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pmjs footer:全国大学国語国文学会 五十周年記念大会 2005夏


もしオフリストで質問者に直接ご返事頂けるときは、それぞれのメールア ド レスに直接返信して 下さい。その他の返事ならびに質問などは watson@k.meijigakuin.ac.jpに送って下さ い。英訳します。

また日本語版ダイジェストの会員の皆様が、pmjsで紹介したい御著書、御論文などがございます時は遠慮無くワトソンまで詳細(タイトル、出版社、出版 年、雑誌名など)をお知らせ下さい。編集の方でも時折自主的にpmjs footer(編集ノートのようなもの、普通英語版のメールの下に付いています) で紹介することもあります。footer(フッター)は日本語版でもそのうち始めようと思います。

メールの総数: 18
期間:2005年2月19日 - 04月20日
リンクなどは最後にあります。

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From: Janick Wrona <wrona@hum.ku.dk>
Date: 2005年2月19日 9:30:44:GMT-05:00
Subject: 関係節における「の」の古典語における用例
 
皆様再帰代名詞
 
古典語文法における「の」(所有格、主格、補格)の分類について調べております。
古代、中世日本語における関係節についての修論を仕上げました時に、『落窪物語』や『源氏物語』の中に奇妙な関係節構造が見受けられたことを思い出しまし た。あとで更に調査を進めようと思いまして書きとどめたのですが、残念なことにそのメモをなくしてしまいました。
探している文構造は以下のようなものです。
関係節+「の」+関係節で修飾される名詞(主要名詞)
これはもちろん普通ならば、関係節+主要名詞とあるべきものです。
万葉(12?3071,14?3507)に「こころ」を主要名詞としたものや宣命(38,6?7)に2、3の例があります。
中古のこのような例をどなたかご指摘いただけないでしょうか。
 
ついでながら、日本人の三歳ぐらいの子供は「の」を関係節構造において古典語と同じような使い方をする時期を通るという報告があります。そしてむろん中国 人の日本語習得者も同じような使い方をします。
Cheers
Janick Wrona
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From: Tom Dreitlein <tdreitlein@poem.ocn.ne.jp>
Date: 2005年2月21日 13:26:31:GMT-05:00
Subject: 密教学会:於高野山大学
 
高野山大学は2006年に密教についての国際会議を予定しております。
以下のサイトをご覧ください。
http://www.koyasan-u.ac.jp/ICEBS/index-e.html
 
以下のアドレスに、詳細など他どのようなことでもお問い合わせください。
ICEBS@koyasan-u.ac.jp
 
Thank you,
Tom Dreitlein
Koyasan University
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From: "Jens Sejrup" <jenssejrup@hotmail.com>
Date: 2005年2月26日 19:23:57:GMT-05:00
Subject: 関係節における「の」の用例
 
Janick、こんにちは。
 
お元気のことと思います。私たちの母国語[デンマーク語]は同じですが、pmjs会員の方々の便を考えまして、英語を使います。
 
『落窪物語』については何も知りませんが、『源氏物語』においては言及なさった用例に出くわしたことがあります。とはいえ、文学的読書として読みましたの で、特別な文法例としての考察をしていたわけではありませんでしたが、質問を読みまして、自分のメモを漁ってみました。そして仰っていたような形で機能し ている形容詞的関係節を見つけました。
例えば「末摘花」に以下のような形があります。
 
「さてもあさましのくちつきや」(新全集1ー229ページ)
 
シク形容詞の終止形で連体形ではありませんし、明らかに名詞として扱われています。まあ、これは関係節ではありませんが、一般的な用法ではないですね。他 に「紅葉賀」には以下のように始まる文章がありました。
 
「あやしのことどもや、おりたちてみだるる人はノ」(新全集1?265)
 
先よりもっと大きな関係節ですが、述部は連体形となって普通に構成されています。もうすでにお気づきかどうかわかりませんが、どうも形容詞の方が動詞より も、「の」節を取ることが多いような感じです。ナリ形容詞でも同様に構成されます。以下「蓬生」においても次のように終わる例がありました。
「おぼろけの人の見ててまつり許すべきにもあらずかし。」(新全集120)
 
普通ならばここでは「おぼろけなる」というような言葉を期待するわけですが。とはいえ、ナル形容詞が名詞として扱わられる文法的に似たような例を無数に見 つけることは出来るとは思いますが。ク・シク形容詞にまで拡大できますか。私の専門ではないので推測しているだけですし、またこれらは一般的なもので、言 語学者はすでに言及しているのかどうかわからないのですが。ともあれ、以上何かお役に立てていればと思います。
 
