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コラム

ウクライナ通信(1) 「ウクライナの美しい街かどからーカフェ、ボルシチ、シャウルマー」

2017年10月17日(火曜日)。
10月1日から国立キエフ大学社会学部の客員教授として、ウクライナで初めての長期研究滞在を始めて、2週間ほどが過ぎ去りました。

そして、ウクライナの首都キエフでは、木々の葉が黄金色に染まる季節になりました。旧ソビエト連邦第二の都市(見方によっては現在のサンクト・ペテルブルク〔当時はレニングラード〕についで第三の都市)であった都市キエフの象徴のひとつであり、タラスシェフチェンコ国立キエフ大学の象徴でもある、赤い大学の本館も、黄金の木々に囲まれる季節になりました。

そこから少し丘をドニプロ川(これはウクライナ語名で、ロシア語ではドニエープル川)に向かって上がっていくと、すぐにZoloti Volota (黄金の門)になります。その脇を入りそのままヤロスラビ通りを歩いて行くと、そこは各国の大使館通りになります。

この通りには瀟洒なカフェ、レストランが多くあります。今日は、イタリア大使館正面にあるベトナム・レストランでフォーを食べ、通りを戻りながらフレンチ・カフェでラテを飲んでみました。ラテは31グリーブナ(130円)、大きなチェリーパイは45グリーブナ(190円)、合わせて76グリーブナ(320円)は、キエフのウクライナ料理チェーン店(プザタ・ハタ*)で昼食を食べるウクライナ人の平均的な支出額です。私たちがロシアのものだと思い込んでいる、深紅のビーツ色のウクライナのボルシチに、メインの肉料理に付け合わせのポテト、それに2-3枚のブレッドの値段になります。(**)

パリのカフェ(エスプレッソ)は、カウンターであれば1.2ユーロ(160円程度)ですが、テラスにすわれば倍になります。東京でも、スタバのカフェは400円はするし、ケーキも500円を超えることもあります。東京で1000円のランチ定食をとっているサラリーマンからすれば、キエフでのこのアフターランチは、リーズナブルで贅沢なカフェ&ケーキの値段です。(***)

フレンチ・カフェの店内には、モダンなシャンソンが流れています。この演出は日本のお店でもよくあるものですが、ウクライナのキエフでは、一般の住宅街の風景と比べると、突出した感じがあります。一方で、キエフの街を飾る一般的な屋台は、シャウルマと呼ばれる中央アジア(ウズベキスタンなど)から来た食べ物で、ドイツで見るトルコケバブとも似ていますが、包むパン生地はもう少し薄く柔らかいものです。中に肉も入りますが多くの野菜で包んであります。スメタナのようなちょっと辛甘のサワークリームを最後に皮を巻いた口の上側の空いているところにのせ、完成となります。25-35グリーブナ(100-120円)で、財布にはとても優しく、またヘルシーでもあります。

 

*「プザタ・ハタ」とは、「お腹がいっぱいになる家」というような意味で、社会学的にはこの「ハタ(Hata)」という言葉が興味深いものです。これは日本語で言う近代的な家や家屋ではなくて、いわば「田舎風の家」を意味しています。もちろん、それは京都の町屋でもなく、江戸の町民家屋でもありません。
文化的な中身をふくめて言うと、それは<イエ>なのです。ウクライナでは、大都市の中心地域にこの<イエ>表象が生きているのです。ただ、お店は、いたって近代的にしつらえられています。キエフ郊外の野外民俗博物館を訪れると、移築された田舎家屋に「ハタ」という名称がつけられています。それは文化的な象徴であり、民族的な
象徴でもあります。ちなみに、ウクライナの独立性がロシア人(旧ロシア帝国の文化)に対して強調して語られるときには、「ウクライナはひとつの民族集団ethnic groupだ」と言われることがあります。
2017年10月17日、つまり今日は、世界を揺るがし、そして日本をシベリア出兵へと誘ったロシア革命からちょうど100年の年になります。しかし、ウクライナでは、だれもこの革命を称揚する人はいません。称揚するどころか、ウクライナ国内には、もはやレーニンの像すらありません。ところが、日本では、まだ「ロシア革命によって世界で初めて<民族自決権>がソ連憲法に書き込まれ、それが第二次世界大戦後のアフリカなどの植民地国の独立につながった」などという人がいます。この意味では、ウクライナは、ソビエト共産党によって「民族の独立」を破壊されてきたのです。
これはイデオロギーの問題ではなく、実際の政治的課題になっています。「ウクライナの解放」は、実際に「ロシア革命からの解放」であり、そして「共産主義からの解放」なのです。それは、まさにソビエト社会主義共和国連邦の設立によって、多くのウクライナ人が殺害されてきたからなのです。

**わたしたち日本人は、残念ながら食べ物にかぎらず、ウクライナ人とロシア人をよく区別できていません。それは、ウクライナ人とロシア人が26年前(1991年)まではともに「旧ソビエト連邦市民」であったからだけではなく、スターリンによって樺太やシベリアに「移住」させられた多くがウクライナ人であったからでもあります。戦後、日本に向き合っていた旧ソ連の領土に住んでいた住民の多くは、「ロシア人」ではなく、じつはウクライナ人でした。モンゴル出身の横綱が「日本人の横綱中の横綱」である大鵬の記録を破ったことが一時話題になりましたが、大鵬はウクライナ人の父と日本人の母が樺太で結ばれて生まれた、当時すでに「外国に」つながる「強い日本人力士」でもありました。

***ちなみに、ウクライナの大学生のカフェでのアルバイト代(時間給)は20グリーブナ(85円ほど)なので、パリでカフェ(それも、ほんのふた口の小さなエスプレッソ)をカウンターで飲むためには、単純に計算すると、2時間働かなければならないことになります。

社会学部教授 岩永真治