これまでに提出された修士論文題目
2021年度
2020年度
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
2011年度
| 堀口 麗 | ニキ・ド・サンファルにおける女性像の変容 -「射撃」から「ナナ」へ- |
| 片淵 修子 | 窓 |
| 笹岡 龍馬 | 「『日々の泡』の構造をめぐって」 |
| 種本 朝美 | ブーテ・ド・モンヴェルの絵本についての考察 |
| 永井 友梨 | ジェームズ・アンソール 世紀末の異端の芸術家 |
| 前野 恵理子 | ベケット作品における結末とその挫折――『ゴドーを待ちながら』を中心に―― |
2010年度
| 松浦秀一郎 | 『ボヌール・デ・ダム百貨店』における詩的要素について 柳田 雅世鉱物世界『箱船』考察 |
| 山形 桜子 | 娯楽としてのカナールに関する一考察 |
| 勝山 絵深 | 闇の中で生まれるもの―ルネ・シャールの詩における、「光」と「言葉」をめぐって |
| 高橋 晶子 | ハンス・ベルメールの線 |
| 西野 曜子 | 蒐集論―「驚異の部屋」から「デジタル・アーカイヴ」まで |
| 堀 美佳 | 『ジゼル』から現代バレエへ |
2009年度
| 小野 太郎 | 憎しみなく世界をみつめること―ジャン・ジュネがジャコメッティから教わったこと― |
| 藤山 真 | 啓蒙のエートス -フーコと現在性― |
2008年度
| 齋藤 弘崇 | ラカンによる『ハムレット論』 |
| 兼高 千恵 | ジェラール・ド・ネルヴァルにおける分身のイメージについて |
2007年度
| 加藤 春奈 | ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』における空間の在り方 |
| 石田 諒子 | ポール・デルヴォー あるいはその旅 |
| 小林 麻実 | 『ヒロシマ、私の恋人』人間にとって記憶とは何か? |
| 富永 玲奈 | 装飾の可能性―世紀末芸術からマティスへ― |
2006年度
| 石川 由香里 | 「眠り姫」の変遷 |
| 室伏 茜 | 詩が生まれるとき―アンリ・ミショーの詩について― |
2005年度
| 石川 綾子 | アルベール・ロビダ『二十世紀』より “二十世紀ノスタルジー” |
| 藤田 智子 | ケベック児童・青少年文学における自然の描き方 |
2004年度
| 六波羅 貴子 | 機械と怪物との間 ~『オ・ボヌール・デ・ダム百貨店』をめぐって |
| 原田 景子 | 「自己と他者」―私写真についての考察― |
| 三品 英子 | ミロ パリ―以前・以後 |
| 渡辺 麻美 | ダダの身体表現 ―大衆とダダの関係について― |
| 五十嵐 直子 | ロラン・バルトにおけるロマネスクの変遷 |
| 梶原 千夏子 | マルグリット・ユルスナールの小説における彷徨とその働き |
| 嶋田 友美 | アンゲロプロスの「まなざし」 |
| 安川 孝 | ブノワ・マロンと第一インターナショナル |
2003年度
| 坂巻 まゆみ | ポール・デルヴォー -女たちの帝国- |
| 内田 麻衣子 | 『ナジャ』(1928)と革命 |
| 御園 滋樹 | 『ダランベールの夢』3部作(1769)と時空間 |
| 八木 真理子 | マラルメとポオ 虚妄の栄光について |
| 佐竹 咲美 | アルチュール・ランボーのいくつかの作品について |
| 白倉 理栄 | -猫大将または長靴を履いた猫- シャルル・ペローの1695年の手稿本と1697年の活字本の比較 |
| 宮崎 沙綾 | フェルナン・クノップフ論 |
2002年度
| 木村 帆乃 | 堀内誠一論 |
| 高田 志保 | ミシェル・レリスの時間 |
| 内藤 真未 | トワイヤン序説 |
| 中村 英俊 | サド的リベルタンと自然 |
| 塩谷 祐人 | -亡命と帰還の間で- ミラン・クンデラに見る亡命作家のすがた |
2001年度
| 田中 文 | 革命論として読む『ナジャ』 |
| 西山 詠子 | アルベール・カミュ 『追放と王国』を中心に |
| 福住 遊 | ジョルジュ・ペレック論『Wあるいは子供の頃の思い出』の起源 |