大学院

最近の大学院について

朝比奈弘治教授のゼミ(テクスト性コース)に参加して

私は博士課程に属する学生だが、修士課程のゼミに参加させていただき、さまざまな感想をもった。テクスト性研究コースで体験できることの一例として、以下に紹介を兼ねた一文を示したい。
2003年度の演習Aは、『ボヴァリー夫人』を輪読しつつ、受講者全員が前・後期それぞれ一回ずつ、教授が示したテーマ、または個人の研究テーマで発表する、というかたちでおこなわれた。ときにフローベールに忠実に、ときにそこから大きく離れての議論をつうじて、そこで扱うテクストがいかにして生成されていったかを追体験しようという試みである。ガストン・バシュラールの詩学をもちいて『ボヴァリー夫人』における火や空間を論じるものから、作家が作品に無意識に投影する理論やイメージを18世紀的な「崇高」の概念をとおして考察するものまで、受講者の関心に応じてさまざまな議論がおこなわれ、興味が尽きることはなかった。
そのなかで、『ボヴァリー夫人』における窓と風、および動物に焦点をあてるというやり方で、ふたりの受講者が発表した。エンマ・ボヴァリーはよく窓から外を眺める。注意ぶかく読んでみると、そんななにげない描写のなかにも、彼女の心境やつぎの展開を暗示する光景など、指摘できる点が多々ある。それが開け放たれた窓からはいってくる風とともに考えられる場合など、よりこみいった議論が可能となる。窓が意識的に開閉できるものだとすれば、風は無意識の行動や予期せぬできごと、どうすることもできない運命を思わせる。エンマの窓辺の場面は、このコントラストを象徴するものとして読むことができるのだ。
またこの小説には、時代背景のせいも多分にあるにせよ、登場人物が動物をともなって描写されることがおおい。ルオーは必ずといっていいほど七面鳥とともに現れるし、農業共進会の場面では、群集と家畜の群が同列に語られる。エンマは外出の際、同伴者や口実となるものをつねに必要としているが、そこにも犬や馬がはいりこんでくるし、また彼女の臨終の場面で聞こえてくる犬の鳴き声は、この物語全体のノイズとしての動物という視点をも提示しているのである。
これらふたつの発表からうかがえることは、物語そのものとはまたべつのシステム、舞台装置としての窓、あるいは動物によって浮き彫りにされるエンマという存在そのものである。彼女はつねに内から外を夢みる存在であり、そのあいだには窓がある。とはいえこの仕切りは窓であるがゆえに、彼女は開かれてもいる。また外にでたとしてもなんらかの媒体が不可欠であり、そういった意味では外にでたとはいいきれない。いわばエンマは、みずからを外に開いておきながら内にとどまるという、内外との弁証法のもたらす存在なのである。 テクストとよばれるもの、またその形成過程が加速度的に多様化しつつある今日、テクスト性研究コースで扱われるべき対象もさまざまであり、またそれにともなって新たな研究の方法も求められる。こうした変化に応じた議論から普遍的な「テクスト」を浮き彫りにしていくことが、この研究コースの目指すところだろう。朝比奈先生のゼミで、私はその方向が示されるのを目のあたりにし、多くを得ることができた。 2004年2月

