明治学院大学
明治学院大学 情報数理学部

新しい世界の扉を開く、情報数理の力

― 文理やジェンダーの垣根のない、学びの実現へ
2025.07.08
対談シリーズ Vol.5 村田学長・今井教授編

対談シリーズの最後に登場していただくのは、東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻の今井浩教授。情報数理分野の最先端で活躍されており、情報数理学部設置に向けて、村田玲音学長とさまざまなやり取りをした間柄です。ChatGPTの登場や国産量子コンピュータの稼働開始など、ここ1年だけを見ても情報の世界はものすごい速さで進化しています。改めて情報数理学部をめぐる社会状況の変化や教育内容について語り合ってもらいました。

今井 浩 Hiroshi Imai

東京大学 情報理工学系研究科 教授

1981年東京大学工学部計数工学科卒業。1986年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(工学博士)。同年九州大学工学部助教授、1990年東京大学理学部助教授等を経て、2001年東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻教授、現在に至る。2000年から2011年まで科学技術振興事業団創造科学技術推進事業ERATO今井量子計算機構プロジェクト総括責任者を務める。専門分野は情報科学(量子計算、アルゴリズム論、組合せ最適化、計算幾何)。

村田 玲音 Leo Murata

明治学院大学 学長

1975年東京大学理学部数学科卒。1982年東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学、明治学院大学一般教育部専任講師。同部助教授・教授を経て、2000年経済学部教授。経済学部長、副学長を歴任し、2020年より現職。理学博士(東京都立大学)。専門分野は、解析的整数論。

目次

シンギュラリティを恐れる必要はない

村田今井先生には、この対談シリーズの第1回目に登場していただいた平木先生のご紹介でお会いして以来、情報数理学部の方向性や教育内容についていろいろと相談に乗っていただいていますが、先生ご自身の簡単な経歴と現在のご研究について、改めてご紹介いただけますか。

今井大学では工学部計数工学科の数理工学コースに進みました。数理的な思考に惹かれていたのですが、数学そのものよりは、数理的な考え方を利用して問題を解決するようなことに関心がありました。プログラムを書いて計算させると、実際に測定しなくてもちゃんと結果が出てくることにおもしろさを感じて、そこから問題を解くためにはどんな計算をすればいいのかを考えるアルゴリズムについてずっと研究してきました。2000年頃からは、対象を量子コンピュータの世界にまで広げ、現在は量子計算についても研究を続けています。

村田まさに情報数理の世界のフロントランナーでいらっしゃいますが、情報の世界の最近の動向をどのようにご覧になっていますか。

今井情報の新しい技術がいかに社会に影響を与えるかというニュースが、連日のように飛び込んでくる時代になっています。直近ですと、機械学習の自然言語処理を応用した生成AIのChatGPTがそうですし、量子コンピュータには全世界で投資が行われています。データサイエンスに関しては、日本でも文系理系を問わずすべての大学生が学ぶことが推奨されています。改めて情報が、社会を前に進めていく原動力になっていることを身近に感じていただける時代になってきました。現在ChatGPTが大きな話題にはなっていますが、来年はわかりません。これが突破口となってさらに大きな流れが出てくるような気がしています。

村田AIが人間の能力を超えるシンギュラリティの到来は、当初2045年くらいだと予想されていましたが、平木先生は2030年くらいだろうと指摘されています。さすがにそこまでは早まらないにしても、かなり前倒しされているのは確かでしょう。シンギュラリティが起きたとすると、社会はどう変化するのでしょうか。

今井最初に、シンギュラリティを恐れる必要はないということを申し上げたいと思います。シンギュラリティの定義は「コンピュータの人工知能の能力が、人間の情報処理能力に相当するものを身に付けること」だと理解しています。本当にコンピュータが人間を超越したものになると思っている人もいらっしゃいますが、まだまだ限界があります。例えば人間は自然言語を操り、自由に移動できますが、そこで使われるエネルギーはごくわずかです。しかしコンピュータに同じことをさせようとすれば莫大な電力が必要です。情報処理能力の点だけをみれば確かにシンギュラリティは到来するでしょうが、決してすべてのコンピュータがそうなるわけではなく、そういう能力を持った別のタイプの機械が誕生するだけのことです。ただ、社会を豊かにするためにそういうものが創造されるわけですから、恐れることは何もなく、そうした社会に真摯に向き合い、対応する能力をつけていくことが大切だと考えています。

情報を“使わせてもらう”側から、“使う”側を目指せ

村田社会の中にAIを取り入れたものが急速に広がっていく時代に、活躍できる人を育てたいと考えて、明治学院大学では情報数理学部を設置しようとしているわけですが、そのためにはどんな勉強をすればいいとお考えですか。