うまくいきますように。それでは。
Jens Sejrup
 
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From: K. Fiala <fiala@fpu.ac.jp>
Date: 2005年2月27日 1:31:18:GMT-05:00
Subject: 関係節における「の」の用例
 
話題となっております構造はさほど珍しいものではございません。確か江戸期に、「花を見るのこと」(『片言』)などとありましたように、似たような例がご ざいます。とはいえ、普通これらは中国語の影響によっている訓読体と見なされています。
 
しかしながら、心理的理由からの用法として、このような構造は現代口語にも充分あり得ます。大抵の場合発話者はその間違いに気がついてすぐ直すのですが。
 
J.D.McCawleyは日本語の変形文法の「態」の構成についてのその著作の中で(大変古い本ですが)、「の」の消滅は文構造の表面で起こるとしてい ます。(おそらく層が浅いのでしょう、論の概観はすでに時代遅れのものではありますが)。
 
ご指摘のように古典日本語において、形容詞の終止形の後に「の」が付く例があります。ただ問題はそのような言葉を名詞として扱ってよいのかどうかにありま す。
 
  K.Fiala
追記:McCawleyによる「態」の相についての言及はむしろ傍流の議論として扱われるべきものですし、またそれほど正確ではありません。当該「の」の 分析は日本語の変形文法においてはかなり古い議論となっています。
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From: Brian Goldsmith <shindai_gold@yahoo.com>
Date: 2005年3月7日 21:12:04:GMT-05:00
Subject: [pmjs] 小浜
 
皆様。
 
現在中世、近世における日本海交易について調査しています。どなたかが小浜港についての研究をなさっていると聞きました。小浜港については、日本において さえ驚くほどわずかな事柄しか調べが付きません。
 
英語、日本語におけるどのような手がかりでもかまいませんのでお願いいたします。英語での敦賀関連の資料もまた大変ありがたいです。
 
敬具
 
Brian Goldsmith
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From: Karel Fiala <fiala@fpu.ac.jp>
Date: 2005年3月8日 10:54:02:GMT-05:00
Subject: 関係節における「の」
 
連体形の後に付く「が」の用法はどうでしょうか。例えば『万葉集』には、「贈らむがために」とか、「忘れむがため」などがあります。ご興味のある時代にも まだこの用法は存在していたと思いますが。この用法についても同じように分析を行っていますか。そうであるならば、両方の相違は何であると思われているで しょうか。
 K.F.
 
追記:もちろん「が」はおそらくただ補足的に残っているのでしょうか。或いは、何か歴史的な反証が存在するのでしょうか。
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From: Janick Wrona <wrona@hum.ku.dk>
Date: 2005年3月8日 12:00:42:GMT-05:00
Subject: 関係節における「の」
 
>この用法についても同じように分析を行っていますか。
 
いいえ、行っていません。「がため」句、節(万葉19ー4222に、一例しかありません)は以下の理由により異なる種類のものだと思います。1)「が」は 補足であったこともありませんし、なることもありません。ですから、節の要素の例証とはなりません。2)「がため」タイプの構造はむしろ接続詞の役割と重 なる構造の部類に属します。この部類には、「ゆゑ」「から」「うへ」「した」またおそらく「なへ」も含まれます。これらに共通するのはもともとは名詞で あって、意味的、文法的に接続詞と境を接しています。これから出版予定の古典日本語統語についての拙著において「がため」や「ゆゑ」などを構造として再分 析しています。「なへ」は語源的に所有の要素を含むという証拠があります。
 
私が用例を探している「の」の関係節とは相違します。というのも主要名詞は明らかにそれだけで意味を構成する言葉で、機能的要素ではないからです。
 
Cheers
Janick
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From: Peter Shapinsky <pshapins@umich.edu>
Date: 2005年3月8日 11:28:25:GMT-05:00
Subject:小浜
 
Dear Brian,
 
小浜港については比較的多くの資料があります。英語のものはIsao Soranaka, "Obama: the Rise and Decline  of a Seaport," Monumenta Nipponica, 52:1, (1997) 85-102をみてください。
 