巖谷國士教授のゼミ(モデルニテ研究コース)に参加して

アンドレ・ブルトンを研究することを決めて以来の、一つの念願が叶って、今年度の後期から巖谷國士先生のゼミに参加することができた。中途からの飛び入り参加ということで、当初は多少の気後れを感じてもいたのだが、自由で開かれたゼミの空気に助けられて次第に心も軽くなり、ゼミの人々と知り合い、多くの人と対話することができた。  本当に自由で、開かれていた。今学期だけでも、私を含めて実に様々な人が飛び入りでゼミに参加し、顔を出した。とりわけ修士課程のゼミは、そうして集った多くの人々が、自由に意見を出し合うことで成り立っていた。今学期はルネ・マグリットが扱われたのだが、発表者が何らかの視点からマグリットについての発表を行い、そして先生とゼミの参加者が、感想や意見を出し合っていったのである。マグリットの人生やその時代背景に踏み入りながら、何か簡単な解決に飛びつくというようなことはなく、時に話は謎をふくらませる方向へと進んでいった。半年間のゼミを通して、マグリットの問いは解かれるというよりむしろ、さらに大きく、豊かになったように思う。そしてそれで良かったのだろう。安易な解答には誰もが食傷している。むしろゼミの過程で得られた、幾つものインスピレーションこそ、貴重なものだと思えたのである。
博士課程のゼミのほうは、少人数でじっくりとブルトンのテクストを味わうという趣旨だったため、飛び入りは少なかったのだが、私は先生にお願いをして、参加させていただくことができた。このゼミでは、ブルトンの著作の中でも極めて難解な『狂気の愛』のフランス語を、一文一文丁寧に読解していった。巖谷先生のゼミで『狂気の愛』を読むということは、それ自体が大きな喜びだった。テクストと向かい合う時間を通して、自分の研究に直接かかわる様々な発見や、それと直接にはかかわらなくとも、重要な着想等を得ることができたように思う。
こうして、修士課程と博士課程のゼミ、さらにそのゼミの後の食事(私も多くの人と同様に、いつの間にか、鎮海楼の餃子が病みつきになってしまった)を通して、自由な会話の中で多くを学ぶことができたと思う。そして、そのような仕方で様々な人と知り合えたことが大きな収穫だったと感じている。巖谷先生のゼミに集ってきた人々が、やがて互いに知り合っていく様子は、実に豊かなものであった。
そんな様子を見るとき、私がぼんやりと考えていたのは瀧口修造のことだった。これはゼミの後の食事会や、書かれた文章を通して先生に教わったことの一つだが、巖谷先生が瀧口修造から贈られたリバティ・パスポートを持っていると、瀧口修造が背後にいてそれを用意したかのように、様々な人物との出会いが生じたという。「自由」と名づけられたパスポートが、人を豊かな出会いへと導いていくのである。
「〔……〕とにかく「自由」の意味が予想外にひろがってゆく感覚がそこにはあった。自由とは偶然を(ときには必然として)えらびとる決断にかかわることかもしれない。少なくとも人や物や出来事との偶然の出会いを受けとめて先へ進むとき、旅と人生の自由が見えてくるということ」(巖谷國士「リバティ・パスポート」、『現代の眼542号 東京国立近代美術館ニュース2003年10-11月号』所収、5頁)。このゼミを通して私が漠然と予感していたのは、自由と出会いとのそうした幸福な関係性であったのかもしれない。そしてシュルレアリスムという運動は、そのような自由と出会いの関係のモデルを、様々な仕方で提案していたように思われるのだ。
瀧口修造は、その様々な贈り物に象徴されるように、多くの人々と独自の親しい関係を結んだわけだが、やがて瀧口と関係を結んだ人々も相互に結びついていくことになり、それらの人々の有機的な関係性が、60年代、70年代の日本に出現することになったわけである。その濃密な関係性の中に、巖谷國士もいたし、それから武満徹や赤瀬川原平、加納光於、中西夏之、澁澤龍彦、土方巽等々の人物もいたのだ。そこに、フランスのシュルレアリスム運動や、50年代の実験工房とも異なった形で、しかし日本文化史において最もシュルレアリスム的と言いたくなるような、自由な空気が現出したのではなかっただろうか。
「流通価値のないものを、ある内的要請だけによって流通させるという不逞な考え」(瀧口修造「物々控」、『コレクション瀧口修造4』、みすず書房、1993年に所収、203頁)から、言葉=オブジェを贈り物として流通させながら、瀧口修造は集団としてのシュルレアリスムが解散した後の時代に、そのようにして個人と個人の有機的な結びつきに基づく集団を現出させようとしたのではないだろうか。やはりゼミの後の食事の時間に、瀧口修造はやはりシュルレアリスム運動をやりたいとひそかに願っていたのだと、巖谷先生から教えていただいたのだが、そのお話を聞いて私が考えたのは、以上のようなことであった。
そのようなわけで、私が巖谷ゼミに参加して抱いた第一の感情は、自由な空気の中で、様々な人と出会えたことの喜びであった。そうした場所で、シュルレアリスムについて、自由や出会いについて、考えられたことを嬉しく思うのである。
2004年1月
東京大学・地域文化修士1年 中田健太郎