イントロダクション 95・96年の収穫(一部その前後もあり)

*以下は哲学メーリングリスト「ポリロゴス」(PolyLogos Homepageを参照)で96年末に行われた「読書アンケート」での私の書き込みを編集したものです。他人様の書き込みへのレス(というより因縁)になっていますので、多少読みにくいかと思いますが、ご了承下さい。                                    1997年4月23日

 山之内靖氏のウェーバー読解への批判として椎名重明『プロテスタンティズム と資本主義』(東京大学出版会)が書かれたことを指摘しておきましょう。山之内近代化論への批判は枚挙にいとまがありませんが、椎名氏は自分のマルクス論を山之内氏に曲解(?)されて以来山之内氏に批判的で、とりわけウェーバーの恣意的な読み方や近代概念の雑駁さを厳しく批判しています。
 哲学サイドからは、以前『思想』86年9月号に大庭健氏が書いた「近代的合理性と《実質的》合理性」で論点は大体出ているでしょう。「近代」とか「合理性」を実体化した山之内さんの議論の弱点を的確についています。
 私は山之内氏の『システム社会の現代的位相』(岩波書店)の元の論文、山之内靖/ヴィクター・コシュマン/成田龍一編『総力戦と現代化』(柏書房)の巻頭の奴ですか、読みましたけど、総力戦体制論、とか歴史学界の現状から見ればある程度常識になっていることを適当にまとめているだけ、との印象を持っています。(日本の実証の素材を提供した岡崎哲二氏や佐口和郎氏の論文のいかにもやる気のなさそうなところが妙に印象に残ります。実際のところ総力戦体制論をポピュラーにしたのは岡崎氏ですし、岡崎氏の考え方と山之内氏のそれとはほとんど相容れないはずなんですけどね。佐口氏はどちらに対しても冷淡です。)またルー マンの読み方もおかしいと思います。ルーマンをあんな風に決断主義的に読むこ とはまったく間違っていると思います。この読み方はおそらく、氏のウェーバー やニーチェの読み方とも通じているのでしょう。その全体が私にはひどくおかし なもの、大げさで空虚なものに見えます。(それはたぶん以前私が書いた、ニーチェ自身が超人について誤解していたという可能性、ともつながる問題ではない でしょうか。)

 近年のウェーバー読解のお手本と言えばやはり佐藤俊樹『近代・組織・資本主義』(ミネルヴァ書房)でしょうが、佐藤氏の今年の新著『ノイマンの夢・近代の欲望 情報化社会を解体する』(講談社)は非常によいですね。

 大澤真幸氏のオウム論『虚構の時代の果てに』(ちくま新書)ですが、「よくできた」本ですがそれ以上のものではないですね。氏の他の業績に接している人間にとってはほとんど学ぶところはないです。『性愛と資本主義』(青土社)の方がまだしもですね。新書版には新書版の社会的役割というのがあると思うんですが、それをまったく無視した本です。何より私は結論が気にくわない。これじゃ拙著とほとんど同じか、少し後退しています。他の人はどうか知りませんが、私はもうそれだけで勘弁してくれ、です。俺よりも半歩でも先に行っててくれよ、と思います。

 今年は哲学入門書で講談社現代新書が健闘しています。野矢茂樹『哲学の謎』永井均『〈子ども〉のための哲学』中島義道『時間を哲学する』小泉義之『デカルト=哲学のすすめ』いずれも思想史でも哲学史でもなく純然たる哲学の入門書です。日本にはこれまでこういうスタイルの本が少なかった。もっともスタンダードな哲学入門の王道は野矢氏のものでしょうが、私の個人的なおすすめは小泉氏のものです。永井氏の作業と合わせて読むと、デカルト観が根底から覆ります。

 あと、松山巌『群衆 機械の中の難民』(読売新聞社)は結構いいですよ。

 念のために申し添えておくと、椎名氏の著書はウェーバー自身のプロテスタンティズム理解の誤りを厳しく突いているのですね。

 あと通俗的な心理学・精神医学的啓蒙書として、頼藤和寛『賢い利己主義のすすめ ポスト・モラリズム宣言』(人文書院)はよかったと思います。注意して読む必要はありますが。

