執筆者:齊藤哲也

「仏文便り」はじめました!

2023.03.28

フランス文学科ホームページのリニューアルに合わせて、「仏文便り」というあらたなコーナーをつくりました。

このページでは、フランスのことや、研究のことや、大学生活のことや、その他あれやこれやを、教員、卒業生、大学院生……などなどに、ブログ・スタイルで語ってもらおうと思っています。

リニューアルされた学科ホームページが公開されるのは、この(2023年の)4月と聞いています。

4月といえば新学期。新学期といえば……、なにかと「はりきって」いる人が多いのではないでしょうか? 受験生であれば、1日12時間勉強してやろうとか、大学1年生であれば、1ヶ月でフランス語の文法を全部マスターしてやろうとか、おなじく大学生であれば、映画を早送りで1日20本見てやろうとか、あるいは就活中の4年生であれば、「本当の自分」と出会うため1日最低3回の自己分析をノルマにしようとか……。

まあまあ、そんなに焦らないで。
というわけで、なにかと「はりきって」いるだろうみなさんのあたまを少しクールダウンしてもらうためにも、4月ですので「怠ける」をテーマに少し書いてみようと思います。

このホームページのなかの「教員紹介」にも書きましたが、わたしは「シュルレアリスムle surréalisme」というものについて勉強しています。シュルレアリスムとは、とりあえず「20世紀に生まれた文学や芸術の運動」といえますが、このシュルレアリスムのメンバーたちが1938年に一風変わった「辞書」を出版しています。そのページをぱらぱらとめくってみると、次のような不思議な項目に出会います:

“ PARESSE 怠惰――「おお怠惰よ、われらの長き悲惨を哀れんでくれ! おお怠惰よ、芸術と高貴な美徳の母、人間の苦しみの癒しとなってくれ!」(ポール・ラファルグ) (アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール編『シュルレアリスム簡約事典』江原順訳、現代思潮社、1971年から引用。訳語を一部変更した) ”

ここで「怠惰」と訳されているフランス語の « paresse »は、簡単な言葉で日本語に訳すと「怠ける」という意味の言葉です。どうやら「怠ける」ことが称賛されているらしい――これはどういうことでしょうか?

そのまえに、上で引用されている言葉は「ポール・ラファルグ」なる人物の言葉であるとされています。この人物はいったい誰でしょうか?

ポール・ラファルグPaul Lafargueは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの批評家、ジャーナリストです。かれの代表作される著書のタイトルは、なんとその名もずばり、『怠ける権利Le droit à la paresse』(田淵晋也訳、平凡社ライブラリー、2008年)。この本のなかでラファルグは、なんと「1日3時間しか働かず、残りの昼夜は旨いものを食べ、怠けて暮らすように努めなければならない」と主張し、また、どうしてそうしなければならないのかをくわしく説明しています。「怠けて」もいい、のではなく、「怠け」られるように「努め」なければならない、といっている点に注意してください。

ひと言でいえば、ラファルグによれば、「働く」ことは、よいことであるどころか、悪以外のなにものでもない。この括弧でくくった「働く」の場所に、「バイトする」とか「勉強する」とか「プラットフォームを運営してバカ儲けするグローバル企業のためにただ働き(つまり投稿や閲覧)する」とか、いくらでも他の言葉を代入することができるでしょう。

さて、シュルレアリスムの「辞書」に引用されたラファルグの引用にもどると、「怠ける」ことは「芸術と高貴な美徳の母」であるとされていました。つまりクリエイティブであるためには〈怠ける〉ことが絶対に必要である、ということになります。詩人や芸術家の浮世離れした、たんなる戯言にすぎないと思われるでしょうか? しかし、アートの世界だけでなく、おなじくビジネスの世界であっても、クリエイティヴな感性を磨くことは絶対に必要なことではないでしょうか。クリエイティヴな感性を磨くためには、また、磨くためにこそ、ひとは進んで〈怠け〉なければならない――19世紀のラファルグや、20世紀のシュルレアリスムのメンバーたちは、21世紀の私たちにそう訴えかけているようです。

子どものころから「怠ける」ことはダメだといわれてきたのに、それと正反対のことを主張していたひとがじつはたくさんいた。しかも消極的な意味で、怠けるのも「あり」というどころか、クリエイティヴであるためには積極的な意味で、怠けなければ「ならない」といっている……。どうでしょう、そんじょそこらの自己啓発本より刺激的じゃないですか?

4月は何かにつけて「はりきって」いるひとが多いと思いますが、たとえば「怠ける」というテーマを、がんばって、とことん突き詰めて考えてみるなんていうのも、充実した新学期のスタートになるかもしれません。まあ、1日3時間くらいなら、勉強してみてもいいかもしれません。それで、しっかり「怠け」られるようになるならば。

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