執筆者:BEAUVIEUX Marie-Noëlle

モネの『睡蓮』と関東大震災

2025.03.25

12月末に開催された『モネ 睡蓮のとき(Le Dernier Monet – Paysages d’eau)』で展示されていた一枚の絵を前にして「え、なぜ?」と思うことがありました。

((撮影OKの場所で)執筆者が上野で撮影した写真)

「本作は、1923年に関東大震災の被災者のためにパリで開かれた展覧会に出品されました。これを知ったモネは抗議し、すぐに会場から撤去させます」という二行の解説があったのです。自宅のジヴェルニーの庭で「日本の橋」を作るまで日本が大好きだったモネはなぜ怒ったのでしょうか。

ずっと不思議に思いつつ3ヶ月間頭から離れなかったこの謎は、最近やっと解けました。実は、去年の秋話題になったフランスの現代小説がたまたまモネの睡蓮に関するもので、その中にヒントがあったのです。それはグレゴワール・ブイイエ(Grégoire Bouillier)の『オランジュリー美術館症候群』(Le Syndrome de l’Orangerie, Flammarion, 2024)という本です。
フランスの国営ラジオ局フランス・カルチャー(France Culture)が放送している歴史家のパトリック・ブシュロン(Patrick Boucheron)が司会する美術系の番組「自分で確かめてみよう(Allons-y voir)」でこの本が紹介されました。(聞きたい方は是非以下のリンクを開いてみてください。https://www.radiofrance.fr/franceculture/podcasts/allons-y-voir/une-scene-de-crime-enquete-sur-les-nympheas-de-claude-monet-1982913)

(ちなみにブシュロン先生は2024年パリ・オリンピックの開会式で歴史監修を担当した人です。あのマリー=アントワネットのグロい演出などがあった開会式ですね。)(実はあの場面、ただ単にショッキングな演出を目指してグロくしたわけではなく、中世以降、彫像などによくある切断された自分の首を持つ聖人(saints céphalophores)と、19世紀末グラン=ギニョール劇場(Grand-guignol)にてグロい事件を舞台化して人気を博した大衆演劇という2つの芸術史的側面を合わせて作られたものでした。)(そう、オペラ歌手にメタルバンドという組み合わせも新鮮でした。こういった文化的な背景があったためか、マリー=アントワネットに失礼という書き込みで炎上するSNSはフランスでは見られませんでした。)
(あ、でもこれはモネの睡蓮と全く関係ありませんね。一日かけて読んだブイイエの小説の書き方に影響されてしまってカッコばかり使って逸脱してすみません。)
(お詫びするよりカッコを削除するという選択もありましたね。どうしようかな。申し訳ございません。文字通り好き勝手という「申し訳」しかなくて、文字通り何も申せません。閑話休題。)

何はともあれ、そのラジオ番組でブイイエがインタビューを受けていました。その中でブイイエが言及していた「睡蓮の謎」に興味を持って、12月25日、東京の国立西洋美術館に足を運びました。そう、クリスマスです。クリスマスに睡蓮というのは、季節外れじゃないですかと思われても仕方がありませんね。でも私の家ではクリスマスツリーも飾っていなかったし、はて、私のフランス人の心はどこに行ってしまったのか?謎がさらに増えるばかりなので、睡蓮に戻ります。少なくとも集中してみます。


皆、大好きなあの美しい、穏やかな睡蓮の裏(の沼の底?)に、死者を出した事件が隠されている、とブイイエは小説の中で主張します。(モネ自身が展示のデザインを手がけた)オランジュリー美術館に初めて行った時、あの麗しき睡蓮から、皆がよく感じる安息が得られず、むしろ強い違和感を覚え、不安を抱いた、と。一体、その違和感と不安はどこから来るのか、その原因を探る話(フィクション?調査?ドキュメンタリー?ジャンルは少し不明で、かなり変わっている本。機会があれば是非、自分でも確かめてください)です。
私は皆さんと同じように(と勝手に読者の皆さんは私と同じように睡蓮を無邪気に鑑賞してきたと推測して失礼かもしれませんが)、睡蓮の絵を前にして漠然と美しいな、としか思ったことがなくて、その平凡で鈍い私は、一体、どういうことか自分で、美術館に行って、ブイイエの言う違和感と不安を確かめてみようと思いました。