 しかし今年は去年に比べてこれという本がねえなあ。年末駆け込みのペーター・スローターダイク『シニカル理性批判』(高田珠樹訳、ミネルヴァ書房)なんてのはお買い得な感じだけど、読むだけでひと苦労だよな。小野善康『金融』(岩波書店)なんかは実は画期的なマクロ経済学入門なんだけど、このMLで読みたい人いるかねえ。

 え、去年の本でもいいの? だったら多いよな。小熊英二『単一民族神話の起源』(新曜社)なんてのはサントリー学芸賞の価値を高める授賞だと思うし、日本の学歴社会・労働市場の研究として画期的な竹内洋『日本のメリトクラシー 構造と心性』(東京大学出版会)が日経経済図書文化賞とって労働関係優秀図書賞とれなかったあたり、前者の見識と後者の不見識をよく表してるよな。これを教育社会学者がやって労働経済学者がやれなかったというのは泣ける話だ。それから寺西重郎『経済開発と途上国債務』(東京大学出版会)は名著だと思う。あと古典的名著『エントロピーと工業社会の選択』の増補版、河宮信郎『必然の選択』(海鳴社)も助かるね。

*補足

 松山氏の『群衆』は読売文学賞を受賞されました。

 岡崎氏の戦時動員体制についての本格的な著作はまだ出ませんが、とりあえず『工業化の軌跡 経済大国前史』が97年になってから『群衆』と同じく読売新聞社の「20世紀の日本」シリーズのうちの1巻として刊行されました。佐口氏の作業は『日本における産業民主主義の前提』(東京大学出版会)にまとめられています。

 小野氏の『金融』が学部生向け現代的マクロ経済動学の入門書だとしたら、学部上級・大学院向けの教科書として斉藤誠『新しいマクロ経済学』(有斐閣)が出ています。同じシリーズで今度は学部上級・大学院生向けのゲーム理論の教科書、岡田章(その名もズバリ)『ゲーム理論』(有斐閣)も出ました。それから、青木昌彦・奥野正寛編著『経済システムの比較制度分析』(東京大学出版会)も現代ミクロ経済学の達成のある側面を示すものとして有用でしょう。地域経済学の領域では中込正樹『都市と地域の経済理論』(創文社)があります。残念ながら近年著しい展開を示している、この分野における自己組織システム理論の応用は紹介されていませんが。

 産業図書の哲学教科書シリーズはさすがに水準高いです。門脇俊介『現代哲学』はかなりよくできた入門教科書だと思います。

 それから、考えてみると河本英夫『オートポイエーシス 第三世代システム』(青土社)も95年刊の本なんだよな。これに関連して95年はニクラス・ルーマン『社会システム』(佐藤勉監訳、恒星社厚生閣)の、96年には『公式組織の機能とその派生的問題』(沢谷豊他訳、新泉社)の、それぞれ下巻が出ています。個人的には、後者がおすすめです。まだルーマンがオートポイエーシスを云々するようになる以前、それどころか元祖ウンベルト・マトゥラーナ自身さえもがまだこのコンセプトに到達していなかった時代のもの、はっきり言うとルーマンの最初の単独著作ですが、そのせいか難解といわれるルーマンの著作の中では比較的わかりやすい部類に入ります。経営組織論の古典として評価されるべき著作だと個人的には考えます。

 永瀬唯『肉体のヌートピア ――ロボット、パワード・スーツ、サイボーグの考古学』(青弓社)はSF史、技術史を往還しつつ興味深い議論が展開されていて、SF読み、ロボットファンなら必読でしょう。第2章では有名なアシモフの「ロボット三原則」は「家電製品三原則」に他ならない、との興味深い指摘がなされています。第4章「虚像の巨人 強化服の考古学」では現実のパワード・スーツ構想(マン・アンプリファイアー計画)を横目で睨みつつ、独創的なロバート・ハインライン(SFにおけるパワード・スーツものの元祖『宇宙の戦士』の著者、言うなれば「ミスター・アメリカSF」)論を展開しています。また第5章は日本未紹介の重要なサイボーグSF、Bernard WolfeのLimboを紹介しています。