今井現在は、子どもからシニアまで皆さんスマホを使うような時代です。少し前まではパソコンを使っていましたが、現在ではスマホだけでかなりのことができるようになり、スマホしか持っていない若者もいます。スマホは情報処理の機械ですが、あくまでもユーザーが使うための道具です。道具を本当に使いこなすためには、その中身がどうなっているのかを知る必要があります。ですから、大学教育の中でコンピュータについて学び、情報をどう処理しているのかを学ぶことはとても重要です。生成AIにしてもある時点までのデータしか学習しておらず、それを常に更新し続けていくのはなかなか難しいものがあります。大学生が目指すべきなのは、スマホのような身近に使われているデバイスを超える情報処理を考えることであり、そのためには対象とする問題をきちんとモデル化し、プログラミングしてコンピュータを動かす力や、コンピュータの構造を理解した上で、データサイエンスの素養などを身に付けることが大切だと思います。

村田とても大切なお話ですので、復習させていただきます。まずは問題を論理的に考えて分析し、要素に分解してモデル化する力、量子コンピュータも含めてコンピュータの工学的な仕組みを理解する力、最後はデータサイエンスを駆使して問題を解決する力が必要だということでよろしいでしょうか。それぞれに別々の能力が必要ですから、かなり大変ですね。情報数理学部では、3、4年次に進むと、理論的なことを学ぶ「数理・量子情報コース」、AIやデータサイエンスについて学ぶ「AI・データサイエンスコース」、コンピュータの中身も含めて学ぶ「情報システム・セキュリティコース」の3コースを設置予定ですが、3つのコ―スを完全に分けるより、互いに絡み合っている方がいいわけですね。

今井最終的にはそうなることが一番望ましいとは思いますが、大学で何から何まで勉強できるわけではありません。結局、大学で学ぶのは考える力をつけること、そのための素養を身に付けることだろうと思います。例えば「AI・データサイエンスコース」に進んだとしても計算機システムや情報システム、セキュリティのことをわかっていないと、コンピュータを期待通りに動かせません。しかも、1期生が卒業するのは5年後になるかと思います。2018年と2023年を比べてもわかるように、非常に大きな変化があるはずです。つまり、現在のことだけを勉強しても不十分で、将来に資するような長いスパンで研究していける力を磨くことが必要です。その意味では「数理・量子情報コース」はまさにその狙い通りのコースだといえます。いずれにしても、限られた大学の4年間では、論理的に考える力と、将来も見通せる深い情報数理に関する理論や基礎知識、それとチームで仕事をするときの態度や姿勢などを身に付けてほしいと思っています。

速度の速い、時代の変化に対応できる鍵は、多様性

村田情報は現在、社会的に非常に注目を浴びています。本学がこのタイミングで、ゼロから理系の学部をつくるにあたり、他の大学にはない独自性を打ち出していくためには、どのような方向に展開していくべきなのでしょうか。

今井流行を追うものは短命に終わりますから、やはり本質的なものをしっかりと固めた上で、多様な世界に対応していくことだと思います。その点、情報数理学部は村田先生が数理を土台にして、そこから情報に展開していこうという思想のもとに、設計されたものだと理解しています。例えばデータサイエンス学科としてしまうと、データを解析するだけと捉えられがちですが、解析するにはプログラミングも必要ですし、確率・統計も勉強しなくてはなりません。AIなど他の情報分野の勉強も必要です。学部の名前は意外と影響が大きく、その中に閉じてしまいがちになります。情報数理学部は、基本的・普遍的な名前ですが、このことこそが多様性を可能にするのだと思います。

村田ということは、名前だけでなく、カリキュラムも多様性を守るようなものにする必要があるわけですね。カリキュラムの多様性を守るということは、どういうことを意味するのでしょうか。

今井先程の3コースでいえば、まず「数理・量子情報コース」では、情報について一番の基礎となる数理的なものから、量子の立場も含めてすべて学ぶことになっていると思います。現在、量子コンピュータに関しては人材が不足していますが、そうした人材を補う役割を担っていくことになるのではないでしょうか。「AI・データサイエンスコース」は、近い将来、ダイレクトに役立つことを学修することになるのでしょうが、そこでもさまざまな数理的な背景を身に付けていることが将来に向けて大切なのだと思います。また、情報システムが社会を動かしている事実を考えれば、「情報システム・セキュリティコース」も必須です。
このように情報数理学部には、現在から将来にわたって対応できる基本的なコースが提供されており、相対的な視点を持ちながら情報数理の力をしっかり身に付けると同時に、可能な限りの範囲での多様性があると思います。数理的な考え方、論理的な考え方ができて、情報とは何かを踏まえた上で、データからいかにして知識を見いだすのか、そのためにはコンピュータをどのように使えばいいのか、その際にはセキュリティをどう守ればいいのかなどが散りばめられており、かつ詰め込みすぎず、整然とデザインされていると思います。

AIが人格を持つようになればなるほど、私たちにとって重要な「人間」としての自覚

村田本学はこれまで人文科学、社会科学の6学部で教育・研究を行ってきました。一言でいえば、人間とは何かについて人文科学、社会科学の立場から追究してきたわけです。今、AIが急速に進化して、部分的には人間の持つ能力に近づくようなものも出現していますが、そうなると、本学の既存学部で培ってきた人間に対する興味の中に、今後はAIが入ってくるようなことがあるかもしれません。その場合、情報数理学部は既存の学部とどのように問題を共有してやっていくべきでしょうか。さらに、もしAIが人格に近いものになっていくとすれば、これまで人格教育に力を入れてきた本学は“AI倫理”に対して、どのように向き合い、取り組むべきでしょうか。

