『いじめの社会理論 その生態学的秩序の生成と解体(柏書房)苅谷剛彦『階層化日本と教育危機――不平等再生産から意欲格差社会〔インセンティブ・ディバイド〕へ』(有信堂) を読み、悩ましい気分になる。どちらも現代日本の学校・教育をテーマにして、分厚い実証を元に骨太な理論構築と大胆な実践的政策提言を行っている有意義な著作だが、はたしてどんな風に併せ読むべきか。

 内藤のデビュー作だが、学校を中心とし(しかしそれには留まらず、企業、ドメスティック・バイオレンスなども含む)膨大ないじめのケーススタディを元に、いじめ現象の心理社会的メカニズムの理論的解析と、その(克服ではなく!)良好な統制のための政策処方箋を提示している。マクロ的には、古典的な「全体主義」概念を敷衍した「中間団体全体主義」を手がかりに、市民社会の建前が入っていけない治外法権の共同体としての日本の学校や企業がいじめの温床となるのは必然であるとし、当事者における選択の自由の徹底や、(内々の処理ではなく)司法・警察の介入の原則化によって、こうした共同体的装置を徹底して解体していくよう提言する。
 この政策論は、ミクロ的ないじめの心理社会的メカニズム理解によって支えられている。それによればいじめとは、学校のような空間において、さしたる必然性もないのに無理矢理いっしょにいさせられ、共同体を作らされる人々のあいだでのストレスの発生とその処理(全能感充足)のメカニズムの一環であり、この共同性を保存しようとする限り防ぐことはできない。だからこそ、いじめを統制するにはこの閉域に外部――市民社会では常識であるはずの、暴力への法的制裁、現在の居場所がいやになったらやめて逃げ出す権利行使の実質的保証、等――を持ち込むしかないのだ、と。

 これに対してこの間の「学力低下」「中流崩壊」論争の主役の一人である苅谷の新著は、例のSSMや、20年を経た二世代の高校生たちの生活・意識調査など、良質のデータを元に、迫力満点の実証分析を展開する。氏の業績に先立つ日本教育社会学の傑作としては竹内洋『日本のメリトクラシー 構造と心性(東京大学出版会)が挙げられるが、そこでの主題は欧米とは異なり「学校教育を媒介とした階級・階層の再生産」が表だった主題にならない――あたかも階級・階層ではなく、学歴・学校歴こそが社会における「不平等」問題の中心であるかのような――日本の学歴社会のメカニズムの解明にあった。しかしある意味で竹内の解明の対象は既に過去のものとなったのだろうか、苅谷の今回の仕事は、ことに90年代以降の「ゆとり」志向の教育改革のもとで、「学校教育を媒介とした階級・階層の再生産」のメカニズムが日本でも現実に作動しつつある――あるいは、以前から作動していたが、いよいよ明らかになってきた――様を描き出している。
 苅谷の決定的な功績は、ただ単に欧米の教育社会学理論を日本に当てはめる、というようなものではなく、例えばこれまで「学力」「能力」と区別される形で明示的に取り上げられることがなかった「努力」という変数を、学校外、自宅での勉強時間といったデータを元に操作化し、生徒の出身階層間で「努力」水準の差が生じている、という仮説を具体的に提示しているところだ。この手順があるからこそ、学習意欲には階層間で差があり、低階層出身の生徒ほど意欲が低い、しかし他方で90年代以降、この低位意欲の低階層出身生徒の方が、自信・自己有能感がかえって高くなっている、という「インセンティブ・ディバイド」論も説得力あるものとなっている。79年調査では努力と意欲を高めていた自己有能感が、97年調査によれば有意味な影響を与えなくなっている(むしろマイナスに働いている?)のである。

 ところで内藤の議論は文部省の改革スポークスマン寺脇研やあるいは宮台真司の自由化論に通じるものがあり、他方苅谷の議論はもちろん寺脇が代表する「ゆとり教育」路線に対する痛烈な批判を提供する。しかしこの両者は矛盾、対立するものなのだろうか? それではどうもおかしい感じがする。例えば「ゆとり教育」ははたして本当に「自由化」なのか? 「管理教育」の反対概念であるはずの「ゆとり教育」は他面で、学校を初めとする公教育の現場にとってはその裁量の余地を狭める規制・統制として感じられているというのも事実である。また内藤は受験圧力といじめは大して関係がないことを示唆している。学力を確実に低下させた「ゆとり教育」は、学校における「中間集団全体主義」への風穴としての「ゆとり」はろくに作っていないらしい。
 どこでボタンが掛け違っているのか? とにかく、我々にはまだまだ何もかもが足りないのだ。議論が足りない、それ以上に適切な実態把握が足りない。(データのないところで屁理屈をこね回す「何とか会議」の愚だけは避けなければならない。)

 イェスタ・エスピン=アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界 比較福祉国家の理論と動態(ミネルヴァ書房)は既に翻訳された『ポスト工業経済の社会的基礎 市場・福祉国家・家族の政治経済学(桜井書店)の前編にあたる。90年代以降の福祉国家研究のパラダイムを提示した著作であり、ようやく翻訳で読めるようになった。

 藤本隆宏『生産マネジメント入門』(日本経済新聞社)「1 生産システム編」「2 生産資源・技術管理編」は、生産管理・製品開発管理の包括的な教科書。経営学・経済学・工学にまたがる広い視野、現場の膨大な具体例をきちんと踏まえて理論の背骨を通した2冊本。


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