97年4月まで

 とりあえず読んだ奴から行きます。

 池田信夫『情報通信革命と日本企業』(NTT出版)は、インターネットの社会科学的分析としてもまた日本経済論としても出色です。80年代には褒めそやされた日本企業がなぜ90年代にはパッとしないのか、について、歴史を踏まえつつ鋭い理論的分析を加えていきます。ゲーム理論的比較制度分析の入門書としても、青木・奥野編著『経済システムの比較制度分析』よりむしろ読みやすく、啓発的です。

 アルバート・O・ハーシュマン『反動のレトリック』(岩崎稔訳、法政大学出版局)は、かの有名な開発経済学の泰斗にして、70年代以降は異色の政治経済学者として活躍する著者の面目躍如というべき著作です。反動的な社会思想の説得力が論理よりもむしろレトリックに依存していることを的確に明らかにしつつ、返す刀で進歩主義のレトリックをも剔抉しているところがさすがです。

 これはまだ全部読んでいないのですが……

 カール・E・ワイク『組織化の社会心理学(第2版)』(遠田雄志訳、文真堂)がついに出ました。これは絶対におすすめ。初版の翻訳は(他の本屋から)既に出ていた(しかし絶版)というのに、大幅改訂の決定版とも言うべきこの第2版、何と20年近くも放っておかれたとはちょっと信じがたいことです。経営学とその周辺では必読の現代の古典として既にその声価は確立していたのですが……。ルーマンの『公式組織とその派生的問題』と並んで自己組織システム論的な経営組織論の基本文献と言えるでしょう。もちろん経営学・社会心理学周辺への直接の影響力はルーマンをしのぎます。(以上4月24日)

 このところ本をご恵贈いただく機会が徐々に増えてきている。先行投資が少しは効いているのだろう。拙著を差し上げた方がお返しをして下さる。ただ問題は、バランスである。こちらが1冊しか差し上げてないのに2冊続けていただくと申し訳ない。頑張って借金を返すか……うう……贈与の連鎖。何か間違ってるような気も。

 というわけで現在いただいたけどまだ読んでない本が3冊。まず川本隆史『現代思想の冒険者たち23 ロールズ――正義の原理』(講談社)。中身はまだほとんど読んでいません。それにしても、肝心の『正義論』の改訳を氏が進めることになるらしい、ということ、更に"Political Liberalism"の翻訳も進行中というのは朗報です。(実は私も知っていたが。)ところでこの『現代思想の冒険者たち』シリーズの月報にはかの巨匠いしいひさいち大先生が、第1回配本の『00 現代思想の源流』以外には毎号必ず、当該巻の主役を主人公とした4コママンガ「思想家冒険漂流記」を書いておられます。私見ではアドルノ、バルトの回は傑作でしたが、今回のロールズもかなりいけてます。いしい先生やっぱり左翼だな……いや、悪い意味でじゃなく。(すみません、肝心の本の中身についてはいずれ書きます。)

 続いての森村進『ロック所有論の再生』(有斐閣)は氏の前著『財産権の理論』(弘文堂)の姉妹編である、とのこと。初期ノージック的リバタリアニズムの観点からロックを読み直したものです。近年では思想史研究の主流はJ・G・A・ポーコック、クェンティン・スキナーなどに代表されるコンテクスト重視の歴史学的接近法となっていますが、あえて自分の問題関心を前面に押し出して、理論的解釈で読みぬいていく、というスタイルをとっています。実は私は一時期コンテクスト重視の立場にかなり影響を受けていて、その観点から研究会で森村氏に苦言を呈したこともありました。今でもそこでの森村氏への批判を全面的に取り下げるつもりはありません。(氏の「自己所有の基底性」という考え方には違和感があります。)しかし、現在では私もかなりこのような一見素朴な古典の読み方に対して肯定的になってきています。現在執筆中の拙著では、ノージックについて1章を割いて検討するほか、あくまでも現代的な問題意識からの、まったくコンテクスト主義的ではない自由主義思想史の提示にも1章充てています。そのなかで森村氏にも応えていきたいと思っています。