ところがそこで、あの新しい謎に出くわしたのです。一体、なぜモネは関東大震災の被災者のために自分の作品が出品されたことで怒ったのでしょうか?ブイイエの小説でも描かれているようにモネは確かに、かなり気難しい人だったらしいです。まあ、でも、それは説明になると思えませんよね。
そもそも、問題の展覧会についてフランス語で情報を探しても、何も見つかりません。そこで、日本語で探してみたら… ありました!「クロード・モネ展覧会、日本の震災被災者たちに寄せて。ジョルジュ・プティ画廊、パリ」(« Exposition Claude Monet, organisée au bénéfice des Victimes de la Catastrophe du Japon, Galeries Georges Petit, Paris »)。これは1924年1月4日から18日まで開催されたようです。


Gazette Drouot (出典:inhaのデータベース)

ジョルジュ・プティ画廊は1885年からモネの作品を取り扱っていました。国立西洋美術館の解説にある通り、2年前にモネが唯一他人(松方幸次郎)に譲っており、当時はまだパリにあった二枚の装飾画がその展示で公開されることになりました。ところが「大装飾画 (Grandes décorations)」はモネが第一次世界大戦の初めに企画して、戦争が終わる時にフランス国家に渡すと決めていたものでした。(ブイイエは「装飾画(décorations)」がフランス語で「勲章」という意味もあると指摘しています。)(それを睡蓮の下から「死者」が浮かんでくる論拠としています。)

(あの睡蓮が作成された背景に戦争があったことを考えたことがありますか?あの睡蓮ですよ?少なくとも私はありませんでした。でももちろん、論拠とされたのは戦争のことだけではありません。ただ、ここで小説のネタバレをするわけにはいきません。読者の知りたい気持ちはよ~くわかりますが。一日かけてブイイエの小説を読んでください、としか言いようがありません。)

さて私が抱いた疑問に戻ります。実は例の「大装飾画」、1918年に戦争は終わっていたにもかかわらず、1924年になっても展示場所の選考が難航していて完成した作品は公開されていませんでした。そのような中で、ルクサンブール美術館の館長を務めていて松方コレクションの管理も任されていたレオンス・ベネディット(Léonce Bénédite)は、モネに連絡もせずに勝手に(今回私が上野のモネ特集の展示会で見た一枚を含めた)二枚を展示することを許可してしまったのです。
まだ公開されていない大作の一部をなす大切な絵が勝手に貸し出されて展示されていたことを知ったら、モネが怒るのも当然でしょう。(60作品余りあった展示の中で、睡蓮の公開だけに抗議したのです。)それで撤去を要求したわけだったのです。モネが抗議した原因は日本の被災者とは関係なかったのですね。こうして私の疑問は解けたのですが、モネの性格は関係なかったと言っても納得してもらえるでしょうかね。

それにしても(今日の状況からは想像しにくいですが、1950年代まで全く人気がなかった)モネの睡蓮にはたくさんの謎がまだ隠れていると思います。機会があったら、実物を見るために(上野の常設展に出品されている松方コレクションでも、パリのオランジュリー美術館にある完成した大装飾画の方でも)是非美術館へ足を運んで、自分の目で、自分の心で、どういう気持ちになるか
確かめてみてくださいね。(もう繰り返さないですので安心してくださいね。)
(そしてブイイエも読んでみてくださいね。)
(面白いですよ。)
(かなり。)


Claude Monet, peintre, dans son atelier (Agence Meurisse, 出典:gallica.fr)

参考文献
・Grégoire Bouiller, Le Syndrome de l’orangerie, Flammarion, 2024
・国立西洋美術館が所蔵している『睡蓮』(松方コレクション)
https://collection.nmwa.go.jp/P.1959-0151.html
https://collection.nmwa.go.jp/P.2017-0004.html
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/12359
・1924年のクロード・モネ展覧会、日本の震災被災者たちに寄せて、ジョルジュ・プティ画廊展示の図録
(URL : https://www.edition-originale.com/fr/histoire/xxeme-siecle/monet-exposition-claude-monet-organisee-au-1929-87710? )
・「クロード・モネ展覧会、日本の震災被災者たちに寄せて。ジョルジュ・プティ画廊展示」の当時のお知らせ
Gazette de l’Hôtel Drouot, n°42, 1924 (URL : bibliotheque-numerique.inha.fr/idviewer/59624/3)
・レオンス・ベネディットについて
Céline MARCLE, « Léonce Bénédite, "apôtre de la beauté moderne" ? », Histoire de l'art, n°62, 2008, p. 99-108. (URL : https://doi.org/10.3406/hista.2008.3225)

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