中世の史料は小浜市史や福井県史などに採録されています。又古い『若狭漁村史料』なども見てみてください。
 
近年小浜・敦賀に関しては日本人歴史学者による多くの研究がでています。小浜や近辺漁村、田烏の記録類は網野善彦や他の方々の漁師、製塩、航海などの研究 の大きな源泉となっています。
スマトラ港からの船が、小浜か敦賀で(どちらか覚えていませんが)日本国王への献上品の象を荷揚げしたという面白い記録があります。残念ながら手元に文献 の詳細を持っておりませんが、Soranakaに出ていたと思います。
 
Peter Shapinsky
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From: Hitomi Tonomura <tomitono@umich.edu>
Date: 2005年3月8日 11:28:44:GMT-05:00
Subject: 小浜
 
Isao Soranakaが小浜についての詳しい研究を行っています。[編集:省略]
 
また中世後期におけるTokuchin-ho商人と小浜についての私が気が付いた関係については、拙著Community and Commerceに言 及してあります。この交易は日本海で盛んであったというよりも(商人達は近江にいましたので)琵琶湖の方が盛んでした。
Hitomi Tonomura
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From: Karen  Fiala <fiala@fpu.ac.jp>
Date: 2005年3月8日 17:05:11:GMT-05:00
Subject:「の」関係節
 
古典日本語について、お使いになっていた"complementisation"(編集:「補助」か?)という用語の意味がはっきりと把握できませんでし た。あなたの使い方は、どうもすこし変則的な使用のように思えましたので、関係節のことを意味するということにまで拡大してお使いなのかなという印象を受 けたのです。[編:略]
 
あなたが、関係節の要素というのを言うときに、英語においては不可欠の「目的語の補足」ということを意味していましたか。古典日本語において、少なくとも 意味的には完全な関係節のレベルにおいて、目的語は必要ですか。例えば「ため」「ためになる」などで、ですが。
これらから出版されるものよりも(もちろん、これを読むのをおおいに楽しみにしていますが)、すでに出版された論文を引いていただけますか。
古典日本語においておっしゃるところの「の」によって構成される関係節(句)の具体的な用例をあげて、どのように関係節(句)として発展するのか示してい ただけますか。
 
「が」は「の」と文脈的に似た使われ方をしますが、どうして名詞的、補完的にはならないのですか。
  「がため」節(句)のようなものがありますが、「がから」などはいかがでしょうか。
質問ばかりで申し訳ございませんが、とても重要な問題ですし、おそらく言語学者は古典日本語文法についてこのような方面をもっと理解しておくべきだと思わ れます。
 
 K.F.
付記:或いは単に「の」の例が特別なのはそれに連なる句や節(繋辞)との関係にありますよね。
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From: "Thomas Harper" <tjharper100@hotmail.com>
Date: 2005年3月9日 10:27:39:GMT-05:00
Subject: 「が」「の」など
 
同胞言語学者の皆様
 
最近間欠的に続いておりました「が」と「の」についての議論で、数年前ライデン大学で同じ質問をした学生のために準備した資料が、興味がおありの方々の役 に立つのではないかと思い出しました。この問題に関して何か深遠なことを申すことができないので、代わりにというのではなくて、数百年前にはこれらが現代 語であった人々の内の思慮深い方々によってなされた説得力のある考察を載せておきました。
引用の関係上、形式や言語的洗練が失われてしまいますことお許しください。
敬具
Tom Harper
 
特に室町、江戸期のある種のかしこまった類の散文においては、日本語における文法的関係に、ことごとく逆らうような「の」の用法に出くわす。連体形や、ま たそれが修飾する名詞的なものの屈折した形のようにみえるものである。
小野寺十内より妻たんへ切腹前日贈るの状
「普通の」用法ならば「贈る状」とあり、「の」の挿入は間違いだと思うであろう。本居宣長ふうに言えば、「皇国ノ語にあらず」というところであろう。日本 語を学ぶ非日本語圏の学生は、初級学習の初めの段階で何か似たようなことを言われたのを思い出すであろう。では、このよくみかける書記構造について、学識 ある日本人はどのように述べているであろうか。宣長はこれを以下のように説明している。
かかる処にも「之」を加へて云フは漢籍読の癖の移りたる
にて、ひがごとなり。(古事記伝、巻一、訓法の事)
 
