去年の夏、ベルギーの城で
2024.09.27
去年の夏、ベルギーの城で
私の朝は、鐘の音で始まる。
ベルギーの首都ブリュッセルから40キロほど離れた小さな町、スネフ。
中心にある教会から並木道を20分ほど歩いたところに、私が滞在する城はあった。
私が滞在する城の馬小屋はあった。
18世紀に建てられたスネフ城。その馬小屋を改築したここは、近年さまざまな研修に貸し出されている。
2023年の夏は、1ヶ月の滞在型プロジェクトが行われていた。
メンバーは、ベルギー文学の作家たちと、ベルギー文学の翻訳家たち。
それぞれが仕事をしながら交流し、そこからまた新たな創作や翻訳が生まれることを期待したプロジェクトである。
翻訳家たちの国籍は多岐に渡り、ベルギー文学が世界中で愛されていることがうかがえる。
作家の側も、ベトナム戦争を生き延びたチュイエット・グエン、タンゴの先生でDJでもあるクレール・ドゥヴィルとさまざまで、何年か前には『浴室』で知られるフィリップ・トゥーサンもいたらしい。
滞在期間中は、翻訳されている作家を呼んで対談も行われる。
おかげで私も、ゴンクール賞作家のカロリーヌ・ラマルシュや、『私にぴったりの世界』が邦訳されているナタリー・スコヴロネクと会うことができたし、コリンヌ・ウーに至っては先月、最新作を含む全作品を送ってくれた。
ただ私自身はというと、このプロジェクトに選ばれたのがじつは不思議でしかたない。
なぜなら私が訳していたのは半世紀以上前の小説であり、とっくに絶版になっていて誰も知らないし、作者も亡くなっているから呼ぶこともできない。
そのうえ作者の本業は犯罪学者なのだ。
エティエンヌ・ド・グレーフ。
ベルギー犯罪学の父と呼ばれる人物であるが、もとは精神科医である。
『夜はわが光』は、そんな彼が専門知識を総動員して執筆した渾身の一作であり、精神を病んだ長女とその家族が苦しみの末に救われるまでを描いた、全455ページの壮大な物語となっている。
と力説したのが功を奏したのかどうか。
私はメンバーに選ばれたわけだが、当然ながら対談は組めない。
結局、ノンフィクション『夜に死ぬ』を出したジャーナリストのアンヌ=セシル・ユワールが来てくれた。
「夜」と「光」しか共通点がないという無茶ぶりである。
ところで、授業中のふとした発言や動きからもわかるように、私は集中力も記憶力も90分が限度、単独行動を好み、重たい付き合いはノンメルシーな猫型人間である。
そんな私にとって、1ヶ月の共同生活が楽なはずがない。それも、毎日朝昼晩合計6時間以上も他人と会話しながら食事をし、ときには「ベルギー文学とは何か」で口角泡を飛ばして喧々諤々の議論をし、かと思えば城の庭を歩きながらところどころ立ち止まってお気に入りの作品を朗読するという、読書好きには楽しいのであろうイベントが行われるのだ。
それでもこうして1年が過ぎて思い出すのは、蚤の市でポーランドの参加者と可愛いワンピースを見つけたこと、メキシコからの参加者とショコラの会を結成したこと、ブラジルの参加者が開催したヨガ教室で、寝ているだけなのに褒められたこと…
そういえば、城の庭にはなぜかラマがいた。
滞在メンバーのmessengerグループはラマランドと名付けられ、いまでもよく連絡が来る。
【追記】
これを書いたあとで、ラマランドに新着メッセージが入った。
みんなのムードメーカーでショコラの会の会長で、コラ写真を作っては楽しませてくれたベルギーの若き翻訳家マクシム・ラミロワが、白血病による合併症のため亡くなったという。
明るいのに穏やかで、つねにまわりに気を配る、そんな素晴らしい人間の最後の夏を共に過ごせたことを、心から光栄に思う。