今井文系の先生方や文系の学生たちが、人間を対象として研究することによって社会を理解していく営みは非常に大切なことだと思っています。AIに関してはいろいろな意見があり、AI(Artificial Intelligence)についても英語と日本語で若干ニュアンスが違うものの、私はあくまで“人工の”知能だと思っています。ですから、先生がおっしゃったようにAIがいよいよ人格に近いものを実現しようとする時代であればあるほど、「人間というもの」をしっかり知ることが必要なのだと思います。AIは人間ではなく、あくまでも人工の知能ですから、それを人格に近い側面も含めて社会で活用していく場面では、人間や人格がどのように形成されるべきものかをきちんと考えることが不可欠です。人間とAIの新しい社会を構想する上では、人間に関する研究や学問を、社会でより活用できるようにすることがポイントになると思います。

村田予定通り認可されれば、情報数理学部は2024年4月にスタートします。これまで本学は、受験生の目には文系の大学として映っていたと思いますが、情報を学べるのならぜひ勉強したいという受験生が増えることを期待しています。情報を学びたいと考えている18歳くらいの若者に対して、先生はどのようなことを期待されますか。

今井男女を問わず、新しい情報をつくっていくことに参画したい人が来られることを期待します。情報はいろいろな捉え方をされますが、理系色が強い大学の場合、男子学生が多く女子学生が少ないところもあります。しかし今後の情報は、多くの人が情報デバイスとしてのスマホを使うことを大前提として発展していくことになります。であれば、単に情報を与えられるものとして使うのではなく、自分たちが社会を良くしていくために使う、さらにはもっと新しいものをつくっていくことに参画するといった面から情報に関わる姿勢が求められます。
そのためには、第4回の対談でも触れられていたように、ジェンダーを問わず広い見地から物事を捉えることが必要です。ChatGPTではまだ顕在化していませんが、以前には、バイアスが入ったデータをコンピュータが学習してしまい、明らかに間違った、あるいは偏った発言を出力してしまうという、あってはならないことがありました。これからの時代はダイバーシティ、インクルージョンがキーワードであり、みんながチームとしてお互いを支え合って新しい情報をつくっていくことになるでしょう。そういうことに共感し、関心を持つ学生に学んでほしいと思っています。実際問題として情報を推し進めていく際には、女性が持っている感覚や視点がものすごく重要で、男性もそういう感覚や視点を学んでいかなくてはいけません。このことこそが社会をより良くする情報システムをつくることにつながっていくのだと思います。

自然科学の共通言語「数学」が基盤にあるから、言葉や国の壁を超えることができる

村田新しいものをつくろうというのは、あくまでも意欲の問題ですが、それを喚起してくれるのが例えば手元のスマホだったりすると、もはやジェンダーの枠だけでなく、理系志望とか文系志望からも離れてしまっていいのかもしれませんね。

今井いわゆる理系とは、要するにシステムのことがきちんとわかる、数理的な思考を鍛えられていることだと思います。しかし、小学校から高校までの勉強の中でそういうものに興味を持ってきた人は、実は大勢いると思います。特に現在の若者は、起きたらすぐにスマホを手にする人もいるでしょうし、寝るときも横に置くなど常に身近に情報デバイスがある生活を送っています。情報をつくっていくということは、「どうしてこういうサービスがないのか」「こういうものをつくってほしい」「ないなら自分でつくろうか」などの発想から出発するものであり、理系とか文系とかは関係ないのではないでしょうか。情報数理学部で情報機器や情報システムについて精通し、数理的な思考能力を身に付けることができれば、より人生を豊かにできるようになると思っています。

村田情報数理学部では、これまでのお話の中でも触れてきた「数理的理解力」「高度ICTの利活用」「社会とのつながり」に加え、「国際社会での活躍」の4つを教育の特徴として掲げています。情報数理学部の学生は、自然科学の“共通言語”である数学を学ぶことになりますから、国際的に活躍することへの壁はそれほど高くないと考えています。数式を1つ示せば、互いにわかりあえるわけですから。ただ、スマホで通訳できるのだから、日本語だけで通じるという考え方には陥ってほしくないですね。何らかのカタチで相手に伝えようとする感覚、発想を磨いてほしいと思っています。

今井ICTがInformation and Communication Technologyの略であることからもわかるように、情報の世界の中心はコミュニケーションですし、インターネットはすでに全世界共有の社会基盤です。情報数理を学ぶことは、すでに世界を土俵に学んでいるのと同じです。高度情報通信技術(高度ICT)を利活用して、国際的なリーダーシップを身に付け、積極的に世界とコミュニケーションする姿勢を磨いてほしいと思います。