当該「の」の用法が「ひがごと」であっても、古くは鎌倉期にすでに見受けられる。その意図的な使用は宣長が示唆したように、朱子学者の翻訳原則にたどるこ とができる。一方論語研究の初期学派においては、漢文和訳において、すでに意味が充分伝わっているならば、ある種の置字を割愛したかもしれないものを、朱 子学者の新注の信奉者は和訳においては、原文のすべての文字が置き換えられなければならないと主張したのである。(参照:室町期は、桂庵 (1427- 1508) の「桂庵和尚家法倭点」など。江戸期は、 後藤芝山 (1721-83)や 佐藤一斎(1772-1859)など)。
よって、置字「之」はその連体句的機能を持つ動詞的作用をしても「の」と翻訳されたのである。例えば、論語からの次のような一文は、
孔子曰君子無終食之間違仁。(論語、里仁 4:5 による)
次のように日本語に置き換えられた。
孔子曰く、君子は食を終うるの間も仁に違うこと無し。
「〜うる」という連体形を加えて、必要のない「之」を翻訳しているわけである。厳密なる原典への忠実性という原則のもと、「食を終うるの間」の訳があるの である。そして、問題の文が中国語原典の翻訳である限り、「の」が遺されているのである。
 
文字読ミヲハ落字無キ様ニ唐音ニ読ミ度也。其故ハたまたま偶一句半句ソラニ覚ユル時置ヲキ字其ノ何ノ字有ルコトヲ知らぬ也  (家法倭点、1501年)
 
賢明なアドバイスである。が、この伝統の影響が強く、権威となって、書き下し文に受け継がれただけではなく、中国語原典と無関係な作文にまで受け継がれた のである。ロドリゲスは江戸初期(日本大文典, 1608)に、限定動詞や由, 間, 条, 故, 所、輩などの名詞の間に挟まれた「の」を、書かれた言 葉の一般的な特徴として扱っている。例として、「すべきの由, 書くべきの間, 参るの条, 従ふの所」があげられている。文法的な異端性はそういう文章 が持つ修辞的力の前ではいかほどのものでもないとみなされたようである。以下の用例はだいたい時代順である。
 
和歌、管絃、往生要集ごときの抄物をいれたり。(方丈記)
国々を歩きしに、唐土へ渡らむの心ざしにて、道なれば、この所に
廻り来ぬ。(仏道の記)
 
一説、雲隠の巻は源氏薨遊の事を記す。しかるに見る人聞く人愁歎に 堪えざるの故に、これを焼き捨てたる故にその詞なし云々、(明星抄)
 
此書は定家卿の作、息為家卿若年の時そらんじ覚えさしめんため、真 名に作りて日夜となへさせたまふの書也。(手爾葉大概少之少)
 
只今御家を立退候の間、討手を仰付られよ  (渋川時英随筆 森先三、近世人物夜話, 39)
相支へ候と雖も、多人数くづれ立つの間、守備事叶ず。(信長公記)
 
対面有度き之趣申越候。(同上 p. 15)
 
攻めころ死すべきの処、種々佗言せしむることにより赦免せしめ候。
(信長文書)
 
一、公方様に対し奉り、疎略有るべからざるの事、(同上)
我等も内府・佐竹之寺家を相抱ふ之間、今度罷登り、礼をいたし候はでは帰られず候、(天海文書)
 
虎ハ生レテ三日シテ牛ヲ食フノ気アリトカヤ、(赤城義臣伝)
幕府ノ百官罪をはか議リ玉フノ儀、(同上、12:13a)
南都は、町にも野にも、鹿多し。春日の神使都也とて、人是を傷なはず。若鹿を殺す者は、人を殺すの罪のごとし。(和州巡覧記 益軒全集7:52a)
 
真淵宣長元是文人ニシテ更ニ教ヲ興スノ人ニ非ズ。(東潜夫論 日本文庫 1:9)
 
先生逝くの後、茫然として、冥想す。(海舟座談)
 
大寒に入るの前一日、天気晴朗なり。(同上)
同じ理由により、「之」が「の」ではなく「が」と訳される同じ現象が見受けられる。以下用例:
 
寝るがうちに見るをのみやは夢といはむ
  はかなき世をもうつつとはみず  (古今 835、忠岑)
 
名を後代に留めんが為、将軍を打ち奉って候。(能、明智討)
しれる人の正さむ事をねがひ思ふがゆえに、敢て我つたなき事を奄はず。(藩翰譜)
 
男子三人、皆家をことにかまへたるがもとに一夜づゝめくりてやどる。(近世畸人伝 193)
 