 さて、今日届いたばかりの1冊は、浅子和美・大瀧雅之編『現代マクロ経済動学』(東京大学出版会)です。はっきり言って玄人向けの本です。学部上級・大学院生以上の新古典派経済学の素養のある方にしかおすすめできません。私もこの点で失格です。(というわけで現在大石進一『非線形解析入門』(コロナ社)やピエール・N・V・チュー『経済分析とダイナミカル・システム』(永田良他訳、文化書房博文社)などをみながら、力学系の勉強をしているのです。)
 本を送って下さったのは編者の一人大瀧氏です。大瀧氏とは前著『景気循環の理論 現代日本経済の構造』(東京大学出版会)の書評をして以来のおつきあいです。出版会のPR誌『UP』の予告で見てふっと気になり、店頭でぱらぱらめくって数学的にこちらの理解能力を超えることが明白であったにもかかわらず購入し、無理矢理一気に読み通して、ひさびさに、「魂」「志」の経済学者が出てきた、とすっかり惚れ込んでしまいました。そして一方的にごり押しで『季刊窓』に書評を書かせていただいた(1回は会議で流れてしまいました。何と言っても高度な数学の雨あられでしたから。でも結局次の号で通常の倍のスペースをとって載せてもらったのです。)ところ、すぐに丁寧な長文の御礼のお手紙をいただきました。(片想いの褒め殺し書評でなくてよかった。)
 さて本書ですが、「合理的期待形成革命」以降の現代の動学的なマクロモデルに基づいた本格的な研究論文集です。内容も理論的なものと計量データに基づいた実証的なものとの双方がありまずが、実証の主テーマとしては設備投資があげられており、「バブル」に関係が深い土地担保による融資や、海外直接投資(多国籍企業(これも死語か?)の海外現地生産)などが取り上げられています。私はまだ大瀧氏の手になる第1章「日本的景気循環と経済成長」しか読んでません。いや実はゲラの段階で読んでました。その結果校正が間に合わなかった(数学が苦手で数理経済学に通じていない素人だからわかる?)ミスを発見しております。一応お読みになる方のためにここでお知らせしておきましょう。29頁の5.家計の投資費用関数Fが定義されていますが、同時にそれを平均的技術水準で除した関数fも定義されています。このfの形状についての仮定がここでは抜けています。実はこのfはf(0)=0, f',f''>0という性質を備えています。詳しくはこの論文の原型というべき「埋没費用、リスク・シェアリング、及び経済成長」『三田学会雑誌』88巻2号(1995年)の式(2)と比較して下さい。(何のことか分からない方はもちろん読み飛ばして下さい。)
 ここで「合理的期待形成革命」について世の中にはしょうもない誤解が流布している、ということに注意を喚起しておきます。確かに時代的には新自由主義の影響力の拡大とシンクロして経済学界を支配することとなった「合理的期待」のコンセプトですが、それ自体はごりごりの市場万能主義イデオロギーとは別物です。それに、このモデルは必ずしも非現実的なまでに優れた計算能力を持った経済主体を想定しているわけでもありません。合理的期待を行う主体は確率論的に見て正しい予測を行うだけのことであって、逆に見ればそれは不正確な予測しかできない主体のモデル化の一種と見なすことさえできるのです。「合理的期待」についての誤解を日本に垂れ流した主犯の一人は疑いなく、大瀧氏の師匠でもある宇沢弘文氏ですが、古い時代の人である氏が、「合理的期待形成革命」と政治的保守化のシンクロを前にいらだったのは故なきことではないでしょう。しかしこの90年代後半にそんなことを言っていても始まりません。宇沢氏よりも若い世代で、宇沢氏の「合理的期待」批判をいま現在もオウム返しに繰り返しているようなエコノミストの言うことには一切耳を貸す必要はないです。(敢えて実名をあげれば、数多くの啓蒙書を書いている根井雅弘氏、自身も「合理的期待」モデルを用いる「新ケインズ派」としてこうした事情について承知しているはずなのに、啓蒙書では二枚舌を使っている吉川洋氏あたりです。)現に大瀧氏は「合理的期待」に基づき、かつ市場均衡論的(非ケインズ的)枠組みに則りつつ、市場経済礼賛論ではなく、社会経済的不公正を問題とするような、むしろかつてのマルクス主義に近い議論を展開しています。(氏自身は左翼ではなく、リベラルを標榜していますが、新古典派的理論装置で日本共同体の効率性を「論証」するような日本経済礼賛論には我慢がならないようです。)氏の最近の論文「内生的な選好と経済成長:Veblen的内生的成長モデル」『国民経済雑誌』第175巻第1号(1997年)は、あたかも分析的マルクス主義者の手になる論文であるかのごとき様相を呈しています。
 この辺の事情については、私の大瀧氏の前著への書評もご覧下さい。

