避難場所さがし
2025.02.21
避難場所さがし
「郷に入れば郷に従え」と言うように、慣れない土地で生活をするにあたって、誰しもまずはその文化に馴染むためのある程度の努力をするでしょう。言語を習得したり、現地の人たちの身振り手振りを観察して真似たり、知らない街に出かけて自分の行動範囲を少しずつ広げてみたり。
少しずつ慣れてはくるけれど、ただ適応しようと躍起になるだけでは、それなりに屈強な人でないとどこかで疲弊します。普通に生活しているだけなのに、なぜか心身が削られるということもある。というのも文化や言語や人種だけでなく、目に見えない違いもたくさんあるからです。人々の内側から滲み出るエネルギーの圧力とか、街の匂いとか、電車や道端で聞こえてくる会話のリズムとか、普段なら気にならないような些細なことにさえ敏感になります。日本で生まれ育った自分の身体と、いままで馴染みのなかった空間との感覚的な乖離は、少しずつ0に近づけることはできても解消することは不可能なのでしょう。
最近はYoutubeやSNSなどを見れば、留学をうまく乗り越えるための論理的なメソッドを伝授する内容のものがたくさん出てくるけれど、ぼんくらな自分にとっては、どうも窮屈な感じがしてうんざりしてしまう。そこで私が思うに、「郷に入れば郷に従う」次に必要なのは「避難場所」を探すことではないかと思うのです。避難場所といっても、万が一突然襲ってくるかもしれない事件やテロリストから身を守るための隠れ場、という意味ではありません(もちろんそれも大事かもしれませんが…)。自分の心身が「なんだか落ち着くな」と感じる空間や場所のことです。
もし自分のアパートの部屋が一番落ち着く空間であるなら、わざわざ外に避難場所をさがしに行く必要はないように思うかもしれません。ただ自分の部屋というのはときに自分の頭の中と同化してしまうので、気持ちが塞ぎ込んでいるとそれに呼応して室内ももやっとした空気を纏ってしまうことがある。なのでやはり外にも自分なりの逃げ場を見つけるに越したことはないと思うのです。
中にはここまで聞いてピンとこない人もいるでしょうか。そんな回りくどい作業をする時間を無駄に感じるかもしれません。自分の殻に閉じこもりながらゆるやかに外の世界を冒険するというのはなんだか矛盾しているかもしれませんが、それでも外から刺激を受け続けるのが耐え難い人間にとっては、「内」と「外」、つまり自分の内面と外の世界を行ったり来たりしながら少しずつ見知らぬ地や文化との距離を縮めていくのが、ちょうどよい気がするのです。
私はといえば、カフェやミニシアターに行ったり、公園に散歩しにでかけたり、たまに教会に入ったりしています。カフェやミニシアターでは、いろんな人が1つの空間を共有しながらも、ひとりひとりの時間の過ごし方や頭のなかで考えていることは違うので、集団のなかにいながらも孤独であるという感覚があって心地いいです。そういった空間にこれまで何度救われたかわかりません。ちなみに私はコーヒー中毒者なので、まるでマッチングアプリで気になる人を必死に探すかのように、パリであろうが日本であろうが暇さえあればカフェをgoogle mapsで調べては開拓しに行くのが日課になっています。(フランスでカフェというとエスプレッソのイメージが強いですが、実は最近はハンドドリップを出すお店も増えているので、美味しいコーヒーも飲めるのです…。)もちろん場所によって雰囲気や趣向が異なるので、自分にとってしっくりくる場所をつねに探し求めています。
(本当はパリにあるミニシアターやカフェについてもっと詳しく話したいのですが、長くなってしまうのでまたどこかで機会があれば。)
一方で公園や教会は、お金がかからないのでより気軽に通えます。パリの公園では、ランニングしている人、草むらに座っておしゃべりをしている人たち、ベンチで本を読んでいる人、犬の散歩をしている人など、いろんな人が自分の思うままに時間を過ごしています。公園は単なる遊び場や散歩道というよりも、文化的な活動も行える場である気がします。また水辺のある公園には、日本ではあまり見かけないような鳥たちもたくさん集うので、彼らの様子を観察しながら過ごすのが個人的にけっこう好きだったりします。
あるいはときどきふと、お寺や神社にお参りにいくような感覚で、アパートの近くにある教会にふらっと立ち寄ることもあります。とくに祈ることもせずただ座っているだけなのですが、その巨大な空間には妙な静けさが漂っていて不思議な感覚になります。ただ分厚い壁を隔てているだけなのに、ときどきパトカーのサイレンが聞こえるくらいで、街の喧騒やひとびとの声は削ぎ落とされ、ほぼ完全に外から隔絶された状態になります。そういった意味では、まさに「安全地帯」と言えるかもしれません。また教会の内装建築もさまざまで、大まかに言えばカトリックとプロテスタントで異なるように、いくつか巡るうちにとだんだんと自分の好みもわかっていきます。
避難場所についてつらつらと書いていきましたが、どうしても外に出られないときは、アパートの窓から外を眺めています。何気ない風景でもやはり日本とパリでは違うので、少し新鮮な気持ちになります。飛行機雲が環状線を描いていたり、空がやけに赤かったり、通りが見える場合は人々が歩く姿を観察したり。それだけでももはや映画を見ているようなもので、自分の凝り固まった思考を窓の外に投げ出すことができるような気がします。そんなことを繰り返しながら、また外の世界に向かっていくのです。
水辺の公園、2種類のカルガモ
バティニョール公園。家の形をした本棚(Boîte à livres)がぽつんと。
Cinéma Mac-Mahon。凱旋門の近くにあるにもかかわらず観光客が来ることはなく客の年齢層は高め。毎週さまざまな特集が組まれていて、日本ではあまり見られない作品も上映しているのでおすすめ。