こゝに方便といえへるは、たゞ何れの経にもあれ、衆生をすくはむ
がために、まうけて説たる方便也。(玉小櫛)
 
又国をも家をも身をも、おさむべきおしへにもあらず、たゞよの中之
ものがたりなるがゆゑに、さるすぢの善悪の論は、しばらく
さしおきて、(玉小櫛)
 
そは源氏ノ君を、ものヽあはれしりて、よき人とするが故也。
(玉小櫛)
 
周知のように、最後の三例は本居宣長の文章であり、まさにその宣長こそが、これが「中国」の表現だとして、日本語としては「ひがごと」だとうるさく警告し た学者その人なのである。大半の場合、宣長は自分の論に忠実で「連体形+名詞」の形だけを用いるというのは事実である。が、みてきたように、文体の純粋論 者も時々の漢籍読みから自由ではないのである。
 
当該「の」の用法は明治期においても死滅しなかった。一例をあげておく:
新新訳源氏物語成るの日
これは与謝野晶子訳の『新新訳源氏物語』の出版を記念した中楯佳世による『冬柏』(S14-10)所載の8首の和歌の題目である。
 
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From: "Saburou Katsumori (Joshua B.)" <tatsushu@gmail.com>
Date: 2005年3月8日 18:17:36:GMT-05:00
Subject:明日香考古学
 
奈良、明日香村で何が起きているのか見てみたい方がいらっしゃるのではないかと思いました。『日本書紀』天武681年の宴の項に言及がある「向小殿」(む かいのこあんどの)と「内安殿」を見つけたということらしいです。
http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200503180140.html
 
発見からしばらくたっているので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。リンクは新聞の記事です。おそらく関連したもっと詳しい論文などがあると思われま す。
 
Joshua Badgley
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From: "Georgia Jarrett" <georgiajarrett@hotmail.com>
Date: 2005年3月15日 0:06:53:GMT-05:00
Subject: 異人尋問
 
1840年代あたりの将軍時代の役人が異国人の行動の調査についてどのような振る舞いをしたかについての詳細を調べております。特に、シーボルトの行動調 査、いわゆるシーボルトの日本地図所持が露見し、続いて逮捕され、尋問された「シーボルト事件」についての情報を探しています。この尋問はどのようにおこ なわれたのでしょうか。虐待や拷問があったのでしょうか。尋問下にある異国人はどのように取り扱われたのでしょうか。
 
ご教示よろしくお願いいたします。
 
Georgia Jarrett
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From:   Tim Kern <timkern@nichibun.ac.jp>
Date: 2005年3月16日 0:28:20:GMT-05:00
Subject: 異人尋問
 
以下のものがお考えの尋問過程に当てはまるものかどうかはわかりませんが、ごらんになってみてください。
 
Ranald MacDonald : Pacific Rim Adventurer, by Jo Ann Roe
Pullman, Wash. : Washington State University Press , 1997
 
他には難破し、北海道海岸にこぎ着けたRanald MacDonaldの記述があります。松前の役人によって捕らえられ、将軍の勅命によって出島送りと なりましたのがご興味をひくかもしれません。出版された時に読みましたが、以下は、私はまだ読んでいないのですが、その他の本のウェブ・サイトです。
 <http://www.jai2.com/RM.htm>
 
グーグル検索でもっといろいろなことがわかります。
 
【以下略】
  Tim Kern
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From: Michael Watson <watson@k.meijigakuin.ac.jp>
Date: 2005年4月11日 21:55:53:JST
Subject: [pmjs]  お知らせと新規会員
 
2004年度の特別研究も終わり、日本に戻りました。メーリングリスト用ソフト、マックジョルダモを研究室のコンピューターにセットいたしました。2月に 導入された明学における新しいセキュリティー・システムの都合上、6週間の間は、BCCメールによって皆様にメールをお届けしなければなりませんし、この 間ミスもあるかと思われます。新システムでは、もっとスムーズになることを期待しております。研究室のパソコンは24時間起動しておりますので、皆様から のメールは、受信5分以内に皆様に向けて送信されることとなります。(ダイジェスト版ご購読の会員の皆様は、この限りではありません)。
 
新規会員
Steffen Doell <doshite@web.de>
Ludwig-Maximilians-University Munich, Germany ルードウィッヒーマキシミリアン大学、ミュンヘン、ドイ ツ。博士課程在籍。
研究分野 上田閑照の現象学(とくにその「十牛図」解釈をめぐって)についての修士論文を完成。五山文学。
 