 ええとそれからこれは自分で大枚はたいて買った大物、だのにもったいなくもまさに積ん読状態、田川建三『書物としての新約聖書』(勁草書房)。売れてますね。こんなところで紹介する必要なんかないですね。バカ高い本なのに、そのことに著者も心を痛めておられるというのに、売れてますね。よい本はやっぱり売れるんですね。
 田川氏のことをご存じない方は、四の五の言わずに『イエスという男 逆説的反抗者の生と死』(三一書房)を読んで下さい。こっちの方が薄いし(それでも大部)安いです。ええ、氏は左翼です。(それに対して私は少なくとも今は左翼じゃないです。念のため。)でもそんなことはどうでもいい。(というと怒る人もいるかもしれないが。)著者が右だろうが左だろうが、カトリックだろうがプロテスタントだろうが、クリスチャンだろうが非クリスチャンだろうが、有神論者だろうが無神論者だろうが、構いません。(読者の側についても同じことが言えます。)とにかく日本語で書かれたイエスについての本の中では最高のもの、と(新約学会の学会誌でも)評され(もちろん学会のお墨付きがあるからいい、というわけじゃないですが、思いこみで書かれたトンデモ本ではないことの保証にはある程度なります)、いまだに広く読み継がれている名著です。たしかに、思想史研究の一つの模範、理想がここにあります。それだけではありません。著者の「魂」「志」が読む者を深く感動させずにはおきません。新書や文庫の適当な「イエス伝」なんぞ読んでる暇があったらそんなモンは古本屋に叩き売ってこちらを買って読みなさい。そうすれば今度の大著、「新約聖書概論の序説部分に当たる」というこの本、歴史的に見て「新約聖書」と呼ばれている書物は一体どのようなものなのか、どのように成立し、読まれ、翻訳され、用いられてきたのか、について素人にも分かるように、ただし「素人向け」と称して適当にぼやかしたことを書くといった手抜きや妥協をせずに書かれたこの「入門書」の価値が推測できるはずです。「この『イエスという男』を書いた人の本なら、かなりいいかもしれない」と。たぶん期待は裏切られないでしょう。
 いずれきちんと読んだらまた書きます。(以上4月25日)

 当たり前の話だが、学術書・教養書中心だと1日に1冊も読みこなすなんてことは天才クラスでないとできるわけはないので、読みこなしての書評ではなくとりあえずの速報をも取り入れることにしたのである。何しろ現在jpドメインには人文社会科学系の書評ページがろくにないから、このようなものでも存在価値はあるかな、と思ったわけであるが、それでも毎日更新はきつい。というわけで間が空いてしまった。
 実は今日も新しいネタがあるわけでは全くない。前に紹介したが未読の本も相変わらず積ん読状態だ。無理矢理にネタにしようと思えば、新しく買ってパラパラめくってる本もあるにはあるのだが、まだその価値を見極めるところまでいかない。自分の本を書く傍らそのために読み返している本もあるのだが、その紹介をここでするのもねえ……。