Aaron Hames <ajhames@artsci.wustl.edu>
院生。ワシントン大学(セント・ルイス)
 
Jason Ananda Josephson "JJ" <jjosephson@stanford.edu>
博士課程。スタンフォード大学。現在国立フランス極東学院(パリ)在籍。
研究分野 江戸、明治期の日本宗教と文化
 
Janice S. Kanemitsu <jskanemitsu@berkeley.edu>
博士課程。カリフォルニア大学、バークリー校
研究分野 近松時代物におけるジェンダー研究。
 
Yasuo Ono <ono@gen.gunma-ct.ac.jp>
群馬国立技術大学助教授
研究課題  日本文学に与えた中国文学の影響
 
Paolo VILLANI <pvillani@unict.it>
カターニア大学 助教授
研究分野 密教
翻訳予定 イタリア語訳『古事記』(2006)
 
David Rands <rands@usc.edu>
南カリフォルニア大学 博士課程。
研究分野 朝鮮人コミュニティー
 
Dr. Barbara Seyock <seyock@gmx.net>
ルードウィッヒーマキシミリアン大学、ミュンヘン。
 
Kristin Williams <kwilliam@fas.harvard.edu>
ハーバード大学 院生。
研究分野 江戸読本、演劇。
 
Ivana Zutic-Alim <ivajp@yahoo.com>
ベルグラード大学、セルビア・モンテネグロ。博士課程。
研究分野 近松心中物
 
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From: Mark Teeuwen <m.j.teeuwen@ikos.uio.no>
Date: 2005年4月12日 21:20:35:JST
Subject: 大祓の詞の詞「いゑり」
 
会員諸氏。
 
おはらえの詞にある珍しい「いへり」という語はよく「mist 霞」と翻訳されていました。中世の注釈では「huts 庵」という解釈が好まれたいうこと に気がつきました。どなたかこの言葉が何を意味したのかもっとご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。
 
Mark Teeuwen
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From:   tc0jrb1@wpo.cso.niu.edu
Date: 2005年4月12日 23:43:49:JST
Subject: 大祓の詞「いゑり」
 
皆様。
 
拙著Descriptive Grammarof Early Old Japanese prose,( pg. 237-38)にてこの言葉について 扱っています。
 
簡単に述べますなら、調べました『大祓』のすべての本文に、「伊恵利」の語が見られます。第2番目の漢字は「恵」です。多くの専門家はこの「恵」を「穂」 と校訂しています。文献的な証拠もなく、「いゑり」の意味がわからず、このような校訂がなされたように見受けられます。
 
これ以上のことはわかりません。当該『大祓』の文章や文脈外では、この語は「霧消」したり、「分散」したりするものを表しているのははっきりしていますの で、「mists霞」, 「clouds雲」, 「fog霧」などの意味が出てきたのでしょう。
 
John Bentley
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From: Tom Conlan <tconlan@bowdoin.edu>
Date: 2005年4月20日 10:52:19:JST
Subject: [pmjs]  ボドウィン大学『蒙古襲来絵詞』ウェブ・サイト
 
本学サイト上に設けました、『蒙古襲来絵詞』ウェブ・サイトについてお知らせいたします。リンクは以下のアドレスですので、ぜひ御覧になってください。
http://www.bowdoin.edu/mongol-scrolls/
 
Best wishes,
Tom Conlan
Associate Professor of Japanese History
 
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全国大学国語国文学会 五十周年記念大会 2005夏

「書写・印刷・電子テクスト—日本からメディアの世界的変革を考える—」

2005年 06月 04日 (土) 13時〜17時30分
場所
日本女子大学目白キャンパス百年館低層棟2階
 〒112-8681東京都文京区目白台2−8−1
 JR山手線「目白」駅より椿山荘方向徒歩15分、または日本女子大行きスクールバス
 または新宿西口・椿山荘行き都バス(白61)にて「日本女子大前」下車。
 東京メトロ有楽町線「護国寺」駅より目白台方向徒歩10分。
詳しく:http://wwwsoc.nii.ac.jp/cgi-bin/jpling/gakkaibbs.cgi


英語の原文は以下のページにあります。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/logs/2005/2005.01q.html
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/logs/2005/2005.02q.html

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