 この間新しく買った本の内、3冊は放送大学テキストである。げんなりする方もおられるかもしれないが、少なくとも人文社会科学系では、かなり便利な教科書の宝庫ではあるのだ、これが。玄人筋では有名だが一般向けの本や教科書を書いていない大先生が、自分の講義ノートを渋々ながらも公に販売される本にする機会を作ったという点で、この放送大学という制度、結構世の中に貢献しているのではないかと私は考える。(東大出版会の社会科学系の教科書ははよくここのストックからぱくられてくる。)で、今回買ったのは坂野潤治『改訂版 日本政治史』平石直昭『日本政治思想史 =近世を中心に=』川北稔『ヨーロッパと近代世界』である。

 この内先ほどの「玄人筋では有名だが一般向けの本や教科書を書いていない大先生」に当たるのは平石氏であろうか。実は昨年『一語の辞典 天』(三省堂)というのを書いてはおられるのだが、小品だったし。まだこの平石氏のものは読んでる途中だが、初っぱな日本近世(江戸)思想史を「キリシタン禁教の思想」からスタートさせるところには(こちらが素人だからかもしれないが)少し度肝を抜かれた。放送大学教科書ということを意識しすぎてか、叙述が簡潔すぎて逆にわかりにくいうらみはあるが、少し楽しみではある。坂野氏のものは以前のテキストの改訂版だが、前書きや序章から見る限りでは、今度はかなり思い切って言いたいことを言っておられるようだ。まあ全部読んでみないと何とも言えないが。

 川北氏のものは毎度おなじみ、氏が追っかけをやってきたイマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論(とりあえず『史的システムとしての資本主義』(川北稔訳、岩波書店)を見るといい)の理論枠組みを中心に、「ジェントルマン資本主義」論(P.J.ケイン/A.G.ホプキンズ『ジェントルマン資本主義と大英帝国』竹内幸雄他訳、岩波書店)とか社会史(ピーター・ラスレット『われら失いし世界 近代イギリス社会史』川北他訳、三嶺書房)とかの向こうの歴史学の新しい潮流を紹介しつつ、ご自分の専門のイギリス近世史の知見をもからめてまとめていく手並みは慣れたもの。でもそれならもっと註や文献紹介を充実させてほしかった。更に移民、人口移動の話を論の中心にすえるやり方は斬新であり、氏自身が一次史料を駆使して研究してきたテーマ(『民衆の大英帝国 近世イギリス社会とアメリカ移民』岩波書店)であるだけに、今後もっと深めていただきたい。
 この移民、国際労働力移動というテーマは、かつてやはり世界システム論のパースペクティヴを念頭に置いて、故森田桐郎氏を中心にマル経系の国際経済学者たちがいろいろいじり回していた(森田編『国際労働力移動』東大出版会、『国際労働移動と外国人労働者』同文館)のだが、どうも近年日本ではパッとしないような気がする。焦ってすぐに同時代にいこうとせず、じっくり歴史研究をやってほしい。(同時代の「外国人労働者問題」への社会学的研究はかなり熟してきたようだが。)この点で私が期待を寄せているのは、近代奴隷制研究者の池本幸三氏(『近代奴隷制社会の史的展開:チェサピーク湾ヴァージニア植民地を中心として』ミネルヴァ書房、池本・布留川正博・下山晃『近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で』人文書院)やイギリス労働史・農業史の森建資氏だが、森氏の仕事は徹底して玄人好みであり、かつ移民、植民問題については断片的な作業があるだけで、まだまとめておられないんだよね。山川出版社の啓蒙書シリーズ「歴史のフロンティア」で氏の『大英帝国の挫折 農業と国民経済』の刊行が予告されているけど、いつになるかわからないし、おそらく「帝国主義」時代の農業保護政策や植民地経営が主題になりそうで、近世・産業革命期の移民についてどれくらいふれられるものやら……。
 まあ移民問題と直接の関係はないけど、暇な人は森氏の『雇用関係の生成』(木鐸社)を読んでみて下さい。下手をすると「近代」観がひっくり返るほどの衝撃を受けるでしょう。いわゆる「マルクス主義フェミニズム」土台から吹っ飛ばし、新たなフェミニズム社会科学を立ち上げるための必読文献である、と私はかねてから主張しているのだが……。詳しくは私が以前『季刊窓』に書いた大沢真理氏の本の書評を見て下さい。(以上4月30日)


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